第三十三話 終戦
「簡単な話です、レビィール城から脱出した……ただそれだけのこと」
アナスタシア姫は淡々とした口調で言い放つ。その言葉に耳を貸すものはあっても、心の底から信じることができる人間はこの場に一人としていなかった。
「そんなはずはないだろう! 見張りを常に置いた! お前が外に出る余地などなかったはずだ! それなのになぜっ……」
「城塞中央にある祭壇、その横にある小さな突起物を押してみなさい。そうすれば、すべての謎は解けるはずです」
サルード王は走った。すぐさま中央、おそらく王と側近のみが出入りを許される場所に入り、唯一浸水していない神々しい祭壇の前に立った。
「これか……」
アナスタシア姫に言われた通り、そこにはスイッチ……というには少し不格好な、それこそ彼女の言う突起物という方が相応しいほどのものがあった。
「ガ…ガガガガ」
押してみた、するとどうだろう。祭壇があった場所は間を空け、階段が現れたのだ。
「階段……地下通路か!」
下に続く階段、浸水した城、そしてそこから脱出したという事実……これらを考慮すれば、ここから地下を通り、我々の監視を潜り抜け、レビィール城からすでに脱したことの説明がつく。いや、それ以外にないのだが、一つ……まだ一つ疑問が解けていない。
「地下通路など、ぼくたちの技術じゃ到底不可能な代物だ! それなのになぜ再現できている! 地下通路がある城など聞いたことがないぞ!」
サルード王は困惑していた。何を隠そう、今までに聞いたことも見たこともない現象が、今まさに目の前で起こっているからだ。アナスタシア姫が水没した城から脱するために地下通路を使い、そこから脱出した。一見、筋が通っているように見える作戦だが、そもそも地下通路を完璧に作ったなど信じられんし、第一、事前に作ったとなればこうして水攻めされることを前に察知する必要がある。そんなこと、人間業ではない。神がすることだ。未来など見えぬ、いや、人間に見えていいものではない。
「一からお答えいたしましょう。レビィール城はアドラー大陸四番目の大きさを誇る、ラナウ川に囲まれています。ゆえに城攻めに困ったら水攻めを行うというのは事前に分かっていました。ですから、これまた事前に……それこそ城を建てる初期の設計から、地下通路を作るよう、指示を出しておいたのです。いざというとき、水攻めにあっても脱出できるようにと」
「地下通路はどうやって作ったんだ!? あれをどうやって建設する!? 今の技術量では地下に染みわたる水さえも完全に防備する地下通路など、作れるはずがない!」
「私がなんと呼ばれているかお忘れですか?」
また問いだ。また一つ増えた。ただでさえ、地下通路など訳の分からない問いに苦しめられているのに、なぜまた答えなければならない。いい加減にしろ僕は王だぞ、ネザー王国、二代目国王サルード・クズハ・クロリオス王だぞ!
「質問を質問で返すな! この化け物が!!」
腰にかけていた王剣を抜き取り、すぐさまアナスタシア姫を指し示す。
「奴は山に潜んでいる! いますぐ山へ入れ! アナスタシア姫の首を取れ!!」
「「うおおおおお!!」」
迫ってくるは千を超える軍隊、それも散々こけにされ怒り奮闘している狂戦士たちだ。普通の軍であれば心底恐怖するだろう。今自分たちがいる山を奴らに包囲され、じわりじわりと山を囲うようにして登り、昼夜問わず剣を振りまわし、惨殺の限りを尽くす。しかし、ラスト王国軍は誰一人として怖けることはなかった。こちらにはアナスタシア姫がいるからだ。
「軍神……自分で言うのも恥ずかしいですが、私はあなた方とは違うのです」
「ぐあああ!」
山に入った敵兵が次々と断末魔をあげる。アナスタシア姫が細工した、枯れ葉に隠された落とし穴にはまり、吸い込まれていく。
「ぐっ……!」
また違う場所ではゲリラ戦法をとったラスト王国にやられる兵士。先に山に入り、地形をくまなく調べ上げたアナスタシア姫が優位に戦況を動かすのは必至だった。
「どうする、どうする、どうする、どうする!」
サルード王はまた一つ選択を迫られる。撤退か、交戦か。和睦か、降伏か。いまとなって戦場に赴く前、ルークイド王に言われた「素直に降伏するべきだ」というセリフが脳裏をよぎる。
「認めてたまるか、ここまで来て、認めてなるものかぁぁ!!」
その時、後ろから土煙があがった。終わった。ここまで苦境に立たされるとなれば、この背後から忍び寄る土煙もまた苦境。つまりアナスタシア姫の刺客というわけだ。はは……はははは。終わった、終わったんだ。もう何もかも全部、前方にも敵、後方にも敵。敵敵敵敵……軍神アナスタシア、奴の技量は我々のはるか上をいっていた。
「ここまでか……せめて死ぬさいは一思いに」
サルード王が諦めかけたその時、一つの太く、荒々しい声が聞こえてきた。この野蛮な声を出す男を僕は一人しかしらない。
「サルード! 助けにきたぞ! アナスタシア姫の首、今日こそ取ろうぞ!!」
「ゴーラス……」
あのバカ……こんな時に本気出しやがって。涙ぐむのを抑えきれず、一つの雫が地面にぽつりと落ちる。背後の土煙は味方の軍勢だった。それもゴーラスが率いる殲滅部隊。いくらアナスタシア姫が山に潜もうと、自然はそう容易く加工できないし、城塞ほど堅固な守りにすることもできない。勝った、勝ったんだ、俺らは。天は……我々の味方をした!
「「終わりだ、アナスタシア姫!」」
サルード王、馬に乗って果敢に攻め込もうとするゴーラス王。土煙をあげながら今にも迫ってくる敵兵を追い返す素振りを見せないのは、ラスト王国軍の限界を示唆していた。
「一ついいことを教えてさしあげましょう」
しかし、もし仮にだ。アナスタシア姫がすべて見通していたとしたら?援軍がくることもすべてお見通しで、わざと泳がしていたら?すでに戦況の全てが手中に収まり、すべての事象が彼女の頭の中で完結していたとしたら?
──軍神アナスタシア姫、その本領がいま発揮される。
「一度起きたことは、二度目もある」
瞬時、気づいたのはゴーラス王の騎馬兵その最背面に位置する部隊だった。音が聞こえる。何かを飲み込むような、黒く、暗い、そしてなにより心の底から恐怖する音だ。前にも聞いたことがある音。まるでなにもかもなぎ倒し、「水」のように止まることなく戦況を一変させる。まさに「水竜」のようなそれは、それは。
「水攻めです! 後方から濁流が迫ってきています! 間に合いません!」
飲み込まれた。一人、また一人。濁流は竜となって天高くから地上に、それも地を這うようにすべてをなぎ倒す。
「ぐあああ!!」
飲み込む、飲み込む、飲み込む。人間と神の差を埋め合わせるように飲み込む。馬よりも早い「それ」は後方、中、そして前方まで迫り……
「サルード!」
「ゴーラス!」
二人は果敢に手を伸ばしたが、間に合わず。まずはゴーラス王、そして間髪いれずにサルード王が飲み込まれ、あたり一面は茶色く、薄暗くなっていた。太陽が静かに沈んでいった。




