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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長と英雄たちの群像劇~  作者: 五十六


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第99話「嵐の夜に生まれし姫君」

大陸歴 2791年 12月 / アークランド王国 王都カステルフィールド 王城内騎士団詰め所 / ヴィヴィアナ・ド・ランサ(アークランド王国 騎士団長 75歳 女性)


バチバチと、窓ガラスを激しい雨が容赦なく叩きつける音が響いている。 一年を通じて乾燥した風が吹き抜けるこのアークランド王国において、これほどまでに激しい風雨に見舞われるのは珍しいことじゃ。冬の嵐が、王都カステルフィールドを重く包み込んでいる。


私は人気のない騎士団詰め所で一人、暖炉の火が照らす戦術地図を睨みつけていた。


先日、西方国境を警備する部隊から一報が入った。 『ヴァルクール公国が、ドラコニア帝国に向けて進軍を開始した』と。 陣頭指揮を執るのは新王グウェンドリンと、あの老軍師ヒルダ・ザ・ヴァルクール。兵力はおよそ一万五千。


(……解せぬのう)


地図上の、ドラコニア西部国境にある『大要塞』を指先でなぞった。 侵攻の基本からすれば、攻め手は守兵の三倍の兵力がいる。にもかかわらず、半分の兵で大要塞に挑むなど正気の沙汰ではない。 あの智謀に優れたヒルダが、無策で軍を動かすはずがない。一体、何を狙って自軍よりも多い兵士がいる場所へ侵攻したというのか。


ふと、廊下の奥から女官たちの慌ただしい声が微かに聞こえてきた。 今、この王城は我が国が接する二つの国の戦火よりも、別の意味で騒がしい。


(我が国の女王であるクラリッサ陛下が破水し、いよいよ七人目の御子をご出産される状況なれば、王城の優先順位としては当然のことじゃな)


私は小さく息を吐いた。 普通ならば騎士団長として傍に控えるべきかもしれんが、クラリッサは母としても武人としても強い女じゃ。必ずや無事に元気な子を産み落としてくれるじゃろう。出産は他の者たちに任せ、私はこの国の『武』を預かる者として、この戦が我が国に及ぼす影響を深く考えねばならん。


タッ、タッ、タッ……!


その時、雨音に混じって、石造りの廊下を激しく駆けてくる足音が近づいてきた。 私は少し集中しすぎたかと思いながら顔を上げた。


(産声に気づかなかったが、もうお生まれになったのか?)


そう思い扉に視線を向けた瞬間、バンッ! と勢いよく扉が開け放たれた。


「ヴィヴィアナ団長!」


そこに立っていたのは、女官ではない。 全身を泥と雨に濡らし、息を荒くした我が国の副騎士団長、ロレーナ・フォン・トキシン。本来ならば西の国境付近で前線指揮を執っているはずの彼女が、見るからに大急ぎで駆けつけてきたのだ。


「ロレーナか! 前線にいるはずのお主が、なぜここに……」


「早急に、団長と直接お話ししたき事態があり……急ぎ前線より早駆けして参りました!」


ロレーナのそのただならぬ剣幕に、只事ではないことを悟った。彼女は生真面目だが、平時であればこれほど取り乱す女ではない。


「……何があった。落ち着いて報告せい」


「はっ……! 前線に放っていた我が方の斥候が、信じがたい光景を目撃し、戻ってまいりました」


ロレーナは兜を外し、雨水を滴らせながら、蒼白な顔で私を真っ直ぐに見据えた。


「ドラコニアの野戦部隊、二万五千の大軍が……ヴァルクール軍の一万五千に包囲殲滅されました」


「……なんじゃと?」


「さらに、敵軍はそのまま大要塞へ肉薄。……たった1日で、西方防衛線の要である大要塞が陥落いたしました。ドラコニアの守将エンギュル・カーンは……討ち死にとのことです」


「…………」


完全に絶句した。 ヴァルクールが進軍を開始したという一報を受けてから、まだ10日かそこらしか経っていない。その短期間で、二倍近いドラコニアの精鋭部隊を野戦で壊滅させ、さらにあの堅牢な要塞を落としたというのか。 しかも、あの西部の要とも言える名将エンギュル・カーンが、こんなにも有利な盤面にも拘らず討ち取られたじゃと?


長年に渡り戦に関わり続けているからこそ、その報告の異常性が嫌というほど理解できた。 現実の戦場で、そんな「奇跡」のような大戦果が起きることが信じられん……。戦力で劣る軍が大軍相手に包囲戦を行った……?その直後に大要塞を続けて陥落させ、あのエンギュルの首を獲っただと……?ヒルダ・ザ・ヴァルクールは、一体どんな魔法や強兵を用意したというのじゃ。


背筋に、老いすら忘れさせるような強烈な悪寒が走った時。


『オギャァァァァァァァァッ!!』


その重苦しい沈黙を切り裂くように。 王城の奥深くから、雷鳴のような、力強く元気な赤ん坊の産声が響き渡った。


「……」


ロレーナは産声がした廊下の奥へと一瞬だけ視線を向け、低く呟いた。


「……お生まれに、なりましたな」


その声は静かじゃったが、彼女の表情は極めて真剣なまま、微塵も崩れることはなかった。 新たな命の誕生という大いなる喜びの瞬間にあっても、目の前に突きつけられた「大戦乱の始まり」という現実が、我々に微笑むことすら許さなかったのだ。


ヒイロ王子と同い年の、新たな王女の誕生。 本来であれば、国を挙げて祝杯を上げるべき日じゃ。だが、この嵐の中で産声を上げた赤子は、間違いなくこれから始まる血の時代の渦中に身を投じることになる。


「……ふぅぅぅ」


深く、長く息を吐き出し、震えそうになる己の心を落ち着かせた。 そして、泥だらけのまま立ち尽くす副官へと歩み寄った。


「よくぞこの嵐の中、真っ先に知らせてくれた。大儀じゃった、ロレーナ」


労いの言葉をかけ、近くにあった水差しからコップに水を注ぐと、彼女に手渡した。


「さあ、腰を据えて話そうか」


私は椅子を勧めながらロレーナに語り掛けた。


「……この奇跡とも惨劇とも言える戦局がどうやって生み出されたのか、そして我らアークランドがこの後にどう動くべきか。それを導き出すのが騎士団を率いる者の務めよな」


ロレーナは、その言葉に真剣な顔で深く頷き、立ったままコップの水を一気に飲み干して、ふぅと息を吐いた。そして、女王の寝室に一礼してから椅子に腰かけた。


(……本当に、律儀な女じゃ)


非常時であっても主君への敬意と騎士としての礼節を忘れない副騎士団長の姿に、私は内心で目を細めつつ、暖炉の火が照らす戦術地図へと視線を戻した。


「ロレーナ。……お主は、今回のヴァルクールの動きをどう見る?」


「……異常です。これまで我々アークランドとヴァルクールは、幾度も国境で睨み合いを続けてきましたが、兵の数や質はほぼ互角。決定的な差はないと認識しておりました」


「そうじゃな。私もそう思うておった」


私は深く頷き、地図上の『大要塞』を指でトントンと叩いた。


「私であれば、あの堅牢な大要塞を正面から攻め落とそうなどとは到底思わん。ましてや、エンギュル・カーンのような老練で手堅い将が率いる三万の守備隊が待ち構える場所に、その半数の一万五千の兵で攻め込もうなどとは、夢にも思わんじゃろう」


攻城戦の定石を完全に無視した暴挙。普通ならば、ドラコニアの圧倒的な力にすり潰されて終わるだけの自殺行為だ。


「だが……アイツらは、それをやってのけたのじゃ」


私の言葉に、ロレーナの表情がさらに険しくなる。 半数の兵で、あのエンギュル・カーンを討ち取り、大要塞をたった1日で陥落させた。その事実が意味することは一つだ。


新王グウェンドリンの武力か、あの老軍師ヒルダ・ザ・ヴァルクールの知略かは分からんが、もはや我々がこれまで想定していた「常識の範疇」に収まるものではない。


「ロレーナよ。我々は、これまでの前提を根本から覆して考えねばならんかもしれん」


私は重い声で告げた。


「我々が西の国境沿いに築いてきた砦や防壁……これまでは、十分にヴァルクールの侵攻を食い止められる盾だと信じておったが」


「……今のヴァルクールには、我々の防衛線すらも容易く抜かれる可能性を考慮せねばならない、ということですね」


ロレーナが、ギリッと奥歯を噛み締めた。 私は無言で頷く。


「真っ向からの防衛戦だけでは足りん。奴らがどのような奇策で城壁を無力化し、我々の陣形を崩しにかかるか……あらゆる最悪の想定を練り直す必要がある。先ほど産声を上げたばかりの赤子のような未来ある命を守る『盾』であり続けるためにはな」


「はっ……! 直ちに国境の各砦の防衛計画を洗い直し、対要塞攻略用の遅滞戦術や、異常な天候変化を想定した防衛線の再構築に着手いたします」


ロレーナの眼差しには、絶望ではなく、次なる戦いに向けた燃えるような闘志が宿っていた。

バチバチと、分厚い窓ガラスを激しい風雨が叩きつける音が、なおも鳴り響いている。


「戦はより準備したほうが勝つ」


私は荒れ狂う嵐の音を聞きながら、己の信念を静かに口にした。


「今回は、ヴァルクールの奴らがドラコニアよりも周到に準備していたというだけのことじゃ。……ならば、いずれ我々がヴァルクールと矛を交えることになった時、我々が奴らを叩き潰せるように、今から万全の準備をしておかねばならん」


窓を叩く風雨の音は、ますます激しさを増していた。 時代の歯車が、恐ろしい音を立てて狂い始めるのを感じながら、私はアークランド王国騎士団長として、来るべき戦火に立ち向かう覚悟を確かめた。


戦争は当事者たちが語るのと第三者が語るのとでは見え方が違います。個人的には当事者たちの感情のこもった物語が好きですが、資料としては第三者の残したものの方が正確なのかもしれません。

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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です ヴァルクールの圧倒的勝利があちこちに波紋を広げている様子、痛快ですね! ただし、諸国はそれを正しく捉え、危機感を持つこと、言い換えれば曇りない目を持っていること、それもまた凄いこと…
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