第88話「白き帝国の指導者」
大陸歴 2791年 9月 / エテルニア大帝国 帝都コンスタンティナ 貴賓室 / デリアンナ・フォン・リヒト(エテルニア大帝国 大司教 諜報組織のトップ 38歳 女性)
エヴェリン王国の甘く温かい空気に比べ、我が帝都コンスタンティナの空気は、9月に入った途端にガラスのように冷たく、そして鋭くなる。 白い大理石の部屋に、こじんまりとした円卓が置かれた貴賓室は、物理的な冷気だけでなく、これから始まる血生臭い決定を前にした冷たさを感じる緊張感で満たされていた。
私は大司教としての、のほほんとした柔和な笑みを顔に貼り付けたまま、円卓を囲むこの国の最高権力者たちを静かに観察していた。
上座に鎮座するのは、唯一神エテルナの代理人にして絶対権力者、教皇兼皇帝のマルアラ・エテルニア聖下(52歳)。 その右に控えるのは、皇帝の右腕であり帝国の内政を冷徹に回す仕事中毒の宰相、クラリンダ・フォン・オルデン(48歳)。 左に控えるのは、皇帝の左腕にして宗教関連を統括する枢機卿、アデリナ・フォン・シュタイン(38歳)。
そして、私の隣の席には、我が国の軍事の頂点に立つ聖騎士団長、男騎士テオムント・フォン・ルクスハルト殿(53歳)が座られている。
(……聖下と騎士団長が揃っている場所に同席するのは、いつになっても肝が冷えるわ)
私は心の中で密かにため息をついた。
教皇聖下とテオムント騎士団長。この二人が、秘密裏に夫婦関係にあることを、諜報組織のトップである私は信じられないような偶然で知ってしまった。 この二人はお互いに愛し合っているにもかかわらず、何十年もの間、表でも裏でもそんな素振りを微塵も出さず、完璧な主従を演じきっている。
多くの国民はテオムント殿は神聖不可侵な存在で、この世界で数少ない女を知らぬ清らかな男性と信じているだろうし、教皇もそんな彼との仲を邪推されぬためにわざと一定の距離を保っていると、皇帝の右腕と左腕の二人ですら信じている。もし私が『二人の秘密を知っている』と聖下に知られたら……間違いなく、私はこの世から物理的に消されるだろう。勘の鋭い二人を相手に知らぬ存ぜぬを貫くのは肝が冷えるが、隠し通さねばならない。
「……以上の通りです。7月の顔見世パーティ、そしてその後の各国の動きを総合するに、ドラコニア帝国はエヴェリン王国には手を出さない、いや、むしろ積極的に交流を深める方針を固めたと見て間違いありません」
私は諜報の報告を締めくくった。
「なるほど……。ドラコニアがエヴェリンに手を出さないということは、ドラコニアもエヴェリンもお互いの戦力をどこかに回せるということだ。奴らはその戦力を、こちらに向けてくるはずだな」
宰相クラリンダが、手元の資料を弾きながら事務的な冷たさで言った。 彼女の視線が私を射抜く。
「デリアンナ。もし戦争になった場合、我らの同盟国たちはどれだけ戦力をだすだろうか?」
「はい。ルナリア大公国、アムリティン王国、モントルヴァル公国は、ドラコニアと戦争になれば宗主国に従い兵を出すと明言してくれました」
私は淡々と事実を述べた後、少しだけ肩をすくめてみせた。
「ですが、モントルヴァルについては戦力としては期待しない方がよろしいかと。あそこの宰相クロードゥィーヌは、真面目な実務家ですが、大局においてはビビりの小物です。我々エテルニアに逆らえないから兵を出すと言っているだけで、前線では使い物にならないでしょう」
私はエヴェリンで見た光景を思い出し、言葉を続ける。
「むしろ、あそこにはヘルガ・シュミットハウゼンという生ける伝説の大商人がいます。彼女は既にエヴェリン王国に深く食い込み、独自の友好関係と物流ルートを築き上げています。モントルヴァルは下手に軍を出させるより、外交役として後方支援や物資調達に専念させておいた方が、よほど我が国の利益になります」
「ふむ。一理あるな。適材適所というわけだ」
クラリンダは納得したように頷き、さらに追及してきた。
「では、肝心のドラコニア側の状況は? 国境付近の備えはどうなっている」
「西側の国境を預かる西部執政官リリス・ドラコニアは、『いつでも攻めて来い』という余裕の様子でした」
私は顔見世で見た、あの杖をついた知将と、その隣にいた燃えるような赤髪の女を思い出す。
「彼女は王都の宴の場にすら、腕の立ちそうな武官をわざわざ同席させていました。こちらを牽制する意図もあるでしょうが、すでにいつ戦端が開かれても対応できる、万全の構えができていると見るべきです」
私の報告が終わった瞬間だった。
「――よろしい、ならば戦争だ」
静寂を切り裂くように、枢機卿アデリナ・フォン・シュタインが、純白の聖衣を翻して立ち上がった。 まだ年若いのに美しく長い白髪を揺らし、絶世の美女と称される彼女が、酷薄な、しかしどこまでも美しい笑みを浮かべている。
(……出たわね)
私は内心で舌打ちをした。 アデリナ・フォン・シュタイン。超絶的な美人であり、民衆からは信仰心の篤いカリスマ聖女として崇められているが、その中身は「聖戦」という名目でエテルナ教の領域を拡大することに執念を燃やす強硬派だ。
だが、厄介なことに、彼女の言っていることは軍事的・政治的なタイミングとしては決して間違いではないのだ。
(ドラコニアは今、我々エテルニアが『サラリナ女帝の崩御を待っている』と思い込んでいる。だから、我々から積極的に大規模な軍事行動を仕掛けることは無いと油断しているはず。現に、主要な幹部たちは女帝の崩御に伴う後継者争いに備えて、中央部に集結している)
それに加え、エヴェリンに『Holy(聖)』を持つヒイロ王子が産まれたことで、我々エテルニアの目が南のエヴェリンに向き、北のドラコニアへの関心が薄れているとも感じているだろう。 結果として、ドラコニアの西側の防衛線には、兵はいるものの、リリスの副将エンギュルくらいしか有力な指揮官は配置されていない。
(エテルニアにとって、今が千載一遇のチャンスであることは間違いないわ)
「……テオムント。お前はどう思う?」
教皇マルアラ聖下が、静かに口を開き、愛する男へと、そんな気配は微塵も感じさせずに話を振った。 聖騎士団長テオムントは、敬虔な態度で一礼し、誠実な声で答える。
「アデリナ枢機卿のお言葉通り、ドラコニアの意識は中央にいる女帝とエヴェリンに向いているでしょうから、戦略的なチャンスであることは間違いありません。……ですが、防衛線が全く機能していないとも思えません。リリス・ドラコニア率いるドラコニアの西部軍は精鋭ぞろいです」
テオムントは冷静に軍事的な見地から進言する。
「我々の本軍である聖騎士団や、大戦力を投入できるルナリアやヴァルクールのような主力は、女帝崩御後の『真の決戦』のために温存すべきと考えます」
「……その通りだな」
教皇マルアラ聖下は、深く満足げに頷いた。 そして、不満そうに目を細めるアデリナの方へと視線を向ける。
「アデリナよ。お前の友人たちが、すでに外へ来ておるのだろう?」
「……はい、聖下」
「余は、今、この時には『総力戦』は望まぬ。だが、良き時の『聖戦』は歓迎する。……それを理解した上で、通すがよい」
教皇の許可を得て、アデリナは嬉しそうにパァッと満面の笑顔を浮かべ、深く拝礼した。
「御意のままに。……わが友グウェンドリン殿と、ヒルダ殿も、さぞや喜ばれることでしょう」
アデリナは扉を警護する兵に合図を送り、彼女たちを公式な謁見の間へ呼ぶように伝えた。 それを受けて、教皇聖下が立ち上がった。ヴァルクールから王自ら謁見のために来訪したのを、貴賓室ではなく表舞台である謁見の間で迎えるためだ。私たちもそれに従って円卓を離れ、貴賓室から謁見の間へと移動を開始する。
(……なるほど、そういうことね)
私は教皇聖下の斜め後ろを歩きながら、彼女たちの意図を完全に理解した。 先日、夏の暑さを超えられず、ヴァルクール公国の公王が死去した。そして、その娘であるグウェンドリン・ザ・ヴァルクール(35歳)が新たに王位を引き継いだのだ。
今回、彼女たちが帝都コンスタンティナを訪れた名目は、新たな王としての「継承の報告」と、宗主国たるエテルニアからの「公王としての承認」を得ることだとされている。 だが、これは本命ではないのだろう。彼女たちの本当の目的は、教皇からの『戦争の許可』が欲しいのだ。
ヴァルクール公国は「エテルナの槍」を自称する武闘派の騎士の国。長年、血の滲むような鍛錬を重ねながらも、ドラコニアとの衝突を宗主国や温厚な老王に止められ続け、国内の騎士たちの鬱憤は限界に達していると言う報告を何度も受けている。 新王グウェンドリンにとって、この不満を外部へ逸らし、「戦場にて戦える」という事実を与えることこそが、最も手っ取り早く強固な支持基盤を固める手段であるのは事実だろう。 そして、グウェンドリンの軍師ヒルダが、この絶好のタイミングを逃すはずがない。
大理石の謁見の間に到着し、それぞれの定位置に就く。 玉座に座る教皇聖下と、その左右に、クラリンダとアデリナ、そのさらに両翼にテオムント騎士団長と私が控える。
ギィィィィ……。
重厚な扉が、儀仗兵によってゆっくりと開かれた。 そこに立っていたのは、闘気に満ちた大柄な新王グウェンドリン・ザ・ヴァルクールと、冷徹な眼差しを持つ軍師ヒルダ・ザ・ヴァルクールの二人だった。
エヴェリン王国での華やかで平和な祝祭の余韻は、完全に終わった。 血と名誉に飢えた戦争に夢を見る者たちの鎖が、今、解き放たれようとしている。
いよいよ戦争パートの足音が・・・。
「――よろしい、ならば戦争だ」は一度行ってみたいセリフですね。




