第84話「人に歴史あり」
大陸歴 2791年 8月 / エヴェリン王国 王都リュミエール シュミットハウゼン商会支店 / ヘルガ・シュミットハウゼン(シュミットハウゼン商会 会長 68歳 女性)
「……ふぅ。長い一日だったね」
深夜のシュミットハウゼン商会支店。 私は重厚な革張りのソファに深く体を沈め、カップに入った白湯を一口すすった。老いた体に、温かい液体が染み渡っていく。
先ほどまで、この部屋は熱気で満ちていた。 宰相クロードゥィーヌと共に、ルシラ大臣、そしてフィオラのアイリスやトルヴァードのアルーシャたちと、例の「新港」を使った物流計画の詰めを行っていたのだ。 各国の思惑が絡み合うタフな交渉だったが、実入りは大きい。エヴェリンを中継地とした巨大な物流網。その一角を我が商会が握る。笑いが止まらない話だ。
「宰相殿は?」
「はい。先ほど客室へお入りになり、すでにお休みになられました」
夜番の者の報告に、私は頷いた。
クロードゥィーヌは胃薬を飲みながら書類と格闘していた。無理もない。明日も朝から他国との会談が詰まっている。今のうちに寝かせておくのが慈悲というものだ。
私は一人、静けさの中で今後の商売の青写真を描き始めた。 そこに、ノックの音が響く。控えめだが、どこか焦ったようなリズムだ。
「失礼します、会長。夜分に申し訳ありません」
入ってきたのは、支店長だった。
「何事だい? 騒々しいね」
「イヴェット様です! 先ほど、イヴェット様が息を切らして駆け込んで来られまして……『宰相閣下に緊急の用件がある』と!」
「イヴェットが?」
私は眉をひそめた。 あの娘は、今夜はモンタリアのアストラ王妃との飲み会に行っていたはずだ。 ドワーフの王族とのサシ飲みだ、生きて帰ってくれば御の字だと思っていたが……まさか、酔った勢いで何か粗相でもしでかして、泣きついてきたんじゃないだろうね?
「……クロードゥィーヌは寝たばかりだよ。叩き起こすのは忍びないね」
あの苦労人をこれ以上いじめるのは気が引ける。 私は立ち上がり、ガウンを羽織り直した。
「私宛ならまだしも、宰相への直訴となれば、ろくな話じゃないだろう。……私が話を聞くよ。ここへ通しな」
数分後。 応接室に入ってきたイヴェットは、顔を上気させ、酒の匂いをプンプンさせていたが、その目は奇妙なほど冴えわたっていた。
「へ、ヘルガ会長……! 夜分にすんません!」
「いいよ。……アストラ王妃との飲み会はどうだったんだい? 生きてるようで何よりだが」
私が水を向けると、イヴェットは興奮気味にまくし立てた。
「すごかったです! アストラ様だけやない、ナムルー大臣もサヴァも一緒やって、飲むことよりも技術論で盛り上がってまいまして!」
「ナムルー殿もいたのかい。そりゃあ濃い時間だっただろうねぇ」
「そうなんです!それに話の中でエヴェリンの鉄が脆い理由が分かったんです!」
イヴェットは身を乗り出し、職人の顔で語り出した。
「なんと精錬の時に使う『炭』のせいでした! エヴェリンは松で作った炭が多いから火力が安定せんらしいです。アストラ様曰く、モンタリアでは高級なカシやクヌギの木材をわざわざ精錬用の炭を作るために使ってるらしいんです」
イヴェットは技術的発見に興奮しているようで、商売っ気など微塵もない様子で続ける。
「いやー、うちらからしたらカシやクヌギなんて炭にするのが当たり前やないですか。でも他国では当たり前やなかったんですね! 素材の違いが技術の壁になってたなんて、目から鱗でしたわ!」
「……ほう?」
無邪気な技術報告を聞きながら、私の商売人としての勘がピクリと反応した。
(……カシやクヌギが、エヴェリンでは手に入りづらい?……モンタリアでは『高級なカシやクヌギの木材』をわざわざ炭にしている?)
「エヴェリンでも、今後カシやクヌギの木材を用いた専用の炭焼き場を作ることになるかもしれへんって話になってて……」
「なるほど……!」
私は膝を打った。 炭なんてものは、かさばる割に単価が安い。わざわざ国境を越えて運ぶような品じゃないと、これまでは商売の候補にすら入れていなかった。 だが、モントルヴァルやエテルニアには、カシやクヌギの森なんていくらでもある。それが、エヴェリンやモンタリアでは「高品質な鉄を作るための必須素材」として高値で取引される可能性があるということか。
(これは……盲点だったね。単なる燃料じゃない、戦略物資だ。大金になる)
「いい感度だ、イヴェット。それは重要な話だね」
私は満足げに頷いた。 これだけの情報を持ってくるなら、夜中に駆け込んできた甲斐もあるというものだ。
「よし、よくやった。私が対応しておくから、お前はもう帰って休みな。宰相殿は寝かしておいてやりな」
私が締めくくろうとすると、イヴェットは「あ、いや、ちゃうんです!」と首を横に振った。
「宰相閣下への話は、別なんです!」
「……ほう?」
(さっきの大型案件の種が前置きかい。毎度この子には驚かされるね)
私は驚きながらも期待感が胸に宿ったのを感じる。
(今の炭の話以上のネタがあるというのか?でもイヴェットはいつも私の想像の上を行く......)
イヴェットは、ゴクリと唾を飲み込み、私の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「あの……もしかしてヘルガ会長も、『ゲルダ』さんっていうドワーフのお婆さん、ご存じありませんか?」
「…………ッ!!」
その名前を聞いた瞬間。 私の思考が、数十年前にタイムスリップしたかのように弾けた。
「……ゲルダ、だって?」
知っているなんてもんじゃない。 私の脳裏に、煤けた工房でハンマーを振るう、小柄だが岩のように頑丈で快活な親友の姿が蘇る。
まだ私が一店舗目をようやく構えたばかりの若造だった頃だ。 店には目玉商品もなく、借金に追われ、明日の仕入れもままならなかった時代。 そんな時に、モントルヴァルにふらりと流れてきたのが、若き日のゲルダだった。
『腕には自信があるんやけど、コネも金もあらへん。誰かこんなウチみたいなんでも雇ってくれる優しい鍛冶屋はおらんもんかね』
薄汚れた作業着で職を探していた彼女に、私は賭けた。 私が懇意にしていた武器職人の工房を紹介し、その代わり、彼女が打った武器の独占販売権をもらったのだ。
結果は、大当たりだった。 彼女の打つ剣は、鉄を飴細工のように操り、恐ろしいほどの切れ味と耐久度を持っていた。 「ドワーフのゲルダの剣」。その名前だけで、私の店には騎士や傭兵が行列を作った。 私の小さな店が飛躍できたのは、間違いなくあいつのおかげだ。
それに、同い年ってこともあって、夜な夜な安酒を酌み交わした親友でもあった。 だからこそ、私があいつの作る武器を安売りしたり、値切ったりしたことは一度もない。それが私の誇りだ。
「……よーく知ってるよ。私が知る限り、今でも最高の武器職人は彼女だ」
私は遠い目をしながら答えた。
「確か、アークランドの先代女王も、ゲルダの作った剣を愛用していたはずだよ。……それほどの腕を持った女さ」
「やっぱり……! ヘルガ会長のお知り合いやったんですね!」
「ああ。……でも、なんで今さらゲルダの名が出るんだい? あいつは実は王族の一員で、故郷のモンタリアに帰ると聞いていたが」
イヴェットは、アストラ王妃から聞いた話を教えてくれた。 ゲルダが引退後、昔過ごした場所を旅したいと願っていること。 しかし、世界情勢の悪化で国境を越えられず、酒場で愚痴っていること。
「……そうか。あいつ、モントルヴァルに来たがっているのか」
鼻の奥がツンとして胸が熱くなるのを感じた。 かつて共に夢を追いかけた街を、もう一度見たいと願う友の姿。
「それで、ウチ……アストラ様に言うてしもたんです。『モントルヴァルで良ければ、技術顧問として招待します!』って」
「なに?」
「ただの旅行やと無理でも、公的な招待なら国境を越えられます。……宰相閣下の許可が欲しいんです。アストラ様は明日モンタリアに帰国されるから、もし間に合えば招待状を渡せるんです!」
イヴェットの必死な訴えを聞き、私は即座に叫んだ。
「おい!! 今すぐ宰相を叩き起こしてきな!!」
「えっ、会長!?」
支社長が驚くが、私は構わず怒鳴った。
「一刻を争うんだよ! さっさと行け!」
支社長が慌てて走っていく。 数分後、寝間着の上にガウンを羽織り、不機嫌そうに目をこすりながらクロードゥィーヌが入ってきた。
「何事ですか、ヘルガ……。今日の会議よりも胃が痛くなる話じゃないでしょうね?」
「逆だよ。最高の胃薬になるかもしれん話さ、宰相殿。世界一の武器職人がモントルヴァルに技術顧問として来てくれるかもしれん。すぐに招待状を書いておくれ」
私の真剣さに、クロードゥィーヌの眠気が吹き飛んだようだ。 彼女は私の顔を見て、ただ事ではないと察したらしい。
「……貴女がそこまで言うのですか。分かりました、すぐに取り掛かります。ですが、もう少し詳しく」
「ゲルダだよ」
私が短く告げると、クロードゥィーヌも「あの名工の……」と息を呑んだ。彼女もまた、ゲルダの名を知る一人だ。
「私が知る限り最高の武器職人が引退して昔過ごした場所を旅したがっている。だが、緊張の高まりで国境を越えられない。……そこでだ」
私はイヴェットの案を補強して説明した。
「技術顧問として招待する招待状を、明日帰るアストラ王妃に託せば、新たに計画してる『新港の航路』を使って、モントルヴァルまで来てもらえるかもしれん」
私はテーブルを叩いた。
「これからの時代、武器の需要は高まる一方だ。最高の武器職人が技術顧問として来てくれることは、金銭には代えられない大きすぎる価値があるんだよ!」
「理解しました」
クロードゥィーヌは即断した。 彼女はすぐに執務机に向かい、羊皮紙と羽根ペンを取り出した。
「モンタリア王室宛て、およびゲルダ殿ご本人宛ての公式招待状を作成します。『友好の証として、また技術交流の架け橋として』……これで名目は立ちます」
さらさらとペンが走る。 宰相の直筆署名と、公国の印章が押された書状が、ものの数分で完成した。
「イヴェット、これを!」
クロードゥィーヌから手紙を受け取ったイヴェットは、大事そうに胸に抱えた。
「ありがとうございます! アストラ様の宿舎まで走ります!」
「行ってきな! 転ぶんじゃないよ!」
イヴェットは「はいっ!」と元気よく返事をすると、風のように部屋を飛び出していった。
バタン、と扉が閉まる。 後に残されたのは、興奮の余韻と、深夜の静寂。
「……ふふ」
私はソファに背を預け、自然と笑みがこぼれるのを止められなかった。
「どうかしましたか、ヘルガ」
クロードゥィーヌが不思議そうに見てくる。
「いやね。……そういえば、ゲルダの話し方が、イヴェットに似てたなと思い出してね」
あの物怖じしない軽口と、職人としての熱量。 そして、無鉄砲に飛び込んでいく背中。
「これも何かの縁かもねぇ」
私はニヤリと笑った。 新しい物流ルート、新しい技術、そして古き友との再会。 すべてが、あの小さな外交官を中心に回り始めている。
(……ゲルダ。待ってるよ)
昔なじみの親友であり、恩人に会える。 そう思っただけで、老いた心臓が若返ったように高鳴るのを感じた。
「今日は、良い夢が見れそうだねぇ」
私は目を細め、窓の外に広がる深夜の暗い空を見上げた。そこに瞬く星々は、かつてゲルダと見上げた時と同じように輝いていた。
昔の友人の価値は年取れば取るほど大きくなっていく気がします。
打算抜きで仲良くなったり喧嘩していた時代の友人関係は、歳を重ねてから作りにくいものですね。




