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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長が、いつの間にか英雄になっていた件~  作者: 五十六


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第79話「祭の後の静けさ」

大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール ヒイロの寝室 / ヒイロ=エヴェリン(エヴェリン王国 王子 0歳 男性)


「……ふぅ。無事にお戻りになられましたね」


エラーラに押されたナムルー大臣特製のベビーベッドが、静かに寝室の定位置へと戻された。 振動ひとつない快適な乗り心地。だが、俺の精神的な疲労度は、期末の追い込み時期の営業の疲れに匹敵していた。


煌びやかなシャンデリア、渦巻く欲望、飛び交う腹の探り合い。 「国外向け顔見世パーティ」という名のイベントは、大盛況のうちに幕を閉じた。


(……やれやれ。0歳児が背負うには、少々重すぎるステージだったな)


俺はふかふかのクッションに身を沈めながら、ここまで俺をガッチリとガードして部屋まで送り届けてくれた二人の背中を見た。 騎士団長のライラと、副団長のセラだ。二人とも、まだ穏やかな目になってはいない。部屋の中だというのに、その警戒は少しも衰えていなかった。


「……アルトリウス、ミラベル、テオラス。……よくやりましたね。疲れたなら座りなさい」


侍女長のエラーラさんが、眼鏡を外して目元を拭いながら、3人の若者たちを労った。 年齢順に名前を呼ばれた彼らは、張り詰めていた糸が切れたように息を吐いた。


「はい……! 緊張で、足が震えました……」


ミラベルがふらふらと机に手をつく。9歳の少女だ。無理もない。 だが、今日の彼女の働きはMVP級だった。 俺は思い出す。ヴァルクール公国の大司教ノア・ウィルデンが、感極まって俺に縋り付こうとしたあの瞬間。騎士団が動くよりも早く、ミラベルは俺と彼女の間に滑り込んだ。「赤ちゃんのお仕事はミルクを飲んで寝ることです!」という名言と共に、大人のエゴから俺を物理的に守り切ったのだ。


(あの一瞬の判断と行動力。……ただの侍女じゃない。彼女は俺の「忠臣」だ)


そして、最年少の功労者。


「僕……上手く笑えていましたでしょうか」


6歳のテオラスが、ぐったりとした様子で椅子に座り込む。 世界中から来た名だたる権力者たちを相手に、一日中笑顔で接し続けるのは並大抵のことではないし、レイラに困らされた俺の両親を救うために割って入りもした。


(末恐ろしい子だ。あの歳で、外交の最前線で渡り合うとは。……まさに神童。将来の宰相、あるいは軍師の席は予約済みだな)


そして――俺のすぐ傍で、未だ直立不動の姿勢を崩さない少年。


「アルトリウス。お前も座って休め」


ライラに声をかけられても、アルトリウスは「いえ、ヒイロ様がお休みになるまでは」と首を横に振った。 14歳の彼は、パーティの最初から最後まで、一瞬たりとも俺の側を離れず、常に射線を切り、周囲を警戒し続けていた。その集中力は、大人顔負けだ。


(全員、文句なしのSランク人材だ。OJTにしてはハードルが高すぎたが、彼らは見事に飛び越えて見せた)


俺は心の中で、彼らの人事評価シートに「最高評価」を押した。 このチームがいれば、どんな荒波も乗り越えていける。


ふと、俺の思考は、パーティ会場での「ある出会い」へと飛んだ。


(……アマリス・ドラコニア)


燃えるような赤髪と、琥珀色の瞳。『Dragon(竜)』のWordを持つ、ドラコニア帝国の小王女。 彼女と対峙した時、背筋に走ったあの感覚は何だったのだろう。 恐怖ではない。だが、他の「怪物」たちに向けたような警戒心とも違う。 もっと根源的な、魂の奥底が共鳴するような熱。


彼女は俺を「赤ん坊」として見ていなかった。 宿命の相手を見るような、強烈な視線。


(……また会うことになる。そんな気がするな)


俺が天井を見上げて物思いに耽っていると、部屋の扉が静かに開いた。


「……皆、お疲れ様。よく頑張ったわね」


現れたのは、先代女王のエリシアお祖母様だ。


「エリシア様……!」


エラーラさんが立ち上がる。


「今日はみんなもうお休みなさい。ライラとセラも、今日は警戒しっぱなしで疲れたでしょう……。今日の夜番は引き受けますよ」


エリシアお祖母様の言葉に、騎士団長のライラが慌てて進み出た。


「滅相もありません! アスラやアムリティンのような危険な勢力が城下にいるのです。万が一の時、即応できる戦力がここにいなければ……」


ライラの懸念はもっともだ。今夜の王都は、火薬庫の上にキャンプファイアーをしているようなものだ。 最強の傭兵団「鉄砂嵐」のゼニスやカリマ、マッドサイエンティストのレイラ。あいつらが夜陰に乗じて動かない保証はない。


「心配せんでよい」


その時、入り口の扉から、一人の小柄な老婦人が声をかけながらゆっくりと入ってきた。


「すまんなエリシア。準備に手間取っての」


その声は、しわがれているが、不思議と耳に残る響きを持っていた。 俺はベビーベッドの柵越しに、その人物を見た。


(……っ!?)


俺の目が、カッと見開かれる。


小柄な老婆だ。腰は曲がっておらず、自然体で立っている。 短く切りそろえられた、波打つような白髪。 そして、その頭頂部には――白く、ふさふさとした「猫耳」が生えていた。


(ね、猫耳だ……! 獣人だ!)


俺の中の「オタク魂」が歓喜の声を上げる。本物の猫耳! ファンタジー最高!


だが、次の瞬間。 俺の「ビジネスマンとしての危機察知能力」が、全開で警報を鳴らした。


(……なんだ、この婆さん)


彼女は、ただ立っているだけだ。武器も持っていない。 笑顔も、好々こうこうや……いや、好々婆のそれだ。


だが、その身から立ち昇る気配が、尋常ではない。


例えるなら、そう。前世で読んだ大人気ハンター漫画に出てくる、あの「猫の蟻」。 王直属護衛軍の一人。あの理不尽なまでに強く、禍々しく、それでいて純粋な忠誠心を持っていたキャラクター。 もし、あのキャラが歳を取り、円熟味を増して「お婆ちゃん」になったら、こんな感じになるのではないか。 底知れない実力を、柔和な笑顔の下に隠している。


「カラシャ様……」


ライラが緊張し、あの不敵なセラも、冷や汗を流して苦笑いをした。


「あんたが出てくるなら……アタシが出る幕はねぇな。……正直、一日中気を張りすぎてぶっ倒れそうだ」


「ほっほっ。セラ、お主もまだまだ若いのう。休める時に休むのも、戦士の務めじゃよ」


カラシャと呼ばれた老婆は、ゆったりと笑った。その笑顔の裏に、どれほどの修羅場を潜り抜けた経験が積み重なっているのか。想像するだけで肌が粟立つ。


「……分かりました。カラシャ殿がおられるなら、安心です」


ライラも観念したように敬礼した。


「それでも、私たちは隣の控え室で休ませていただきます。何かあれば、すぐに」


「うむ。好きにするがよい」


ライラとセラ、そしてエラーラさんたちも、後ろ髪を引かれつつ退室していく。 部屋には、二人のお婆さんだけが残った。


「さて……。可愛い孫が邪魔されずに眠れるようにしましょうか」


祖母様が懐から、美しい装飾の施された鏡のような魔道具を取り出した。 それを掲げると、祖母様の体からふわりと優しい魔力が溢れ出した。


ブォン……。


空気が震え、部屋全体を包み込むように、半透明のドーム状の結界が展開される。 それは、あの漫画に出てくる「エン」のような、己の支配する領域の表れ。


「……ふむ。相変わらず、流れるような見事な結界じゃな」


カラシャが感心したように呟くと、祖母様はニヤリと悪戯っぽく笑った。


「昔みたいにはいかないけどね。これでも私、伊達にSランクの魔力を持ってるわけじゃないのよ?」


(……すげぇ。この前見たヴィヴィアナさんといい、この世界は年を取っても衰えない人が多すぎないか?)


Sランク魔力を持つ先代女王と、ライラやセラが認めるほどの武人。 この二人がいれば、生半可な刺客では入る事すらできない。部屋に入ったとしても、俺の安眠が妨害されることは無いだろう。


「おやすみ、ヒイロ」


祖母様がキスをしてくれる。 カラシャは音もなく俺のベッドサイドに近づくと、柵越しに俺を覗き込んだ。


「良い『気』じゃ。……安心おし。今夜は、ネズミ一匹、この部屋には入れんよ」


金色の瞳。縦に割れた瞳孔が、優しく俺を見つめる。


俺はカラシャに向かって、精一杯の敬意を込めて手を振った。 彼女はニカっと笑い、猫のように目を細めた。


信頼できる夜番に見守られながら、俺は長い長い一日の終わりを、深い安らぎの中で迎えることになった。


主人公は一人で生きてるわけじゃなくて、いろんな人に支えられています。

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