第67話「白と白」
大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール エテルニア大使館 / ソフィア・フォン・オルデン(エテルニア大帝国 外交官)
午後にはエヴェリン王国への謁見が控える重要な日の朝。 私はエテルニア大使館の応接室で、張り詰めた緊張感の中に身を置いていました。
「あら、そんなに緊張しなくてもよろしくてよ、ソフィアさん」
上座で紅茶を傾けるのは、今回の使節団のトップ、大司教 デリアンナ・フォン・リヒト 様。 ふんわりとした金髪に、慈愛に満ちた垂れ目。法衣貴族の伯爵家当主でありながら、どこか天然で「のほほん」とした空気を纏う、心優しい聖職者様です。
「はい、デリアンナ様。……ですが、これほどの重鎮が揃う場ですので」
私は居住まいを正し、円卓を囲む他の参加者を見渡しました。 午後からのエヴェリン王家への謁見を前に、永遠条約圏に属する各国の主要メンバーが集まり、方針を擦り合わせるための朝食会です。
私の隣には、ルナリア大公国の宰相、 ノクターナ・ディ・ステッラ 様。 その横には、アムリティン王国の外務大臣、 レイラ・ナディーム 様。 そしてさらに先の席には、モントルヴァル公国の宰相、 クロードゥィーヌ・バロ 様。
「美味しい紅茶ですこと。エヴェリンの水は、お茶を淹れるのに適していますのねぇ」
デリアンナ様がニコニコと微笑むと、アムリティンのレイラ様が優雅に応じました。
「ええ。エヴェリン王国は自然豊かで、本当に素晴らしい国ですわ。魔法と自然が調和したこの環境は、学術的にも大変興味深いです」
レイラ様は科学と魔導の先進国アムリティンの大臣らしく、理知的で美しい方です。彼女は友好的な笑みを浮かべ、続けました。
「我々としては、ぜひエヴェリン王国と仲良くさせていただきたいと考えております。……可能な限り研究活動にも協力もお願いしたいですね。特にエルフ族や妖精族の方々には、ぜひ我々の研究にご協力いただきたいですわ。彼らの持つ特性は、医学や魔導の発展に不可欠ですから」
(やはりアムリティンは研究熱心ね。他種族との交流が進めば、より良い関係が築けるかもしれないわ)
私はそう好意的に受け取りましたが、ノクターナ様は少し目を細め、話題を切り替えました。
「同感だ。我々としても、エテルニアとエヴェリンが手を取り合うことは重要だと考えている。……特に、北の『炎盟』、ドラコニア側の勢力が、ヒイロ王子にちょっかいをかけるのを阻止せねばならない」
銀白の髪を持つ美貌の宰相、ノクターナ様がティーカップを静かに置きます。
「ええ、その通りですわ~」
デリアンナ様が間延びした声で相槌を打ちます。
「困りますよねぇ、野蛮な方々が神聖な王子様に近づくなんて。……そういえばノクターナ様、ドラコニアの使節団については何かご存じ?」
「……ええ。リリス・ドラコニアが率いていることは周知の事実だが、彼女が連れている『もう一人の女』が気になるな」
ノクターナ様がポツリと言うと、デリアンナ様の動きがピタリと止まりました。
「あら。……それは気になりますねぇ」
デリアンナ様の声色は変わらず、優しいおばさまのままです。 ですが、カップを置くその所作のわずかな間と、細められた瞳の奥に、私は一瞬、背筋が凍るような冷たさを感じました。
「……ノクターナ様? そのような深いお話、どこから仕入れましたの?」
笑顔のまま固定されたデリアンナ様の問いかけ。 室内の温度が数度下がったような錯覚を覚えます。
ノクターナ様は動じることなく、肩をすくめました。
「街の酒場です。エヴェリンの騎士団員たちが飲んでいる席で、『ドラコニアの使節が連れている若い竜人に相当強いのがいる』と噂しているのを、うちの部下が小耳に挟みましてね」
ノクターナ様は口の端をわずかに上げ、デリアンナ様の様子を窺うように続けました。
「まあ! 騎士様のお話でしたか。そういえばドラコニアの竜人は強い方がたくさんいらっしゃると聞きますので注意が必要かもしれませんね」
デリアンナ様は再びふわりと笑い、空気が緩みました。 私はほっと胸を撫で下ろしました。
そのやり取りの間、モントルヴァルのクロードゥィーヌ宰相は、一言も発さず、自身の気配を必死に消すように縮こまっていました。
(彼女の国の外交官イヴェット様も、とても優秀だけど借りてきた猫のように自分を小さく見せる方でしたね。そういうお国柄なのかしら)
会議は進み、基本方針が確認されます。 すなわち、「ドラコニアの干渉を排除し、エテルニアこそがエヴェリンの友邦であると印象付けること」。
一通り話がまとまったところで、私はふと気になっていたことを口にしました。
「そういえば、デリアンナ様。本日はヴァルクール公国のノア大司教や、シーラ王国の大神殿長ジョヴァンナ様たちがいらっしゃいませんが……」
同じ永遠条約圏の仲間でありながら、この重要な場に姿が見えません。
「ああ、彼女たちなら大丈夫よ」
デリアンナ様が朗らかに答えました。
「役割分担してるのよ。ノア様やシーラの方々は、とても信心深くて平和を愛する方々でしょう? だから、エヴェリンの神殿関係者や聖職者の方々と会って、交流を深めてもらっているの」
「なるほど、宗教的な交流ですね」
「ええ、そうよ。……あ、そうだわ」
デリアンナ様が、ふと思いついたようにポンと手を打ちました。
「ソフィアちゃん。貴女、これからそちらの集まりに顔を出してきてくれないかしら?」
「えっ、私がですか?」
「ええ。私たちは午後から王宮へ行きますけど、あちらの『平和的な集まり』に、盟主であるエテルニア大帝国の人間が一人も顔を出さないのは、失礼かもしれないわ。私の名代として、貴女に行ってほしいの」
デリアンナ様は申し訳なさそうに眉を下げました。
「私はこの後も少し、皆様と詰める話がありますから。……お昼までに戻ってきてくれれば大丈夫よ。お願いできるかしら?」
「はい、もちろんです! 謹んでお受けします!」
私は大きく頷きました。 確かに、ノア大司教たちは穏健派の重鎮達として知られています。彼女たちを放置して、私たちが政治的な話ばかりしていては、結束にヒビが入るかもしれません。デリアンナ様はそこまで配慮されているのですね。
「ありがとう。じゃあ、ソフィアちゃん。早速行ってらっしゃい」
「失礼いたします」
私は席を立ち、一礼して部屋を出ました。 扉が閉まる間際、隙間からデリアンナ様を見ると、私に向かって小さく手を振ってくださっていました。
(……なんてお優しい方なのだろう)
大司教という重職にありながら、新人の私にも気さくに接し、細やかな配慮を忘れない。 私もいつか、母やデリアンナ様のような立派な女性になりたい。 そう強く思いながら、私は扉を背にしました。
ふと、閉ざされた扉を振り返ります。 中からは、もう話し声は聞こえません。
「……詰める話って、何だったんだろう?」
政治的な話は大方終わっていたはずです。まだ何か、私には難しい、宰相たちだけの複雑な調整事があるのかもしれません。
私は少しだけ感じたデジャヴに首を傾げつつ、大神殿へと向かう馬車に乗るために歩き出しました。
エテルニア大使館の重厚な扉を開け、一歩外に出た瞬間です。 真夏の強烈な陽光が、私の視界を真っ白に染め上げました。
「……っ」
それは、先ほどまで私がいた、完璧に整えられた純白の応接室と比べると、眩しくも暖かい光でした。 あまりの白さに目を細めた瞬間、ふと、背筋に冷たいものが走りました。
あの完璧な「白」で統一された部屋。 その美しさと荘厳さの裏に、私の目には見えないほど濃く、重たい「なにか」が覆っていたような……そんな錯覚を覚えたのです。 外の光が白ければ白いほど、記憶の中の部屋がどす黒い何かに覆われていくような、奇妙な感覚。
(……気のせい、ですよね)
私はその理由のない寒気を振り払うように、逃げるようにして馬車へと乗り込みました。
なんか、宗教については深入りしないようにしてますが、この神が素晴らしいと言われれば言われるほど、その神がどす黒く見える時ってありますよね......。




