第114話「職人国家の生き残り戦略」
大陸歴 2792年 2月 / エヴェリン王国 新港 シュミットハウゼン商会 事務所 / ヘルガ・シュミットハウゼン(モントルヴァル公国 大商人 69歳 女性)
潮の香りを孕んだ鋭い冬の風が、事務所の分厚い窓ガラスをガタガタと激しく揺らしている。 私、ヘルガ・シュミットハウゼンは、エヴェリン王国に建設されたばかりの『新港』の一等地にそびえ立つ、真新しい自社倉庫兼事務所の窓から、鉛色の冬の海をじっと眺めていた。
手元のティーカップから立ち上る湯気を吸い込み、私は深く、長く息を吐き出した。
(本当に、この半年は目が回るほどの激動だったねぇ)
昨年の夏、ヒイロ王子の顔見世パーティで秘密裏に結ばれた三国間の密貿易同盟。そこから、私の商会を取り巻く世界は信じられない速度で動き始めた。 とりわけ、我がモントルヴァル公国の若き外交官、イヴェット・カンガの活躍には今思い出しても舌を巻く。
あの日、あの小娘が顔見世の夜に、炎盟の重鎮であるモンタリア王国の第一王妃アストラと技術論で意気投合し、私の親友であるゲルダを「技術顧問」として我が国へ引っ張ってくる約束を取り付けたのは、まさに歴史的な大金星だった。 ヴァルクール公国とドラコニア帝国の間で戦争の火蓋が切られる前に、あの場で他陣営の重要人物への根回しを済ませておいたのは、奇跡的なまでの好手と言える。
さらに言えば、今私が立っているこの一等地の巨大な倉庫と専用の船着き場も、アイツの機転と提案がエヴェリン王国の商業大臣の目に留まったおかげで得られた利権だ。
(あの娘には、いくら特別ボーナスを積んでも足りないくらいさ。次に会ったら美味い飯でも奢ってやらなきゃね)
私は窓の外、荒波をかき分けて港に近づいてくる一隻の大型船を見つけ、重い腰を上げた。
本当なら、技術顧問として招いたゲルダは昨年の年末にはこのエヴェリンに到着し、私と合流する予定だったのだ。だが、大規模に勃発した戦争の影響で物流や人の移動に厳しい制限がかかり、到着が遅れに遅れていた。 しかし、ついに今日、待ちに待った親友を乗せた船がモンタリアからこの新港に到着する。70歳を目前にした老体には少し堪える冷え込みだが、それ以上に彼女に早く会いたい気持ちが勝り、私は足取りも軽く立ち上がった。
「そろそろ、迎えに行くかね」
私は厚手の外套を羽織り、いそいそと港の桟橋へと歩き出した。 外に出ると、冷たい海風が容赦なく頬を叩く。船から太いタラップが下ろされ、長旅に疲れた様子の乗客たちが次々と降りてきた。
その中に、背中に自分の背丈ほどもある大きな工具袋を背負い、ドワーフ族特有の小柄でがっしりとした体格の老婆の姿を見つけた。
「おーい! ヘルガやないか!」
彼女は私を見るなり、顔の深い皺をくしゃくしゃにしてニカッと笑い、短い足でドタドタと駆け寄ってきた。
「ゲルダ!」
私たちは歩み寄り、シワだらけの手でがっちりと握手を交わし、そのまま力強く抱き合った。ドワーフの硬い筋肉と分厚い外套の感触が、たまらなく懐かしい。
「無事に着いてよかったよ。本当に、待ちくたびれたじゃないか」
「堪忍な。ウチも早く来たかったんやけど、なんやかんやで足止め食ろてしもうて。いやぁ、しっかしあんた、ええ顔しとるなぁ。なんか涙が出そうやわ」
ゲルダがゴシゴシと目尻を拭うのを見て、私の視界も少しだけ滲んだ。お互い、年を取って涙もろくなったものだ。
「立ち話もなんだ。冷えるからね、事務所に入って温かいものでも飲みながら話そう」
私は彼女の背中を叩き、自慢の真新しい事務所へと案内した。
「へえー! これがヘルガの新港の倉庫か! めっちゃデカいやんけ! さすが一代で大商会を築き上げた女傑やな、異国のエヴェリンでもこんな大成功しててウチも鼻が高いわ!」
温かい茶を出されると、ゲルダは工具袋を下ろし、我が事のように嬉しそうに目を細めて部屋の中を見回した。
「よしておくれよ、古い馴染みにそんな風に褒められるとくすぐったいじゃないか。まあ、おかげさまで商売は順調そのものさ。で、そっちはどうだったんだい? ヴァルクールと戦争になった影響は大きかったかい?」
私が照れ隠しに笑いながら向かいの席に座って尋ねると、ゲルダは真面目な顔になり、出された茶を一口飲んだ。
「せやな。ヴァルクールの奇襲と大要塞の陥落の影響で、ドラコニア西部はアホみたいに大量の武器や物資が求められとってな。ウチらモンタリアの工房も、連日フル稼働でウチみたいな引退組まで総出で引っ張られて大忙しやったわ。おまけに、今回の戦で名を上げたいっちゅう血の気の多い連中が、炎盟中から西部に大移動したみたいでな」
ゲルダは肩をすくめ、呆れたように首を振る。
「ウチはトルヴァード連邦を経由して海路で来たから、そこまでガチガチの警戒体制やなかったんやけど。むしろドラコニア本国の方で、第一王女カリナと第二王女カラリスの派閥がバチバチやり合っとって、その激突を警戒しての移動制限の方がよっぽど厄介やったで」
「なるほどねぇ。女帝の跡目争いも、いよいよ本格化してきたってわけか」
私は腕を組み、小さく息を吐いた。大国の内乱は、周辺諸国にとって絶好の商機であると同時に、巻き込まれればすべてを失う巨大なリスクでもある。
「そっちはどうなん? ヘルガ。エテルニア側も、だいぶキナ臭いんちゃうか?」
ゲルダの問いに、私は表情を引き締め、手元のカップをテーブルに置いた。
「ああ。ヴァルクール軍の大勝利の報せに、永遠条約圏中で称賛の嵐さ。エテルニア本国からはアデリナ枢機卿が、功績を讃えるためにヴァルクールへ訪問までしたそうだよ」
「うわぁ。それ、絶対に調子乗るやつやん」
「その通りさ。こっち側も、炎盟側と全く同じ状況になってるね。この機に乗じて功績を上げたい武官たちが、こぞってヴァルクールやエテルニアの東部軍に集結し始めているんだ。次の衝突は、前回のような局地戦とは比べ物にならない、本当の総力戦になるだろうね」
ゲルダは渋い顔をして、テーブルに肘をついた。
「そんな物騒な状況で、ウチも世話になった思い出深いモントルヴァル公国はどういう立ち位置になるんや?」
彼女の問いは、国家の存亡に関わる核心を突いていた。 モントルヴァル公国は、エテルニアの属国に近い立場にある。宗主国が大規模な戦争を始めれば、兵力や物資の供出を求められるのは火を見るより明らかだ。
「兵士の供給元には、絶対にされたくないね」
私は真っ直ぐにゲルダの目を見て、きっぱりと語った。
「大国同士のすり潰し合いの最前線に、モントルヴァルの民を兵士として送れば、あっという間に国が傾く。血を流すのは大国だけで十分だ。だからこそ、私たちは動くんだよ」
私は身を乗り出し、商人の顔で、いや、国を憂う一人の公国民として明言した。
「モントルヴァル公国は、職人の集団として殺して死なせるのが惜しい国だと思われたい。武器、防具、魔道具、そして芸術。大国が喉から手が出るほど欲しい技術力と生産力を持ち、それを失うことが自国の損失だと思わせる。そのために、あんたの圧倒的な技術と腕が必要なんだよ、ゲルダ」
私の熱意を受け取ったゲルダは、一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにいつものニカッとした笑みを浮かべた。
「なるほどなぁ。それは、エテルニアに対しても、ドラコニアに対してもってことだね」
ゲルダは豪快に笑い飛ばし、力強く自分の分厚い胸板を叩いた。
「任しとき! ウチの技術とヘルガの商魂があれば、大国相手でも十分に渡り合えるで! あんたと故郷のために、存分に力になったるわ!」
その頼もしい言葉に、私の胸の奥にあった重い不安の塊が、一気に晴れていくのを感じた。
「頼りにしてるよ、ゲルダ」
私は立ち上がり、右手を差し出した。 ゲルダも力強く立ち上がり、私の手を両手でガッチリと握り返す。
そして、ニカッと笑って顔を近づけてきた。
「そういやヘルガ。うちのアストラ様がえらく『イヴェット』っちゅう小娘を褒めちぎっとったんよ。職人の魂が分かっとるって言っとったんやけどあんたの懐刀なん?」
「いや、私の直属の部下ってわけじゃないんだがね」
私は苦笑しながら首を振った。
「でも、今のモントルヴァルにとっては、それこそ得難い至宝さ」
「へぇ! あのアストラ様にそこまで言わせるような技術を持つ娘やからな。ウチも早く会って、色々と技術の話をしてみたいわ」
「あいにく、アイツは今ちょうど入れ違いでモントルヴァルの方に帰国しててね。あんたがあっちに着いたら、すぐに会えるように手配しておこう」
「おう、頼むで!」
私たちは繋いだ手にさらに力を込め、お互いの覚悟を確かめ合った。
長い年月を経て、遠い異国の海辺で再会した職人と商人。 大国同士の巨大な戦火が大陸を包み込もうとする中、二人の老婆が交わした固い握手は、決して燃え尽きることのない確かな熱を帯びていた。
大国同士が戦争になるとしたらどの国も生き残りに必死ですね。
特に敵対勢力に近い場所にいる国は非常に難しいバランスが求められます。
もし中国とアメリカがドンパチし始めたら、日本は物資の供給だけで済むのでしょうか。
どちらかに付きつつも敵対国とのパイプを切らしてはいけませんね。




