第十三話 残された痕跡
ウルトがムルトト村で買い出しなどをしている一方、メルクルは村の外にいた。
目的は、村周辺の調査だ。
魔物の動きに異常がないかを確認し、村に近づく魔物がいれば退治する。主に村の外で活動するという違いはあるものの、故郷の村で務めていた警備兵に近い仕事だった。
この日は、普段から魔物退治を請け負っている者たちと共に、周囲の森や街道を調べることになっていた。
「それにしても、今日はずいぶんと静かですね」
隣を歩く青年が、周囲を見回しながら言った。
彼の名はレイグ。
弓を得意とするヒューマの男で、ムルトト村を拠点に魔物退治をしている。
「静かなのはいいことよ。魔物が少ないなら、その分仕事も減るでしょう?」
メルクルが答えると、レイグは苦笑した。
「まあ、そうなんですが。仕事が減ると、今度は懐が寂しくなるんですよね」
「ふふ、贅沢な悩みね」
「メルクルさんは、旅をしているんですよね? 仕事がないときはどうしているんです?」
「今の旅はまだ始めたばかりだから、探り探りだけどね。昔は仕事を探すか、次の町へ向かっていたわ。どちらにしても、じっとしていることは少なかったわね」
「へえ。俺だったら、仕事がなければ宿でゆっくりしたいですけどね」
「それじゃあ、お金がなくなるだけじゃない?」
「……おっしゃるとおりで」
レイグが肩を落とす。
その様子を見て、後ろを歩いていた男が笑った。
「お前は昔からそうだろうが。金が入ったらすぐに使う。だから、いつまで経っても貯まらねえんだよ」
「うるさいな、ガルド。俺の金だ。好きに使ったっていいだろ」
ガルドと呼ばれた男は、ワーフだった。
がっしりとした体格に、背負った大きな斧。口は悪いが、魔物との戦いでは先頭に立つことが多いらしい。
「好きに使うのは勝手だが、俺に金を借りに来るなよ」
「この前は貸してくれたじゃないか」
「返すのが遅かったから言ってんだ!」
二人のやり取りに、少し離れた場所から声が飛んできた。
「二人とも、歩きながら喧嘩しないでよ。周りを見るのも仕事なんだから」
声の主はミレナ。
ルフの女性で、杖を手にしている。魔法による援護を得意としており、森の中では周囲の魔力の変化にも気を配っていた。
「喧嘩じゃねえよ。教育だ、教育」
「そうそう。俺がガルドに世の中の楽しみ方を教えてるんだ」
「どっちも黙りなさい」
ミレナがぴしゃりと言うと、二人は揃って口を閉じた。
メルクルは小さく息を吐いた。
賑やかな連中だ。
だが、こういう者たちの方が、魔物との戦いでは案外頼りになる。
「メルクルさんは、どこまで旅をするつもりなんですか?」
今度はミレナが尋ねてきた。
「さあね。行き先を決めているわけじゃないから」
「そうなんですか?」
「ええ。行く先々で仕事をして、気になった場所があれば立ち寄る。きっとそんな旅よ」
「自由でいいですね。私も一度くらい、そういう旅をしてみたいです」
「自由っていうのも、楽なことばかりじゃないわよ。食事も寝床も、自分でどうにかしなくちゃいけないしね」
「それは……確かに大変そうです」
「それに、道中で魔物に襲われることだってある」
「それは私たちの仕事でも同じですよ」
ミレナが笑った。
「結局、どこにいても大変なことはあるってことですね」
「そういうこと」
メルクルは前を向いた。
木々の間から差し込む日差しは穏やかで、風も弱い。周囲に不審な気配もなく、今のところ異常は見当たらなかった。
そう思っていた。
「――来ます!」
先頭を歩いていたレイグが叫んだ。
直後、茂みの奥から薄灰色の影が二つ飛び出してきた。
ムルトト村に着く前にウルトたちが遭遇したものと同種のウルフだ。
そのうち一体が、真っ先にレイグへと飛びかかる。
レイグは素早く弓を構え、矢を放った。
矢は魔物の肩口に突き刺さる。
体勢を崩した魔物へ、ガルドが踏み込んだ。
「おらっ!」
振り下ろされた斧が、魔物の胴を捉える。
一方、もう一体は横へ回り込み、ミレナへと狙いを定めた。
「させない!」
メルクルは腰の斧を抜き、魔物の進路へと割り込んだ。
迫る牙を斧の柄で受け流し、そのまま横腹へ一撃を叩き込む。
魔物が地面を転がった。
「助かりました!」
「まだ油断しない!」
メルクルが声を張る。
倒れた魔物が起き上がり、再び走り出そうとした。
そこへレイグの矢が飛ぶ。動きの止まった魔物に、最後はガルドが斧を振り下ろした。
二体の魔物が動かなくなったのを確認し、一同はようやく構えを解いた。
「まったく。静かだと思ったら、これですか」
レイグが矢筒を確かめながらぼやく。
「二体程度で済んでよかったじゃねえか」
「ガルドはもう少し緊張感を持ってください」
「持ってるさ。だから倒したんだろうが」
いつもの調子に戻った二人を横目に、メルクルは倒れた魔物を見下ろした。
戦闘による傷こそあるものの、特に変わった様子はない。
この辺りではありふれた魔物だった。
「先へ進みましょう。まだ確認していない場所があるわ」
メルクルの言葉に、一同は頷いた。
それからしばらく、森の中を進んだ。
途中、地面に残された足跡を調べたり、魔物が通ったと思われる獣道を確認したりしたが、目立った異常は見つからなかった。
やがて、森が少し開けた場所へ出た。
そこで、レイグが足を止めた。
「……何だ、あれ」
彼の視線の先。
木々の向こうに、人影が倒れていた。
一人ではない。
二人、三人。
少し離れた場所にも、さらに人が倒れている。
「まさか……」
ミレナの声が低くなる。
メルクルはすぐに周囲を見回した。
「全員、警戒して。まだ何かいるかもしれない」
ガルドが斧を構え、レイグは弓に矢をつがえた。ミレナも杖を握り直す。
一同は周囲を警戒しながら、慎重に距離を詰めた。
近づくにつれ、倒れている者たちの様子がはっきりと見えてきた。
全員、すでに息絶えていた。
衣服はところどころ引き裂かれ、身体には無数の傷がある。傷の周囲には、何かに食い荒らされた痕跡も残っていた。
「ひどい……」
ミレナが口元を押さえた。
メルクルは、そのうちの一人の遺体のそばにしゃがみ込んだ。
衣服は土に汚れていたが、作りは悪くない。腰には革袋があり、身につけているものから考えると、旅人か商人といったところだろう。
他の者たちも似たような服装をしていた。
「商人かしら……」
「だとしたら、護衛も一緒だったんでしょうね」
レイグが周囲を見渡した。
「でも、荷物が見当たりません。馬車も、積み荷も……」
確かに、周囲には何もなかった。
荷物らしいものはおろか、馬車の残骸すら見つからない。
それだけではない。
メルクルは、遺体の傷を注意深く観察した。
噛み跡は、魔物によるものだろう。
しかし、それ以外にも気になる傷があった。
深く抉られたような裂傷。
硬いものに激しくぶつかったかのような損傷。
さらに、地面にも何かが勢いよく衝突したような跡が残っていた。
「……妙ね」
「何がです?」
レイグが尋ねる。
「噛み跡だけなら、魔物に襲われたと考えられる。でも、この傷はそれだけじゃ説明がつかない」
メルクルは、地面に残された痕跡へ目を向けた。
土が大きく抉れ、周囲の草木も不自然に折れている。
まるで、何かが凄まじい勢いで突っ込んできたかのようだった。
「突進でもする魔物か?」
ガルドが周囲を警戒しながら言った。
「その可能性はあるわ。でも……」
メルクルは言葉を切った。
これほどの傷を残す魔物なら、相応の痕跡があるはずだ。
足跡。
爪痕。
あるいは、周囲の草木に残された移動の跡。
しかし、見つかるのは遺体の周辺に残された不自然な痕跡ばかりだった。
「何か、見つかりましたか?」
ミレナが尋ねる。
「いいえ。少なくとも、すぐ近くに潜んでいるような気配はないわ」
メルクルは立ち上がった。
魔物の気配を完全に捉えられるわけではない。だが、これだけの惨状を生み出した何かが近くにいるのなら、警戒すべき兆候くらいは見つかってもよさそうなものだった。
それすらない。
まるで、何事もなかったかのように、森は静まり返っていた。
「……一度、村へ戻りましょう」
メルクルが言った。
「村長に報告して、商人たちについて何か知らないか聞いてみる。ここで闇雲に探し回るより、その方がいいわ」
「そうですね。これだけの人数が行方不明になっているなら、村でも何か話が出ているかもしれません」
レイグが頷いた。
ガルドは不満そうに遺体を見下ろしていたが、やがて斧を背負い直した。
「……死んだ奴らを放っておくわけにもいかねえ。戻ったら、村の連中にも手を借りよう」
「ええ」
メルクルは最後にもう一度、周囲を見渡した。
食い荒らされた遺体。
引き裂かれた衣服。
そして、何かが激しく衝突したかのような地面の痕跡。
これらを残したものは、一体何なのか。
今のところ、答えは見つからない。
ただ一つ確かなのは、村の近くで、何かがおかしなことになっているということだった。
「行きましょう」
メルクルたちは、来た道を引き返し始めた。




