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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長と英雄たちの群像劇~  作者: 五十六


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第85話「欲望という名の動力源」

大陸歴 2791年 8月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 高級レストラン / クセニア・ヴァレリエヴィッチ(モリガノン王国 宰相 38歳 女性)


「……ふふ。それにしてもアルーシャ、貴女の築いた人脈には驚かされたわ」


王都リュミエールの夜景を一望できる高級レストランのテラス席。 エヴェリンの伝統料理である香草焼きの芳醇な香りと、選び抜かれたワインの余韻に浸りながら、私は目の前の女性に心からの賛辞を送る。


私の隣には、最愛の夫でありモリガノン王国の至宝イリヤ。 向かいには、トルヴァード連邦の交易大臣クルタガンと、外務大臣アルーシャ。


「恐縮ですわ、クセニア様。……ですが、ここまでの待遇は私も予想外でした」


アルーシャが謙遜しながらも、艶やかな笑みを浮かべます。


今日一日の予定をアルーシャに任せた成果は、光の同盟との外交も行わねばならない立場である私にとって、想像をはるかに超えたものでした。 アルーシャには事前に「光の同盟との経済的な繋がりを作りたい」と打診してはいましたが、まさかこれほどスムーズに、しかもトップダウンで一気に話が進むとは。


「まず驚いたのは、午前中の会談ね。商業大臣のルシラ殿に、外務大臣のミラナ殿。今、顔見世の直後で目が回るほど忙しいはずのお二人が、わざわざ会談の場をセットしてくださるとは思ってもみなかったわ」


二人の大臣は、「貴国との友好は我々も望むところです」と笑顔で迎えてくれましたが、その判断の速さと実利を見極める鋭さは、エヴェリン王国大臣の底力を感じさせる会談だったわ。


「ああ。それに、午後のフィオラ王国の方々との席も有意義だったな」


クルタガン殿が、ワイングラスを傾けながら満足げに頷きました。


「あのアイリス・フェアリーも同席してくれて、終始笑顔で商談に乗ってくるとはな。俺も以前から付き合いはあるが、彼女があそこまで積極的に動くのは珍しい。モリガノンの黒曜石や磁器に可能性を感じたのだろうな」


「ええ。それに、フィオラ側の外交筋も随分と粋な計らいをしてくれたわ」


私は隣の夫を見つめながらフィオラ王国との会談を思い出す。会談の場には、高名な音楽家でもある外交官、リリオン・エストリア殿も同席されていて、余興として素晴らしい演奏を聞かせてくれた。


「イリヤの趣味が音楽だと知ってたのでしょうが、リリオン殿がギターの生演奏を披露してくださるなんて」


「ああ、素晴らしい音色だったよ」


イリヤがうっとりと目を細めます。


「エルフの吟遊詩人の奏でる音楽は魂が洗われるようだ、とはよく言ったものだ。彼とは音楽について、朝まで語り合えそうだよ」


イリヤがとても喜んでいる。妻として、これほど嬉しいことはないわ。 アルーシャの手腕と、光の同盟側の情報収集能力の高さには脱帽ですわね。


「でも……個人的に、今日もっとも刺激的だったのは、夕方のお茶会だったわ」


私はワイングラスを揺らし、笑みを深めました。


「ヴェルダント伯爵親子の来訪。最初はなんで武門の伯爵家が私たちを訪ねてくる予定が入っているのか全く理解ができなかったけど……あれは、我々モリガノンにとってエヴェリンという国の重要性が何段階も一足飛びに跳ね上がる経験だったわ」


アルーシャが「あら」と口元を隠し、得意げに微笑みました。


「クセニア様なら、必ず気に入ってくださると思っていましたわ」


「ええ。……気に入ったなんてものではないわ。あんなにゾクゾクする体験、モリガノンでもそうそう感じられるものではないわ」


堅実な武人のリンディス伯爵と、その養子であるテオラス君。 まだ6歳の、愛らしい男の子。


彼に対し、イリヤはモリガノンの文化を、お子様向けにまろやかに噛み砕いて話した。


『いいかい、テオラス君。女性を幸せにするというのは、言葉や身体をただ使うだけじゃないんだ。視線、温もり、そして「貴女を大切に思っている」という空気を作ることが大事だよ。どうしてもうまくいかないときは、自分が演劇の登場人物だと思って行動すると良い。モリガノンの男は自分の名前とは別に奉仕者としての名前も持っていて、その名を名乗る時だけは日常の自分とは違う自分になって、舞台の上にいるようなつもりで役者になりきる男も多数いる』


イリヤは実演を交えて、テオラス君に手ほどきをしていました。 そして、悪戯っぽくウインクをしてこう言ったのです。


『ちなみに、モリガノンでは奉仕者の名を名乗っている時に繋がった男の日常に関わろうとするのはマナー違反だ。奉仕者の時と日常の時は別人として扱うんだよ。私の奉仕者としての名は「セリオシャ」。……まあ、僕くらいになると、もうみんなイリヤという名前も、セリオシャという名前も、どっちも知ってるんだけどね(笑)』


テオラス君は顔を赤らめながらも、必死にメモを取っていました。 その健気で、無防備な姿。

そして、リンディス伯爵が明かした事実。


『アルーシャ殿には、テオラスが魅力的な男になるための家庭教師をお願いしているのだ』


まさか、アルーシャが内密とはいえ、他国の貴族の令息の家庭教師になっているなんて。 それも、「魅力的な男になるために」、男を磨くための教師として!?


「……信じられないわ」


私は吐息交じりに呟きました。


「炎盟の常識で言えば、男は『家の宝』であり『部族の至宝』。大事に守り、その集団の存続のために使われるべき貴重な資源ですわ。それを、血縁関係もない女を喜ばせるために使おうだなんて……もってのほかと思う者が大半でしょうね」


もしドラコニアの貴族にそんな話をしようものなら「うちの宝を娼夫にする気か!」と激怒されるに違いないわね。アスラやサングラビアなら物理的にこの世界から排除される可能性すらあるわ。


「なのに、エヴェリンではあんなに可愛い男の子が、あんなにも熱心に、無防備に、顔を赤らめて……。しかも、母親公認で」


私はアルーシャをじっと見つめました。


「正直に言いなさい、アルーシャ。……貴女、どう贔屓目に見ても、誰が見ても、『性欲まみれの息子に近づけたくないおばさん』にしか見えなくてよ?」


「失礼な! お姉さんと言ってくださいな!」


アルーシャが抗議しますが、その顔はニヤけています。


「ふふ。……でも、彼女(リンディス伯爵)が貴女にお願いするということは、”そういうこと”も、将来込みでということよね……? じゅるり」


私は思わず舌なめずりをしてしまいました。


深窓の令息に、女を教える役割。 なんという役得でしょう。


男にとって、初めて肌を重ねた女性というのは、生涯忘れ得ぬ特別な存在になるでしょう。 それはまるで、誰の手にも触れさせず、何重もの鍵をかけて大事に大事に守られてきた宝箱の封を、初めて開けるようなもの。 その純白のキャンバスに、最初の一筆を入れる権利。彼の中に「女」という概念を刻み込み、一生消えない思い出として自分を残す……。


なんという背徳。そして、なんという甘美な響き。


それが、手塩にかけて育てた、自分好みの男の子なら……。 どれだけお金と時間をかけてもいい。私が一番好きなシチュエーションよ。


「……羨ましいわ、アルーシャ。私がこの国に滞在できる立場なら、いくら出しても代わってほしいくらいよ」


「あら、クセニア様にはイリヤ様がいらっしゃるじゃありませんか」


「それはそれ、これはこれよ」


私は内面で欲望をぎらつかせながらも、表面上は淑女的にグラスを傾けました。 この国は、男の子を「種」や「宝」としてただ守るだけでなく、「魅力的な男」になるように能動的に育てようとしている。 あの堅物そうな武門の貴族でさえ息子の英才教育のためにモリガノン出身の人間の能力を高く評価している……やはり、エヴェリンは魅力的な国だわ。


食事が終わり、店を出ました。 私たちは用意された馬車に乗り込み、滞在しているホテルへと向かいます。


ホテルのエントランス。 夜風が心地よく、私たちの火照った肌を撫でていきます。


「では、アルーシャ。今日は本当にありがとう。良い夢が見られそうだわ」


私が締めくくりの言葉を口にすると、アルーシャの肩がビクリと跳ねました。 彼女は美しい笑顔を貼り付けたままですが、その瞳は明らかに泳いでいます。視線が私と、私の隣にいる夫イリヤの間を何度も往復し、何かを言いたげに唇を動かしては、言葉を飲み込んでいます。


(……ふふ。分かりやすいわね)


私は扇子で口元を隠し、内心でほくそ笑みました。 彼女が何を期待しているのか、痛いほど分かります。 エヴェリンに来た当初、私は彼女に約束しましたものね。『色々と便宜を図ってくれたら、その日の夜はイリヤを貴女に任せるかもしれない』と。


今日の彼女の働きは完璧でした。光の同盟の重鎮たちとの会談をセッティングし、私たちをエヴェリンの中枢へと導いてくれました。 当然、彼女はその「個人的な対価」を求めているはず。喉から手が出るほどに。


でも、相手は一国の宰相である私と高貴なる王弟イリヤ。「あの、約束のご奉仕の件は……?」などと、自分から催促できるはずもないわね。 彼女は、私たちがその約束を忘れていないか、あるいは「やっぱり無し」にされるのではないかと、生殺しの状態で震えているのよ。


アルーシャが縋るような目でイリヤを見つめ、蚊の鳴くような声を漏らしました。 その、肉食獣らしからぬ捨てられた子犬のような表情。


(焦らしてごめんなさいね。でも、その必死な顔も可愛らしいわ)


「いいえ、こちらこそ。……お休みなさいませ、クセニア様、イリヤ様」


アルーシャが名残惜しそうにイリヤを見つめます。 私は夫の腕をポンと叩きました。


「イリヤ。……明日の昼、貴方を呼びにいくわ」


「え?」


アルーシャが目を丸くします。


「久しぶりの再会だもの。積もる話……だけじゃない、積もる情熱もあるでしょう? 明日の昼まで、イリヤを……いえ、『セリオシャ』を貴女に貸してあげるわ」


私はイリヤにウインクしました。


「セリオシャ、アルーシャに『最高の夜』をよろしくね」


「ああ、任せておくれ」


イリヤはダンディーに微笑み、アルーシャの髪を一房すくってキスをした。


「エヴェリンの男たちも魅力的だが……モリガノンの男の良さを、たっぷりと思い出させてあげるよ」


「……っ!!」


アルーシャの顔が、一瞬にして融解しました。 荒い息を吐き、瞳が潤み、完全に「雌」の顔になっている。


彼女の視線は、もはや外交官のそれではない。 長年憧れ焦がれた男性と、これから一夜を共にする。その事実に、期待と興奮、そして許容量を超えた快楽への予感で、足元が震えているのが見て取れる。理性が飛びそうなのを必死に堪え、かろうじて立っているだけの、ただの恋する女の顔。


「は、はい……! お願いしますわ……!」


フラフラと、しかしイリヤの腕にしがみつくようにして自分の部屋に向かっていくアルーシャの背中。 それを見送りながら、私は満足げに頷いた。


「……ふふ。明日、アルーシャがどんな顔になっているか楽しみだわ」


私は一人、ホテルのラウンジへと向かいエヴェリンの夜景を肴にカクテルを嗜みながら、これからの動き方を考える。


(アルーシャとは、今後絶対に仲良くなっておくべきね。 彼女はエヴェリンの中枢に食い込んでいるし、何よりこの国の「旨味」を知り尽くしている)


女帝崩御後の内戦に、新皇帝即位後にドラコニアが行うであろう大遠征……。そんな血なまぐさい争いに巻き込まれないためにも、彼女と、そしてこのエヴェリン王国という「楽園」とのパイプは、命綱になるはずよ。


(それにモリガノンの文化を理解してくれる存在が、こんなにも遠くの国にいるなんて思いもしなかったわ。エヴェリンとは経済的な交流を深めるのと同時に”文化的な”交流も強く促進するべきだわ……)


だんだんと街の明かりが消え、夜の闇が濃くなるのを見つめながら、私はこの国の魅力を知る機会を得たことに心から感謝するのだった。

現代日本でも、源氏名で活動している人に対して本名聞き出したり、日常生活に関わろうとするのは基本的にはマナー違反ですね。

クセニアとイリヤのこの奔放とも取れる夫婦の関係性はモリガノンの文化が持つ独特な関係性ですね。

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