第113話「手札の強化」
大陸歴 2792年 1月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 王宮小ホール / ヒイロ=エヴェリン
夕方の大神殿での祝福の儀式を終え、王宮の小ホールでは親族と一部の側近のみが集まるささやかな「一歳のお祝い」の晩餐会が開かれていた。
温かな暖炉の火が揺れる中、俺は自分の専用ベビーチェアに座り、専属侍女のミラベルに離乳食を口へ運んでもらっていた。 柔らかく煮込まれた野菜と白身魚のペーストを大人しく咀嚼しながら、俺は思考の海へと深く潜っていた。
(……今日の神殿での儀式。あれは、大きな収穫だったな)
俺は夕方の出来事を脳内で振り返っていた。
神官長テレジアさんの厳かな祈りの声が響く中、俺は試しに、その場に満ちていた空気を「これは聖なる儀式だ」と強く意識し、それに合わせるように己の魔力を僅かに解放してみたのだ。 すると、何が発動したのかは俺自身にも分からなかったが、自分の内側から外の世界へと、明確な「魔力の流れ」のようなものが繋がる感覚があった。
そして、もう一つ気になることがあった。
(儀式中、柱の陰にルミナ姉さんとエルドリン大臣が隠れていたのが……なぜか、俺には最初からハッキリと見えていたんだよな)
あの二人が被っていた変な外套は、姿や気配を隠す魔導具だったのだろう。現に、入り口で警戒していたライラ団長でさえ、二人の存在には全く気づいていなかった。 それなのに、俺の目には柱の陰でワクワクしている二人の姿が最初から丸見えだったのだ。
俺の『Holy(聖)』のWordが隠蔽を無効化したのか? それとも、俺の目に魔力そのものを視認するような力が備わっているのか?
(……分からない。まだデータが少なすぎるので、判断が難しいな)
俺はゴクリと離乳食を飲み込み、小さく息を吐いた。
(だが、最優先事項は決まった。今日の例を見ても、まずは俺自身の魔法とWordの理解を深めることだ)
自分がどんな力を持っていて、何ができるのか。それが分からなければ、今後の戦略の立てようがない。 だからと言って、むやみに外で力を使えば何が起きるか分からない。ならば、この王宮という安全な環境で、信頼できる家族や幹部たちが集まる場所を狙い、積極的に魔法やWordを解放して見せていこう。彼女たちの観察眼と分析力を使って解明していくのが最も効率的だ。
「……というわけでね! ボクの解析データによると、ヒイロの『Holy(聖)』は、ただ神聖な魔力を出すだけじゃないの!」
俺が方針を固めていると、晩餐会の席に、先ほどまで神殿でのデータを解析していたルミナ姉さんが興奮状態で身を乗り出してきた。
「神殿のような『神聖な場所』や、人々の『祈り』に満ちた空気に共鳴して、その場の力を自分の魔力として取り込み、異常なまでに増幅させる特性があるみたいなんだ!」
(なるほど。自分自身の力だけでなく、周囲の環境や人々の祈りすらも取り込んで自分の力に変換してしまうということか。規格外の能力だな)
俺は前世の知識と照らし合わせながら、その恐るべき特性を理解した。
「これってすごいことだよ! 他者に影響を与えるWordはそれだけで強力と決まってるからね。でも、ボクたちエヴェリン王国は『自然』や『調和』の魔法理論は得意だけど、『神聖』な分野となると、今までエテルニアの独壇場だったから積極的にアプローチしてこなかったんだよね」
ルミナ姉さんは、フォークを振りながら提案した。
「だから、これからはもっとエテルニアのソフィアたちから宗教研究資料や古い文献をもらって、共同研究を強化すべきだと思う! そうすれば、ヒイロの力を完全に紐解けるはずだよ!」
「なるほど……。理にかなっていますね」
ルミナ姉さんの提案に、エラーラさんの娘であり、ドラコニア帝国に駐在している外交官のアナスタシアが顎に手を当てて頷いた。
「エテルニアの資料は魔法省に任せるとして……私の方でも、ドラコニア側で何か役立つ資料がないか探してみましょう。あそこはエテルナ教とは違いますが、古くからの竜信仰や精霊信仰に関わる儀式の資料なら、ヒイロ様の『Holy(聖)』の解析に役立つ文献が眠っているかもしれません」
「おお! アナスタシア、助かるよ! ぜひよろしく!」
ルミナ姉さんとアナスタシアの間で、素早く話がまとまっていく。 その頼もしいやり取りを聞きながら、上座に座っていた母上が、静かにワイングラスを置いた。
「……ええ。ルミナの言う通りね」
母上の声に、小ホールの空気がスッと引き締まった。
「ヒイロの魔法とWordの研究・解明を、今後の我が国の最優先事項とします。……これだけの力、ただ隠しておくわけにはいかないわ」
母上は女王としての威厳ある顔で、同席しているリリア叔母上や父上を見渡した。
「エテルニアやドラコニアがどう動くか分からない現状。ヒイロの持つ力を私たちが正確に把握し、いざという時にはそれを最大の『政治・外交カード』として使えるように準備をしておかなければなりません」
それは、一国のトップとしての冷徹で正しい判断だ。 だが、次の瞬間。母上はふっと表情を和らげ、俺の方へと悲しげな瞳を向けた。
「……ごめんなさいね、ヒイロ」
母上は席を立ち、俺のベビーチェアの傍らに歩み寄ると、俺の小さな手をそっと両手で包み込んだ。
「本当なら、ただの子供として、平和にのびのびと守って育ててあげたいのに。貴方のその力を、国のための交渉カードとして使わなければならないなんて……」
母親としての痛切な罪悪感。 普通の親ならば、子供を政治の道具になどしたくないはずだ。俺を愛してくれているからこそ、母上はその重責に心を痛めているのだろう。
だが。
「しょーいー(それでいい。気にするな)」
俺は包まれた母上の手に、自分の指をギュッと絡め返し、落ち着いた笑顔を向けてみせた。
「あら……ヒイロ?」
驚く母上に対し、俺は心の中で力強く頷いた。
(使える手札は、最大限活用すべきだ、母上)
手元にある力を情けで死蔵させることほど愚かなことはない。俺という存在が、エヴェリン王国の強力な外交カードになり、この愛すべき家族たちを守る盾になるというのなら、大いに利用してもらって構わないし協力は惜しまない。
「ふふっ。……本当に、この子は度胸が据わっているわね」
俺の迷いのない笑顔を見て、母上の顔から憂いが消え、元の凛とした女王の、そして力強い母親の顔へと戻った。
「ありがとう、ヒイロ。……貴方のその輝きを、私たちが必ず守り抜いてみせるわ」
「そうですよ、姉様。私たちエヴェリンの総力を結集して、ヒイロを立派な切り札に育て上げましょう」
リリア叔母上も微笑みながらグラスを掲げる。
「よし! じゃあ、明日からヒイロの魔法特訓とデータ収集を本格的に開始だね! ボク、すっごく楽しみ!」
ルミナ姉さんが両手を挙げて歓喜の声を上げた。
その声を聞きながら、長女のクラリス姉さんが、隣に座る親友のイゾルデに静かに声をかけた。
「ねえ、イゾルデ。ルミナの言う通り、ヒイロの力が『他者の祈りや神聖な事象』……つまり、他の人の行動に関連して発動するものだとしたら、これはもっと重視すべきことだわ」
「と、おっしゃいますと?」
イゾルデが眼鏡の位置を直し、聞き返す。
「私たちの持つWordとも、何か関連や相乗効果が出てくるかもしれないということよ。私の『Crown(冠)』や、貴女の『Frieze(凍)』……ヒイロの『Holy(聖)』が周囲の環境を取り込む力なら、私たちが彼をどう支え、どう環境を作るかで、彼の力はさらに引き出せるはず」
「なるほど……。ヒイロ様のお力を最大限に活かすためにWordを持つ者との共鳴の可能性を、今から考えておくべきですね」
イゾルデが真剣な顔で頷く。
(……単体の能力だけでなく、他者の力との組み合わせによる相乗効果か。さすがは次期女王、個人戦ではなく組織戦を見据えた着眼点が鋭い)
頼もしい姉の考察に、俺は感心した。
俺は運ばれてきたデザートの果物ペーストをミラベルから受け取りながら、これからの日々に思いを馳せた。
今日明らかになった俺の力の特性、そしてこれからの共同研究や、家族たちのWordとの連携。 エテルニアやドラコニアをも巻き込みながら、俺の持つ『Holy(聖)』の謎が紐解かれていくのだろう。
(……ここから一気に、俺という存在が世に出ることになるだろうな)
待ち受けるのは厳しい世界かもしれないが、望むところだ。 俺は温かな家族たちの声に包まれながら、静かな闘志を燃やしていた。
異母姉妹で親友のクラリスとイゾルデ。現実でも異母兄弟・姉妹はいますが仲良いことあるのかな。




