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第89話:空飛ぶ幽霊船の噂

「キルア様、前線の守衛兵から報告が上がってまいりました」


 執務室に報告に現れた部下の言葉に、

天使キルアは書類から目を上げ、小さく息を吐いた。


「……例の『空飛ぶ幽霊船』の話か?」


 ここ3日間というもの、キルアの元には前線の守衛兵のみならず、

街道を行き交う旅の商人や近隣の農民たちから

『 空に巨大な幽霊船が飛んでいた 』

という妙な報告が相次ぐようになっていた。



 キルアにとって、『光の柱』で起きたことに関しては、

全てのバグを排除し、真実を把握しなければならない。


 すぐさま部下に手配し、幽霊船の目撃情報を集めさせた。


 しかし、その正体は依然として謎のままだ。



 そもそも、過去の歴史を振り返り、

『光の柱』に、何者かが侵入したという記録はない。


 『光の柱』は、光子の密度を最大限まで収縮した壁だ。

人や天使どころか、素粒子さえ侵入は不可能なのだ。


 何より幽霊船が空を飛ぶのであれば、魔力探知にかかるはずである。

しかし、こちらにも全く反応がない。



 「どうせ、いつもの見間違いだろう。

いちいち戯言の報告で、キルア様にお時間を取らせるな」


 隣に立つ副官が部下を一喝した。


 

 ――しかし、今日は、これまでとは様子が違う。


 部下が副官に報告を続けた。


「実は、今回は……幽霊船ではないのです。

『空に巨大な“くじら”が飛んでいた』との報告にございます」


「……くじら、だと?」


 報告は、野戦演習を行っていた兵士たちからのもの。

目撃者は100人以上いる。



 キルアは目撃した兵士たちを召喚した。


 しかし、目撃したはずの証言が全く食い違っていた。


 ある者は飛行体を「くじらだ」と言い張り、

ある者は「サメ」と証言する。


 「イルカだ」「イカのようにも見えた」と、

見る者によって主張がバラバラなのだ。


 その報告を聞いた瞬間、キルアの背筋に嫌な予感が走った。


(待てよ……。確か、ロクの作業場の壁に描かれていた、

あの下手くそなくじらの落書き……)


 部下の総務部隊長は、あの絵を「イルカ」と言っていた。


 シバは「ナマズ」と言い張り、親方のロクは

「イカ」と言い切っていた。



 あまりにも状況が似ている。。。


(……いや、ふふっ。まさかな)


 キルアは思わず自嘲気味に鼻で笑い、頭を振った。


 仮に謎の物体がオトハの作った『空飛ぶ魔道具』だとしても、

テスト飛行を行うにはあまりにも早すぎる。


 何しろ、発注を出したのはたった「5日前」なのだ。


(いくらなんでも完成するには早すぎる。

私としたことが、あの娘の才能に期待を寄せすぎるあまり、

少々妄想が過ぎたようだ……)


 キルアは自分の中に生じた荒唐無稽な疑念を掻き消すように、

落ち着いた所作で高価な磁器のコーヒーカップを持ち上げ、

ゆっくりと口に運んだ。


 その矢先……。



「おい、見ろ! あれは何だ!?」


「く、くじらか!? いや、あれはイルカだ!?」


 突如、執務室の窓の外から、

兵士たちの騒がしい叫び声が響いてきた。


「何を騒いでいるのですか、あなたたちは――」


 キルアがカップを置き、眉をひそめて窓を開いた。


 声がする方を見下ろすと、10名ほどの兵士たちが、

総出で空を指差して騒いでいる。


 キルアは兵士たちの指差す先――上空へと視線を向けた、



 その瞬間。


 彼の思考は、完全に停止した。


 そこには――先日、工房の壁で目撃した

【あの下手くそなイラスト】が優雅に空を泳いでいたのだ。


「く……くじら……!?」


 キルアの口から、呆然とした呟きが漏れた。


(は、ははは……まさかな。あの娘は……本当に、

たった2日でこれを作ってしまったというのか……!?)


 キルアは冷や汗を感じたが、瞬時に正気に戻り、

凄まじい威圧感で眼下の部下たちに怒声を飛ばした。


「直ちに幹部を集めろ!! 部隊に厳重な緘口令を敷く!!

あれを目撃した者は一人残らず口を塞ぐのだ!!」

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