第69話:二つの記憶と、カンナの興味
「それじゃ、オトハ。朝はちゃんと時間通りに起きるのよ」
「はい」
「あと、ご飯は3食、好き嫌いしないで、きちんと食べること」
「はい」
「シバさんの言うことを、しっかり聞くのよ。勝手にフラフラ出歩いちゃダメだからね」
「はーい」
ここは帝国の北東の外れにある、ひっそりとした古い祠の前。
緊迫した旅立ちの場であるはずなのだが、繰り広げられている会話は
完全に『修学旅行に出かける娘と母親』のそれだった。
「なんだかキキョウさん、オトハ師匠のお母さんみたいですね」
「せやなぁ、リサさん。
まぁ、あの二人は付き合いが長いからしゃーないですわ。お約束みたいなもんです」
アドレアとリサがクスクスと笑いながら見守る。
リサにいたっては「うらやましいですぅ」と、その尊い関係性に目を輝かせていた。
カンナの話によると、
この祠にある「二つ並んだ鳥居」の下には、時空の歪みがあるという。
一見すると片田舎の寂れた神社にしか見えないのだが、
この二つの鳥居に特別な魔力を込めることで、異空間へのゲートが出現するらしい。
< オトハ、準備はできたわね? >
サクラの問いかけに、オトハはコックリと頷いた。
「はい、サクラさん」
< それじゃ、行くわよ―― >
< サクラちゃん! ちょっと待ってや! ウチの準備がまだやがな! >
サクラが鳥居に魔力を込めようとしたその矢先、
傍らにいたユヅキが慌てて声を挙げた。
サクラは露骨に面倒くさそうな顔でユヅキを睨む。
「なによー! ユヅキ、まだそこにいたの? さっさとシバに入りなさいよ」
「カンナはん、ウチは本当にシバちゃんの中に入って、
オトハちゃんの手伝いするだけでええんやな?」
「その通りよ。シバの強欲さとあなたの要領の良さがあれば、
魔力ゼロのオトハを守り通せる。あなたにしかできない重要な役目よ」
「まあ、そこまで言うなら頑張るわ。
……それより、中にある宝は、ウチが全部もろてええんやね?」
「いいわよ、自由にして頂戴」
「うひひ、それを聞けば百人力や!」
ユヅキは飢えたハイエナのような笑みを浮かべると、
すうっとシバの身体へと溶け込むように入っていった。
途端にシバの目がギラリと怪しく光る。
「それじゃ、オトハちゃん、いくでーー!」
「あれ? シバさん、なんだか急にいつもと雰囲気が違いますね?
カネの匂いに敏感そうな顔というか……」
「気のせい、気のせい! ほら、いくで!」
「それじゃ、みなさん、行ってきます!」
オトハが元気に手を振ると、二人の身体は鳥居の間に生じた
眩い時空の歪みの中へと、あっさりと消えていった。
「なんか……驚くほどあっさり行かれましたな」
ポツリと呟いたのは法王だ。
やはり法王は、孫娘を見送るかのようにオトハが可愛くて仕方ないらしい。
「法王様、ここは彼女たちを信じて待つしかありません」
「ケイン様、そうですね。待ちましょう」
法王の横で、キキョウも寂しそうな表情を浮かべ、
オトハが消えた空間をいつまでも目で追っていた。
――その時、キキョウの視界の端に、見慣れない「白い影」が揺らめいた。
(な、なに……!?)
キキョウは瞬時に腰の剣を抜いて構えた。
その尋常ではない殺気に、横に控えていたバルカス将軍も即座に反応して抜刀する。
「キキョウ殿!? 敵ですか!?」
「分かりません……でも、見たことがない天使が、そこにいるんです!」
「て、天使様ですと!? これ、戦ってはいけません!」
法王が慌ててキキョウの前に跪き、天に向かって祈りを捧げ始める。
だが、人間に見えているのはそこまでだった。
キキョウの視線の先では、二人の上位天使が会話を交わしていた。
< カンナ、だから止めなさいって言ったのよ >
< だって、このキキョウって子、どうしても気になるのよ >
< あなたがそこまで人間に興味を持つなんて珍しいわね >
< この娘は特別なの。サクラも近くで見れば分かるでしょ?
――ちょっとだけ、中身を覗いてみるわ >
< もうっ! オトハの大事な仲間なんだから、精神を壊さないでよ? >
天使たちの声は人間に届かない。
人間たちにできるのは、ただ、見えない神々が放つ圧倒的なプレッシャーに恐怖するだけだった。
「キキョウ殿、危険です! 下がりましょう!」
バルカスが祈り続ける法王を強引に抱きかかえ、キキョウにも退避を促す。
だが、キキョウは金縛りにあったようにその場から動かない。
「キキョウさん!?」
リサが叫ぶが、その声すら届かない。
キキョウの時は完全に止まり、硬直したまま息をすることさえ忘れていた。
「法王様と皇太子殿下を、早くこの場から遠ざけてください!」
危険を察知したリサが瞬時に周りの衛兵に指示を出し、上層部を避難させる。
周囲の喧騒が遠ざかる中、キキョウの耳に、
まるで春の温かい風のような、心地よい声が直接流れ込んできた。
< あなた、キキョウというのですね。少しお話をしましょう >
その瞬間、キキョウの視界がガラリと反転し、真っ白な精神世界へと引きずり込まれた。
「この声……誰? サクラ……じゃないわね?」
< ええ、私はサクラではないわ。カンナと言います。
サクラからあなたの話を聞いて、少し興味が出たの >
「そう……サクラの仲間なら、危害を加える気はなさそうね」
< あら、天使の扱いに慣れているのね。ふふふ……
ねえ、あなた。もしかして――【自分の記憶を二つ持っていたり】しないかしら? >
ドクン、とキキョウの心臓が大きく跳ねた。
「え……?」
< 自分の知らない、別の世界の記憶でもいいわ >
「な、なんでそれを……!?」
< やっぱり、ね >
「アタシは何者なの……!? 天使の姿が見えるだけでもおかしいのに、
どうして別の世界の記憶が……!」
< 大丈夫。あなたは特別なだけ。決して悪いことではないわ。
それに、何があっても私があなたを守ってあげる。
私はカンナ。覚えておいてね >
その声が鼓膜の奥で優しく弾けた瞬間、キキョウの視界は唐突に、
元の古い祠の前へと引き戻された。
「あ、う……っ」
「キキョウさん! 大丈夫ですか!?」
「良かったーーー!
突然ガタガタ震えて動かなくなったから、本当にビックリしましたよ!」
気が付くと、心配そうにリサとアドレアが自分の身体を抱きかかえ、
顔を覗き込んでいた。全身から嫌な汗が吹き出している。
「それで……天子様はどちらへ?」
いつの間にか戻ってきた法王が、おそるおそる尋ねる。
キキョウは乱れた息を整えながら首を振った。
「法王様、天使はもうここにはいません。どこへ行ったかも、私には……」
「法王様、それよりも早くキキョウ殿に回復魔法を!」
「あぁ、ケイン様、そうですね! ――ヒーリング!」
法王の手から放たれた聖なる光がキキョウを優しく包み込み、
精神の疲弊を癒やしていく。
「法王様、ありがとうございました」
キキョウは静かに立ち上がり、法王に深くお辞儀をすると、
その場にいた者たちへ真剣な眼差しを向けた。
「皆さん、あとでお話があります。――天使からの、伝言です」
「かしこまりました。それでは夕刻、帝国大聖堂に集まりましょう」
ケインが厳粛に頷き、一同は一度撤退することとなった。
キキョウは自分の胸に手を当て、先ほどの天使の言葉を反芻していた。
――― 一方、時空の歪みを通り抜けたオトハとシバ(ユヅキ)は、
果てしなく続く奇妙な空間をさまよっていた。
時空の中は、まるでゲームのダンジョンのような、
ゴツゴツとした岩肌の洞窟になっている。
「オトハちゃん、本当に大丈夫かいな。
ウチ……いや、ワイ、攻撃魔法とかさっぱり使えんで?」
シバの口調でユヅキが不安そうに周囲を見回す。
だが、オトハは至ってマイペースに、へらへらと笑っていた。
「ダイジョブですよシバさん! こんなこともあろうかと、
魔道具をいっぱい作って持ってきましたから!」
オトハが胸元の小さな四次元ポケット(のような魔道具ポーチ)を叩くと、
中からいくつかの奇妙なアイテムがポコポコと飛び出してきた。
「これは、こうやって使うんです。見ていてくださいね?」
オトハがカバンから、手のひらサイズの短い金属の棒を取り出し、
親指でカチッとボタンを押した。
ブゥゥゥン! という重低音とともに、
棒の先端から凄まじい熱量を持った「光の剣」が勢いよく飛び出す。
「ほえ? なんですかそれ」
「こうするんです!」
オトハがその光の剣を無造作に振り下ろし、近くの巨大な岩に触れさせる。
すると、硬い岩石がまるで温かいバターでも切るかのように、
ズブズブズブ……と信じられない滑らかさで両断されてしまった。
「ほほーーーう!! それすごいやん!!
オトハちゃん、それ、絶対に高く売れるでぇぇーーー!!」
シバ(ユヅキ)の目が、今日一番の輝きを放ち、
強欲なハイエナの笑顔が洞窟内に響き渡るのだった。




