第81話「若き芽の成長」
大陸歴 2791年 8月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 王宮 / ミラベル=エヴェリン(ヒイロ専属侍女 9歳 女性)
チュン、チュン……。
窓の外から聞こえる小鳥のさえずりで、私はパチリと目を覚ましました。 カーテンの隙間からは、まだ薄青い早朝の光が差し込んでいます。
「……起きちゃった」
昨日は、ヒイロ様の「国外向け顔見世パーティ」という大舞台でした。 緊張と興奮でクタクタに疲れ果て、ベッドに入ったのは深夜だったはずです。泥のように眠れると思っていたのに、なんとなく身体の奥がカッカと熱くて、まだ早い時間なのに目が冴えてしまっています。
(……ヒイロ様は、よく眠れたでしょうか)
そう思うと、もうじっとしていられません。 私は素早く身支度を整え、侍女服の襟を正すと、部屋を飛び出しました。 まだ廊下を歩く使用人の姿もまばらな時間帯。ヒイロ様の寝室へと急ぎます。
「……あ」
寝室の前の廊下の曲がり角で、私はばったりと二人の人物に出くわしました。
「ミラベル。……早いですね」
「ミラベルさん……おはようございます」
そこにいたのは、騎士見習いのような服装のアルトリウス様と、少し眠そうに目をこすっているテオラス君でした。
「お二人とも! どうされたのですか、こんなに早く」
「目が覚めてしまってね。……昨日の熱気が、まだ体に残っているようで」
アルトリウス様が苦笑いしながら、剣ダコのある手を握ったり開いたりしています。
「僕もです……。怖い夢を見そうで、目が覚めちゃって。ヒイロ様の顔を見たら落ち着くかなって……」
テオラス君も、6歳とは思えないしっかりした口調ですが、その顔色は少し青白いです。昨日の激務を思い出しているのでしょう。
「ふふ。皆、考えることは同じですね」
私が二人に微笑みかけた時、背後からコツコツと規則正しい足音が近づいてきました。
「ほう。……感心ですね」
振り返ると、そこには完璧に身支度を整えた侍女長――私の師匠であるエラーラ様が立っていました。 眼鏡の奥の瞳が、優しく細められています。
「昨日の今日で、疲れも残っているでしょうに。誰も寝坊せず、それどころかいつもより早く主君のもとへ駆けつけるとは。……その心がけ、立派ですよ」
「エ、エラーラ様! おはようございます!」
私たちは慌てて背筋を伸ばし、挨拶をしました。 エラーラ様は満足げに頷くと、静かにヒイロ様の寝室の扉に手をかけました。
「さあ、入りなさい。夜番の方々もお待ちですよ」
重厚な扉が開かれます。 朝の清浄な空気が満ちる部屋の中。そこには、朝日を浴びて神々しいほど穏やかな空気が流れていました。
「あら。早起きな小鳥たちが来たようね」
部屋の中央、ヒイロ様のベビーベッドの傍らには、先代女王のエリシア様がいらっしゃいました。その横には、昨夜から警護に当たっていた最強の剣士、カラシャ様も控えています。 お二人とも、一睡もしていないはずなのに、疲れなど微塵も見せない穏やかな笑顔です。
「おはようございます! エリシア様、カラシャ様!」
私たちが挨拶をして入室すると、カラシャ様が白い猫耳をピクリと動かし、愉快そうに笑いました。
「ふふふ。昨日はあれだけの修羅場をくぐり抜け、色々と吸収したんじゃ。次の日は寝てなぞおれんのが若者よな」
「さあ、立ち話もなんですし、みんなこちらにお座りなさい」
エリシア様が手で椅子を示してくださいます。
「ありがとうございます」
アルトリウス様が、ほう、と大きなため息をついて近くの椅子に腰を下ろしました。テオラス君と私も続きます。 すると、自然とそこから、昨日のパーティの「反省会」が始まりました。
「正直に言いますと……生きた心地がしませんでした」
アルトリウス様が、真剣な表情で語り始めました。
「ライラ団長の傍で警護をしていましたが……『炎盟』の方々、特にアマリス殿やゼニス殿が放つ覇気は、物理的な圧力のようでした。剣を抜いていなくても、斬られているような錯覚に陥りそうで……指先が動かなくなるのを必死で堪えていました」
「僕もです……」
テオラス君が身を震わせました。
「エテルニアのデリアンナ様も怖かったですけど……アムリティンのレイラ様が一番怖かったです。僕を見る目が、人間を見る目じゃなくて……『なにかの材料や道具のような命のない物』のように見られている気がして……身体が震えました」
テオラス君の言葉に、私は深く頷きました。
「私も……ヴァルクールのノア様が泣き崩れられた時、心臓が止まるかと思いました。優しそうな方でしたが、その背後に見えた『なにかの重圧』のようなものが、ヒイロ様にのしかかろうとしているのが見えて……」
私は自分の両手を握りしめました。
「無我夢中で割って入りましたが、あとで思い出して膝が震えました。……私、本当に怖かったんです」
三者三様の恐怖。 世界の頂点に立つ「怪物」たちと対峙した経験は、私たちに強烈な楔を打ち込んでいました。
「……怖くて、当然じゃよ」
カラシャ様が、優しく声をかけてくれました。
「お主らが相手にしたのは、この大陸を動かしている本物の化け物たちじゃ。その圧に潰されず、逃げ出さず、それぞれの役目を全うした。……それだけで、お主らは誇っていい」
「そうよ。貴方たちは、ヒイロを守り切ったわ」
エリシア様も、温かい眼差しで私たちを見つめてくださいます。
「その『怖さ』を知っていることは、これからの貴方たちの武器になる。無知な勇気よりも、恐怖を知った上での覚悟の方が、ずっと強いのよ」
エラーラ様が、温かい紅茶を淹れて私たちの前に置いてくださいました。
「さあ、お飲みなさい。これを飲んで、体の芯を温めなさいな」
「……はい。ありがとうございます」
私たちは紅茶を一口飲み、互いの顔を見合わせました。 恐怖体験を共有し、それを大人たちに認めてもらえたことで、強張っていた心が少しずつ解れていくのを感じました。
「……僕、もっと勉強します。あんな人たちと笑顔で話せるミラナ様みたいになりたいです」
テオラス君が、決意を込めた瞳で言いました。
「私は、もっと剣の腕を上げます。いつか、あの覇気を跳ね返せるくらいに」
アルトリウス様も拳を握ります。
「私は……ヒイロ様が安心して眠れるように、もっともっと、気の利く侍女になります!」
私も負けじと宣言しました。
そんな私たちを、エリシア様、カラシャ様、エラーラ様の三人の先達が、まるで孫の成長を見守るような、とても優しく、そして眩しそうな目で見つめていました。
「あーうー!(頼りにしてるぞ!)」
いつの間にか目を覚ましていたヒイロ様が、ベビーベッドの中からニカっと笑って私たちに手を伸ばしてくださいました。
朝日が差し込む部屋の中で、私たちは誓いを新たにしました。 この方のためなら、どんな怪物相手でも、また立ち向かってみせると。
長い一日の翌朝。 差し込む朝日は、主君を守る盾となった私たちの新たな覚悟を照らし出していました。 恐怖を乗り越え、同じ誓いを胸に刻んだ若き家臣たちの絆は、昨日よりもずっと熱く、固く結ばれたのでした。
小学生低学年って本当に色んな子がいますよね。
特に性格や能力の差が感じやすい年齢な気がします。
ヒイロの周りにはしっかりした子が集まっています。




