第115話「神聖の源」
大陸歴 2792年 2月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 魔法省研究室 / ソフィア・フォン・オルデン(エテルニア大帝国 外交官 19歳 女性)
エヴェリン王国魔法省の最奥。 魔法大臣エルドリン・シルヴァ閣下の専用研究室は、神聖という言葉から最も遠い、魔導具と計測器が雑然と積み上げられた混沌の空間でした。
「皆様。本日は我がエテルニア大帝国が誇る神聖なるものをお持ちいたしました」
私は恭しく、持参した古い木箱の蓋を開けました。 エテルニア本国から苦労して取り寄せた、数百年前に起きた奇跡を証明する『聖遺物』、そして古い時代の『奇跡の伝承』が記された神学の研究書や古文書の数々。ヒイロ殿下の持つ『Holy(聖)』の謎を解き明かす共同研究のため、エテルニアは慈愛を持ってこれらを提供したのです。
「おお! これがエテルニアの聖遺物だね!」
第二王女であるルミナ殿下が目を輝かせて身を乗り出します。 その隣では、第三王女のセラフィナ殿下が分厚いノートを小脇に抱え、魔法大臣のエルドリン閣下も妖精の羽をパタパタと揺らして興味津々の様子でした。副大臣のアルバーヌ・ド・ヴェルナ様は、少し離れたところで記録用の羽根ペンを構えています。
「まずはこちらです。古代の聖女が不毛の荒野で三日三晩祈りを捧げた際、大地から清らかな泉が湧き出し、病に苦しむ人々を癒したとされる奇跡の証。『癒しの泉の霊石』です」
私は胸を張って、小箱に入った青白い石をお見せしました。 薄暗い研究室で、それは確かに神秘的な光を放っています。皆様、きっと神の恩寵に感動されるはずと私は期待に胸を膨らませていました。
ルミナ殿下が石を手に取り、まじまじと見つめます。
「へえ、綺麗だね。どれどれ、『Scale(秤)』で魔力の揺らぎを測ってみようか」
ルミナ殿下は右手をかざし、目を細めました。彼女のWordである『秤』による精密な魔力解析が始まります。数秒後、彼女はあっけらかんと言い放ちました。
「うん、これただの多孔質の石英だね」
私は自分の耳を疑いました。
「表面に発光性の苔の残骸が微量に付着していて、石の中の微細な魔力の淀みと反応して光っているように見えているだけだよ。ヒイロの『Holy(聖)』の魔力の性質とは全然違うね」
「本当だねぇ。地下水脈が周期的に噴出した自然現象を、祈りの力だって勘違いしちゃったか、あるいは後付けで箔をつけるために適当な伝承を作っちゃったのかな」
エルドリン閣下が、ルーペで石を覗き込みながら身も蓋もないことを言います。
「で、ではこちらはいかがでしょう! 聖者ルキウスが奇跡を起こした際に身に纏っていたとされる聖なる衣です!」
私は別の木箱から、大切に保管されていた布を取り出しました。
ルミナ殿下は一瞥しただけで、容赦なく断言しました。
「うーん、これ、ただのボロボロの麻布だね。聖なる気配はおろか、魔力の痕跡も残ってないよ。ただ古いだけの布切れだね」
「そ、そんな......」
私が抗議の声を上げようとしたその時、少し離れた場所からセラフィナ殿下の落ち着いた声が響きました。
「ソフィアさん。こちらの『信仰と恩寵の考察』という神学研究の資料。非常に興味深いですね」
見れば、セラフィナ殿下とアルバーヌ様が、私が持参した分厚い神学の研究書にすっかり読み耽っていました。
アルバーヌ様がノートに羽ペンを走らせながら深く頷きます。
「ええ。遺物そのものは単なる水晶やボロボロの布にすぎないようですが、この神学研究の緻密さは素晴らしい。人がどのようにして神聖という概念を定義し、集団として信仰を形成していくのか、極めて論理的に分析されています」
「個々の祈りが集団に伝播していく過程の記述が秀逸ですね。信仰を起点とした心理と社会の統制について、大変参考になりますね」
セラフィナ殿下も本から目を上げずに会話しています。
私は複雑な気持ちになりました。 私が幼い頃から信じ、信仰してきた奇跡の数々が、エヴェリン王国の誇る研究者たちの手によって、分析という刃で容赦なく切り裂かれていく一方で、神学の資料は、純粋な宗教観や社会分析の書物として高く評価されていました。
この光景を見て、私は『エテルナ教を信じている者達の研究』と、『誰もエテルナ教を信じていない状況での研究』は全く違うものだと実感しました。
「ごめんね、ソフィアお姉ちゃん」
ルミナ殿下が申し訳なさそうに私の顔を覗き込んできました。
「奇跡を馬鹿にしているわけじゃないんだよ。ただ、ヒイロの『Holy(聖)』は、本当に現象として魔力を拡張させる力を持っているから、本物の魔力の痕跡と比較したかったんだ。でも、どれもヒイロの性質とは違ったみたい」
私は深く息を吐き、外交官としての、そして研究協力者としての理性を総動員して立ち直りました。ここは研究室です。信仰を押し付ける場所ではありません。
「ルミナ殿下の仰る通りですわね。ヒイロ殿下の『Holy(聖)』は、神殿のような神聖な場所や、人々の祈りに共鳴して魔力を高める特性がある。それは先日の儀式でルミナ殿下が測定されていました」
私は気を取り直し、話題を本筋に戻しました。
「そう。だからこそ、ボクは知りたいんだ」
ルミナ殿下は、真剣な探求者の顔つきになり、私を見つめました。
「ねえ、ソフィアお姉ちゃん。アルバーヌお姉ちゃんたちが読んでいる本にも書いてあるみたいだけど。人がこれは神の奇跡だとか、これは聖なるものだって心の底から強く感じる時って、具体的にどんな時なの?」
その鋭い問いに、私は虚を突かれました。
「どんな時、ですか?」
「うん。ただ光る石を見たり、珍しい現象を見ただけじゃ、不思議だねで終わるでしょ? 人の感情がどう動いた時に、それが単なる驚きじゃなくて、ヒイロの魔力を増幅させるような強い祈りや信仰に変わるのか。宗教の本場であるエテルニアの人たちは、どういう条件でそれを感じるの?」
魔法や物理法則の枠を超えて、人の心の動きそのものを発動条件として定義しようとしているのです。 私は、エテルニアの教えや、大聖堂で祈る信徒たちの姿を思い浮かべ、そして自分自身の心の奥底にある感情を探りました。
「そうですね。人が最も神聖なものを感じる時」
私はゆっくりと、言葉を紡ぎました。
「最初の人は、どうやって産まれたのか? 私達の原初。そこが、聖なる神秘の根源ではないでしょうか」
「原初、ですか」
アルバーヌ様が本から目を上げて静かに問い返します。
「はい。エテルナ教にもいくつかの宗派はありますし、世界各地には様々な土着の信仰があります。ですが、どのような教えであっても『生命の起源』に触れていない信仰は無いような気がします。命が生まれ、育まれ、繋がっていく。その不可思議な営みこそが、人が最も神聖なものを感じる時なのだと思います」
その言葉を口にした瞬間、ルミナ殿下の瞳がパァッと輝きました。
「なるほど! 確かに『生命の神秘』とかってよく言うよね!」
「本当だねぇ。僕たち妖精族も、命の循環を一番神聖なものとして尊んでいるし。命の始まりっていうのは、どんな魔法よりも不思議で、根源的な力に満ちている」
エルドリン閣下も、深く頷きながら賛同します。
「そっか! ヒイロの『Holy(聖)』は、ただ神聖な言葉に反応するんじゃない。人々が『命ってすごい』って感動したり、新しい命の成長を祈ったりする。その強い想いや生命の輝きそのものに共鳴しているんだ!」
ルミナ殿下の言葉に、アルバーヌ様がハッとしたようにノートから顔を上げました。
「先日の神殿での儀式は、まさに『一歳を迎えた子供たちの健やかな成長を祈る』場でした。その場に満ちていた生命への純粋な祝福が、ヒイロ様の魔力を極限まで高めたのですね」
その結論に至った時、私の脳裏に電撃のような閃きが走りました。
命の原初。生命の神秘そのものに共鳴し、力を引き出す。
ヒイロ殿下が放つ、すべてを包み込むような温かな魔力。それはまるで、母の胎内にいるような、あるいは命そのものを祝福するような光だったと聞きます。 もし彼の力が、人々が命を慈しむ思いに呼応して無限に広がるのだとしたら。それは、神がこの世界と最初の命を創り出した時の、原初の奇跡に等しい力です。
私は戦慄していました。 ヒイロ・エヴェリン。彼は、宗教という枠組みすら超えた、命そのものを肯定し、力を与える存在なのだと。
「そっか! つまり、新しい命が生まれる場面や、命の成長を祝うようなお祭りの中心にヒイロを連れて行けば、あの現象がまた起きるか確かめられるってことだね!」
沈黙を破ったのは、ルミナ殿下の明るい歓声でした。
「そういうことか! 最高の仮説だよソフィアちゃん! よーし、じゃあすぐに子供が産まれるところにヒイロを連れて行こう!! 子供が産まれそうな妊婦を探さなきゃ!!」
エルドリン閣下が興奮して妖精の羽を激しく羽ばたかせますが、アルバーヌ様が冷ややかな声でピシャリと止めました。
「大臣。いくらなんでも出産を控えた妊婦の元へ赤ん坊のヒイロ様を連れ込むなど、非常識にもほどがあります。却下です」
「ええー、でも一番確実なデータが取れそうじゃないか」
「はぁ……。検証を行うにしても、ヒイロ様と周囲の安全が完全に確保できる常識的な範囲でお願いしますよ」
アルバーヌ様が深くため息をつくと、セラフィナ殿下が素早くノートにペンを走らせながら顔を上げました。
「アルバーヌさん。我が国だけではなく、光の同盟諸国にも、生命の誕生や成長に関する特有の儀式や研究がないか、至急問い合わせの手配をお願いできますか。何か役立つ情報があれば、すぐに教えてもらえるようにしましょう」
「承知いたしました。各国の外交官を通じてすぐに手配いたします」
「じゃあボク、安全な検証の計画書を作るね! あ、待って。もしかしたらこの遺物もさ」
ルミナ殿下は、テーブルの上に置かれた『癒しの泉の霊石』や『聖者の衣』を指差しました。
「ボクたちの魔力や測定器だとただの石や布切れだけど、ヒイロが見て『昔の人の祈り』とか『命を救おうとした思い』を感じたら、何か効果があるかもしれないよ?」
「確かに! ヒイロ君の『Holy(聖)』の力なら、微かな祈りの痕跡に共鳴する可能性はゼロじゃない。持っていくか!」
エルドリン閣下が羽を広げながら明るい声を出しました。
「ヒイロは今頃はちょうどお昼寝から目覚める時間のはずです。これから皆様で向かえば、すぐに検証できますね」
セラフィナ殿下も素早くノートを閉じ、立ち上がりました。
私は、その温かくも熱意に満ちたやり取りを呆然と見つめていました。 エヴェリン王国。なんて真っすぐで、そして懐の深い国なのでしょう。大国の思惑や宗教の対立など意に介さず、ただ純粋に「未知」を紐解こうとする彼らの姿は、ひどく眩しく見えました。
「さあ、ソフィアお姉ちゃんも一緒に行こう! ヒイロの反応が楽しみだね!」
ルミナ殿下に手を引かれ、私は聖なる御子の待つ部屋へと向かいました。
歴史を学ぶと宗教がいかに人に影響を与えてきたのかが分かります。
宗教の分け方には様々な切り口がありますが、一神教にせよ多神教にせよ、生命の誕生をその宗教の重要な要素にしていると感じます。
その捉え方がアダムとイブなのか、至高神が創造した存在か、「地味」を食べたところからなのか、事実がどうとか科学的な話は置いといて、それらが現代に続くまで紡がれていることも宗教の力の強さだと思います。




