お庭の秘密のクラフトと、もふもふの迷子
チュン、チュン、という小鳥の可愛らしいさえずりで、私はそっと目を覚ましました。
「う、うーん……?」
体を動かそうとすると、まるで雲の中に沈み込んでいるかのような、不思議で柔らかい感触に包まれています。
(ここは……どこ?)
寝ぼけた頭で周囲を見回すと、そこは昨日と同じ、お姫様のような美しいお部屋でした。
天蓋から下がるレースのカーテンから、朝の優しい光が差し込んでいます。
「あ……そうだ。私、公爵様のお屋敷に……」
昨日の出来事が、夢ではなかったことをゆっくりと思い出しました。
一度目の人生では、イザベラ様の地下室で、硬くて冷たい石の床の上で丸まって寝ていました。
朝はいつも「早く起きなさい、このグズ!」
というムチの音で叩き起こされていたのです。
だから、こんなに柔らかくて温かいベッドで、小鳥の声で目覚めるなんて、本当に夢のようでした。
コンコン、と控えめなノックの音がして、扉が開きました。
「おはようございます、リアナ様。よく眠れましたか?」
入ってきたのは、メイド長のハンスさんと、若くて可愛らしいメイドのアンナさんでした。アンナさんの手には、美しい水色のワンピースが掛けられています。
「ひっ……!」
私はビクッと体をすくませて、慌ててベッドの隅に縮こまりました。
大人が近づいてくると、
どうしても「叩かれる」という記憶がよみがえってしまうのです。
「ああ、ごめんなさいね。驚かせてしまって」
ハンスさんは申し訳なさそうに微笑むと、少し離れた場所に立ち止まりました。
「無理に起きなくて大丈夫ですよ。今日はゆっくり休んでいてくださいね。お腹が空いたら、すぐに温かい朝食をお持ちしますから」
その優しい声に、私はこわばっていた肩の力を少しだけ抜きました。
(叩かれない……。怒鳴られない……)
それどころか、アンナさんが用意してくれた水色のワンピースは、肌触りの良い最高級の綿でできていて、裾には可愛らしい白いお花の刺繍が施されていました。
今まで私が着ていた、つぎはぎだらけでチクチクする灰色の服とは大違いです。
「あの……このお洋服、私が着てもいいんですか……?」
おずおずと尋ねると、アンナさんはパァッと明るい笑顔になりました。
「もちろんです! 旦那様(公爵様)が、リアナ様に似合うお洋服を町中の仕立て屋から集めてこられたのですよ。さあ、お着替えを手伝わせてくださいな」
アンナさんの手つきはとても優しくて、私の体に残っている古い傷跡を見ても、決して嫌な顔をしませんでした。
ただ、少しだけ悲しそうな目をして、そっと撫でてくれただけです。
新しいお洋服に着替えて鏡の前に立つと、そこには別人のような女の子がいました。
泥と埃で汚れていた金色の髪は、昨夜アンナさんが丁寧に洗ってくれたおかげで、キラキラと輝いています。
(これなら……少しは、この綺麗なお屋敷に似合うかな……)
ほんの少しだけ、私の心に「ここにいてもいいのかもしれない」という希望の光が差し込みました。
朝食は、昨日と同じように美味しくて温かいものでした。
ふわふわのオムレツに、甘い果実の
ジャムを塗った焼きたてのパン。
前世の日本の記憶を合わせても、こんなに豪華な朝ごはんは初めてで、私はまた少しだけ涙ぐみながら完食してしまいました。
朝食の後、「お屋敷の中を少し探検してみませんか?」というアンナさんの提案で、私はお庭を散歩させてもらうことになりました。
レオンハルト公爵様のお屋敷の庭は、見渡す限り緑が広がる、とても広大で美しい場所でした。
色とりどりのバラが咲き誇り、中央には透き通るような水の流れる噴水があります。
「うわぁ……綺麗……!」
私は思わず歓声を上げました。
前世の私は、植物を育てたり、土いじりをしたりする『ガーデニング』が大好きでした。
だから、こんなに素晴らしいお庭を見ているだけで、心がワクワクしてくるのです。
アンナさんと一緒に石畳の小道を歩いていると、奥の方から「はぁ……」という深いお祝いが聞こえてきました。
「どうしたの、トムおじいさん?」
アンナさんが声をかけると、麦わら帽子をかぶった優しそうなおじいさんが、振り向きました。
彼はお屋敷の庭師のトムさんです。
「おお、アンナか。それに、そちらの可愛らしいお嬢様は、昨日いらしたリアナ様ですな」
トムさんは私に丁寧にお辞儀をしてくれました。しかし、その顔はどこか困り果てているようです。
「実はな、この一角の花壇だけ、どうにも花が育たんのだ。土の『魔力』がすっかり抜け落ちてしまっておるようでな。栄養を与えても、水をやっても、すぐに枯れてしまうんじゃ」
トムさんが指差した先には、周りの美しい花々とは対照的に、土がひび割れ、茶色く枯れかけた花の苗が元気なくうなだれている花壇がありました。
「旦那様は『気にするな』と仰ってくださるが、わしとしては、このお屋敷の庭を完璧に美しく保ちたいのじゃが……」
トムさんの悲しそうな顔を見て、私の胸がキュッと痛みました。
(土の魔力が、抜け落ちている……?)
私は、イザベラ様の地下室で、毎日毎日魔力を絞り取られていた自分自身の姿を、その枯れかけた花壇に重ね合わせてしまったのです。
(誰の役にも立てないまま、枯れていくのは、すごく悲しいよ……)
「あの……」
私は、自分でも驚くほどはっきりとした声で、トムさんに言いました。
「少しだけ、そのお花を見させてもらっても、いいですか?」
「もちろん構いませんが、土で汚れてしまいますぞ?」
心配するトムさんとアンナさんをよそに、私は花壇の前にしゃがみ込みました。
そして、そっとひび割れた土に両手を触れます。
(……本当だ。土がカチカチに固まって、息をしていないみたい。それに、植物を育てるための優しい力が、すっかりなくなっている……)
前世の日本の記憶と、この世界の知識が、私の頭の中でピタリと重なり合いました。
(私の『創造と癒やしの魔法』なら、この土を元気に作り変えるクラフトができるかもしれ
ない!)
イザベラ様には「私のために兵器を作れ」と命令されて、無理やり力を使わされていました。
魔法を使うのは怖かったけれど、今は違います。
誰かを傷つけるためじゃなく、この悲しそうな庭師のおじいさんを笑顔にするために、そして、枯れかけたお花を助けるために力を使いたい。
(アンナさんたちは後ろを向いてお話をしているから、今ならバレないはず……!)
私は目を閉じ、心の中で深く息を吸い込みました。
体の中に眠っている、温かくてキラキラとした力を呼び覚まします。
それは、ずっと使わずに閉じ込めていた私の魔力です。
(土さん、お花さん。もっと元気になって。ふかふかで、栄養たっぷりの土に、生まれ変わって……!)
私の小さな両手から、淡い緑色の光がこぼれ落ち、土の中へと吸い込まれていきました。
それは、私の『創造』の魔法による、土壌の作り変え――すなわち農業の第一歩とも言える『土のクラフト』でした。
カチカチだった土が、私の手のひらの下で、まるで魔法のようにサラサラと崩れ、空気と魔力をたっぷり含んだ、黒くてふかふかの土へと変化していきます。
「……よし!」
土のクラフトが終わると、今度は『癒やし』の魔法です。
(枯れかけた根っこさん、元気を取り戻して。綺麗な花を咲かせて!)
緑色の光が、今度は萎れていた花の苗を優しく包み込みました。
すると、どうでしょう。茶色く変色していた葉っぱが、みるみるうちに鮮やかな緑色を取り戻し、茎がピンと立ち上がったのです。
そればかりか、枝の先には小さな蕾が膨らみ、ポンッ、ポンッ、と音を立てるようにして、真っ白で可憐な花を一斉に咲かせました。
「わぁ……っ!」
私は嬉しさのあまり、小さな声を上げてしまいました。
自分が魔法を使って、こんなに美しいものを生み出せるなんて。
イザベラ様のもとでは、黒くて禍々しい魔道具しか作らされてこなかったのに。
私の魔法は、決して恐ろしい兵器なんかじゃない。
命を助け、誰かを笑顔にするための力なんだ。
そう思えた瞬間、私の心の中で凍りついていた何かが、ほろりと溶けたような気がしました。
「な、なんと……! これはどうしたことじゃ!?」
後ろを振り返ったトムさんが、腰を抜かさんばかりに驚いて叫びました。
アンナさんも、目を丸くして口をポカンと開けています。
「ほんの数秒前まで枯れかけていた花が、満開になっておる! 土も、最高級の肥料を混ぜ込んだようにふかふかじゃ! ま、まさか……妖精の仕業か!?」
「えへへ……」
私は自分の魔法だとは言えずに、ただ曖昧に笑ってごまかしました。
(妖精さんのおかげ、っていうことにしておこう)
トムさんは涙ぐみながら、「これで庭が完璧になった」と何度も何度もお花にお辞儀をしていました。
その姿を見て、私は胸の奥がぽかぽかと温かくなるのを感じました。
トムさんたちが花壇に夢中になっている間、私はふと、花壇の奥の深い茂みから、微かな物音が聞こえるのに気がつきました。
ガサッ、ガサッ……。
(え? 何かいる……?)
少し怖かったけれど、好奇心が勝って、私はそっと茂みに近づいていきました。
葉っぱをそっとかき分けて覗き込みます。
「キュゥン……」
そこにいたのは、信じられないほど愛らしい生き物でした。
全身は雪のように真っ白な毛並みで覆われ、まるで大きな毛玉のようです。
見た目は仔犬のようですが、耳が少し尖っていて、額には小さな銀色の角のようなものが見えます。
(か、かわいい……! 究極のもふもふ……!)
前世の記憶でも犬や猫が大好きだった私は、その愛らしい姿に一瞬で心を奪われてしまいました。
しかし、その白い仔犬は、ブルブルと震えながら、後ろ足を庇うように丸まっていました。
よく見ると、足に何かに引っ掛けたような切り傷があり、血がにじんでいます。
「キュゥ……」
仔犬は私を見ると、威嚇するように小さく牙を剥きましたが、痛みのせいかすぐにへたり込んでしまいました。
(怪我をしてるんだ。かわいそうに……)
私は警戒されないように、ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばしました。
「大丈夫だよ。怖くないよ。痛いの、治してあげるからね」
私がそっと頭を撫でると、その毛並みは想像以上の『もふもふ』でした! 手のひらが吸い込まれるような柔らかさと、生き物の温かい体温。
私の魔力に反応したのか、仔犬は不思議と暴れるのをやめ、私の手にすり寄ってきました。
「えいっ」
私は再び『癒やしの魔法』を使い、仔犬の足の傷に淡い緑色の光を当てました。
みるみるうちに傷口が塞がり、血が止まっていきます。
痛みがおさまった仔犬は、パチリと青い目を開き、私の顔をじーっと見つめました。
そして。
「キャン! キュン、キュン!」
嬉しそうに短い尻尾をちぎれんばかりに振りながら、私の顔をペロペロと舐め回し始めたのです!
「あははっ、くすぐったいよ! よかった、もう痛くないんだね」
私はもふもふの体をぎゅっと抱きしめました。
柔らかくて、温かくて、私を少しも怖がらない小さな命。
イザベラ様の地下室では、誰も私に優しく触れてはくれませんでした。
だから、こうして自分から誰かを抱きしめて、相手も嬉しそうにしてくれることが、たまらなく幸せだったのです。
私の心は、この真っ白な『もふもふ』によって、さらに深く癒やされていきました。
「リアナ様? どこへ行かれたのですか?」
アンナさんの呼ぶ声がして、私はハッと我に返りました。
「こ、ここです! 茂みの中に、怪我をしたワンちゃんがいて……」
私が白い仔犬を抱えて茂みから出ると、そこにはアンナさんとトムさんだけでなく、黒い外套を羽織ったレオンハルト公爵様の姿がありました!
(ひっ……! 公爵様!)
私は咄嗟に仔犬を庇うように抱きしめ、後退りました。
(勝手に拾っちゃダメだって、怒られる……! この子も、私みたいに捨てられちゃうかも……!)
公爵様は、鋭い琥珀色の瞳で私と仔犬をじっと見下ろしました。
その顔は相変わらず恐ろしい
無表情で、額の傷跡がピクッと動きました。
「……リアナ。それは、犬ではないぞ」
地を這うような低い声。私はブルッと震えました。
「え……?」
「それは『フェンリル』だ。魔境の奥深くにしか生息しない、伝説の魔獣の子供だ。非常に高い魔力を持つため、並の人間では近づくことすらできんはずだが……」
公爵様の言葉に、アンナさんとトムさんが息を呑みました。
(で、伝説の魔獣!? 兵器の材料にされちゃう!?)
私はますます仔犬を強く抱きしめました。
フェンリルの子も、私を守るように
「ウゥゥ……!」と公爵様に向かって小さく唸り声を上げています。
「こ、公爵様……! お願いです!」
私は勇気を振り絞って、公爵様を真っ直ぐに見上げました。
「この子は、私が助けました! 悪い子じゃありません! だから……だから、私がこの子のお世話をします! ご飯も、私のご飯を半分あげますから! だから、いじめないでください……!」
必死に訴える私の目から、ポロリと涙がこぼれました。
それを聞いたレオンハルト公爵様は、またしてもフリーズしてしまいました。
彼の内心は、こうです。
(な、また泣かせてしまった!? しかも、私がいじめると思われてる……!? 私はただ、珍しい魔獣がなぜこんなところにいるのかと驚いただけなのに!
しかし、必死に小さなフェンリルを
抱きしめるリアナは、天使のように可愛い……! ぜひとも飼わせてやりたいが、どう言えばいいのだ!?)
公爵様は、数秒間の沈黙の後、大きく咳払いをしました。
そして、私を怯えさせないように、できるだけゆっくりとした動作でしゃがみ込みました。
「リアナ。私はその子をいじめたりはしない。……お前がその子を助けたのだな。素晴らしい優しさだ」
「え……?」
「お前が望むなら、そのフェンリルはお前の家族として、この屋敷で暮らすことを許そう。ご飯も、お前の分を減らす必要はない。屋敷の料理長に、最高級の肉を用意させよう」
公爵様の言葉に、私は耳を疑いました。
(本当に……? 飼ってもいいの? 私の家族に、なってくれるの……?)
「ほ、本当ですか……?」
「ああ、約束する。だから……もう、泣かないでくれ。お前が泣くと、私はどうしていいか分からなくなる……」
困ったように眉を下げる公爵様を見て、私はようやく、この人が本当に、怖い人ではないのかもしれないと気づき始めました。
顔は熊のように恐ろしいけれど、心はとても不器用で、優しい人なんだと。
「……ありがとうございます、パパ……じゃなくて、公爵様!」
安心した私は、思わず前世の記憶に引っ張られて『パパ』と呼びそうになり、慌てて言い直しました。
(でも、公爵様の耳にはしっかり届いており、彼はあまりの嬉しさに心の中でガッツポーズをしていたそうです)
「キュォン!」
フェンリルの仔も、安心したように私の腕の中で嬉しそうに鳴きました。
「ふふっ。今日からよろしくね。あなたの名前は『ルル』だよ!」
私が名前を付けると、ルルは私の鼻先をペロリと舐めました。
ふかふかのベッド、美味しいご飯、優しいメイドさんたち。
そして、もふもふの家族であるルルと、不器用だけどとても優しいコワモテの公爵様。
私の魔法で作ったお花が咲き誇るお庭で、私の二度目の人生――温かくて幸せな『スローライフ』が、今度こそ本当に始まったのです。




