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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長と英雄たちの群像劇~  作者: 五十六


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第105話「将の器」

大陸歴 2791年 12月 / ドラコニア帝国 西部領 ヴァルクール軍本陣 / ヒルダ・ザ・ヴァルクール(ヴァルクール公国 騎士団顧問 68歳 女性)


「報告いたします!!」


凍てつくような冬の風と共に、泥にまみれた斥候が息をきらして天幕へと飛び込んできた。 その顔には、極度の緊張と畏怖の色が張り付いている。


「リリス・ドラコニア率いる西部軍本隊およそ四万、真っ直ぐに大要塞を目指し進軍してきております!」


(……ついにきたか)


ワシは手元の戦術地図からゆっくりと顔を上げ、傍らに座る王、グウェンドリンと無言で視線を合わせた。 ドラコニアの四万の大軍。しかも率いるのは、あの忌々しい知将リリス・ドラコニアだ。我らが東の街や村を蹂躙し、挑発するように戦線を広げていたことなど全く意に介さず、最重要拠点である大要塞のみを狙って真っ直ぐに進んできたというわけだ。


ワシが静かに頷くと、グウェンドリンもまた力強く頷き返した。 盤面は、おおむね想定通りに動いておる。


「全伝令に告げよ!」


グウェンドリンが、天幕をビリビリと震わせるほどの強烈な覇気を込めて号令を下した。


「散開している各軍へ、直ちに集結地点まで引くように伝えよ! 敵をそこへ引きずり込んで、決戦だ!!」


「はっ!!」


伝令たちが踵を返そうとした瞬間、グウェンドリンがふと思いついたように言葉を継いだ。


「ああ、それから! 大要塞から本陣へ向けて、大規模な食糧輸送を行えと伝えよ! 決戦に備えて腹ごしらえが必要だからな!」


「承知いたしました!」


伝令たちが風のように飛び出していく。 天幕にワシとグウェンドリンの二人だけが残されると、張り詰めていた新王の表情に、ほんのわずかな未練と武人の血の疼きが浮かんだ。


「……ヒルダよ。何やらもったいない気もするな」


グウェンドリンは、己の愛用する馬上槍の冷たい柄を撫でながら、ポツリとこぼした。


「野戦で敵を打ち破り、要塞を落とした。今の我が軍の士気は最高潮だ。皆、血に飢えている。……逃げるのではなく、このまま敵本軍と正面から戦って、勝つという方法もあるのではないか?」


純粋な武闘派として、目の前に迫る大軍を相手に背を向けて退くのは癪に障るのじゃろう。だが、ワシは厳しく首を横に振った。


「勝てませぬ。仮に局地戦で勝てても、生きて帰れません」


ワシは冷徹に断言した。


「相手は四万。我らの倍以上の大軍じゃ。それに、率いておるのはあのリリス・ドラコニア。あやつは我らが望むような正面からの決戦など、してはくれませんぞ。小細工などせず真っ直ぐ大要塞に向かってきたのは、我らのように薄く広く散開し、伸び切った戦線を一つ一つ相手にする手間を省き、大本おおもとを確実に断とうという冷酷な判断ゆえじゃ。 このまままともに接敵すれば、つかず離れず、圧倒的な物量で包囲されてすり潰されますぞ。一時的にどこかで戦って優勢に立てたとしても、補給を絶たれた敵地での持久戦など、全滅を待つのみじゃ」


あの女の恐ろしさは、誰よりもこのワシが身をもって知っておる。


グウェンドリンは少しだけ寂しげに俯いたが、やがて小さく息を吐いた。


「……分かった。貴女がそう言うなら、そうなのだろう」


彼女はそれ以上深くは食い下がらず、冷静に現実を受け入れた。こういうところは、ただの猪武者とは違う。熱く燃える闘志を持ちながらも、己の感情よりも軍略の理を優先できる。まさに王としての器じゃ。


「では、敵の足を鈍らせ、我らの撤退を隠すために……雨を降らせながら、集結地点まで撤退を。この厳しい寒さじゃ、降らせた雨はやがて雪や霜に変わり、あわよくば地面を凍らせて敵の行軍をさらに遅らせてくれるじゃろう」


「ああ、任せておけ」


グウェンドリンが力強く頷き、我々は共に天幕を出た。


外に出ると、すでに軍全体で迅速な移動準備が始まっていた。 空を見上げれば、西の空に一筋の狼煙が上がっている。あそこが大要塞から東に1日の距離にある、簡易築城を施した小高い丘陵地帯――我々の「集結地点」じゃ。


陣のあちこちから、武器の手入れをしながら手早く荷をまとめる兵たちの高揚した声が聞こえてくる


「いよいよ決戦か!」

「敵は我々の策に完全にハマったな! 一気に集結して迎え撃つんだ!」

「異教徒どもに、我ら『エテルナの槍』の真の力を見せつけてやる!」


彼らは皆、獲物を前にした猛獣のように好戦的な笑顔を浮かべておる。


(……見事なものじゃ)


ワシは愛馬の首を撫でながら、彼らの無駄のない動きを眺めた。 前線で索敵や略奪を行っていた兵たちが、敵との無用な衝突を防ぎながら、これほど急速に、かつ整然と集結地点へ向かえるのは何故か。 それはワシが長年かけて、ただ祈りと突撃しか知らなかったこの血の気の多い騎士たちに『座学』を徹底させ、戦術理解を深めさせてきたからに他ならん。


彼らはこれまで戦線を広げていたのは、敵を分散させるための囮行為であり、本命は一気に集結して有利な場所で敵本隊を待ち受けて決戦を行うものであると疑いなく信じておるし、それで勝てると感じることができている。 小隊・中隊の末端に至るまで作戦の「意図」を理解し、己の役割を全うできるからこそ、この複雑な後退機動が成立するのじゃ。


だが、彼らは真実を知らぬ。 これは「決戦のための集結」ではない。


ドラコニアに追撃を諦めさせ安全に後退するための準備じゃ。

「ヴァルクールの補給線を絶ち敗走させた」と誤認させ、被害を受ける前に帰るためのな。


そして、そのために、最も重要で、最も泥臭い「撤退の口実」を作る役割を押し付けた若者の顔が、ワシの脳裏に浮かんだ。


(……ロセリン・マクドレイ)


この戦場で見つけた、実に面白い若者じゃ。 あやつには大抜擢という名目で不満を抱える素行の悪いベテラン共を押し付け、大要塞からの大規模な食糧輸送――すなわち「ラクダ部隊」の護衛という死地を任せた。


普通の武功に飢えた騎士なら、敵に襲われた際に名誉のために玉砕を選ぶか、あるいは重圧と恐怖に潰されてまともな指揮すらとれなくなるじゃろう。 だが、あの臆病でサボり癖のある小娘には「生存」という絶対的な行動原理がある。


(アイツは自覚してないだろうが……将として最も重要な才がある)


戦において最も難しいのは、勇ましく前へ進むことではない。全体を俯瞰し、自軍を無駄に損なうことなく正しく『生き残らせる』道を見極め、その実現のために入念な準備をすることじゃ。 あやつなら、我が軍の命綱を失うという大義名分を完璧に演じ切り、部下たちを巧みに誘導して被害を最小限に抑えながら逃げ延びてくれるはずだ。


「頼むぞ、ロセリン」


ワシは誰にも聞こえぬ声で呟き、空に冷たい雨雲を呼び寄せる新王の背中を眺めた。東の空に降り始めた雨は次第に美しく舞う粉雪へと姿を変えていった。

「死地に生あり」はかっこいい言葉ですが大抵は間違いです。

死地には死しかありません。

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