第100話「新たな時代の幕開け」
大陸歴 2791年 12月 / アークランド王国 王都カステルフィールド 王城 / クラリッサ・アークランド(アークランド王国 女王 35歳 女性)
息を吸うことすら困難なほどの激痛が、幾度も私の体を駆け巡っていた。 これまでに幾度も戦場に立ち、剣で斬られ、槍で突かれたこともある。だが、新しい命をこの世に産み落とす痛みに比べれば、戦場の傷など浅手も同然だ。
「陛下、もう少しです! いきんでください!」
典医や産婆たちの声が遠く聞こえる。 これが七人目の出産だというのに、慣れることなど決してない。視界が白く濁り、意識が遠のきそうになるのを、私は王としての矜持と、母としての意地だけで必死に繋ぎ止めていた。
(負けるものか……! 私はアークランドの女だ!)
激しい風雨が、分厚いガラス窓をバチバチと容赦なく叩きつけている音が耳を打つ。 私はありったけの力を振り絞り、腹の底から最後の力を込めた。
『オギャァァァァァァァァッ!!』
嵐の轟音すらも切り裂くような、雷鳴のように力強く、元気な産声が産室に響き渡った。
「……っ」
途端に体の強張りが解け、私は汗だくのままベッドに沈み込んだ。 霞み、遠のきかけていた意識が、その力強い産声を聞いた瞬間に急速にはっきりと覚醒していく。
「おめでとうございます、陛下! 元気な女の子です!」
産婆が弾んだ声で告げ、すぐさま布で赤子を包み上げ、へその緒を切る。 ずっと私の手を握りしめていた夫も、「本当によく頑張られましたね、クラリッサ様」と涙声で私の額の汗を拭ってくれた。 私は目を閉じて荒い息を整えながら、彼に向けて小さく微笑み返した。
「顔を……見せてくれ」
綺麗にお湯で拭い清められ、柔らかな布に包まれた赤子が、私の目の前に連れてこられる。 私によく似た健康的な褐色の肌。そして、小さな手足を力強くバタつかせながら、大声で泣き声を上げている。 その生命力に溢れた姿を見て、私の胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
「なんて元気な子だ。……私に似て、強い女になりそうだぞ」
私が愛おしそうに頬を撫でると、赤子は泣き続けながらも、うっすらと目を開けて私の指をギュッと握り返してきた。 その小さな、けれど確かな力強さに、私はこの子の名前を確信した。
「この子の名前は、クララだ。クララ・アークランド」
「クララ……。素晴らしいお名前です、クラリッサ様」
夫が優しく相槌を打ち、私の腕からそっとクララを抱き上げた。
しばらくして、後産などの処置がすべて無事に終わった。 私はベッドの上で深呼吸をし、己の体の状態を確かめる。
(今回の出産では股も裂けておらんし、後産も問題ないな。……そういえば)
私は産まれる少し前の記憶を呼び起こした。
この部屋にいる者は誰も気が付いていなさそうだし、気が付いても出産に臨む私には知らせないようにするだろうが、ほんの微かに、王城では聞かない騎士の軍靴が走る音がして騎士団詰め所の方に消えていった。それにロレーナの声がしたようにも感じた。
(ロレーナは西の国境にいるはず……。それが大急ぎで駆けつけてくるなど、何かよほどのことがあったのだろう。呼吸を整えたら、顔を出しに行くか)
私はベッドから身を起こし、上着を羽織ろうとした。
「ク、クラリッサ様!? 何をなさっているのですか、お休みになられた方が良いのではありませんか!?」
夫がクララを腕に抱いたまま、慌てて私を止めようとする。
「心配はいらない。……胸騒ぎがしたときには動いたほうが良い。クララを頼むぞ」
「ですが、ご出産直後ですのに……」
夫がなおも心配そうにしていると、長年私を診てくれている典医が、苦笑いしながら歩み出てきた。
「こういう時、女王陛下は止まりませんからね。……私が付き添いますので、ご安心ください」
「すまないな。大人数で押しかけても現場の迷惑になるから、お前と二人だけで行こう」
私は典医を伴い、産室を後にして王城の騎士団詰め所へと向かった。
詰め所の分厚いオーク材の扉を開けると、そこには戦術地図を睨みつける騎士団長ヴィヴィアナとロレーナがいた。 二人は私の姿を見るなり、目を見開いた。
「へ、陛下!? いけません、ご出産直後にこのような場所へ来られては!」
ロレーナが慌てて駆け寄ろうとするが、私はそれを手で制した。
「胸騒ぎがしてな。休んでも休んだ気がしないさ。……ロレーナ、何が起きたんだ?」
私の問いに、二人は顔を見合わせた後、ヴィヴィアナが答えた。
「……はい、陛下。ヴァルクール軍が、ドラコニアの大要塞を落としました」
「なっ……!」
私は息を呑んだ。 ドラコニアの大要塞と言えば、あのリリスが築き上げた対エテルニアの絶対防衛線の中核だ。それを、ヴァルクール軍がこの短期間で落としたというのか。
「……どうやって落としたというのだ?」
「それが……」
ヴィヴィアナの促しを受け、ロレーナが信じがたい報告の続きを口にした。
「ヴァルクールはまず野戦にてドラコニアの野戦部隊二万五千を包囲殲滅したそうです。さらに野戦の勝利後すぐに要塞へと攻めかかり、要塞を制圧したと。……守将のエンギュル・カーンも、討ち死にとのことです」
「エンギュル・カーンが討ち取られただと!?それに二万五千の大軍が野戦で包囲殲滅され、しかもそのあとすぐに攻城戦で落城させただと……?」
背筋が寒くなるような恐ろしい内容だった。
「戦の常識からすれば信じられんが……事実として受け止めるしかないな」
私は息を吐きながら、戦術地図が見える場所へと移動し、ロレーナが用意してくれた椅子に座った。
「これは、我々に攻めかかる前に背後のドラコニア側との防衛線を自軍に有利になるように固めに行ったと見るべきか、それとも、本気で炎盟と戦端を開くつもりと見るべきか……」
私が呟きながら考えを巡らせていると、ヴィヴィアナが老練な声で応じた。
「どちらの可能性も十二分にありましょうな。エヴェリンのヒイロ王子を求めてこちらへ向かってくるのが本命かもしれませぬし、女帝崩御が目前と噂されるドラコニアの混乱に付け入り、長年の怨敵を滅ぼすのが本命とも見えますな」
「なるほど……。そう考えると、夏にエヴェリンへ行って軍事的な話をしておいたのは大正解だったな」
顔見世パーティの夜、私はカイネ辺境伯や騎士団長のレイラ達と、有事の際の増援と連携について確約を取り付けていた。
「左様ですな。いざという時、迅速に信頼できる援軍が駆けつけてくれるというのは、この上なく大きいですわい。敵の攻撃を耐えるしかなくとも、援軍が来るならばその耐えることが次の反撃への布石になりますからな。エヴェリンが援軍を確約してくれておるのは実に頼もしい限りじゃ」
ヴィヴィアナも深く頷く。
私は視線を上げ、泥だらけのまま立つ副騎士団長へと向き直った。
「よくぞこの嵐の中、駆けつけてくれた。大儀であった、ロレーナ」
「も、もったいないお言葉です……!」
私の慰労の言葉に、ロレーナが深く頭を下げるが、向かいに座るヴィヴィアナが、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「それにしても陛下。お体は本当によろしいのですか? それに、御子は……」
「無事に産まれたよ。元気な女の子だ。……名前はクララと名付けた」
私が少しだけ頬を緩めて言うと、ヴィヴィアナはほっとしたように息を吐き、そして窓の外で吹き荒れる嵐の音に耳を傾けた。
「クララ王女殿下ですか。……これほどの嵐の日に産まれたのだから、激動の人生になる運命かもしれませんな」
(やはり、ヴィヴィアナも私と似たような考えをするものだ)
「ああ、クララはエヴェリンのヒイロ王子と同い年だ。戦火の足音が迫るこの時代で、否応なく激動の渦中に身を投じることになるだろう」
私は戦術地図へと視線を落とした。 西ではヴァルクールが牙を剥き、エテルニアがその背後に控えている。今はドラコニアと事を構えているが、将来的には間違いなく、このアークランドにも何かをしてくることになるだろう。
「だが、悲観することはない」
私は胸を張り、言葉に力を込めた。
「今の光の同盟には、Word持ちも歴史上稀に見るほど揃っているし、我が国でもお前たちだけでなく、アレクサンドラを筆頭に優秀な次世代が育ってきている。……我らは、決して負けはしない」
ヴィヴィアナとロレーナの頼もしい顔を交互に見つめると、二人が力強く頷いた。
私は強烈な時代の変化を感じて心が騒めくのを受け入れながら、力を込めて立ち上がり、暴風雨と雷光が走る窓に向かい外を眺めた。
「今は荒れ狂っているが……嵐の過ぎ去った後には、必ず晴れやかな空が広がるものだ」
私は振り返りながら感じたままの思いを言葉にした。
「さぁ、新しい時代の幕開けだ」




