第93話「エテルナの槍、解き放たれる」
大陸歴 2791年 11月 / ヴァルクール公国 騎士団本部 / グウェンドリン・ザ・ヴァルクール(ヴァルクール公国 国王 35歳 女性)
吐く息が白く染まる、11月の凍てつく朝。 私は薄暗い天幕の中で、愛用の槍の穂先を布で磨き上げていた。 鈍い銀色の輝きを放つ切っ先を見つめていると、体の奥底から沸き起こる血の渇きと、抑えきれない闘争心が腹の底を熱くしていく。
「……ふん」
私は立ち上がり、軽く右足に体重をかけた。 かつての落馬で負った古傷が、わずかに鈍い痛みを主張してくる。だが、こんなものは戦場に出れば忘れてしまう程度のものだ。 歩兵として地に足をつけて戦うには少しばかり不便だが、私の主戦場はそこではない。 いったん愛馬の背に跨れば、私は誰よりも速く、誰よりも重い一撃を放つ「エテルナの槍」そのものとなるのだから。
「……仕上がりは上々のようじゃな、グウェンドリン」
背後から、静かで落ち着いた声がした。 振り返ると、分厚い外套を羽織った老騎士――私の叔母であり、我が公国が誇る最高の軍師、ヒルダ・ザ・ヴァルクールが立っていた。
「ヒルダ。……準備は整ったか?」
「ああ。全軍の配置、補給物資の最終点検、そして『ラクダ部隊』の編成、すべて予定通りに完了しておる」
ヒルダは淡々と、しかし確かな自信を込めて頷いた。
9月に帝都コンスタンティナへ赴き、教皇聖下から「聖戦」の黙認――いや、事実上の許可を勝ち取ってから2ヶ月。 私たちヴァルクール公国は、表向きは代替わりの儀式や冬支度に追われているふりをしながら、水面下で着々とドラコニアへの侵攻準備を進めてきた。
長年、秩序だの自制だのという名の鎖に繋がれ、鬱憤を溜め込んでいた我が国の騎士たちの士気は、今や限界まで膨れ上がっている。
「素晴らしい。いよいよ、あの忌々しい竜の鱗を剥がす時が来たというわけだ」
私が獰猛に笑うと、ヒルダは皺だらけの目を細めた。
「油断は禁物じゃぞ、グウェンドリンよ。相手はドラコニアの西部を束ねるリリス・ドラコニア。決して真っ向勝負だけで勝てる相手ではない」
「分かっている。だからこそ、貴女の策があるのだろう?」
私は槍を傍らに置き、卓上に広げられた作戦図を見下ろした。 そこには、今回の標的であるドラコニア西部国境の『大要塞』が記されている。
「今回の侵攻の戦略目標は3つ。……第一に、この大要塞を陥落させ、我らの絶対防衛線として再構築すること。第二に、進軍の混乱に乗じて、将来の決戦に向けた工作員と斥候をドラコニアの奥深くまで潜り込ませること」
私はそこで言葉を区切り、ヒルダを見た。
「そして第三に……貴女が手塩にかけて創設した『ラクダ部隊』を、あえて敵に襲わせて補給線を絶たれたふりをし、全軍を撤退させる。ドラコニアの連中に、『ヴァルクールのラクダ部隊は役に立たない』と誤認させること、だったな」
「左様」
ヒルダの瞳孔が、猛禽類のようにスッと細くなった。
「この三つの布石は、数年後、ドラコニアの女帝が崩御し、奴らが内乱で疲弊した真の決戦の時に、必ずや決定的な意味を持つ」
私はヒルダの顔をじっと見つめた。 その無表情の奥底で、煮えたぎるような重く暗い怨念が渦巻いているのを、私は知っている。
かつて、ヒルダの率いる部隊はリリス・ドラコニアの罠にはまり、包囲殲滅された。数多の親友と部下を失い、彼女自身も重傷を負って前線に立てなくなった。 その恨みを晴らすためだけに、この老軍師は自らの半生を捧げ、軍を大改革してきたのだ。
「……小細工などせずとも、鍛え抜かれた我が軍の力があれば、あのような蛮族どもなど一日にして血祭りにあげてやるものを」
私が不満げに鼻を鳴らすと、ヒルダはわずかに口角を上げた。
「今回の作戦もその鍛え抜かれた兵がいてこそじゃ。我らは強いが、戦においてはドラコニアの西部軍も強い。特に大要塞にいる兵士たちは熟練兵が多く、ここで確実に消しておかねばならん奴らよ。……じゃが、今はまだドラコニアと本気でぶつかる時ではない。現状ではどんなにうまく戦っても、西部の半分すらも取れんし、リリスも殺せんじゃろう。ゆえに、本命の戦の時にリリス、そしてドラコニアを完膚なきまでに潰す準備が必要なのじゃ。此度の戦ではリリスに『痛み分けで勝った』と錯覚させ、満足して引かせる中で致命的な毒を仕込むのが本当の狙いなのじゃ」
「ふん。勝利の美酒を相手にもくれてやるのは癪だが……貴女がそこまで言うのなら従おう」
私は兜を手に取り、頭に被った。 冷たい金属の感触が、戦士としての本能を極限まで研ぎ澄ませていく。
「ヒルダ。貴女の長年の恨み、この聖戦の第一撃で、私が少しでも晴らしてやろう。あの忌々しい要塞を陥落させ、リリスの鼻を明かしてやる」
「……頼むぞ、グウェンドリン」
ヒルダは静かに目を細めて私を見つめてきた。私はそれに対して大きく頷き歩きだした。
天幕を出ると、そこには見渡す限りの白銀の鎧を纏った騎士たちが、時を待ちながら整列していた。 彼らの放つ熱気が、冬の冷たい空気を陽炎のように揺らめかせている。 馬のいななきと、金属が擦れる音が、心地よい音楽のように私の耳を打った。
従者が私の愛馬、純白の巨馬を引いてくる。 私はその慣れた背に乗り、手綱を握りしめた。 視線が一段高くなり、全軍の顔が見渡せる。みな、血に飢えた狂犬のような目をしている。
「ヴァルクールの誇り高き騎士たちよ!」
私が腹の底から声を張り上げると、数千の視線が一斉に私に突き刺さった。
「長きにわたり、我らは耐え忍んできた! 異教の徒どもが我が物顔でのさばるのを、ただ指をくわえて見ているしかなかった! だが、その退屈な日々は今日で終わりだ!」
私は愛用の馬上槍を天高く掲げた。
「我らは『エテルナの槍』! 宗主国たるエテルニアの盾であり、神の敵を穿つ絶対の矛である! 今こそ我らの槍をもって、あの忌々しいドラコニアの要塞を血の海に沈める!」
「「「おおおおおおおおっ!!」」」
大地を揺るがすような怒号と歓声が、冬の空に響き渡る。
「私の『Rein(雨)』が、奴らの視界を奪い、その足を泥に沈めるだろう! お前たちはただ、私の背に続き、敵を蹂躙し尽くせばよい!」
馬が興奮して前脚を高く上げた。 私は手綱を強く引き、槍を真っ直ぐに前方――ドラコニアの国境へと向けた。
「神の敵に死を! 全軍、進撃開始!!」
鬨の声と共に、ヴァルクールの白き軍団が怒涛のごとく動き出した。
私の背後には、同じく馬を進め、共に進軍するヒルダの確かな気配があった。重い剣は振れずとも、彼女の明晰な頭脳と深く暗い怨念は、この全軍を導く最強の武器となる。
さあ、開戦だ。 このヴァリス大陸に、我らヴァルクールが引き起こす血と泥に塗れた聖戦の嵐を、とくと見せつけてやろう。
戦に臨む際の前口上や激励の言葉ってかっこよくて好きです。
その内容が正しいかどうかは置いといて心に火が付く感じがします。




