第94話「乱世を駆ける者たち」
大陸歴 2791年 11月 / ドラコニア帝国 帝都ドラコス 西部執政官邸 / リリス・ドラコニア(ドラコニア帝国 第三王女 西部執政官 竜人 62歳 女性)
吐く息が白く染まる季節となった帝都ドラコス。 私の屋敷の一室で、私は杖を傍らに置き、広大な盤上に並べられた駒を見下ろしていた。
「……兵站こそが戦の要。我がドラコニアの騎馬軍団は大陸最強の機動力を誇るが、略奪に依存するその進軍は、焦土作戦を敷かれれば一月と持たずに自壊する。わかるな、アマリス」
私が問いかけると、向かいに座る燃えるような赤髪の女性――アマリス・ドラコニアが、琥珀色の瞳を鋭く光らせて深く頷いた。
「はい、師匠。……圧倒的な『力』をただ振るうだけでは、真の覇者にはなれない。力を維持し、継続的に行使するための『血管』をどう構築するかが、為政者の務めということですね」
「その通りだ。よく理解している」
私は満足げに口元を緩めた。 エヴェリン王国での「顔見世パーティ」から帰還して以来、アマリスの知識を吸収する速度は凄まじい。ただの好戦的な「竜」ではなく、知略と大局観を備えた本物の覇者へと、彼女は今、急速に脱皮しつつある。
私が次の戦術課題を出そうと口を開きかけた――その時だった。
「申し上げます!!」
部屋の扉が乱暴に叩かれ、悲痛な叫び声が響いた。 アマリスが不快そうに眉をひそめる。私は杖を手に取り、「入れ」と短く命じた。
転がり込んできたのは、私の直属の伝令兵だった。全身が泥と汗にまみれ、肩で激しく息をしている。西方から馬を乗り潰して駆け通してきた証拠だ。
「西の国境より急報! ……ヴァルクール公国の王が率いる軍勢が突如として我が方の領地へ向けて進軍を開始いたしました! その数、およそ1万5千!」
「……ほう」
伝令の報告を聞き、アマリスは緊張するどころか、鼻で笑うように息を吐いた。
「1万5千、ですか。……師匠、最前線の大要塞には、西方の戦を知り尽くした経験豊富な将兵が3万もいますし、なによりもエンギュルさんが師団長として指揮を執っています。いかに『エテルナの槍』を自称する精鋭どもとはいえ、こちらが下手な兵力分散さえしなければ十分に勝てる状況かと」
アマリスの言う通りだ。 侵攻戦において、攻め手は守り手より多くの兵力が必要とされるのが軍学の常識。 1万5千の兵で、3万の兵がいる領地を落とすなど、正気の沙汰ではない。
守り手が戦慣れしていないならまだ勝てる可能性はあるが、長年西部の絶対的なNo,2として私を支えてくれているエンギュル・カーンが西方師団長として指揮を執っている。ドラコニア全土を見ても屈指の戦歴を持つ将軍であるエンギュルを相手に下手な小細工はきかん。
だが。 私の背筋には、氷のような冷たい悪寒が走っていた。
私は盤上の駒を見つめたまま、静かに目を閉じて考えをまとめ、そして己の油断に歯噛みしながら口を開いた。
「……アマリス。前線は敗れると思って準備するぞ」
「なっ……!」
私の言葉に、アマリスが琥珀色の目を大きく見開いた。
「経験豊富な将兵がいて、兵力も2倍で地の利もこちらにある状態で……破れるのですか!?」
「破れる。……断言してもいい」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。 脳裏に浮かぶのは、かつて私の罠にはまり、部隊のほぼ全てを失いながらも生還した、あの女の姿だ。
「敵の陣頭指揮を執る新女王グウェンドリンは、力任せの猪武者かもしれない。だが、その背後にはあの『ヒルダ・ザ・ヴァルクール』がいるのだ。……かつて私にすべてを奪われ、私に深き怨念を抱くあの老軍師がな」
私は杖を両手で握りしめ、立ち上がった。
「あのヒルダが、勝ち目のない戦を無策で仕掛けるはずがない。数の不利など最初から計算に入れた上だろう。必ず、我が軍を破る策を、我々の想像を絶する魔法か奇策を用意しているはずだ」
私の言葉に、アマリスもハッとして表情を引き締めた。
「……私が首都に来て、長く滞在しすぎたのが甘かった」
私は己の油断を猛省し目を閉じた。 西の鴉どもがエヴェリンの王子に気を取られていると誤解したことと、母上の崩御後の権力闘争を警戒するあまり、帝都に留まっていた隙を、あの怨念の化身に見事に突かれたのだ。
私は自分に言い聞かせるように声を絞り出す。
「ヴァルクールを……ヒルダを、舐めるな」
私は目を開けて杖で床を強く打ち鳴らし、鋭い声で命じた。
「すぐに西部へ出立する! 直ちに馬と護衛の手配をしろ!」
「はっ!」
伝令が慌てて部屋を飛び出していく。 私は傍らに立つアマリスを真っ直ぐに見据えた。
「行くぞ、アマリス。お前の『Dragon(竜)』の力が必要になる時が来るやもしれん」
「はい、師匠! ……この牙、存分に振るわせていただきます」
アマリスが獰猛な笑みを浮かべ、全身から熱い闘気を立ち昇らせる。
私が急ぎ部屋を出ようと進むと、そこにはドラコニア帝国大将軍であり、皇帝の末妹であるオリアナ叔母上が立っていた。西方から馬を乗り潰して駆け込んだ急使の存在を察知し、急ぎ様子を見に来たのだろう。
「リリスよ。西から急報が届いたようじゃが……ついにヴァルクールが動いたか」
「はい、叔母上。新王グウェンドリンが兵を率いて進軍を開始したとのことです」
オリアナ叔母上は、歴戦の顔に深く険しい皺を刻んだ。
「あのヒルダが、勝ち目のない戦を無策で仕掛けるはずがない。前線は危ういな」
「私も同意見です。一刻も早く私が西へ赴き、指揮を執らねばなりません」
「……ふむ。中央軍を動かすか? 儂が号令をかければ、半月もあれば3万は編成して派遣できるが……」
オリアナ叔母上は己の顎を撫でながら、忌々しそうに唸った。
「あのヒルダの策を前に、半月後の到着ではあまりにも遅すぎるな。今求められているのは、即座に駆けつけ、盤面をひっくり返す速さじゃろう。それが間に合わんのがもどかしいわい」
その時、廊下の奥から静かな足音が近づいてきた。 現れたのは、アスラ連邦の執政官ゼニス・アシュラと、副官のカリマ・クラだった。
「リリス殿。西の国境に不穏な動きがあると耳にいたしました」
ゼニスが静かに、そして恭しく頭を下げた。カリマもそれに倣い頭を下げた。
「もしよろしければ、我ら『鉄砂嵐』を、リリス様とアマリス様のご出馬の末席に加えていただけないでしょうか」
その言葉を聞き、オリアナ叔母上が怪訝そうに片眉をひそめた。
(……無理もない。叔母上が違和感を感じ取るのも当然だ。 ゼニス・アシュラと言えば、常に豪快で強者として振る舞い、他国に対しても決して下手に出ない女傑だ。それが、まるで儀礼に臨む近衛兵のように丁寧な態度をとっている。そして、アスラ最強の戦士団である『鉄砂嵐』を動かすというのに、普段なら高く売り込む交渉をするはずのカリマが、何の条件も報酬も求めず、ただ黙って付き従おうとしているのだ)
エヴェリン王国からの帰り道……。野営地でのあの一夜を境に、彼女たちのアマリスに対する態度は明らかに変化した。アマリスの生来の覇気に当てられ、戦士としての本能が彼女に付き従うことを選んだのだろう。
私は、隣で私の目を見つめているアマリスを一瞥し、口を開いた。
「……ありがたい申し出だ。ゼニス殿、カリマ殿。ちょうどアマリスに率いさせる兵がいなかったところだ。アマリスの直属として、彼女についてくれるか?」
その言葉を聞いた瞬間、ゼニスとカリマの顔がパァッと輝いた。
「はっ! ありがたき幸せにございます!」
「我らの力、アマリス様のために存分に振るわせていただきます」
二人は我が意を得たりとばかりに深く頭を下げ、私への感謝を示して力強く承諾した。
その様子を見て、私は頷きながらも遥か遠くへと思いを馳せていた。
西の空に上がっているであろう戦火の煙は、これからヴァリス大陸全土を焼き尽くす巨大な戦乱の、ほんの小さな火種に過ぎないのだろう。
偉大なる母の炎が静かに消えようとする中、西では白き鴉どもが禍々しい牙を剥き、南では聖なる王子が産声を上げ、そして今、私の隣では若き竜が覇道を歩み始めようとしている。
盤上の駒がすべて吹き飛ばされ、時代を一新させるような、力強い風が吹こうとしているこの今と言う時代に生きる者として、私には何ができるのだろうか。
私は杖を強く握り直した。 ただ迫り来るヴァルクールの軍を迎え撃つためではない。この果てしない動乱の先に、誰が真の覇者として立ち、どのような新世界を築き上げるのか――。
その壮大な歴史の目撃者、あるいは導き手となるべく、私は静かに歩み始めた。
この感覚は30代にならないと感じない感情だと思いますが、AIが急激に成長してきて、まさに時代が変わりそうな時に自分が生きている中で、そのAIや新技術を使いこなして成長させていくのは自分の次の世代なんだろうかと感じたときの気分。
リリスも近い感情を持ちながら時代の流れの中で生きていきます。




