第92話:天才将軍、限界を迎える
「はい! はい! はいっ!」
待ちかねたとばかりに、オトハが元気よく手を挙げた。
「それはですね――くじらちゃんなんです!」
「……へ? くじら……?」
「はい! くじらちゃんと言えば、空を飛ぶじゃないですか!」
「いえ……私は、海を泳ぐものだと思いますが……」
「えーーーっ!? 隊長さんも親方と同じことを言うんですね!
くじらと言えば、空を飛ぶに決まってるじゃないですかー!」
「……隊長はん。オトハちゃんが言いたいんは、
『海の中を飛んでいるように泳ぐ』っちゅうことですわ」
「えーーーっ、違うよーーーっ!」
「オトハちゃん、もうええから。
……ほんまにどうやって飛んでるんか、もう少しわかりやすく説明してあげて」
シバに促され、オトハは「仕方ないなぁ」という顔で胸を張った。
「実はこの絵はですね、『重力に反発する魔素インク』で描かれてるんです!」
「重力……? 反発……?」
聞き慣れない単語に、キルアが首を傾げる。
オトハは「そんなことも知らないの?」と言わんばかりの
ドヤ顔を浮かべると、作業着のポケットからゴツいレンチを取り出し、
その場にぽんと落とした。
――カチャン!
「ほら、これが『重力』です! この重力に反発するように、
絵の中にいる魔素たちに微量の魔力を込めるんですよ!」
「……しかし、オトハさん。この魔道具からは、
魔力探知の反応が一切検出されないのですが……?」
「あれ? おかしいですねぇ。確かに魔力を込めているんですけど
……あ、多分、魔力と重力が互いに打ち消し合って反発しているから、
飛んでいる時は外から見ると『魔力ゼロ』に見えるんだと思います!」
(……な、なんだと……!?)
キルアの脳内に衝撃が走った。
魔力と重力を相殺させて無力化し、
完全な隠密性を保ちながら浮遊する――。
本国の最先端魔導技師たちですら到達していない超高度な理論を、
この少女は感覚だけでやってのけているのだ。
(よく分からないが……
とんでもなく凄まじい技術であることだけは確かだ……!)
「えへん! すごいでしょー!」
くじらのイラストの前で、オトハは満足そうに小さく胸を張った。
「そ、それで……操縦はどのように行うのですか?
操舵輪や魔導回路の見当たりませんが……」
「えー? そんなのしないですよ?」
「ですが現に、村からここまで飛んできているではないですか」
「あぁ、それはですね――くじらさんにお願いしたからですよ!」
『へへっ、いよいよおいらのターンが来たようだな!』
「――だ、誰だ!?」
突然、背後から響いた野太い声に、
キルアは跳ね起きるように剣の柄に手をかけ、鋭く振り向いた。
『誰って、おいらだよ。この船の操縦について知りたいんだろ?』
声の主は、目の前の箱舟の船体に描かれた【くじらの絵】だった。
絵の中のくじらが、ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべながら動いている。
「またもや……画が……喋って……操縦を……!?」
――キリン、と脳内で何かが弾ける音がした。
物理法則を無視した温泉機能。
重力を反発させて魔力探知を完璧に無効化するチート技術。
そして、自分の意志を持ち、酒とスルメで動く関西弁(?)の落書きくじら――。
あまりにも理外な情報が一度に押し寄せ、
天使将軍キルアの高度な頭脳は完全に処理限界を超えてしまった。
「く……頭が……」
視界がぐにゃりと歪み、凄まじい立ち眩みがキルアを襲う。
彼はそのままその場に膝をつき、
目を回したまま崩れ落ちるように座り込んでしまった。
『なんだいなんだい、この隊長さんは案外ひ弱だねぇ。
おい、姉ちゃん、起こしてやりなよ』
壁のくじらが呆れたようにため息を漏らした。
「隊長さーん! 大丈夫ですかー!?」
パタパタ駆け寄ってくるオトハの声を遠くに聞きながら、
キルアは静かに目を閉じたのだった。




