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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長が、いつの間にか英雄になっていた件~  作者: 五十六


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第68話「謁見前編 ~秩序の白~」

大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 謁見の間 / アウローラ=エヴェリン(エヴェリン王国女王)


エヴェリン王宮で最も豪華で美しい部屋、「謁見の間」。様々な式典や謁見が行われるこの広大な空間は、今、物理的な重圧とは異なる、喉が張り付くような不快な「乾き」に支配されていた。


(……気候がおかしいわけではない。この口の中がざらつくような乾きの正体は、純粋な警戒心ね)


私は玉座に深く腰掛け、眼下の扉を見据えた。 私の隣には、夫のエリオン。 その脇には、クラリスをはじめとする4人の娘たちが、緊張した面持ちで控えている。 玉座の周囲を固めるのは、騎士団長のライラと副団長のセラ。 さらにその外周には、宰相リリア、外務大臣ミラナ、商業大臣ルシラ、工業大臣ナムルー、魔法大臣エルドリンといった、我が国が誇る最高戦力がずらりと並んでいる。


まさに、エヴェリン王国の総力戦。 これだけの布陣を敷かねばならない相手が、今、重厚な扉の向こうから現れようとしていた。


「ヒイロは?」


私が小声で尋ねると、背後に控えていた侍女長のエラーラが耳打ちした。


「寝室にて、ミラベルとアルトリウス、テオラスたちが護衛しております。ご安心を」


「そう……。使節団が『囮』で裏で仕掛けるということは無いとは思うけど、万が一を考えれば警戒は必要ね」


私は答えながら小さく頷いた。 相手は「永遠条約圏」の盟主、エテルニア大帝国。 その使節団が、これから謁見に臨む。


「エテルニア大帝国使節団! 大司教デリアンナ・フォン・リヒト殿、ならびに外交官ソフィア・フォン・オルデン殿、ご入場!」


儀礼官ブリオスの声が響き、扉が開く。 現れたのは、白一色の装束に身を包んだ二人の女性だった。


後ろを歩く若い女性――ソフィア・フォン・オルデンは、緊張で顔を強張らせながらも、真摯な眼差しで歩いている。宰相クラリンダの娘と聞いているが、海千山千の古狸であるデリアンナの隣にいると、痛々しいほど純朴な「良家のお嬢さん」に見える。彼女自身は悪意を持っていないのかもしれないが、使い捨ての駒にされていないか心配になるほどだ。


問題は、その前を行く人物。


ふわりとした金髪に、垂れ目の優しげな顔立ち。年齢は私より一回り上、40代後半だろうか。 聖職者特有のゆったりとした法衣を纏い、口元には慈愛に満ちた「聖女」のような微笑みを浮かべている。


(……なるほど。あれがデリアンナ・フォン・リヒトか)


一見すると、教会の優しそうな修道女だ。 だが、その笑顔はあまりに「完璧」すぎる。 目尻の皺の寄り方、口角の上がり方、歩く速度。全てが計算され尽くした舞台女優のそれだ。 セラからの報告にある「諜報組織のトップ」という情報がなければ、私も騙されていたかもしれない。いや、知っていてもなお、気を許したくなるような優しげな雰囲気が出ている。


「お初にお目にかかります、アウローラ女王陛下。エテルニア大帝国、大司教のデリアンナでございます」


デリアンナは玉座の前で優雅に膝を折り、流れるような動作で礼をとった。 その所作には、一分の隙もない。


「遠路はるばるようこそ、デリアンナ大司教。エヴェリン王国は貴国からの使節を歓迎します」


私が毅然とした声で応じると、デリアンナはゆっくりと顔を上げた。 その視線が、私の隣、そして背後をなめるように動き――そして、残念そうに眉を下げた。


「おや。……本日は、主役であられるヒイロ殿下はご不在でございますか?」


「ええ。まだ小さくて。長時間の公務には耐えられませんので、部屋で休ませております」


「左様でございましたか。……一目、拝謁しとうございましたのに」


彼女の声は、甘く、とろけるように優しい。


「『Holy(聖)』の御名を持ち、Sランクの魔力を宿して生まれた奇跡の御子。……拝見できただけで、このデリアンナ、法悦に震える思いでございましたのに」


彼女は胸の前で手を組み、祈るようなポーズをとった。 美しい光景だ。何も知らない者が見れば、敬虔な信徒が奇跡に感動している図にしか見えないだろう。 だが、私には見える。その細められた瞳の奥に、決して笑っていない、冷徹な計算機のような光が明滅しているのが。


(会わせなくて正解だったわね。この女、ヒイロを見たらその場で「保護」という名の誘拐を宣言しかねない)


「祝福を。神の愛し子に、偉大なるエテルナの加護があらんことを」


「感謝するわ。ヒイロも、その祝福を喜んでいるでしょう」


私が穏やかに返すと、デリアンナは顔を上げ、まるで世間話でもするかのような軽い口調で、とんでもない提案を投げ込んできた。


「アウローラ陛下。……単刀直入に申し上げますが、我が国エテルニアは、ヒイロ殿下を『特別』視しております」


「特別、ですか?」


「はい。ご存じの通り、我が国の教義において『Holy(聖)』とは最も尊き概念。それがこの地に現れたこと、教皇聖下も運命的なものを感じておられます」


デリアンナは、一歩前に進み出た。 騎士団長のライラがピクリと反応し、剣の柄に手をかける。だが、デリアンナは気にする素振りも見せず、両手を広げた。


「そこで、我が国からの切なる願いがございます。……ぜひ一度、ヒイロ様にエテルニア大帝国へお越しいただきたいのです」


場が凍り付いた。 エテルニアへ来い? それはつまり、本拠地への招待。 聞こえはいいが、実質的な「呼び出し」であり、下手をすればそのまま「軟禁」「教義による囲い込み」に繋がる道だ。


「……それは、随分と性急なお話ね」


私の声が、わずかに低くなる。


「申し上げた通り、ヒイロはまだ小さい赤子。長旅になど考えられませんわ」


「ええ、ええ。もちろんでございます」


デリアンナは、私の拒絶を予想していたかのように、にこやかに頷いた。


「今すぐに、とは申しません。ヒイロ様が成長され、外の世界を知るべき時が来たならば……数年先、あるいはもっと先のお話でも構いません。ぜひ『聖』の本場である我らの都を見ていただきたい。それが、我らの願いなのです」


(……譲歩に見せた布石ね)


「今すぐよこせ」と言えば戦争になる。だから「将来の予約」を取りに来たのだ。 そして、ここからが本題だろう。


デリアンナは、表情を少しだけ曇らせ、憂いを帯びた声色を作った。


「……昨今の世界情勢は、あまりに不安定です。特に、あの『炎盟』の方々は、力が全てとお考えのようですから」


彼女はチラリと、大臣たちが並ぶ列――特に軍事関係者の方を見た。


「彼らは言うかもしれません。『エテルニアはヒイロ様を武力を用いて奪おうとしている』などと。……彼らの思想では、そう考えるのも無理はありません」


あからさまな、ドラコニア批判。 そして、自分たちの潔白の主張。


「ですが、アウローラ陛下。どうかご安心ください。私はこの場で、エテルナの神に誓って断言いたします」


デリアンナは胸に手を当て、凛とした声で宣言した。


「エテルニア大帝国は、ヒイロ様に対し、敵対行動はとりません。武力行使などはもってのほか、絶対に取らない行為です」


「……」


「我らは『Holy(聖)』を崇める者。その御名を魂に刻まれた存在に対し、弓引くことなどあり得ません。武力による干渉、略奪、そのような野蛮な行いは、我らの信仰心が許さないのです」


美しい言葉だ。 論理的で、宗教的な裏付けもある、完璧な不可侵宣言。


だが。


(……嘘ね)


私は確信した。 この場にいるエヴェリン側の人間――エリオンも、娘たちも、大臣たちも。 誰も、その言葉を信じていない。


なぜなら、感覚として伝わってくるからだ。 彼女の笑顔の裏に張り付いている、ドス黒い粘液のような感情が。 「武力は使わない」と言った。それは裏を返せば「武力以外のあらゆる手段(諜報、調略、洗脳、経済封鎖)は使う」という意味だ。 「聖なる存在には弓引かない」と言った。だが、もしヒイロが彼らの意に沿わぬ存在になった時、彼らは「あれは偽りの聖だ」と定義を変えて攻撃してくるだろう。


宗教国家特有の、自分たちの都合で何とでも解釈を変えられる危うさ。 それを、この「のほほん」としたおばさんは、全身から発散している。


「……心強いお言葉、感謝しますわ」


私もできる限りの演技力で微笑み返した。


「私たちは『光の同盟』。あらゆる光を尊重し、調和を尊ぶ国です。エテルニアの神への信仰心もまた、尊いものとして理解しております」


私はデリアンナの目を真っ直ぐに見つめ返した。


「ヒイロが成長し、彼自身が広い世界を見たいと望んだならば……その時は、ヒイロの見聞を広めるために、貴国の美しい都を訪れる日も来るかもしれませんわね」


拒絶はしない。だが、約束もしない。 「本人の意志」という、誰にも侵せない条件を盾にした、自由度の高い切り返しだ。


「……ふふ。ええ、その日を楽しみにしております」


デリアンナは、一瞬だけ目を細めた。 その瞳の奥で、何を考えているのかは分からない。


「明日のパーティも、楽しみにしておりますわ。エヴェリンの繁栄と、ヒイロ様の未来に、幸多からんことを」


デリアンナは再び優雅に一礼し、踵を返した。 ソフィアが慌てて頭を下げ、その後を追う。


重厚な扉が閉まるまで、デリアンナの背中からは「慈愛」のオーラが消えることはなかった。 だが、彼女が去った後の謁見の間には、まるで毒蛇が這い回った後のような、冷たく乾いた空気が澱んでいた。


「……行ったか」


ライラ団長が、大きく息を吐き出しながら剣から手を離した。 その額には、玉のような脂汗が浮かんでいる。


「斬りかかられる気配は微塵もありませんでした。……ですが、近くにずっとナイフを突きつけられているような、嫌な気配でした」


「ああ。あのアマ、顔は笑ってたが目は笑ってねぇよ」


セラ副団長が吐き捨てるように言う。


「『武力は使わない』ってのは、『武力を使わなくてもお前らを屈服させる自信がある』ってことだ。……一番タチが悪いタイプだぜ」


「同感だねえ」


魔法大臣エルドリンが、やれやれと肩をすくめた。


「『『Holy(聖)』を崇めるって言ってたけど、あれは『Holy(聖)』を自分たちの道具だと思ってる目だよ。神が人を作ったんじゃなくて、人が神を作ったと思ってる人間の目だ。うん、予定を変更しよう。まだ手の内を見せちゃだめだ。ヒイロ王子の魔道具でみんなを驚かしてやろうと思ったけど、王子が魔力を使えるようになってきてることは隠したほうが良い。」


全員が、同じ脅威を感じていたようだ。 これが、大国の外交。 笑顔で握手を求めながら、反対の手には毒入りの杯を持っている。 特にあのデリアンナという女。 信仰という名の狂気を、理性の皮で包んで提供してくる怪物だ。


「……油断はできないわ」


私は玉座から立ち上がった。 足が少し震えているのを、ドレスの裾で隠す。 怖かった。母として、ヒイロを奪われるかもしれないという恐怖が、骨の髄まで凍り付かせていた。けれど、それ以上に――あの子を「道具」として見られたことへの、焼けるような怒りが私を取り巻いていた。


私は負けなかった。 ヒイロを守るための第一陣は、凌ぎ切ったのだ。


「でも、私たちは負けない。……さあ、次は『炎盟』のお客様よ。気を引き締めなさい」


私の言葉に、全員が表情を改める。 次は、ドラコニア帝国。 「秩序の白」の次は、「暴力の炎」がやってくる。


私は一度深く深呼吸をし、次なる怪物との対面に備え、女王の仮面を被り直した。

一見優しそうな人も中身は何を考えてるか分からないものですね。

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