第95話「新兵の憂鬱と鬼ババアの背中」
大陸歴 2791年 11月 / ヴァルクール公国-ドラコニア帝国 国境付近 / ロセリン・マクドレイ(ヴァルクール公国 新人聖騎士 16歳 女性)
冷たい風が吹きすさぶ荒涼とした大地を、騎兵と歩兵が長く入り交じるように縦走していく。
俺たちヴァルクール公国の軍勢は、ドラコニアに向けての行軍を続けていた。 吐く息が白く染まる中、重い白銀の鎧を着込んで徒歩で土を踏みしめるのは、控えめに言っても最悪の気分だ。
「はぁ……。かったりぃ。なんで騎士学校を卒業した途端、こんな死地に向かって徒歩で行軍しなきゃなんねぇんだよ」
俺、ロセリン・マクドレイは、重い足取りで隣を進む親友に愚痴をこぼした。金髪のぼさぼさ髪を兜に押し込み、ただでさえ少ないやる気はすでに底をついている。
「本当よね。私なんて、卒業祝いの酒を飲んでる最中に招集令状が来たんだから。まじかよって思ったわ」
美しい長い金髪をなびかせながら同調してくれたのは、同僚のミレイス・オー・ケイルだ。黙っていれば優秀な姫騎士に見えるが、中身は俺と同じ、サボることと酒を飲むことしか考えていない不良騎士である。
俺たちはまだ馬を与えられていない新兵の身分で、自分の足でこの荒野を歩かなければならない。
俺たちは今回、運良く(?)後衛であるヒルダ軍師の部隊に配属された。前線で血を流すよりはマシだが、それでもこの行軍そのものが狂気の沙汰にしか思えない。
「だろ? 前衛の先輩方は『エテルナの槍の出番だ! 異教徒の鱗を剥がす最高のチャンスだ!』とか息巻いてるけどよ、連中、算数もできねぇのか? どう考えてもこっちが圧倒的に不利だってんだよ」
俺が鼻を鳴らすと、ミレイスが真面目な顔で、しかし中身は完全に「死にたくない」という本音を隠さずに相槌を打つ。
「ええ。今回の標的であるドラコニアの大要塞……あそこには経験豊富なドラコニア兵が3万はいるはずよ。対するこちらの総兵力は私たちみたいな新兵含めて1万5千。攻城戦のセオリーで言えば、攻め手は守り手の3倍は必要なのに、半分しかいないなんて」
「そうなんだよ! まっすぐ大要塞に向かってるなんて、処刑台に登りに行くようなもんだぜ。それだったらよ、あんな堅牢な要塞は無視して迂回し、手薄な後方の街や補給拠点を攻めたほうがまだマシかもしれねぇ。……でもよ」
俺は周囲を見渡し、声を潜めた。
「相手はあの機動力がおかしいドラコニアの騎馬軍団だぜ? 迂回したところで、背後から強襲されたらこっちは完全に終わりだ。逃げ道すらなくなる」
「ええ。補給線を絶たれれば、私たちはこの荒野で干上がるだけだわ。どう転んでも地獄ね」
ミレイスがやれやれと肩をすくめる。 俺とミレイスの信条は「生存第一主義」だ。手柄なんてどうでもいい。
「全くだ。俺は英雄なんかにゃなりたくねぇんだ。生きて帰って、美味い酒が飲めればそれでいいんだよ」
俺が大きくため息をついた、その時だった。
「ふむ。そうなると、うちの上のほうは何を考えてるんだろうな?」
斜め後ろの騎兵の列から、少し低めの声が不意に投げかけられた。少し振り向いたが、みんな防寒着を着ていて誰が声を書けたのかわからない。俺は、誰が聞いたのかも確認せずに悪態をつきながら答えた。
「そりゃあ上の連中は、安全な後方で『神の御加護が~』とか言って、現場の命を使い捨ての駒としか思ってねぇからだろ! ……いや、でもよ」
俺はふと、自分が配属された舞台を率いる鬼ババアのことを考える。
「陣頭指揮を執ってんのはあの戦闘狂の新王だとしても、軍略を練ってんのは、新兵訓練で俺たちをしごき倒したあの鬼ババアだろ? あの人が、ただの無策で1万5千の兵をすり潰すような間抜けな真似をするとは思えねぇ。例えば……あえて敵の自慢の騎馬突撃を誘い込んで、そこに魔法兵の一斉攻撃を食らわすとかよ。それなら歩兵主体のこっちにも何か勝機を作れるかもしれねぇしな」
「……ロセリン。後ろ……」
隣を歩いていたミレイスが、顔面を蒼白にして俺の袖を強く引いた。
「ん? なんだよミレイ……ス……」
俺が煩わしげに振り返った瞬間、心臓がパクリと止まりそうになった。
すぐ斜め後ろ。 騎馬の列に混じり、顔を隠すように分厚い外套のフードを深く被っていた人物が、ゆっくりとフードを下ろした。 そこから現れたのは、深く暗い瞳でこちらを見下ろしている老騎士――我が公国が誇る最高の軍師にして、新兵時代に俺たちに地獄を見せた張本人、ヒルダ・ザ・ヴァルクール様その人だったのだ。
(終わった。鬼ババア呼ばわりした挙句、軍の批判までしちまった!!!)
俺は弾かれたように足を止め、直立不動の姿勢をとった。ガタガタと全身が激しく震えるのを止めることもできず、全力の敬礼をする。ミレイスも隣で青ざめたまま、直立不動で敬礼している。
ヒルダ軍師は、本来の低く威厳のある声でゆっくりと口を開いた。
「……口は悪いが、盤面はよく見えておるようじゃな。お主、名はなんといったかの?」
「はっ! ロ、ロ、ロセリン・マクドレイでありますっ!!」
裏返った声が荒野に響く。 ヒルダ軍師は俺たちの顔を交互に見て、静かに告げた。
「ロセリンか。そしてそちらは、ミレイス・オー・ケイルじゃな」
軍師は手綱を引き、俺を見下ろした。
「仮にこの1万5千の兵をさらに5千ずつに分けて、正面に5千を配置し、5千ずつを左右から敵の後方に回そうとしたら相手はどう動く?」
試すようなその問いに、俺は極度の緊張の中、必死に頭を回転させた。
「……相手から見りゃ、ただでさえ少ない兵力を分散させる愚策です。機動力に勝るドラコニアの騎兵なら、左右の部隊が本隊から離れたのを見計らってから、手薄になった中央の5000に一斉攻撃を仕掛けて壊滅させ、その後、残った左右の軍を後方か側面から強襲して各個撃破してくると思います……」
俺の回答を聞き、ヒルダ軍師はフッとわずかに口角を上げた。
「ふん、考える頭はありそうだね。……鬼ババア呼ばわりしたんだからお前ら二人を地獄に送ってやろう、ついてきな」
「はいっ……!!」
ヒルダ軍師が馬を進めると、俺は全身の力が抜けてその場にへたり込みそうになった。 だが、命令に逆らうわけにはいかないので付いて行く。
周囲を行軍する他の兵士たちが、「あいつら終わったな」というような気の毒そうな目を向けてくる中、隣のミレイスが「巻き込みやがって!」とばかりに、恨めしそうな顔で俺の頬を何度もツンツンと突いてきていた。
半泣きになりながら、俺は重い足を前に踏み出した。 だが、恐怖と同時に、俺の心には微かな安堵も生まれていた。 あの軍師の目。あれは、無策で兵を散らすような馬鹿の目じゃない。絶対に勝機を見据えている者の目だ。
(……俺の予想通りなら、ワンチャン生きて帰れるかもしれねぇ)
見上げる空は、冬の気配を孕んでどこまでも重く、鉛色に淀んでいる。
『エテルナの槍』と『最恐国家ドラコニア』。 血で血を洗うような戦争が、いよいよ俺たちのような名もなき兵士の命を燃料にして、その火蓋を切ろうとしていた。
(どうか、神様。英雄になんてならなくていいから、美味い酒が飲める明日を俺にください)
祈りにも似た愚痴を白い息に溶かしながら、俺は一歩、また一歩と、鬼ババアの背中を追いかけて土を踏みしめ続けた。
若い新兵が出てきました。
中世の戦争では新兵の戦死する確率は恐ろしく高かったそうです。
行軍慣れしてなくてストレスや病気に晒されてしまったり、
消耗戦に精鋭部隊を使いたくない将軍は新兵や傭兵を損耗率の高い場所に配備したりもしました。
彼女たちは生き残れるのでしょうか?




