第59話「エヴェリンとエテルニアの関係」
大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 王宮応接室 / ヘルガ・シュミットハウゼン
(……やれやれ。とんだ貧乏くじを引かされたもんだよ)
エヴェリン王国の重鎮たちが並ぶ円卓の末席で、私は内心で盛大なため息をついた。 事の発端は数日前。エテルニア大帝国の新人外交官、ソフィア・フォン・オルデンが私の商会に駆け込んできたことだ。
彼女は目をキラキラと輝かせ、私の手を握りしめてこう言ったのだ。 『先日はありがとうございました。ヘルガ様! イヴェット様!貴女達のような外交の達人にこそ、この役職はふさわしいのです! どうか私の補佐として、その知見をお貸しください!』
宰相の娘とは思えないほどの純粋な尊敬の眼差し。 「国益のために従え」と脅されるなら突っぱねることもできたが、「貴女達を尊敬しています、貴女達が必要なのです」と純粋な善意で頼られてしまっては、年長者として無下にはできない。 結果、私とイヴェットは『永遠条約圏 エヴェリン駐在大使・臨時補佐役』なる、面倒な肩書を背負う羽目になった。
(まあ、私一人じゃ荷が重いが……こいつがいれば何とかなるか)
私は隣に座る小柄な女性――モントルヴァル公国の外交官、イヴェット・カンガを横目で見た。彼女は緊張で少し顔を強張らせているが、その目は据わっている。
目の前には、そうそうたる顔ぶれが揃っていた。 宰相リリア、工業大臣ナムルー、外務大臣ミラナ。さらに魔法大臣エルドリンと副大臣アルバーヌ。そして、この国の第二王女であり天才と名高いルミナ様まで顔を揃えている。
「……本日は、このような場を設けていただき、感謝いたします」
ソフィアが立ち上がり、深々と頭を下げた。
「まずは、ヒイロ殿下のご誕生、ならびに『Holy(聖)』のWordを授かりましたこと、心よりお祝い申し上げます」
ソフィアの言葉に、宰相リリアが静かに頷いた。
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。……ですが、堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」
リリアはふっと口元を緩めた。
「そちらの事情は、ナムルー大臣経由で聞いておりますわ。『聖戦のフリ』をして恩を売るのではなく、正直に腹を割って話したい、と」
「……はい」
「ここまで正直に、あっけらかんと話を持ってこられるとは思いませんでしたわ。普通、外交というものはもっと腹の探り合いをするものですから」
リリアの言葉に、ナムルーが豪快に笑った。
「はっはっは! ソフィア殿は新人らしいが、頼る相手を正しく理解していたってことさ。なぁ、イヴェット?」
「は、はい……。正直が一番やと思いまして……」
イヴェットが恐縮して頭を下げる。ナムルーとイヴェットの信頼関係が、この場の空気を和らげている。
外務大臣のミラナが、扇子をパチンと閉じて口を開いた。
「外交官としては……正直、『聖戦のフリ』とかをしてくれた方が、こちらとしては楽でしたのよ?」
ミラナの視線が、私とイヴェットを射抜く。
「理不尽な要求であれば、毅然とお断りすればいいだけですもの。……ですが、ここまで正直に、誠意を持って来られると、こちらも誠意を持って対応しなければなりません。外交的には、こちらの方がよほど『面倒』で、厄介ですわね」
その言葉は皮肉めいていたが、瞳の奥には好意的な光があった。
「……はい。正直に申し上げます」
ソフィアが顔を上げ、切実な声で言った。
「エテルニアは宗教国家です。『Holy(聖)』というWordに対し、国中で過剰反応が起きています。教義の根幹に関わる言葉が、他国の、それも男性に宿ったことに、上層部は混乱し、疑心暗鬼に陥っているのが事実です」
隠そうともしない本音。それが逆に、彼女の言葉の信用性を高めていた。
「なら、話は早いねぇ」
ナムルーが身を乗り出し、職人らしいべらんめえ口調で言った。
「情報を遮断して『エテルニアが何をしでかすか分からない』なんて状況より、いっそ『エテルニア側にも協力してもらって、ヒイロ様のWordについて調べる』って方が、ウチらにとってもメリットがある話になり得るってもんさ」
「僕も賛成だよ~」
それまでお菓子をつまんでいた魔法大臣エルドリンが、ひらひらと手を振った。
「『Holy(聖)』なんて特殊なWord、エヴェリンには前例がないからね。エテルニアの持っている宗教的な文献や学術知識は喉から手が出るほど欲しいかな」
「ボクも賛成! 知りたいことがいっぱいあるんだ!」
隣に座っていた第二王女ルミナ様も、目を輝かせて身を乗り出した。10歳の少女だが、その瞳は研究者のそれだ。
「ただ、条件があるよ」
エルドリンの目が、スッと細められた。妖精族特有の、底冷えするような冷徹さが顔を覗かせる。
「研究場所はエヴェリン内部とすること。研究内容の決定権はエヴェリンが持つこと。あくまで『研究協力』にとどめること」
エルドリンはソフィアを真っ直ぐに見据えた。
「そして絶対に……ヒイロ君を、人体実験の道具になんかはさせないからね」
アムリティン王国などで行われている非人道的な実験。それを念頭に置いた釘刺しだ。
ソフィアは即座に頷いた。
「もちろんです! そのようなことは、神の教えに背く行為です。……逆に、何か役立つ文献や、必要な人材がいれば、できる限り協力したいと考えています」
「なら、交渉成立だね」
エルドリンはニッコリと笑い、リリアとミラナの方を向いた。
「魔法省の研究部門責任者としては、協力関係は歓迎だよ。特にエテルニアが所有しているであろう『Holy(聖)』に類似する神聖魔法やWordに関する資料、それらを研究している専門家との繋がりはすぐにでも欲しいかな」
「うんうん!魔法省の文献だと研究結果とか事実に基づくものばかりで『Holy(聖)』っぽい文献が少なすぎるんだよぉ」
ルミナ様も嬉しそうだ。だが、この二人は研究者らしく交渉の駆け引きをしないタイプだな。
方針は固まった。 宰相リリアが、羽根ペンを手に取った。
「では、私からソフィア殿宛に、公式な書簡を作成しましょう」
リリアは羊皮紙にさらさらと文字を走らせる。
「『エヴェリン王国は、エテルニア大帝国と友好的な協力関係を築くことを望む。特に、ヒイロ王子のWordに関する調査については、エテルニアの研究協力を得て進めることとする』……これでよろしいかしら?」
それは、ソフィアにとって最強の武器となる「お墨付き」だった。 これがあれば、本国に対して「エヴェリンを取り込んだ」とも報告できるし、過激派を抑え込む大義名分にもなる。
「……ありがとうございます!」
ソフィアが感極まったように声を上げ、私とイヴェットも深く頭を下げた。
「感謝するよ、リリア殿。これで私たちも、本国に顔が立つ」
一通りの合意形成が終わった頃、ミラナがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、来週の『顔見世パーティ(国外向け)』には、エテルニアからはデリアンナ・フォン・リヒト大司教と、ソフィアさんが参加されるのよね?」
「はい。デリアンナ様と共に参ります」
「私はお会いしたことがないのだけど……デリアンナさんって、どんな方なのかしら?」
ミラナの問いに、ソフィアは瞳を輝かせて答えた。
「とても清廉で、素晴らしい方です! 大司教という高い地位にありながら、決して偉ぶることなく、いつも穏やかな微笑みを絶やさない……まさに聖職者の鑑のような女性です。法衣貴族の伯爵家の当主としても立派で、少し天然なところもあって、癒されるというか……」
ソフィアの言葉を聞きながら、私は内心で冷や汗をかいた。
(……お嬢ちゃん、あんた何も知らされてないのかい)
デリアンナ・フォン・リヒト。表向きは清廉な大司教だが、その裏の顔はエテルニア諜報組織のトップだ。 のほほんとした天然系の優しい女性......? 冗談じゃない。冷徹で酷薄な底冷えするような眼差しをする女だぞ。
ミラナとリリアが一瞬だけ視線を交わしたのを、私は見逃さなかった。エヴェリン側は、デリアンナの正体を知っている。その上で、ソフィアの無知な反応を見て、彼女が「国の暗部」からは蚊帳の外に置かれていることを察したのだろう。
「……そう。お会いするのが楽しみだわ」
ミラナは意味深に微笑み、視線を私とイヴェットに向けた。
「ヘルガさんとイヴェットさんも、来週はよろしくね。……ところで、モントルヴァルからは宰相のクロードゥィーヌ・バロ様がいらっしゃると聞いたけれど、彼女はどういう方?」
「クロードゥィーヌですか……」
私は肩をすくめた。
「一言で言えば、良識のある苦労人だね。芸術家肌の国王と、無理難題を言ってくる宗主国の板挟みになりながら、必死に国を回している実務家さ。……話は通じる相手だよ」
「なるほど。そういう人なら安心ね」
ミラナが満足げに頷く。
「では、本日はこれまでとしましょう」
リリアが締めくくった。
「ヒイロの存在が、争いの火種ではなく、平和や友好に繋がることを願っています」
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王宮を出ると、外はもう夕暮れ時だった。
「やりましたね! ヘルガ様、イヴェット様!」
ソフィアは喜びを爆発させ、私たちの手を取った。
「すぐに大使館に戻り、母に報告書を送ります! これで、平和的な解決への道が開けました!」
「ああ、よくやったね。報告、頼んだよ」
私が言うと、ソフィアは「はい!」と元気よく返事をし、足取り軽くエテルニア大使館の馬車へと乗り込んでいった。 彼女を乗せた馬車が石畳を遠ざかっていくのを見送り、私はふぅ、と息を吐き出した。
「……さて、我々も行こうか」
私は待たせていたシュミットハウゼン商会の馬車に顎をしゃくった。 イヴェットと共に馬車に乗り込み、扉が閉められる。 外部の目が遮断された密室で、馬車が動き出すと同時に、私は先ほどまでの「補佐役」の顔を脱ぎ捨てた。
「……イヴェット。来週の顔見世は下手な真似はできないよ」
「そうですね……」
イヴェットが来週の参加者を想像して遠い目をしている。私は窓の外を睨んだまま首を横に振った。
「エヴェリン関連の人脈や協力者も増えてきたが、この顔見世には各国から善人にしろ悪人にしろ、一筋縄ではいかない有力者が集まる」
「もう、なるようにしかならんですわ……。ソフィアちゃん大丈夫なんですかね」
「ソフィアのことは、デリアンナに任せておけばいい。あの女なら、ソフィアを守りつつ利用して上手く立ち回るだろうさ」
私は声を潜め、イヴェットを見据えた。
「問題は、我々だ。……我々が必死にならなきゃいけないのは、モントルヴァル公国の立場を危うくしないこと。最優先はクロードゥィーヌのサポートだ」
「宰相閣下の……ですか?」
「ああ。あの苦労人が、各国の怪物たちに揉まれて胃に穴をあけないようにね。……モントルヴァルの未来のためにも、しっかり働くんだよ」
「うへぇ……また胃薬がいりそうですねぇ」
イヴェットがげんなりした顔をする。 だが、その目には以前のような怯えはない。
大国同士の軋轢の中で、したたかに生き残る道筋。 細く、険しい道だが、私たちは一歩ずつ進んでいくしかないのだ。
たまにいますよね。相手が危ない人と知らずに普通に付き合っちゃう人。
大学生くらいが一番注意しないといけないのが「危ない人との人間関係」ですね。巻き込まれると大抵ろくなことがありません。君子危うきに近寄らずです。




