第69話「謁見後編 ~覇竜の力~」
第69話「謁見後編 ~覇竜の力~」
大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 謁見の間 / アウローラ=エヴェリン
エテルニア大帝国の使節団が去った後の「謁見の間」には、先ほどまでの喉に張り付くような不快な乾きとは異なる、肌を焦がすような「熱」が満ち始めていた。
「……空気が、変わりましたね」
私の傍らに控える騎士団長ライラが、剣の柄に置いた指に力を込めながら低く呟く。 副団長のセラも、その長いエルフの耳をピクリと動かし、獣のような鋭い眼光を扉に向けていた。
「ああ。さっきの女狐が『忍び寄る毒』だとしたら、今度来るのは『正面からの灼熱』だ。……気を抜くなよ、ライラ」
「分かっています」
重厚な扉の向こうから漂ってくるのは、隠そうともしない強大な覇気。 宗教的な圧力とは違う、純粋な生物としての「格」の違いを見せつけるようなプレッシャー。
「ドラコニア帝国使節団! 西部執政官リリス・ドラコニア殿、ならびに小王女アマリス・ドラコニア殿、ご入場!」
儀礼官ブリオスの声と共に、扉が大きく開かれた。 熱風が吹き込んだかのような錯覚を覚える。
現れたのは、対照的な二人の女性だった。
先頭を行くのは、豪奢な杖をつき、足を引きずるようにして歩く知的な女性。 リリス・ドラコニア。 ドラコニア女帝の三女にして、エテルニアとの国境地帯を統括する西部執政官。身体的なハンデを背負いながらも、その瞳には万軍を指揮する将のような冷徹な光が宿っている。
そして、そのリリスを支えるように並び歩く、もう一人の女性。 彼女を見た瞬間、謁見の間にいた全員が一斉に息を呑んだ。
赤銅色の肌に、燃えるような深紅の髪。琥珀色の瞳は、見る者すべてを射抜くような強烈な意志に満ちている。 年齢は20代半ば。その身から溢れ出る魔力は、視覚化できそうなほど濃密で、荒々しい。
(……あれが、アマリス・ドラコニア)
私は玉座の上で、無意識に背筋を伸ばしていた。 美しい。だが、それ以上に「強い」。 肉体的な力だけではない強さを持っていると、本能がそう告げていた。
二人は玉座の前まで進むと、エテルニアのような優雅なカーテシーではなく、戦士が主君にするような簡潔で力強い礼をとった。
「お初にお目にかかる、アウローラ女王陛下。ドラコニア帝国西部執政官、リリスである」
「遠路はるばるようこそ、リリス執政官。エヴェリン王国は貴国からの使節を歓迎します」
私が応じると、リリスは杖に体重を預けながら、フッと口元を緩めた。
「歓迎に感謝する。……まずは、第一王子ヒイロ殿下の誕生、ならびに『Holy(聖)』のWordを授かられたこと、心より祝福申し上げよう」
「感謝するわ」
「だが……」
リリスの瞳が、スッと細められた。その瞬間、場の空気が張り詰める。
「手放しで喜んでばかりもいられまい? 陛下」
「……どういう意味かしら?」
「とぼける必要はない。西の『白き鴉』どものことだ」
リリスは杖で床をコツンと鳴らした。
「我々は『明るく光る聖なるもの』を愛する。なぜなら、我々は『炎』を尊び崇めているからだ。炎は神聖で明るくすべてを照らすものだ。我々の考える『聖』はそういうもので、エテルニアのような『濁り切った黒を白い絵の具で塗っただけのもの』は『聖』とは思わんし好まぬ」
単刀直入な、エテルニア大帝国の在り方への否定。 先ほどのデリアンナとの会談で見せた「表面上の友好」を、リリスは鼻で笑い飛ばすように切り捨てた。
「奴らは笑顔で近づき、教義という鎖で縛り上げ、最終的には信仰という名目で奪い去るだろう。……我々ドラコニアは、そのような陰湿な真似は好まぬ。奴らが動くとなれば話は別だ」
リリスの背後で、アマリスという名の女性が静かに、しかし好戦的に微笑んだのが見えた。
「そこでだ、アウローラ陛下」
リリスは一歩下がり、隣のアマリスを手で示した。
「我々ドラコニアが、単なる祝福のために来たわけではないことを示そう。……アマリス」
促された赤銅色の肌の女性が、一歩前へ踏み出す。 その瞬間、ドォン! と大気が震えるような重圧が謁見の間を支配した。 ライラが反射的に飛び出しかけ、セラがそれを手で制する。
アマリスは堂々と胸を張り、琥珀色の瞳で私を見据えて名乗った。
「お初にお目にかかります。皇帝サラリナ・ドラコニアが孫、アマリス・ドラコニアにございます」
その声は、腹の底に響くような低音を含んでいた。
「我が身に宿るWordは…… 『Dragon(竜)』 」
「……っ」
声を押し殺した驚きを、皆が感じているのが分かった。 『Dragon(竜)』。 それは、ドラコニア帝国そのものを象徴する言葉。力、支配、そして頂点に立つ者の証。 アナスタシアのおかげで事前に情報を得ていたとはいえ、彼女がそのWordを口にした瞬間、覇気と呼ぶしかないような圧を肌で感じた。
「……まさか、貴国の象徴たる『Dragon(竜)』のWordを持つ者を、この場に連れてくるとは」
私が呟くと、リリスは満足げに頷いた。
「ヒイロ殿下が『Holy(聖)』を持つ聖なる御子であるなら、我が国には『Dragon(竜)』を持つ覇者の器がいる。……エテルニアが偽りの聖を掲げて光り輝く聖を奪うなら、我々は竜の力を持ってそれに対抗するまでだ」
これは、強烈なデモンストレーションだ。 エテルニアに対しては「ヒイロに手出しをするなら竜が相手になるぞ」という牽制。 そしてエヴェリンに対しては、「我々は対等の力を持っている」という誇示。
アマリスは、その圧倒的な力を纏いながらも、理知的な瞳で私を見た。
「明日のパーティで、ヒイロ殿下にお会いできることを、心から楽しみにしております。……『聖』と『竜』。異なるものですが運命を感じるWordを持つ者同士、通じ合うものがあるかもしれません」
その言葉に敵意はない。 だが、好敵手を見つけた武人のような、熱っぽい響きが含まれていた。
「……アマリス殿」
私は玉座から身を乗り出し、彼女に問いかけた。
「貴女は、その『Dragon(竜)』という強大なWordを、どう捉えているのですか?」
『竜』とは、人を越えた存在だ。 若くしてそれを持つことは、精神を焼き尽くすほどの重圧になり得るはずだ。
アマリスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「……強い運命、でございましょう」
彼女は自分の掌を見つめ、握りしめた。
「私がドラコニアの王族として、この身に『Dragon(竜)』を宿して生まれたこと。それには、強い運命を感じております。……私は、いずれ竜になることでしょう。力をもって何かを成し遂げる絶対的な強者に」
その言葉には、迷いがなかった。 底知れない野心。 だが、彼女はすぐにその覇気を収め、リリスの方を向いて頭を下げた。
「ですが……私はまだ、孵化したばかりの未熟者に過ぎません。力に溺れず、正しく竜となるために、今はこうしてリリス師匠の下で、戦術と兵法を学んでおります」
「……謙虚なのね」
「いいえ。未熟な竜など、ただのトカゲです。……今の私が暴れれば、国を焼くだけの災害にしかなりません。故に、まだしばらくは……どうこうなるつもりはありません」
彼女は賢い。 自分の力を過信せず、制御し、学ぶ姿勢を持っている。 単なる「力の化身」ではなく、「知性ある強者」になろうとしているのだ。
「ふふ、聞いたかアマリス。女王陛下も感心しておられるぞ」
リリスが杖をつきながら、楽しそうに笑った。
「アウローラ陛下、貴国の人材は想像以上に素晴らしい。ヒイロ殿下もきっと、良き師匠に巡り合い、アマリスに負けず劣らず、立派に育つことだろう」
リリスは視線を、私の背後に控える娘たちや、周囲の大臣たちへと向けた。 その目は、エヴェリン王国の「人材の厚み」を正確に評価していた。
「ドラコニアは、力を尊ぶ。ゆえに、力ある者には敬意を払う」
リリスは真剣な表情に戻り、告げた。
「炎盟に属する各国にも、エヴェリン王国とは友好を築くように伝えてある。……特にトルヴァード連邦などは、すでに貴国と太いパイプを作りつつあるようだがな」
それは、暗に「我々はエテルニアのように、宗教的理由で理不尽に攻めたりはしない」という不可侵の約束だった。 もちろん、国益が絡めば別だろうが、少なくとも『Holy(聖)』を理由にした聖戦などは仕掛けてこないという宣言。
「……心強いお言葉、感謝します」
私は安堵と共に、深く頷いた。 ドラコニアは、話が通じる。 力という共通言語がある限り、彼らは嘘をつかない。
「では、長居も無粋だ。明日のパーティを楽しみにしている」
リリスが一礼し、踵を返す。 アマリスもまた、最後に一瞬だけ、私の隣のエリオンと、娘たちを熱っぽい瞳で見つめ、深く一礼して去っていった。
二人が去った後の謁見の間には、嵐が過ぎ去った後のような、すべてのもやもやが吹き飛んだかのような心地よい空気が漂っていた。
「……『Dragon(竜)』か」
エリオンが大きく息を吐き出す。
「彼女から意識を他に向けることができませんでした。あのアマリスという女性……底が知れません」
ライラが冷や汗を拭いながら言う。
「ああ。だが、デリアンナのような陰湿さはなかったな」
セラが肩をすくめる。
「『炎』と『光』。……相容れないようでいて、案外、ウマが合うかもしれねぇな」
私も同感だった。 エテルニアの「粘着質な執着」とは違う、ドラコニアの「圧倒的な熱量」。 どちらも危険だが、後者の方が、我々の生き方や価値観と近しいものを感じた。
「……明日の顔見世、本当に何が起こるか分からないわね」
私は玉座から立ち上がった。 「竜」が来る。「聖」を見定めるために。 そして、それを取り巻く無数の思惑たち。
明日の夜、この王宮は、大陸の運命を決める巨大な坩堝となるだろう。
「行きましょう。……ヒイロの顔を見ないとね」
私は前を向いて歩き出した。 日が沈み始めていた。明日に向けて必要な最後の準備は心の準備なのかもしれない。 長い夜は始まったばかりだ。




