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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長が、いつの間にか英雄になっていた件~  作者: 五十六


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第73話「影の訪問者」

大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール ヒイロの寝室 / ヒイロ=エヴェリン


明日に控えた「国外向け顔見世パーティ」という名の、俺のグローバル・ローンチを前に、俺の精神は完全に覚醒していた。


(……眠れん)


ナムルー大臣特製の最高級ベビーベッドの中で、俺は天井を見上げていた。 無理もない。明日の来場者リストは、各国の「怪物」たちの見本市だ。 エテルニアの諜報トップ、アムリティンのマッドサイエンティスト、ドラコニアの覇気使いに、アスラの伝説の傭兵。 そんな連中を相手に、生後3か月の赤ん坊が笑顔一つで渡り合わなければならない。 プレッシャーで胃に穴が空きそうだ。


「……すー、すー……」


すぐ隣から、規則正しい寝息が聞こえる。 ベッドのすぐ脇に簡易ベッドを持ち込み、眠っているのは侍女長のエラーラさんだ。 彼女の手首から伸びた細い組紐は、ベッドの柵を超えて、俺の足首に結ばれている。 俺が少しでも動いたり、何者かに持ち上げられれば、即座に彼女が目を覚ますというアナログだが確実な防犯システムだ。 さらに部屋の隅のソファでは、専属侍女のミラベルも仮眠をとっている。


扉の外には、3時間交代で騎士団の精鋭が立っており、今の時間はアルトリウスも詰めているはずだ。 物理的なセキュリティレベルは最高レベルと言っていい。


だが、俺のIT業界でキャリアを重ねたビジネスマンとしての勘が告げている。 『セキュリティホールは、常に想定外の場所にある』と。


その時だった。


ゆらり。


部屋の隅、月光すら届かない濃厚な闇が、生き物のように蠢いた。 ドアは開いていない。窓も閉ざされている。 なのに、そこにあった「影」が、音もなく立ち上がり、人の形を成していく。


(……ッ!?)


俺は息を呑んだ。 エラーラさんは起きない。ミラベルも気づかない。 その影は、重力も空気抵抗も無視したような滑らかな動きで、俺のベッドサイドへと滑り込んできた。


月光が、その侵入者の顔を照らす。 長い耳。幼い少女のような顔立ち。だがその瞳には、100年以上の時を生きた古強者の凄みが宿っている。


エヴェリン王国騎士団 副騎士団長、セラ・シャドウブレード。


彼女は人差し指を唇に当て、「シーッ」というジェスチャーをした。 声は出さない。気配もしない。 エラーラさんがピクリとも反応しないレベルの、完全な隠密ステルス行動だ。


(……アンタかよ。心臓止まるかと思ったぞ)


俺は安堵と同時に、戦慄した。 外の騎士団も、エラーラさんの警戒網も、この「影」の前では無意味だ。 物理的な障壁を無視して侵入できる能力。味方だから頼もしいが、敵なら俺は今頃あの世行きだ。


セラは柵越しに、俺の顔を覗き込んだ。 その目は、いつものふざけた感じではない。獲物を狙う猛獣のような、あるいは守るべき宝を見定める番人のような、鋭い光を放っている。


彼女は、俺が寝ているシーツの端、ちょうど俺の影が落ちるあたりに、音もなく指を這わせた。 その指先から墨のような黒い魔力が滲み出し、月明かりによって作られた俺の影に溶け込んでいく。 シミになるわけではない。影そのものが、少しだけ濃く、深くなったような感覚。


セラが、初めて口を開いた。吐息のような、かすかな声で。


「よし……これで何かあっても、すぐ逃がしてやるからな」


(……!!)


俺は目を見開いた。


(影で、何かの印をつけたのか? )


俺は前世で読んだ忍者漫画を思い出した。主人公の父親が、特殊な術式のマーキングをした場所へ一瞬で移動するという技だ。 これも、そういう目印のようなものなのかもしれない。 有事の際には、この影を通じて俺を強制的に回収するための「座標マーカー」。


守るだけでなく、最悪の場合は戦場から離脱させる。 「勝つこと」よりも「生き残ること」を最優先にした、元海賊らしい実戦的な判断だ。念のための逃げる準備。それが完了したということか。


セラは作業を終えると、俺の顔をじっと見つめた。 言葉はない。 だが、その琥珀色の瞳は雄弁に語っていた。


『心配するなアタシたちがついている』


彼女は俺の頭に手を伸ばし、乱暴に、しかし驚くほど優しく、わしゃわしゃと撫でた。 その手は温かく、分厚かった。 歴戦の戦士の手だ。


そして、セラはニカっと口元を三日月のように歪めて笑うと、再び音もなく影の中へと沈んでいった。 まるで最初からそこには誰もいなかったかのように、気配が消える。


その直後。


「……ん」


隣のエラーラさんが、ぱちりと目を開けた。 足首の紐が引かれたわけではない。だが、長年の勘が何かを察知したのだろう。 彼女は飛び起きるように上半身を起こし、鋭い視線で部屋中を走査する。


「……今の気配は」


彼女は俺のベッドを確認し、俺の寝息(演技)と足首の紐を確認して安堵の息を吐く。 だが、その視線はセラが消えたあたりの闇を、油断なく睨みつけていた。


(……さすが侍女長。反応速度が異常だ)


だが、セラはそのさらに上を行っていた。 この二人が守ってくれているなら、俺の身の安全は担保されたようなものだ。


俺は自分の影――セラが残していった「準備」を見つめた。 そこには、何も変わらない闇があるだけだ。 だが、その闇は今、どんな光よりも頼もしく見えた。


(よし。……寝よう)


明日は決戦だ。 俺は目を閉じ、意識的に全身の力を抜いた。


だが、高ぶった神経はすぐにはシャットダウンしてくれない。 大事な試験の前日のような状況だ。こういう時は、無理に寝ようと焦ってはいけない。眠れなくても、目を閉じて横になり、視覚情報を遮断するだけで身体の疲労の8割は回復する。これは前世の激務時代、睡眠時間3時間で乗り切るために身につけたライフハックであり、俺の鉄則だ。


俺は暗闇の中で、脳の処理リソースを先ほどの現象――セラの『Shadow(影)』の分析へと回した。


(……改めて考えると、とんでもない能力だ)


俺はこの世界の魔法理論など詳しく知らない。だが、ファンタジーの定番として「影」といえば、敵を縛ったり、分身に使ったりするのが一般的だろう。 だが、さっき彼女がやったことは、その範疇を超えている。


「影」という二次元の平面を、三次元の移動経路トンネルとして利用した。物理的な壁や床を無視し、影から影へと質量のある物体(自分自身)を転送させる「空間移動」。 あるいは、影の中という「亜空間」を作り出し、そこに潜伏する能力か。


(『影』という言葉(Word)の解釈を広げることで、物理現象すら書き換えられるのか?)


彼女は100歳を超えるエルフだ。その膨大な経験値と試行錯誤が、あの変幻自在な影の運用を可能にしているのだろう。 一つの単語から、どれだけ多様なアプリケーションを開発できるか。それがこの世界の魔法の肝なのかもしれない。


(だとしたら……俺の『Holy(聖)』はどうだ?)


一般的に「聖」といえば、回復魔法や、アンデッドへの浄化攻撃などが思い浮かぶ。 だが、セラの「影」があそこまで自由なら、俺の「聖」も単なる回復やビーム撃つだけの機能ではないはずだ。


「聖なるもの」。 それは「完全なもの」や「不可侵なもの」とも解釈できる。 ならば、傷を治すだけでなく、「傷つく前の状態バックアップへの復元ロールバック」が可能かもしれない。 あるいは、「汚れたものを排除する」という概念を拡大解釈すれば、敵対する存在そのものを「ウイルス」として検知し、強制的にデリート(消去)するようなえげつない使い方もできるのではないか?


(『夢見ることができれば、それは実現できる』……だな)


影が空間を超えるなら、聖は何を超える? 俺の持っている『Holy(聖)』に限らず、Wordというものは、単なる一つの単語ではなく、この世界のことわりに干渉できる能力なのかもしれない。


(……だめだ、思考がまとまらん)


難解なロジックを組もうとしたことで、脳がオーバーヒートを起こし、強制的にスリープモードへと移行し始めたようだ。 思考の泥沼が、心地よいまどろみへと変わっていく。


影の守護に抱かれながら、俺は今度こそ、泥のように深い眠りへと落ちていった。

影使いは能力系好きにとって想像力の塊!!

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