第23話:恋のクッキー戦争勃発。〜時速100キロで駆け抜ける、馬に優しくない福利厚生〜
シルバーランド学園の朝。
今日は本来、聖ルカを称える清らかな鐘の音と共に始まるはずだった。
しかし、今、学園長室を震わせているのは、地を響かせるような重低音。
そして、時折混じる「にゃー! にゃー!」という電子的な絶叫だ。
学園長は、デスクに置かれた「本日の感謝祭進行予定表」を眺め、深く、深いため息をついた。
昨晩から一睡もしていない彼の瞳には、濃いクマが刻まれている。
「……事務局長。あの裏庭から聞こえる不穏な振動は、何かな?」
「はい。オトハ殿とシバ氏が、馬車馬たちの福利厚生を目的として『次世代車両』の最終調整を行っているとのことです。……なお、近隣の牧場から『うちの馬が、裏庭から漂うオイルの匂いに怯えて食欲がない』との苦情が入っております」
「福利厚生、ね……。馬が怯えて飯も食えなくなる福利厚生がこの世にあるのかね?」
学園長が窓の外に目をやると、生徒会室へと向かうキキョウの背後を、山のようなクッキーの箱を抱えた男子生徒たちが、巡礼者の列のように追いかけていくのが見えた。
そしてその列の最後尾。
顔を粉と煤で汚し、今にも泣き出しそうな表情で「炭のような何か」を握りしめているカイル王子の姿があった。
「……片や、異国の王子をパティシエ志望の浪人生のような顔にさせ、もう一方は、学園の静寂を機械の咆哮で塗り潰す。……あの子たちは本当に、一国を救った英雄なのかね?」
学園長は引き出しから「胃薬」の瓶を取り出した。
二人の問題児を退学にできないという政治的ジレンマが、彼の胃壁を確実に削り取っていたのである。
「いいかね、事務局長。今日の感謝祭、死傷者さえ出なければ、私は何も見ていないことにする。……ただし、あの『馬車』とやらが校舎に突っ込んだ瞬間、私は辞表を出す。それだけは覚えておいてくれたまえ」
その直後……。
ガレージから「キュイィィィィィン!」という、およそ馬車とは思えない高周波の駆動音が響き渡り、学園長のデスクに置かれたコーヒーカップが、小さく、しかし激しく波紋を立てた。
「うぅ、胃が……」
学園町が急いで胃薬を飲み干したのは、言うまでもないことだった。
◇◆◇◆◇
一方、調理室。
そこには、戦い敗れた戦士のような背中を見せるカイルがいた。
「……なぜだ。配合は完璧だったはずだ。温度管理も、魔導炉の出力調整並みに精密に行った……なのに、どうして石炭が錬成されるんだ!」
彼の目の前にあるのは、クッキーと呼ぶにはあまりに黒く、そして硬い物体。
「カイル様、それは……その、ある意味『心のこもった文鎮』としては一級品かと」
慰める側近の声も届かない。
カイルは知っていた。
キキョウに群がる男子たちが持っているのは、有名店のレシピを再現した色とりどりのクッキーであることを。
「本当は、隣にいるのは僕なのに……! このままでは、感謝祭が終わる頃、キキョウさんはクッキーの山に埋もれて、僕のことなんて忘れてしまう!」
焦燥感に駆られた王子は、炭クッキーを握りしめ、一縷の望みをかけてガレージへと走った。
「オトハさんなら、この炭をダイヤモンドに変えるくらいの魔改造ができるはずだ!」
◇◆◇◆◇
ガレージでは、オトハが最終的なネジ締めを行っていた。
「いい、シバさん! 出力制限は解除したよ。サトルくんの計算だと、馬が最初の一歩を踏み出した瞬間に、慣性の法則を置き去りにできるはずだから!」
「せや! それが『馬に優しい(時短)』という考え方やで!」
そこに、煤だらけのカイルが飛び込んできた。
「オトハさん! 頼む、このクッキーをなんとかしてくれ!」
「王子? ちょうどいいところに来ましたね! この『ハイブリッド馬車』のテストドライバー、やってみませんか? そうしたらクッキーを『高周波振動セラミック窯』で再加熱してあげる!」
話を聞かないエンジニアと、藁をも掴みたい王子。
気がつけば、カイルは馬車の御者席に座らされていた。
カイルが馬車を見ると、馬たちが、背後に設置された巨大な魔導バッテリーユニットから放たれる不気味な火花に、既に白目を剥いている。
「いくよ、エコにゃん一号、発進!!」
「ちょ、ちょっとーー馬たちが怯えてるんですけど……」
オトハが構わずレバーを勢いよく引く。
<< ――ドォォォォォン!! >>
馬が一歩踏み出した瞬間、
車輪に仕込まれた補助モーターが、世界の理を無視した回転を始めた。
「ぎゃあああああああ!? は、速すぎる!! 止まれ! 止まってくれぇぇ!!」
時速100キロ。馬の足は地面についていない。
火花を散らしながら学園の中庭を爆走する馬車。
クッキーを抱えた男子生徒たちの列をモーゼの十戒のごとく割り、阿鼻叫喚の渦を巻き起こした。
◇◆◇◆◇
騒動が一段落し、中庭に巨大なブレーキ痕が残された夕暮れ時。
馬車から放り出され、芝生に転がっていたカイルの元に、キキョウが歩み寄ってきた。
「……カイル様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……キキョウさん。……これ、渡そうと思って……でも、もうボロボロで……」
差し出されたのは、爆走の衝撃で粉々になった、さらに黒ずんだクッキーの残骸。
キキョウはそれを受け取ると、ふふっと小さく笑った。
「ありがとうございます。……一生懸命、焼いてくださったんですね。炭の味がしますが……なんだか、カイル様らしいです」
その光景を校舎の窓から眺めていた学園長は、三錠目の胃薬を飲み込んだ。
「……辞表の書き方を、今のうちに調べておこう」
一方、ガレージ。
< ひっひっひ、サクラちゃん、見てみ! 馬車は壊れたけど、あの壊れたパーツ、帝国に売ればまた一儲けや! >
< あんた、本当にがめついわね。……でも、あの王子の炭、少しはマシな味になったんじゃない? >
サクラは、キキョウとカイルの様子をどこか満足げに見つめながら、オトハの次の暴走(発明)を楽しみにするのであった。
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