第82話「覇竜の胎動」
大陸歴 2791年 8月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 城門前 / カイネ・スティールウィンド(エヴェリン王国 辺境伯 32歳 女性)
祭りの熱気は、潮が引くように去っていった。 真夏の太陽が照り付ける正午。王都リュミエールの正門前には、北へと帰還する「炎盟」の二大勢力、ドラコニア帝国とアスラ連邦、そして「光の同盟」の盟友アークランド王国の使節団が整列していた。
見送りに立ったアウローラ陛下は、真夏の暑さなど感じさせない涼やかな笑みで、ドラコニアの馬車に向かって一歩進み出た。
「遠路はるばるの来訪、感謝いたします。この出会いが、両国の良き未来に繋がることを」
陛下の言葉に対し、ドラコニア使節団代表、リリス・ドラコニア殿が深く礼をした後、その知的な瞳を細めた。
「……見事なもてなしであった、アウローラ女王。エヴェリン王国を我々がいかに知らなかったか……実り多き日々だった」
リリス殿は、陛下の後ろに控えるライラや、遠巻きに見守る私たち騎士を見渡した。
「貴国の臣下たちは皆、良い目をしている……。ヒイロ王子は世界を照らす光となるか、それとも戦火を呼ぶ種火となるか。西の『白き国』は、もはや座視してはおらぬぞ?」
「ご忠告、痛み入ります。ですがご安心を」
アウローラ陛下は毅然と答えた。
「光が強ければ影も濃くなりますが、我々は影に怯えるほど柔ではありません。……降りかかる火の粉も、忍び寄る影も、すべて払ってみせましょう」
「ふっ……。肝が据わっているな」
リリス殿が口角を上げると、その横から燃えるような赤髪の女性――アマリス・ドラコニア殿が一歩前に出た。 彼女の琥珀色の瞳は、数日前とは違う、底知れない熱量を宿していた。
「アウローラ陛下。ヒイロ殿下に、よしなにお伝えください」
「……何をでしょう?」
「『待っている』と」
アマリス殿は短く、しかし宣言するように告げた。
不敬とも取れる言葉。だが、そこには純粋な親愛の情と敬意が含まれていた。 アウローラ陛下はひるむことなく、母としての強さを滲ませて微笑んだ。
「あの子は、誰にも縛られませんわ。いずれ貴女の想像を超えるかもしれません」
「ククク……。楽しみだ」
ゼニス・アシュラ殿も獰猛に笑い、陛下の傍らに控える騎士団長ライラを見つめて鼻を鳴らした。
「おい、そこの若いの(ライラ)。……次は戦場で会おう。その時は、騎士団長の本気を楽しませてくれよ」
「……謹んで、お断りいたします。ですが、王子の敵となるならば、容赦なく斬り捨てます」
ライラが一歩も引かずに睨み返す。 張り詰めた空気が流れる中、リリス殿が杖で地面をコツンと鳴らした。
「……ふふふ、皆、退屈はしなかったようだ。見送り感謝する」
それが、別れの合図だった。
「道中、くれぐれもお気をつけて」
陛下の言葉を合図に、車列が動き出した。 車輪の軋む音と、蹄の音が重なる。 私は愛馬の手綱を引き、護衛部隊の先頭に立った。ここから北の国境まで、彼らを送り届けるのが、辺境伯である私の最後の務めだ。
***
旅は順調に進んだ。 行きと同じく、我々に同行するのはアークランド王国のクラリッサ女王陛下と、その騎士団たちだ。 だが、行きとは明らかに「空気」が違っていた。
王都へ向かう道中は、未知への好奇心や、武人同士の交流を楽しむような軽やかさがあった。
しかし、帰路につく今の隊列を包んでいるのは、重く、沈殿するような沈黙だ。 誰もが、王都で目撃した「光」と、そこで交錯した各国の思惑を反芻し、噛み砕こうとしているようだった。
その夜。 街道沿いの広場で野営を張った時のことだ。
焚火の爆ぜる音が、静寂の中でやけに大きく響く。 私は見回りのため、テントを出た。
「……カイネ殿」
声をかけられ振り向くと、そこにはアークランド騎士団長、ヴィヴィアナ・ド・ランサ殿が立っていた。
「ヴィヴィアナ殿。どうされましたか?」
「いや、どうも胸騒ぎがしてのう。……同行させてもらってもよいかな?」
伝説の老騎士の勘だ。無下にはできない。 私たちは並んで夜の見回りを始めた。そして、焚火の側に座る人影を見つけた。
燃えるような赤髪。ドラコニア帝国の小王女、アマリス殿が焚火の炎に照らされながら一人座っている。 そしてその近くの焚火ではアスラ連邦のゼニス殿とカリマ殿が酒をあおりながら話していたようだ。
「……カイネ殿か。それにヴィヴィアナ殿も」
私が近づくと、アマリス殿は視線を炎から外さずに呟いた。 行きに手合わせをした時の、あの好戦的で、どこか無邪気さすら感じさせた雰囲気はない。
「眠れませぬか、アマリス殿」
「いえ。……ただ、エヴェリンでの体験を思い出していたのです」
彼女はゆっくりと立ち上がり、私の方を向いた。 夜闇の中で、彼女の琥珀色の瞳だけが、まるでその瞳自体が燃えているかのように輝いている。
「来る前は、退屈な旅になると思っていました。……ですが、違いました」
アマリス殿は自分の掌を見つめ、握りしめた。
「ヒイロ王子。……あのような存在が、この世に生まれ落ちるとは」
その声は静かだった。 だが、次の瞬間。
ドクン。
私の心臓が、早鐘を打った。
「……私にも、ようやく見えました。私の行くべき道が」
アマリス殿の身体から、不可視の衝撃波が放たれたような錯覚を覚えた。 魔力ではない。殺気でもない。 もっと根源的な、生物としての「格」を強制的に理解させるような、圧倒的な重圧。
(……な、んだ……これは……)
喉が渇く。指先が痺れる。 行きの手合わせの時、彼女は確かに強かった。だが、それは「才能ある若き武人」としての強さだった。 私でも、経験の差でいなすことができたし、手合わせしても負けるとは思わなかった。
だが、今はどうだ。
彼女はただ立っているだけだ。 武器も構えていない。 なのに、私の本能が警鐘を鳴らしている。『動くな』と。『下手に動けば、食われるぞ』と。
ふと彼女の側を見ると、酒を飲んでいたはずのゼニス殿とカリマ殿の手が止まっていた。
百戦錬磨のアスラ最強の戦士たちが、言葉を失い、口を開けたままアマリス殿を凝視している。その瞳にあるのは、恐怖ではない。強者を見る時に浮かべる、ある種の「恍惚」だ。
「カイネ殿、ヴィヴィアナ殿」
アマリス殿が、私たちを見据えた。
「貴国の『光』は眩しい。……だが、私は私の『炎』で、天をも焦がすつもりです」
彼女の背後に、巨大な幻影――翼を広げた『竜』の影が見えた気がした。 それは比喩ではない。彼女のWord『Dragon(竜)』が、主の覚悟に呼応して、彼女の魂の形を変質させたようにも思えた。
私は、言葉を発することができなかった。 行きであれば、「ならば手合わせ願おうか」と軽口を叩けたかもしれない。 だが、今の彼女に対し、そんな言葉はあまりに軽すぎる。
口を開けば、悲鳴か、あるいは恐怖を振り払う咆哮が出てしまいそうで、私は奥歯を噛みしめ、ただ無言で彼女の覇気を受け止めることしかできなかった。
アマリス殿は、私たちの反応を気にする様子もなく、ふっと微笑んだ。 それは、以前のような勝気な笑みではない。 すべてを呑み込み、統べることを決めた者だけが浮かべる、凪いだ海のような深淵な笑みだった。
「……夜風は冷えますね。お休みなさいませ」
彼女は優雅に一礼し、テントへと戻っていった。 その後ろ姿に、酔いがさめた様子のゼニス殿とカリマ殿が、吸い寄せられるように無言で付いていく。まるで、主君に従う配下のように。
残されたのは、爆ぜる焚火の音と、嵐が過ぎ去った後のような、重苦しい静寂だけだった。
「……アマリス殿は、化けたな」
隣で、ヴィヴィアナ殿がポツリと呟いた。 その目は、去り行くアマリス殿の背中を、真剣な、射抜くような眼差しで見つめている。
「行きとは別人じゃ。……殻を破りよった」
***
翌日の昼。 私たちは北の国境に到着した。 ここから先は、アークランドの領土を通りドラコニア西部へと至る道になる。
「世話になったな、カイネ殿」
リリス殿が馬車の窓から声をかけてくる。 その横には、馬上のアマリス殿がいた。
彼女は私の方を見ていた。 だが、その瞳は私を通り越し、遥か後方にあるエヴェリン王国全土、いや、その中心にいるヒイロ王子と、その先に広がる未来を睥睨しているように見えた。
遠ざかるドラコニアの車列を見送りながら、私は鞍の上で小さく息を吐いた。
「……あのアマリスという女は、真の意味で『竜』になるだろうな」
誰に聞かせるでもなく、独りごちた。 今はまだ未熟かもしれない。だが、数年後、あるいは十年後。 彼女がその爪と牙を完全に研ぎ澄ませた時、エヴェリン王国は、かつてない脅威と対峙することになるだろう。
私の脳裏に、2か月前の夜、王宮の訓練場でヴィヴィアナ殿が娘に伝えたという言葉が蘇った。
『剣でも槍でも勝てない相手と戦わなければならないのが、騎士という生き物』
あの言葉の意味を、今ほど重く感じたことはない。 個人の武勇で勝てぬ相手。理不尽なほどの「覇者」。 そんな存在が、確かに生まれようとしている。
私は馬首を南へと返した。 王都には、我らが守るべき希望――ヒイロ王子がいる。そして未来を担う次世代の英雄の雛たちもいる。その雛たちが成長し、あの「竜」と対峙するその日まで、我々が盾となり、時間を稼がねばならない。......いや、その日が来たら真っ先に私が剣となりあの竜に切り掛からねばならん。
「……忙しくなるぞ」
私は眼鏡の位置を直し、手綱を強く握りしめた。 背後に広がる北の空には、入道雲が湧き上がっている。 激動の未来を告げるように、遠くで雷鳴が轟いた。
自分のやることを決めた人が持つ無言の圧力。
プロ野球選手になるって言って本気で夜も練習してる同級生とか、能力があるかどうかとかを超越した覇気を感じます。




