第106話「星空と初陣」
大陸歴 2791年 12月 / ドラコニア帝国 西部領 荒野 / アマリス・ドラコニア(ドラコニア帝国 小王女 25歳 女性)
凍てつくような冬の夜風が、荒野の乾いた土を撫でていく。 月明かりすら乏しい盆地の底で、私たちは一切の焚火も明かりも点けず、ただ息を潜めて闇の中に溶け込んでいた。
その数、およそ二千。 アスラ連邦が誇る最強の戦士団『鉄砂嵐』。そして、私と副官のヴィララをはじめとする少数の将たちだ。
(……見事なものだ)
私は暗闇の中に伏せる屈強な戦士たちの輪郭を眺め感嘆した。 ここに至るまでの行軍でも、彼らの索敵の巧みさと、悪路をものともしない異常な移動速度には舌を巻く思いだった。 さすがは、最強と呼ばれるだけのことはある。
私たちは今、敵の命綱である「補給線」を絶つために待ち伏せを行っている。 リリス師匠率いる本隊が圧倒的な圧力となって大要塞へ進軍すれば、ヴァルクール軍は決戦のために必ず丘陵地帯の簡易陣地へと兵を引く。そして、その決戦を前に、彼らは大要塞から陣地へと大量の食糧や物資を運び込むはずだ。 私たちが身を潜めているこの盆地は、大要塞からも敵の陣地からも半日は離れていてさらに死角となる絶好の強襲拠点だった。
「……アマリス様」
静寂の中、闇に紛れるようにして私の隣に近づいてきたのは、副官に任命したばかりのヴィララ・クランだった。
「見張りの兵からの報告はまだありません。……あの、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「なぜ、私を副官にお選びになったのですか?」
ヴィララの声には、かつての驕り高ぶったエリート意識は欠片もなく、敗戦の将としての戸惑いと自信のなさが滲んでいた。
「他の将たちも怪訝な顔をしておりました。私は大要塞を落とされ、部隊を崩壊させてしまった無能な女です。アマリス様のような素晴らしい御方の副官など、到底務まるとは……」
「勘違いするな、ヴィララ」
私は夜の闇を見据えたまま、静かに、だがはっきりと告げた。
「私は無能を自分の隣に置く趣味はない。……お前はあの絶望的な敗戦の地獄の中で、散り散りになった敗残兵をまとめ上げ、減らすどころか兵を増やして本陣まで生還してみせた。その泥臭い『しぶとさ』と、極限状態で発揮された確かな『統率力』。私はそれをお前の才能だと高く評価しているのだ」
「……っ」
「これからの私の覇道には、泥水をすすってでも生き残り、兵を率いる力を持つ者が必要だ。……私にその命、預ける気はあるか?」
私が視線を向けると、ヴィララの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。 彼女は震える手で地面に手をつき、声を殺して泣き咽びながら、深く頭を下げた。
「……はっ! このヴィララ・クラン、我が命に代えましても、アマリス様への絶対の忠誠を誓います……!」
「うむ。期待しているぞ」
「ククク。良い目利きだ、アマリス様」
ヴィララが涙を拭って少し下がると、入れ替わるようにアスラ連邦の執政官にして鉄砂嵐の団長、ゼニス・アシュラが獰猛な笑みを浮かべて近づいてきた。
「腐ってもドラコニアの将。一度死線を潜り抜けた女は面構えが変わる。……それにしても、アマリス様の名が天下に轟くであろうこの初陣、我らが共に戦えることは、アスラの戦士として最大の誇りだ」
ゼニスは胸に拳を当て、敬意を示した。
「頼りにしているぞ、ゼニス。……して、仕掛ける時の先陣は誰に任せる?」
「トゥラナ・ラブレイに任せます。彼女はまだ若く、Wordも持たぬ身ですが、戦場で生まれ育ったような女で実戦経験も豊富ですし、視野の広さと戦闘力の高さも抜群です。我々の次の世代では断トツの女です」
ゼニスが太鼓判を押したその時。 闇の奥から、音もなく一人の斥候が駆け戻ってきた。
「報告します。大要塞から、大規模な補給部隊が出立したのを確認しました! 護衛の兵はおよそ三百。敵の防衛拠点へ向かっています!」
「動いたか」
私は立ち上がり、周囲の将たちを見回した。 全員が、夜の闇の中で飢えた獣のように瞳を光らせ、深く頷く。
「三時間後に出陣する。敵が拠点から半日の距離に来た時に、一気に強襲し、全てを薙ぎ払うぞ。各員、最終の準備を整えよ」
「「「はっ!」」」
将たちが無音で散り、部隊に命令を伝達していく。 私は高ぶる熱情を抑えるように、一人で盆地の端へと少し歩みを進めた。
ふと、岩陰に寄りかかり、夜空を見上げている一人の女戦士の姿が目に入った。 私と同い年くらいに見える、小柄だが強者の雰囲気がある女性だ。彼女の傍らには、手入れの行き届いた二振りの剣が置かれている。
「皆が準備しているというのに、空など見ていていいのか?」
私が声をかけると、彼女は驚く様子もなく、ただ視線を星空から私へと移した。
「……もう準備はできています」
彼女は淡々と、けれど強い芯のある声で答えた。
「戦いが、私の生きる証ですから。戦う準備なら、いつでもできています」
「戦いが生きる証、か。アスラらしい純粋な言葉だな」
私が隣に並ぶと、その女は再び夜空を見上げた。 冬の澄み切った空には、数えきれないほどの星々が冷たく輝いている。
「空を眺めるのが好きなのです。……特に、これから戦うという時は、よくこうして空を眺めます」
「珍しいな。戦の前に空を見る戦士というのは」
「そうでしょうか?」
その女は微かに口元を緩めた。
「私が星空を見上げるようになったのは、副長のカリマさんの影響なんです。カリマさんも、戦の前にはよくこうして一人で星空を眺めておられましたから」
「鉄砂嵐の副長が。……なぜだ?」
「星空を見上げていると、自分がちっぽけな存在に思えてきて、戦いの前の昂りや恐怖が、すーっと静まっていくんです。心が凪いで、ただ自分が『刃』になることだけを考えられる……そんな気がして」
「……なるほどな」
私は彼女の言葉に頷き、同じように冷たい星天を見上げた。 こうして圧倒的な星の瞬きを見ていると、心が落ち着き、感覚が研ぎ澄まされていくのが分かった。
「……アマリス様は」
その女が、ふと私の方を見て問いかけた。
「戦の前に、ワクワクしますか?」
その直球の問いに、私は思わず目を見張った。 王族である私に対し、身分を越えて、ただの戦士として投げかけられた言葉。そこには一切の諂いもなく、純粋な戦友を見るような親しみが込められていた。
「ああ。……不謹慎だと言われるかもしれないが、胸が鳴って仕方がない」
私は隠すことなく、自然な笑みをこぼした。
「世界を相手に己の存在を証明する。これ以上の悦びがどこにある」
「……ふふ。やっぱり。アマリス様の背中、ゼニス団長やカリマさんと同じ匂いがします」
その女は嬉しそうに笑い、自分の剣を手に取った。
「私が先陣を切ります。アマリス様の初陣、最高の形で道を開いてみせますよ」
「そうか、お前がトゥラナ・ラブレイか。先陣は任せたぞ」
私たちは言葉を交わし、再び星空を見上げた。 冷たい風も、これから訪れる血の匂いも、今はただ心地よい。 王族と一介の戦士。平時ならば交わることのない二人が出会い、共に語らうのは戦場ゆえのことであろう。
(……さあ、行くぞ。私の進む覇者の道は今日この時から始まるのだ)
春秋戦国時代を扱った日本で一番売れている青年漫画もそうですが、王族と親友になれる平民は物語の奥行きを一気に広げてくれる気がします。




