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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長と英雄たちの群像劇~  作者: 五十六


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第89話「深淵をのぞく時」

大陸歴 2791年 9月 / エテルニア大帝国 帝都コンスタンティナ 謁見の間~客室 / デリアンナ・フォン・リヒト(エテルニア大帝国 大司教 諜報組織のトップ 38歳 女性)


重厚な扉が開かれ、白大理石の謁見の間に、鎧擦れの音と重い足音が響き渡った。


現れたのは、闘気に満ちた大柄な女性――ヴァルクール公国の新王、グウェンドリン・ザ・ヴァルクール。 そしてその後ろに静かに付き従う、体格の良い老騎士――騎士団顧問にして軍師のヒルダ・ザ・ヴァルクールである。


(……グウェンドリン殿は、少し足が悪いはず。だが、私が見てもそれを微塵も感じさせない力強い歩き方をしているわ。さすが『エテルナの槍』と呼ばれる国の王になるだけはあるわね)


二人は玉座の前に進み出ると、エテルニア式の優雅な礼ではなく、武人としての力強い片膝をついた礼をとった。


「ヴァルクール公国が新王、グウェンドリン。宗主国たるエテルニア大帝国、教皇聖下に拝謁つかまつる」


その声は、野戦を駆け抜けてきた猛禽のような鋭さを持っていた。 玉座に座る教皇マルアラ聖下が、静かに口を開く。


「……面を上げよ、グウェンドリン。そしてヒルダよ」


二人が顔を上げると、教皇は慈悲深い、しかし絶対的な上位者としての視線を向けた。


「まずは、先代公王であるお前の母君の逝去、誠に残念であった。エテルナの御許で安らかに眠らんことを祈ろう」


「もったいなきお言葉。母も喜んでおりましょう」


「うむ。……そして余は、神の代理人として、そなたをヴァルクール公国の新しき王として承認し、受け入れる」


教皇の宣言に、グウェンドリンは目を輝かせ、深く頭を垂れた。


「感謝いたします、教皇聖下。我が公国は『エテルナの槍』。この命ある限り、聖下と神への絶対の忠誠を誓いましょう」


その言葉を合図にしたように、教皇の左腕、枢機卿アデリナ・フォン・シュタインが一歩前に出た。 彼女の美しい白髪が揺れ、酷薄で狂信的な笑みがその口元に浮かぶ。


「素晴らしい覚悟ですわ、新王殿。……して、貴女はその忠誠を『どのように』お示しになられますか?」


煽るようなアデリナの問い。 恐らくは事前に打ち合わせておいたのであろう声がけに、グウェンドリンはニヤリと、血に飢えた獣のような獰猛な笑みを返した。


「――槍をもって、示しましょう」


短い、だがこれ以上ないほど明確な「開戦」の意志表示。 謁見の間の空気が、一気にきな臭く、そして熱を帯びたものに変わった。


すかさず、皇帝の右腕たる宰相クラリンダが、事務的で冷徹な声で応じる。


「教皇聖下は、そなたらの『貢献』に大いに期待しておられる。……その槍が、神の敵を正しく穿つことをな」


クラリンダの言葉を受け、グウェンドリンは期待するような熱い目で教皇を見つめた。 教皇マルアラ聖下は、彼女の目線に応えるように大きくうなずき、緩やかに手を上げた。


「戦う者たちに、エテルナの祝福を」


祝福の印が切られた瞬間、グウェンドリンの全身から、抑えきれない歓喜の覇気が立ち昇った。


「おお……! ありがたき幸せ!」


グウェンドリンは震える声で叫んだ。


「私とヒルダが、そしてヴァルクールの聖騎士たちが、どれほどこの祝福を待ち望み、……歓喜を覚えているか! 必ずや、結果で示してみせましょう!」


「うむ。ヴァルクールの勇戦に期待する」


教皇のその言葉で、謁見は終わった。 グウェンドリンとヒルダは立ち上がり、燃え盛るような闘志を背中に背負ったまま、謁見の間を退出していった。


扉が閉まり、再び静寂が戻った室内で、教皇マルアラ聖下がふう、と息を吐いた。


「……時代が動くな」


「ええ。彼女たちであれば必ずやエテルナの正しい教えを体現してくれることでしょう」


アデリナが嬉しそうに答える。 教皇は私の方へ視線を向けた。


「デリアンナよ。ヒルダの真意を探れ。あやつが『どこまでやるつもりか』、正確に聞いておけ」


「承知しました」


私はいつもの、のほほんとした笑顔を貼り付けたまま優雅に一礼し、足早に謁見の間を後にした。


***


(さて、あの老軍師が何を考えているのか……やりすぎないように釘を刺さないといけないわ)


私は大司教としての柔和な空気を纏いながら、ヴァルクール使節団に割り当てられた客室へと向かった。 だが、客室の扉の前には、すでに体格の良い老軍師が腕を組んで立っていた。


「……お待ちしておりましたぞ、デリアンナ様」


ヒルダ・ザ・ヴァルクール。 彼女の深い皺に覆われた瞳は、私の「大司教としての仮面」など最初から見透かしているかのように、真っ直ぐに私の本性を射抜いていた。


「あらぁ、ヒルダ様。私をお待ちでしたのぉ?」


私がわざと間延びした声で尋ねると、ヒルダは小さく鼻を鳴らした。


「茶番は抜きにしましょうや、帝国の『耳と目』の長殿。……デリアンナ様と二人で話したいことがございます。こちらへ」


彼女は別室の客室の扉を開け、私を中へと招き入れた。


重厚な扉が閉められ、防音の魔導具が作動したのを確認した瞬間。 私は「のほほんとした大司教」の仮面を脱ぎ捨て、本来の――諜報組織のトップとしての声を発した。


「……察しが良くて助かるわ、ヒルダ殿。貴女は、今回の聖戦でどこまでやるつもり?」


私の声色の変化にも、ヒルダは眉一つ動かさなかった。 彼女は椅子を勧めもせず、立ったまま、戦場を見渡すような厳しい顔で答えた。


「ワシらは、宗主国様のお立場を正確に理解しております。……『本番』は今ではない。ドラコニアの女帝が崩御し、帝国が内乱に突入した時こそが、我らエテルニア陣営が総力を挙げるべき真の決戦の時じゃ」


「分かっているじゃない。なら、なぜ今動くの?」


「必要だからじゃよ」


ヒルダは淡々と答えた。


「今回の戦争は、新王グウェンドリンが即位したことによる『国内の統制』が最大の目的じゃ。長年戦いを止められ、鬱憤が溜まりきった我が国の騎士たちに、『血と武勲』という最高のガス抜きを与えねばならん。ゆえに、深入りはせん」


彼女の言葉は、恐ろしいほどに冷徹で、理にかなっていた。


「そして、宗主国様やほかの国からの『援軍』も無用じゃ。むしろ、一兵たりとも送ってくれるな」


「援軍は送るな、ですって?」


私は目を細めた。


「そうじゃ。これは新王の力と、我らヴァルクール単独の力を国内外に見せつけるための戦い。他国の手が入れば、その武勲は薄れる。……貴女方エテルニア本国は、高みの見物を決め込んでいただきたい」


(……なるほど、そういうことね)


戦争をするというのに、あえて援軍を拒否する。 それは、自国の戦力と補給線に対する絶対的な自信と、入念な準備に裏打ちされた覚悟の表れだ。


「いいわ。で、具体的な戦略目標はどこに設定しているの?」


私が問うと、ヒルダは皺だらけの指を三本立てた。


「今回の侵攻の戦略目標は3つじゃ」


彼女は一つ目の指を折る。


「第一に、炎盟と我々の間に存在する、ドラコニアの『大要塞』を落とすこと」


二つ目の指を折る。


「第二に、『本番』の侵攻に向けたスパイを、大量にドラコニア領内へ潜り込ませること」


そして、最後の指を折った。


「第三に。我が軍の『ラクダ部隊』を、あえて敵に襲わせ壊滅させること」


「この3つじゃ。そして、補給線が断たれたという理由で全軍を撤退させる。相手に、城は落とされたがヴァルクールを叩き出したと、ラクダ部隊など役に立たないと、そう思わせるのじゃ」


ヒルダは、ギラリと猛禽のような目を光らせ、凄惨な笑みを浮かべた。


「この三つは、何年か先の『本番』の時に、ドラコニアに……そして、あの憎きリリスに地獄を見せることになるじゃろう」


その顔に張り付いた笑みを見て、私は彼女の事情を思い出した。 彼女が優秀な騎士であったのに、槍や剣を持てなくなった理由は、かつてドラコニアの西部執政官リリスの罠にかかり重傷を負ったからだと聞く。


「……その傷の恨みを晴らす時は、近そうですね」


私がそう声をかけると、ヒルダの顔からスッと表情が消え失せた。 先ほどの凄惨な笑みすら消え、完全な「無表情」になって首を振る。


「こんな傷はどうでもいい。騎士の勲章とも言えるし、前線で戦えなくなったことで、大局的に軍を見直すことができた。その結果、ヴァルクールは史上最強の軍になれたのじゃからのう」


彼女の淡々とした声が、静かな室内に響く。


「だが、ワシはリリスを何度殺しても晴らせぬほど恨んでおる......」


ヒルダの瞳孔が、スゥッと細く収縮した。


「あの日、リリスの率いる軍に……ワシの軍は包囲殲滅を受けた。1,000人いた軍の中で、生き残ったのは20名に満たない地獄だった。……そこでワシは、幼少期からの親友たちすべてと、同じ釜の飯を食い、自ら調練した、愛する部下たちのほとんどを失った」


感情の起伏はない。ただ、事実を読み上げるように。


「ワシの半生の全てが、アイツに壊されたのじゃ」


ヒルダは立ったまま、机に用意されていた茶を一口飲み、そして、私の目を真っ直ぐに見つめた。


「何十年経っても……あの日、敵兵に群がられて殺されていく部下たちの無念の表情や、師匠や親友達がワシ逃がすために血路を開き死んでいった光景が、目に焼き付いて離れんのじゃ」


感情の全てを失ったような、虚ろで、ひどく澄んだ目。 その底にあるものに触れた瞬間、私は無意識に一歩後ずさっていた。


(……怖い)


他人の感情をここまで怖いと思ったのは、いつ以来だろうか。 単なる「怒り」ではない。怒りを通り越した何か。信仰にすら近い人生を捧げたような、純粋で濃密な「復讐」という名の塊が、この老軍師の中に宿っている。 私はその深淵の悍ましさに当てられ、体が震えた。


これ以上、この女の腹を探るのは危険だ。


「……委細、承知しました」


私は努めて事務的な声を保ち、短く頭を下げた。


「ヒルダ殿の思うがままに、采配を取ってください。私たちは決して邪魔をしません」


「頼みますぞ、大司教殿」


私は彼女の返事を聞くのもそこそこに、その部屋から逃げるように退室した。


冷たい大理石の廊下を歩きながら、私は理解した。ヒルダという人物を誤解していたと。

彼女のことを「戦争がしたいだけの戦争好きな老人」だと思ってしまっていた。


だから、彼女がエヴェリンにノア大司教を送り込んだ時、ノア大司教をエヴェリンで殺して戦端を開くのではないかと思い、秘密裏に護衛をつけたりもした。


だが、ヒルダ殿は本気で友好のためにノア大司教をエヴェリンに送ったのだろう。自身が目指すドラコニアへの……リリスへの復讐の邪魔をさせないために……。


あの老軍師が解き放たれた以上、ドラコニアの大要塞は間違いなく血の海に沈むだろう。そしてそれは、いずれドラコニアを焼き尽くす劫火の、ほんの序章に過ぎないのだ......。


戦争をすると決めるときには「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」という言葉を思い返してほしいです。


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