第109話「アスラの刃と呼ばれる女」
大陸歴 2791年 12月 / ドラコニア帝国 西部領 荒野 / トゥラナ・ラブレイ(アスラ連邦 鉄砂嵐の戦士 26歳 女性)
風を切って荒野を駆ける。私の手には愛用の双剣。戦慣れした私たちの前方に広がるのは、到底信じられないような光景だったの。
声が聞こえるような距離ではないけれど、誇り高きヴァルクールの騎士たちが、大事な補給物資も、荷車も、あろうことか自分たちの命を守るはずの白銀の鎧すらすべてその場に脱ぎ捨てて、無様に逃走を始めているのがはっきりと見えたの。
いくら私たち『鉄砂嵐』が恐ろしいからといって、武器も防具も捨てて追剝にでもあったかのように逃げるその姿には、それでも「エテルナの槍」を自称する騎士どもか、という呆れを通り越して、少し同情すら覚えたわ。
私たちは、少しずつ彼らとの距離を詰めていく。 彼らが連れていたラクダの隊列は、馬の全力疾走にはついていけず、次々と置き去りにされていたの。無理に走らされたラクダたちが、途中で限界を迎えて口から泡を吹き、どんどん倒れていくのを横目で見ながら、私たちはさらに追撃の速度を上げたわ。
やがて、大要塞までの最後の丘を越えた。 丘を越えたときには、逃げる敵の先頭がちょうど大要塞に入ろうかというくらいで、後軍には十分に追い付けると思う距離だったの。
このまま一気に逃げる敵の背を討って、そのまま城の中へなだれ込んで切り捲ってやる。 私の血が沸騰し、双剣を構えて突撃の速度をさらに上げようとした――けれど。
大要塞の城門の前、広範囲にわたって地面が異常に水浸しになっているのを見て、私は咄嗟に判断したの。
「……止まって!」
私は鋭く声を上げ、先陣の足を止めたわ。後続の先陣の戦士たちも、私の指示に納得するような反応をして一斉に立ち止まったの。
すぐに後ろから、ゼニス団長とカリマさんも追いついてきたわ。二人は私が足を止めた理由を問うよりも先に、前方の異様な光景に気づいたようだった。
「大要塞までの最後の道が水浸しだな……この凍てつく寒さの中で、あんなに水浸しなのは、わざわざ貴重な水を我らの到着に合わせて撒かねばできんことだな」
ゼニス団長が、顔をしかめて唸ったの。
「ああ。それに……もう逃げてきた味方がすべて中に入ろうかというのに、城の門に閉まる気配がないのは意図的な何かを感じる」
カリマさんも、油断なく目を細めて同意したわ。
そこへ、後方からアマリス様と副官のヴィララさんも馬を駆けさせて合流してきたの。アマリス様も訝しげに目を細めたの。
「地面が水浸しで、門を閉じようとする気配も無い。異常だな」
アマリス様も我々と同じ点を見て何か仕掛けをしていると判断されたの。その横でこの状況を見たヴィララさんの顔色が、サッと青白くなったように変わったわ。
「罠です……! アマリス様、これは間違いなく罠です!」
ヴィララさんは震える声で叫んだの。
「先日、大要塞が落ちた前の野戦でも、敵は地面を水浸しにして泥濘の罠を作っていました! あの不自然な水は、何をするつもりかは読めませんが、我々に対する何らかの仕掛けである可能性が高いです!」
その悲痛な言葉に、ゼニス団長が深く頷いたの。
「深追いは無用だ。我らの目標だったラクダは全部潰したからな」
「ああ。たかだか数百の兵が逃げても大勢に影響はない」
カリマさんも冷静に同調し、アマリス様も大きく頷かれていたわ。
私たちが強襲を切り上げて息を整えていると、後方から見張りに残していた斥候が血相を変えて駆け寄ってきたの。
「急報です! 簡易拠点に集結して待機しているはずの敵の全軍が、こちらに向かって猛烈な速度で進軍してきております!」
「なに!?」
その報告に、全員の顔つきが変わったわ。
「なるほど……金床作戦か。智将が好きそうな策だ」
カリマさんが獰猛に牙を剥き出しにして、吐き捨てるように言ったの。
「もし我々が勢いに任せて攻城戦を始めていたら、あの城を『金床』にして足止めされ、背後からやってくる敵本隊という『金槌』に叩き潰されていたところだ」
「私もそう思う。奇襲に来た部隊を、大要塞と挟んで潰すための策だ。時間のかかる攻城戦をさせるために、門も開けっ放しなのだ」
ゼニス団長とカリマさんの分析を聞いて、アマリス様も事態を正確に把握したようだったわ。
そして、一瞬の迷いも見せずに力強く号令を下したの。
「よし、左方向に大きく迂回して敵の集結していた拠点を目指すぞ。うちの本隊とそこで合流する!」
「「「はっ!」」」
各将が即座に賛同し、私たちは素早く陣形を反転させて荒野を駆け出したの。
大きく迂回しながら進軍していると、途中でラクダの確認と物資の破壊に向かわせていた部隊が合流してきたわ。彼らは、なんとか無傷で残っていた10頭ほどのラクダを連れてきていたの。 だけど、どのラクダも度重なる強行軍のせいか、今にも死にそうでふらふらしていたわ。
「……連れて行くのはいいけど、もし敵本隊がしつこく追ってきたら、アイツらと同じように、この子たちも途中で捨てていかないといけないかもしれないわね」
私はふらつくラクダの首を撫でながら、そう言って彼らを連れていくことにしたの。
しばらく進むと、後方に残していた斥候から新たな報告が入ったわ。
「敵本隊は我々を追撃せず! 物資の回収も諦めて、大要塞へと撤退しているのが確認できました!」
「ふん。奴らも無理な追撃は避けたか。まずは防衛線の再構築を優先したというわけだな」
アマリス様が冷静に状況を分析し、私たちはさらに歩を速めたの。
やがて、遠くに凄まじい土煙と、見慣れた竜の軍旗が見えてきたわ。
すでにリリス様が率いるドラコニアの西部軍本隊は、簡易拠点を占領し、さらには標的である大要塞へ向けて猛烈な速度で進軍を開始していたの。 私たちはそのまま駆け続け、本隊へと無事に合流を果たしたわ。
「戻りました、師匠」
アマリス様が戦況を報告すると、馬車の中からリリス様が満足げに頷いた。
「よくやった、アマリス。ゼニスにカリマも、見事な働きだった」
リリス様の知的な瞳が、冷徹な光を放つ。
「全員聞いたな。敵は命綱である補給線を失ったまま、大要塞へと逃げ込むことになった。食糧のない籠城など長くは保たん。このまま補給ができない敵を大要塞で撫で斬りにする。奴らに逃げられる前に、急ぐぞ!」
「「「はっ!!」」」
私たち各将が、一斉に力強く応える。
敵の策を読み切り、無駄な血を流さずに盤面をひっくり返し、一気に敵を追い詰める。これぞドラコニア最強の智将と呼ばれるリリス様の戦い。そこにアマリス様と、私たち最強の『鉄砂嵐』がいれば、負ける気は微塵もしないわ。
……ただ、ふと脳裏をよぎったのは、武器も鎧もすべてかなぐり捨てて、あそこまでなりふり構わず無様に逃げ散っていったあの敵の姿だったわ。
(あの部隊を逃がしてはいけない気がするの……)
あんな無様な奴らを恐れる必要なんてないだろうし、アマリス様の率いる軍としての私たちの初陣は、誰一人欠けることなく、勝利の形で幕を下ろしたのに、なぜか私の心の奥底では、チリリと嫌な予感を感じていたの。
某錬金術師「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」




