第85話:自立型ぬいぐるみと、名前を忘れた魔道具師
「ここが、例の鍛冶屋でございます」
総務部隊長の案内に、天使キルアは静かに目を細めた。
彼の目の前にあったのは、風が吹けば今にも倒れそうな、
ひどく古びた木造の小屋だった。
しかし、よく観察してみれば、
建物自体は年季が入っているものの、入り口の扉は異様なほど頑丈で、
窓枠や梁の組まれ方も見事なほど水平を保っている。
いかにも、頑固な職人が営む鍛冶屋といった風体だ。
だが、所眷は人間が作ったもの。
圧倒的な魔力を誇る上位種族のキルアにとっては、魔法一つで
塵も残さず吹き飛ぶ、実に粗末な家にしか見えなかった。
「随分とみすぼらしい建物だな。本当に、ここで間違いないのだな?」
「はい。間違いございません、キルア様」
――トントントン。トントントン。
建物の中から、小気味よいトンカチの音が響いてくる。
その音の規則正しさを耳で確かめるような目つきをしながら、
キルアは手袋をはめた手で扉をノックした。
「すまぬ。ロクという者は、ここにいるか?」
キルアが扉を開けて中に入り、薄暗い建物の奥の方へと声をかけた。
――が、次の瞬間、キルアはその場で完全に硬直した。
なんと、工房の作業場で働いていたのは、
人間どころかアライグマたちだったのだ。
しかも、生きた獣ではない。
どう見ても愛くるしい『ぬいぐるみ』だった。
「お、おい……。これは、どういうことだ……?」
呆然とするキルアに、後ろから入ってきた総務部隊長が答える。
「はい、キルア様、いかがなさいましたか……って、
なんじゃこりゃぁあああ!?」
二人の戸惑う声を聞いて、作業台の真ん中でアライグマたちと
一緒にトンカチを叩いていた少女が、おや、と振り返った。
「あ、この前の兵隊さん!」
「お、オトハどの……。この、アライグマたちは一体……?」
総務部隊長が冷や汗を流しながら尋ねると、
オトハは不思議そうに小首を傾げた。
「はい? 普通のアライグマさんたちですが……」
「いや、どう見ても、これは綿の詰まったぬいぐるみじゃないですか!?」
「あ、これですか? この子達はリリーさんが作り方を教えてくれた、
鍛冶屋のアライグマさんたちですよー。みんな凄いんですよ!
ご飯を食べないで二十四時間働けるんです!」
「いや、私が聞きたいのはそのエコな労働環境のことではなくてだな――」
「あっ!!!!」
突然、オトハが頭を抱えて叫んだ。
その勢いに、総務部隊長は思わず一歩引く。
「ど、どうしたんですか!?
何か、私が聞いてはいけない軍の秘密のことでも尋ねてしまいましたか!?
もしそうなら謝ります!」
「いえ……! この子たちの名前を付けるの、すっかり忘れてましたー!」
ズコーーーッ!!
オトハの前で、軍の制服を着た総務部隊長が盛大にずっこけた。
そのすぐ後ろで、品の良い表情を崩さなかった最高幹部の天使キルアが、
思わず「ぶふっ」と吹き出している。
そこへ、ちょうど買い出しに出ていたロク爺が
大きな袋を抱えて小屋に入ってきた。
「あぁ、ロク。やっと帰ってきたか!
こちらの方が、先日お話ししたキルア様だ!」
ロク爺の顔から一気に血の気が引いた。
「キ、キルア様……っ!?
まさか、このような辺境の破れ小屋へお越しになられるとは……!
我が弟子が、何かとんでもない粗相をいたしましたら、
この老骨が代わりに命を賭して謝罪いたします!」
ロク爺は買い物袋を放り出し、驚愕して床に跪くと、
キルアに向かって見事な土下座を敢行した。
「いや、面を上げなさい。そのような形式的な礼儀はどうでも良いのだ」
キルアは鷹揚に手を振ると、再び作業台へ視線を戻した。
「ところで、店主。このアライグマのぬいぐるみは何なのだ?」
「あぁ、これですか……。
これらは、そこのオトハが独自に作り上げた魔道具でして。
不思議なことに、人間のように器用に働くのです。
いや、作業精度だけで言えば、人間以上かもしれません」
「……誰かが遠隔操作魔法で動かしているのか?」
「いえ、オトハは魔法が一切使えないようでして」
「まさか……
魔道具が、完全に自立して自意識を持って動いているというのか?
――そんな魔法技術、本国にすら存在しない。ありえない」
「キルア様、お言葉を返すことをお許しください。ですが……その『まさか』なのです」
キルアは鋭い眼光をオトハに向けた。
「あの、工期を激変させた不思議なバケツを作ったのも、この娘と聞いているが?」
「はい。左様にございます」
「オトハ、ちょっとこっちにきなさい」
ロク爺に呼ばれ、オトハはトコトコと歩み寄る。
「はーい、親方」
「オトハと言ったか。あなたはこの技術を、一体どこで学んだのだ?」
「うーーん……」
オトハは人差し指を顎に当てて考え込んだ。
「気がついたらできていました。
魔法科学園にいた頃は、毎日実験ばっかりでしたし……」
「ほう、あなたは魔法科学園の出身であったか」
「はい! でも途中からお仕事がすっごく忙しくなっちゃったので、
学校には全然行っていません」
「なるほど、オトハ殿は本国のご出身だったのですね。
しかし、それほど優秀な身でありながら、
なぜこのような最前線の辺境の地へ来たのですか?」
キルアの核心を突く質問に、オトハの脳裏に、
かつてキキョウから言われた強い警告がフラッシュバックした。
『オトハ、いい? 知らない人にあまりベラベラと
私たちの素性を話しちゃダメよ。絶対にね!』
「あ……」
(あっ、キキョウさんから注意されてたんだったっけ……!)
オトハは途端に分かりやすく大汗をかき始め、両手を泳がせた。
「それは……ええと、その、ちょっと……ごにょごにょ……」




