第91話「竜の系譜と玉座の行方」
大陸歴 2791年 9月 / ドラコニア帝国 帝都 皇帝の寝所 / オリアナ・ドラコニア(ドラコニア帝国 大将軍 皇帝の末妹 竜人 85歳 女性)
重厚な扉を開け、儂は再び姉上の寝所へと足を踏み入れた。 儂の後ろには、呼び出しに応じた二人の女が続いている。長女のカリナと、次女のカラリスじゃ。すでに部屋にいる三女のリリスと合わせ、これで女帝の血を引く三人の王女が、病床の母の前に揃い踏みしたことになる。
(……やれやれ。息の詰まるような空気じゃのう)
儂は部屋の隅に立ち、腕を組んで四人の女たちを眺めた。 天蓋付きのベッドに横たわる姉上は、やせこけてはいるが、その琥珀の瞳からは相変わらず全盛期と変わらぬ覇気を放っておる。 ドラコニアを大陸最強の帝国に押し上げた、偉大なる覇者。儂も次姉のルーシア姉上も、姉上に心の底から惚れ込み、喜んで己の継承権を放棄して忠誠を誓ったものだ。
だが……武人としての本音を言えば、儂は人生の最期でああはなりたくない。 病の床で、徐々に己の肉体が衰えていくのを待ちながら死を迎えるなど、御免じゃ。儂は生涯現役。老いぼれたなどと誰にも言わせず、最期の瞬間は血と炎の匂いが立ち込める戦場で、強敵と打ち合いながら死にたいと願っておる。
「……カリナ、カラリス。よく来たな」
姉上の嗄れた声が響くと、カリナとカラリスはそれぞれ恭しく頭を下げた。
「お加減はいかがですか、母上」
最初に口を開いたのは、長女のカリナだ。儂よりも年上の彼女は、姉上同様に体が弱ってきておるし、外に仕掛けていく気概はもうない。姉上と共に戦に明け暮れて領土を広げてきたことを誇りに思う者は、守りに入った彼女からすでに心が離れておる。
「……案ずるな。まだ死にはせん」
姉上が鼻を鳴らすと、カリナは少し安堵したような、だがどこか焦りを含んだ顔で、隣に立つ妹――カラリスに視線を向けた。
「カラリス、リリス。……母上がお呼びになったこの場を借りて、私からもお前たちに言っておきたいことがある」
カリナは重々しい口調で、だがどこか弱気な響きを隠しきれずに言った。
「母上の時代の成功は、母上とルーシア叔母上、そしてオリアナ叔母上……三人の姉妹が争うことなく、母上が順当に跡を継いだことで成し遂げられたものだ」
カリナはごほごほと小さく咳き込み、言葉を続ける。
「今、ドラコニアの貴重な戦力を内乱で減らすのは、あまりにも愚策だ。……だから、私が順当に跡を継ぐ。そして私の次は、娘のリサンドラが継ぐ。お前たちは、それを支えてくれ。……そうすれば、帝国は丸く収まるだろう」
(……聞いて呆れるわ)
儂は内心で冷笑した。 カリナが継いでも、碌なことにならんのは火を見るより明らかじゃ。
カリナは長女のリサンドラ・ドラコニアを自分の次の女帝と考えて溺愛し、温室の中で育てておる。確かにあの子は武術も内政もそこそこにはこなすが、本質的に争いを忌避し、音楽や読書などの文化を好む温厚な人間だ。戦乱の世において、あのような甘ちゃんに帝国の覇者は務まらん。
対して、カリナの次女であるアマリス・ドラコニアはどうだ。 彼女は、ドラコニアにおいて最強の証、国の象徴とも言える『Dragon(竜)』のWordを手に入れて生まれてきた。国内からの期待は高まったが……。カリナは、あろうことか自分の娘であるにもかかわらず、アマリスの圧倒的な才能と存在を恐れたのじゃ。 優秀で強すぎる次女が「次期皇帝になるべき」と周囲から担ぎ上げられてしまえば、そもそも自分自身が、妹のカラリスに皇帝の座を取られそうな状況を後押しすることになりかねんからじゃ。
アマリスの扱いにずいぶんと悩んでいたカリナに、助け舟を出したのは他ならぬ長女のリサンドラじゃったわ。 『妹には西方戦線の戦力として、リリスの下へ武官として赴いてもらうのはいかがでしょう』 とな。カリナは、その厄介払いの案に飛びついた。こうして、母親から恐れられたアマリスは中央から遠ざけられたのじゃ。己の保身のために才能あるものを遠ざけるような女に、この国を束ねられるわけがない。
案の定、カリナの甘い提案に、次女のカラリスが牙を剥いた。
「ハッ! 寝言は自分のベッドで言えよ、姉上」
カラリスは威圧的な、敵対心を隠す気など微塵もなく吐き捨てた。 齢70歳。東部執政官として東部の諸侯を束ね、経済を回し、傭兵部隊を鍛え上げている血気盛んな女傑じゃ。
「ドラコニアの掟は『最も強い者が跡を継ぐべき』である。これは母上も常日頃話している絶対のルールだ。……それを、姉上のように弱り果てて守りに入った老人に継がせても、帝国にとっては百害あって一利なしだ。違うか?」
「なっ……! カラリス、貴様……!」
「私はこの帝国に新しい時代を築く。そのための犠牲なら、喜んで払ってやるさ。内乱を恐れて玉座を譲れなどと、笑わせるな」
カラリスの放つ覇気に、カリナが顔色を青くして後ずさる。 姉妹の激しい対立を、ベッドの上の姉上は何も言わず、ただ面白そうに目を細めて眺めていた。
(……さて、いよいよ火蓋が切られそうじゃな)
儂は組んだ腕の指先をトントンと鳴らした。 カリナとカラリスがぶつかるなら、儂はカラリスにつくつもりじゃ。好戦的で実力主義のあいつの方が、儂とはウマが合うと思っている。東部で勢力を広げているあいつには、トルヴァード連邦を治めるルーシア姉上も支援を表明していると聞く。
だが、盤面はそう単純ではない。 儂は、先ほどから一言も発さず、杖をついて静かに二人の姉のやり取りを聞いている三女――リリスに視線を向けた。
カリナの愛娘であるリサンドラと、このリリスは、同い年であり、昔からの親友同士だと聞く。 リリス本人は「継承戦争をする気はない」と公言しているが、もし彼女が親友であるリサンドラ、ひいてはカリナの側についたとしたらどうなる?
(東部閥を率い、ルーシア姉上や儂がつく『カラリス』と……中央の内務・外務閥を押さえ、リリス率いる西部閥の支援を得た『カリナ』の激突になるか……)
カリナの軍勢は儂らの相手にならんじゃろうが、リリスの率いる軍勢は骨がありそうじゃ。 それに、エテルニアもしばらくはエヴェリンの王子様の相手に忙しそうじゃしな。内乱をするなら姉上の死を待たずに、今やるべきかもしれん。むしろ儂がまだ十分に戦場に出られる時にやってほしいものよ。
抑えきれない戦の予感に、儂が内心で高揚していると、沈黙を守っていたリリスが、静かに口を開いた。
「……継承争いは、2人でやってくれ」
リリスは冷徹な知将の顔で、二人の姉を見据えた。
「西の『白き鴉』どもが、この機に乗じて内乱を狙っているのは間違いない。西のことは私に任せて、いくらでも好きにやってくれ。……私は、勝った方に従うよ」
その宣言に、カラリスはニタァと口角を吊り上げて笑った。
「フッ……国のことを愛する素晴らしい心がけだ。お前が西を守ってくれるなら、姉さんも私も本気でやれるってもんさ」
対するカリナは、味方になってくれなかったリリスへ恨みがましい目を向けたが、すぐにカラリスを睨み返した。
「思い上がるなよ、カラリス。東がお前に従うとしても、傭兵が主力では烏合の衆よ。長年戦場を共に駆けたドラコニアの本軍は、私につくぞ」
バチバチと火花を散らすカリナとカラリス。 その様子をじっと眺めていた姉上が、儂とリリスをちらりと見た後、二人に向かって語りかけた。
「ふむ。光の同盟はドラコニアで何が起きても間違いなく静観するであろうし、西のほうもリリスが抑えるなら心配あるまい。……存分にやれい。最も戦が強い者が後を継げば良い」
弱り切った肉体からは想像もつかない、腹の底に響くような声。 そして姉上は、最後に目をギラリと光らせて言い放った。
「……お前たちに、皇帝として……皇帝になる者に、伝えておかねばならんことがある」
部屋の空気が、さらに一段階重くなる。
「『このヴァリス大陸が統一されるまで、戦乱の火は消えぬ。覇道を進め』」
その絶対的な勅命に、カリナとカラリスは「承知いたしました」と深く頭を下げた。 だが、リリスだけは頭を下げず、ただじっと姉上を見つめたままだった......。
姉上はそんなリリスの眼差しを正面から受け止め、短く告げる。
「……確かに伝えたぞ」
そして、「皆、好きにせよ」と満足げに締めくくった。
「……せいぜい首を洗って待っていろ」
「そっちこそな」
カリナとカラリスが、互いに殺意の籠った言葉を吐き捨てながら退室していく。 その後を追うように、リリスも静かに杖を突きながら部屋を出ていった。
三人いた王女たちが去り、再び静寂が戻った寝所。 儂は姉上としばし見つめ合い、そして彼女たちが出て行った重厚な扉を眺めた。
(……今出て行った者の中に、覇者はいない)
儂の武人としての直感が、そう告げていた。 先ほどまで、迫りくる戦の予感に心を燃やし、消去法でカラリスにつこうと決めていた己の心を見つめ直す。
かつて、儂が己の継承権を捨ててまで姉上に付いて行くと決めたのは、消去法や、勝てないと思ったからではない。 純粋に、「この人に付いて行きたい」と強烈に感じたからだ。魂が震えるほどの『覇者』の輝きを、彼女に見たからだ。
(……この内乱では、どちらにも付くまい)
儂は、静かに目を閉じて眠りにつこうとする偉大な姉上の顔を見守った。 娘たちが国を二分して争おうとも、儂は最後までこの人に付き従う。この人が生きている限り、この帝都を守ることに専念しよう。
戦場で死ぬという願いは、もう少しだけ先延ばしになりそうじゃ。 儂は己の内に渦巻いていた炎を静かに収め、主君の安らかな眠りを護ることにしたのじゃった。
跡目争いは短期間で一気にどちらかが滅びるまでやったほうが国は強いまま残る気がします。中途半端に分割統治で残った国は将来消えていく気がしますね。




