第61話「周りと比べるお年頃」
大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 第3王女寝室 / セラフィナ=エヴェリン(エヴェリン王国 第三王女)
窓の外は深い藍色に沈み、王都の灯りもまばらになっていた。 先ほどまで「円卓の間」で感じていた大人たちの熱気と重圧が、嘘のように静まり返っている。
「……すー、すー……」
隣のベッドからは、妹ヴァレリアの規則正しい寝息が聞こえてくる。 彼女はあの重苦しい会議の後だというのに、部屋に戻るなりベッドにダイブして、数分もしないうちに夢の世界へ旅立ってしまった。 7歳という年齢もあるけれど、あの「気にしない」図太さは、ある意味で才能だと思う。
(……羨ましいな)
私は膝を抱え、ため息をついた。眠れない。 瞼を閉じても、今日の会議で飛び交っていた言葉たちが、頭の中で渦を巻いて消えないのだ。
エヴェリン王国の王族は、10歳になると個室を与えられる。 だから12歳のクラリス姉さんと、10歳のルミナ姉さんには、それぞれの部屋がある。
( ……もっとも、ルミナ姉さんは「自分の部屋よりも良い研究機材があるから!」と言って、魔法省にあるエルドリン様の研究室に泊まり込んでいるらしいけれど)
そして、生まれたばかりのヒイロは男の子だから、特別な警備体制の敷かれたあの部屋にいる。 だから今、この子供部屋にいるのは、私とヴァレリアだけだ。
(姉さんたちは、すごい……)
暗闇の中で、どうしても比べてしまう。 クラリス姉さんは『Crown(冠)』のWordを持ち、次期女王としての威厳をすでに身につけている。今日の会議でも、的確に意見を述べていた。 ルミナ姉さんは『Scale(秤)』のWordを持ち、魔法研究の天才として大人たちと対等に渡り合っている。 そして、ヒイロは『Holy(聖)』。生まれたばかりなのに、世界の中心にいる。
(それに比べて、私は……)
私には、Wordがない。魔力量だって、王族としては「多い」けれど、ルミナ姉さんやヒイロのような規格外ではない。 母上からは「自分の長所を伸ばしなさい」と言われているけれど、私の長所って何だろう。 本を読むのが好きなこと? 知識を蓄えること? でも、それは「私だからできること」なのだろうか。
『各国の怪物揃い』と評される来訪者たち。 エテルニアの謀略、ドラコニアの武力。 あんな大人たちが集まる場所で、何の力も持たない私が、ヒイロの役に立てる日が来るのだろうか。
「……だめだ、眠れない」
私はそっとベッドを抜け出し、窓際の椅子に座った。 サイドテーブルにある魔導具に触れると、部屋全体にふわりと柔らかい光が広がる。 私は読みかけの本を開いた。
それは、難しい兵法書でも、魔法理論書でもない。 ただの冒険小説だ。 主人公が知恵と勇気で困難を乗り越え、宝物を手に入れる物語。
ページをめくり本を読むと、平坦な紙に書かれた文字のはずなのに、鮮明な映像となって頭の中に広がる。 私はこの瞬間が好きだ。 自分が無力な子供であることを忘れ、物語の世界の住人になれる。 剣を持たなくても、魔法が使えなくても、ここなら私はどこへでも行ける。
コン、コン。
不意に、控えめなノックの音が響いた。 ビクリとして顔を上げると、ドアが音もなく開き、一人の女性が入ってきた。
「……まだ起きていたのね、セラフィナ」
「お祖母様……」
先代女王、エリシアお祖母様だった。 寝間着の上にショールを羽織り、優しい笑みを浮かべている。
「遅い時間に窓から明かりが見えたから、気になってね。……眠れないのかい?」
「……はい。ごめんなさい、ご心配をおかけしました」
「いいのよ。ヴァレリアは……ふふ、あの子らしい寝相ね」
お祖母様は、布団を蹴飛ばして大の字で寝ているヴァレリアを見てくすりと笑い、私の向かいの椅子に腰かけた。
「……何を読んでいるの?」
「あ……小説です。勉強の本じゃなくて、ごめんなさい」
私は慌てて表紙を隠そうとしたが、お祖母様は首を横に振った。
「謝ることはないわ。物語は心の栄養よ。……でも、こんな時間に物語を読みたくなるほど、何か悩みがあるのかしら?」
お祖母様の穏やかな瞳に見つめられ、私は隠していた気持ちが溢れてくるのを止められなかった。
「……私、自分が無力に思えるんです」
ポツリ、ポツリと、私は言葉を紡いだ。 クラリス姉さんやルミナ姉さんのようにWordがないこと。 ヒイロのように特別な力もないこと。 ただ本が好きなだけで、王族として何の役にも立てないんじゃないかという不安。
お祖母様は、私の話を最後まで黙って聞いてくれた。 そして、私の手が震え止まったのを見て、静かに口を開いた。
「分かるわ、その気持ち。……私も、そして貴女の母であるアウローラも、Wordを持っていないから」
「……はい」
私は顔を上げた。お祖母様とお母様にWordがないことは知っている。 偉大な先代女王と、現女王。二人ともWordを持たずに国を導いてきた。
「みんな通る道ね。周りは才能ある者ばかりで、自分には何もないって思ってしまう。……でもね、セラフィナ。Wordや才能が全てじゃないのよ」
お祖母様は窓の外、星空を見上げながら、懐かしそうに目を細めた。
「昔話をしましょうか。……私がまだ若く、今の貴女のように自分の無力さに悩んでいた頃の話よ」
お祖母様は、遠い異国の話をしてくれた。
「北の果て、武力を尊ぶアスラ連邦に、一人の女戦士がいたわ。彼女はWordを持たず、魔力量もとても少なかった。周りの戦士たちは、彼女を『持たざる者』と嘲笑っていたそうよ」
「Wordも、魔力もない戦士……。それは、辛いでしょうね……」
力こそ正義のアスラ連邦で、それはどれほど過酷なことか。私は胸が痛くなった。
「ええ。でもね、彼女は諦めなかった。誰よりも体を鍛え、誰よりも技を磨き、誰よりも相手を観察した。……そして、アスラ連邦で数多く開かれる武闘会で、彼女は何年もの間、どの大会でもWordを持つ猛者や、膨大な魔力を持つ戦士たちを次々と打ち倒し、上位に君臨し続けたの」
「えっ……Wordを持つ相手に、勝ち続けたのですか?」
私の心臓が、ドクンと跳ねた。
「私はその話を聞いて、どうしてもその人に会ってみたくなった。招待状を出すと、彼女は遠いエヴェリンまで来てくれたわ。……今では、騎士たちに武術を教える先生になってくれているけれど、私にとっては戦士としてよりは、一人の友人ね」
(……そういえば)
私は記憶の糸を手繰り寄せた。 以前、中庭の家庭菜園でお祖母様が楽しそうに話していた相手。 小柄だけれど、岩のような存在感を放つ獣人のお婆さん。 騎士団の人たちが、遠巻きに敬意を払って見ていたあの人だろうか。
「彼女は、私にこう言ったわ。『生まれた時に持っていなかったことを、負ける理由にしたくない』って」
お祖母様は、私に向き直った。
「そして、『最後に必ず自分が望む姿になれると信じていたら、本当にそうなる』とも。……その言葉を聞いて、私は女王を続ける勇気が出たの。Wordがなくても、私には私の戦い方があるはずだって」
お祖母様の言葉が、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。 生まれた時に持っていなかったもの。 それは変えられない。 でも、それを理由に諦める必要はない。
「セラフィナ。お祖母ちゃんとして、貴女に二つ、助言をするわ」
お祖母様は、私の頭に手を置いた。その手は温かく、大きかった。
「一つ目は、『人と自分を比べないこと』。貴女はクラリスでもルミナでもない。貴女はセラフィナよ。貴女だけの物語を歩みなさい」
「……はい」
「そして二つ目は、『自分に勇気をくれる人を見つけること』。私にとってのその戦士のように、貴女の背中を押してくれる誰かに出会いなさい」
お祖母様は、私の手元にある本を指さした。
「貴女は本が好きね。それは素晴らしい才能よ。本の中には、世界中の知識と、まだ見ぬ景色が詰まっている。……まだまだ色んなことに出会える年齢なのだから、本の中だけじゃなく、色んなところに行ってみてごらんなさい。きっと、貴女だけの『強さ』が見つかるはずよ」
「私だけの……強さ」
「ええ。知識は、時に剣よりも強く国を守るわ。……さあ、そろそろお休み」
お祖母様は椅子から立ち上がると、私をベッドへと促した。 布団に入ると、お祖母様は部屋を出ていくことなく、私が目を閉じるまで傍でトントンと優しく肩を叩いてくれた。
(人と比べないこと。勇気をくれる人を見つけること……)
瞼の裏に、今日の円卓の間で見たヒイロの顔が浮かんだ。 まだ赤ちゃんなのに、大人たちの議論をじっと聞いていたあの瞳。 彼を守りたい。 そのためには、私は何ができるだろう。
(もっと、本を読もう。もっと、どこかに行こう。もっと、知ろう)
いつか、私の知識がヒイロの助けになる日が来るかもしれない。 Wordを持たないお祖母様やあの戦士が運命を切り開いたように、私も私の道を見つけよう。
お祖母様のリズム良い手のひらの感触に包まれながら、私は深い眠りへと落ちていった。 夢の中では、私はもう、誰とも比べていなかった。
先代女王エリシアがとても好きです。こういうお婆さんキャラをうまく描けるようになりたい!!




