第91話:降臨した箱舟と、天空の即席温泉
「オトハさん、それは……もしかして?」
前線基地の広場に降り立とうとする巨大な影を見上げ、
キルアは呆然と声を漏らした。
「はい、たいちょーさん!
試作機を作ったのでお見せしにきましたー!」
上空の箱舟から、オトハが楽しそうに手を振っている。
「それにしても奇抜なデザインですね……。
まずは降りてきて、近くで見せていただけますか?」
「りょーかいでーす! くじらさん、降りてくださいなー!」
オトハの掛け声とともに、巨大な影がゆっくりと下降を開始する。
広場を遠巻きに取り囲む兵士たちは、
全員が剣や魔法の杖を構えたまま固まっていた。
どの顔も、生まれて初めて見る「空飛ぶ箱舟」に、
凄まじい動揺と恐怖を浮かべている。
そんな中、キルアだけがゆっくりと箱舟に向かって歩み寄った。
3体のうち1つは、全長30メートルを超えている。
こんな大きな運搬用魔道具は、本国でも見たことがない。
そして、コンテナをそのまま機体にしたような無骨なフォルム。
側面には大雑把なくじらのイラストが浮かんでいる。
(……いや、くじらというよりはイルカに近いか?
だが、よく見るとくじらにも見えるような……)
キルアがじっくりとイラストを観察するため絵に近づいた。
次の瞬間。
『おい、アンタ。おいらは見世物じゃねえんだぜ?』
「――っ!?」
キルアは跳び上がらんばかりに驚き、目を見開いた。
なんと、機体の表面に描かれたくじらが、
アニメーションのようにヌルヌルと動き、自分に向かって
話しかけてきたのだ。
(機体の絵が……喋った……!?)
キルアは現状を全く把握できず、口をぽかんと開けたまま
完全にフリーズしてしまった。
「たいちょーさん! たいちょーさん!」
オトハの弾んだ声が、キルアを現実の世界へと引き戻した。
「たいちょーさん、これも見てください!」
オトハが甲板の壁にある謎のボタンをポチッと押した。
すると次の瞬間、
箱舟の天井から勢いよくシャワーのような水が噴き出した!
瞬く間にコンテナ内は波打つプールへと化していく。
さらに、オトハがもう一つのボタンを押すと、
今度は天井からモクモクと湯気が立ち込め、
アツアツのお湯が噴出し始めた。
巨大な箱舟は、あっという間に風情ある
即席の温泉設備へと早変わりしたのだった。
オトハはすでに3つ目のボタンを押したくて
ムズムズと手を動かしている。
キルアはこめかみを引きつらせながら、
必死に平静を装って尋ねた。
「オトハさん……ひとつ、質問をしてもいいですか?」
「はい? 何ですか、たいちょーさん!」
「なぜ……空輸用のコンテナ箱舟が、温泉になるのでしょうか?」
「くじらちゃんだからです!」
「……へ?」
将軍ともあろう者が、思わず間抜けな素声を上げてしまい、
キルアは恥ずかしそうに口元を押さえた。
だがすぐに気を取り直し、問いを重ねる。
「……オトハさん。このプールや温泉は、
一体どのような場面で使うことを想定しているのですか?」
「だって、長旅って疲れるじゃないですか!
温泉やプールに入って、のんびりしたいですよね!」
――すでにキルアは、
『オトハワールド』の深底へと足を踏み入れていた。
『オトハワールド』。
それは、魔道具に対する個人的な推しや好奇心が
全面的に優先され、軍事的価値や一般的な倫理観など
すべての概念が無に帰す、恐るべき変態的世界である。
「……隊長はん、大丈夫でっか?
なんか、えらい顔色が悪いようでっせ?」
ソロバンを小脇に抱えたシバが、呆れ顔で声をかけてきた。
「あぁ……シバさんか。ありがとうございます、大丈夫です……。
しかし、それにしてもこの魔道具は本当に素晴らしいですね」
「そうでしょー! この温泉がですね――」
「オトハちゃんはちょっと黙っといて」
シバは手でオトハを制すると、キルアに向き直った。
「隊長はんが言いたいんは、
この『コンテナとしての容積』のことでっしゃろ?」
「そうです! このような魔道具は本国でも見たことがありません。
……これは、人も運ぶことができるのでしょうか?」
「ちょっと乗り心地は保障しまへんが、まあまあ乗れるはずですわ」
「素晴らしい……! これなら馬車よりも遥かに速いですし、
移動中に魔獣と遭遇する危険も一気に減ります!
……これは、浮遊魔術の応用で浮き上がっているのですか?」
キルアが目を輝かせて尋ねると、
シバは一瞬、非常に気まずそうな顔をしてチラリとオトハを見た。




