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第58話 炎のたからもの

 アルトの歩き方が、おかしかった。


 最初は、疲労だと思った。

 あれだけ凄い魔法を放ったのだ。

 まともに立っている方がおかしい。


 けれど、違った。


 小走りに歩くアルトの右足だけが、僅かに遅れる。

 地面を踏む力が抜けているみたいに、不自然に。


 嫌な予感が、胸の奥を冷たく撫でた。


 アルトは聖剣を肩に担ぎ、魔王本体へ向かって小走りに進んでいく。

 私も無言で隣に並んだ。


「時間も無い。急ぐぞ」


 声はいつも通りだった。

 でも、少しだけ呼吸が浅い。


 前方では、アルトの「業炎」を押し返すように、魔王の肉塊がじわじわと再生を始めていた。


 ――間に合わない。


 そう思った瞬間だった。

 アルトの身体が、突然ぐらりと傾いた。


「……あ、あれ? 右足が、動かない……」


 血の気が引いた。

 アルトの顔が、苦痛に歪んだ。


 アルトは何かに気付き、悔しそうに奥歯を噛み締める。

 

「待てアビス、魔王の本体が先だ! 一分でいい、待ってくれ!」


 余程慌てているのか、アビスとの会話が声に出ている。


 次の瞬間だった。


 アルトの手から、聖剣が弾かれるように離れ、地面へ転がった。


「っ――!」


 それを待っていたみたいに、魔王の肉塊が脈動する。


 何本もの巨大な触手が、一斉にアルトへ襲いかかった。


「アルト!」


 考えるより先に、私はアルトの身体を抱き寄せ、横へ飛んだ。


 触手がさっきまで居た場所を抉り取る。

 その衝撃で、聖剣だけが遠くへ取り残された。


「くそっ……!」


 アルトが地面を這いながら、必死に聖剣へ手を伸ばす。


 でも、届かない。無理だ。アルトは歩けない。

 

 このままでは間に合わない。

 気が付いたら、体が動いていた。

 駆け出し、そのまま聖剣の柄を掴む。


 ――瞬間。

 凄まじい熱が全身を焼いた。


「あ、ぁ……ッ!」


 聖剣が、私を拒絶している。

 勇者でもない。

 解析したアルトでもない。

 そんな私が触れた代償に、紅蓮の炎が私を包み込んだ。


「なっ……やめろ、リーネ!」


 アルトの叫びが聞こえる。


 痛かった。

 怖かった。


 でも、それ以上に。


 もうアルトに、“また失わせる顔”をさせたくなかった。


 私は燃え上がる炎の中で、アルトを振り返る。


 アルトは酷い顔をしていた。

 泣きそうで、壊れそうで。


 ……そんな顔、しないで。


 私は、できるだけ優しく笑った。


 それから。

 私は燃え盛る炎を纏ったまま、魔王のコアへ向かって駆け出した。


 魔王のコアが、ようやく間合いに入る。

 私は炎に焼かれながら、聖剣を振り下ろした。


 ――硬い。


 一撃では届かない。

 二撃、三撃。


 聖剣は鉛みたいに重く、腕はもう感覚が曖昧だった。

 焼け爛れる痛みで、指に力が入らない。


 それでも、剣を振るった。

 だって私は、剣士だから。


 炎が全身を舐める。

 赤く揺れる視界の中で、記憶が燃え滓みたいに浮かび上がった。



 


 ――物心ついた時。

 いつも、隣にはアルトがいた。

 転んで泣いていた私に、泥だらけのアルトが不格好な花冠を差し出してくる。


『ほら、泣くなよ』


 優しく笑うその顔が、どうしようもなく好きだった。

 ……ああ。

 私の人生、ずっとアルトばっかりだったな。





 四撃目。

 ついに、コアへ細い亀裂が走った。

 でも、浅い。まだ足りない。


 私は焼ける肺で、無理やり息を吸い込む。

 たぶん、もう次は吸えない。

 これが最後だ。


 五撃目。

 コアに、大きな亀裂が走る。

 もう、手の感覚は無かった。

 焼ける痛みさえ、少しずつ遠ざかっていく。

 怖いくらいに、身体が軽い。


 揺れる視界の奥で、また記憶が滲んだ。



 


 ――お互いを意識し始めた頃。

 アルトが隣にいるだけで、胸が苦しくなった。

 声を聞くだけで嬉しくて、目が合うだけで困ってしまって。


 夕焼けに染まった帰り道で、ふとアルトと目が合った。


 何か言われたわけじゃない。

 ただ、アルトが柔らかく笑っただけ。


 なのに、心臓がうるさくて。

 耐えられなくなって、先に目を逸らしたのは私だった。

 ……ずっと好きだったんだ。

 

 ――初めて、アルトと体を重ねた夜。

 緊張で、胸が壊れそうだった。

 触れられるたび、心臓が跳ねて、息の仕方もわからなくなって。


 震える私の指を、アルトがそっと握ってくれた。


『……無理してない?大丈夫?』


 不器用なくせに、あの人はずっと優しかった。

 だから、嬉しくて。

 幸せで。

 ……あの夜、この人と生きていきたいって、本気で思ったんだ。



 


 六撃目。

 聖剣が、ついにコアへ深く食い込んだ。

 その瞬間。

 爆ぜた炎が左腕を呑み込み、焼け落ちる。

 指ごと消えた薬指から、結婚指輪が零れて落ちた。


 炎の向こう、黒い地面へ転がっていく、小さな銀色が見えた気がした。


 ……ああ。

 もう、持っていられないんだ。


 揺れる意識の中で、記憶が浮かぶ。



 


 ――ずっと一緒に居ようと誓った時。


 誓いの口づけの後、アルトは困ったみたいに笑っていた。


『……その、これからもよろしく』


 照れ隠しみたいな声だった。

 でも、ちゃんと嬉しそうで。


 私も嬉しくて、泣きそうで、何度も頷いた。

 この人と、ずっと一緒に生きていけるんだって。

 ……心の底から、信じてた。


 ――アルトが、賢者の学園へ入学した日。


 机の上に置かれた、アルトの名前入りの入学許可証。

 二人でそれを眺めながら、未来の話をした。


『ちゃんと一人前の賢者になるから』


 少し不安そうに、それでも嬉しそうに笑うアルトに、私は何度も頷いた。


『うん。一緒に頑張ろうね』


 当たり前みたいに、そう言った。

 ずっと隣で生きていく未来を、疑いもしなかった。


 子どもができたら、とか。

 家はどうしよう、とか。


 そんな、ありふれた幸せの話をした。

 ……なのに。



 


 聖剣が、とうとう手から滑り落ちた。

 右腕も、感覚が無い。


 それでも――まだ浅い。

 魔王は、まだ生きている。


 私は崩れそうになる身体で、なんとか聖剣にしがみついた。

 手が駄目なら、腕で。

 腕が駄目なら、身体ごと。

 焼けた口の中に血の味が広がっても、歯を食いしばって押し込む。


 少しずつ。

 少しずつ、コアの亀裂が広がっていく。


 そして。

 私の身体も焼けていく。

 

 炎が私を包んでいる。

 熱いのに、不思議と寒かった。

 視界も赤く滲んで、何も見えない。


 嫌だった。

 また、離れてしまうのが。


 二人で笑って、喧嘩して、歳を取って。

 そんな当たり前を、ずっと続けたかった。


 なのに私は、自分で全部壊した。


 アルトに甘えて。

 気づいた時には、彼の心に消えない傷を残していた。


 それでもアルトは、最後まで私を見捨てなかった。


 苦しそうに震えて。

 それでも、私を見ようとしてくれた。


 だから、せめて。


 せめて最後くらい、あなたを守りたい。


 あなたはきっと、また無理をするから。

 誰かの為に、自分を削って、平気な顔をするから。


 本当は、もっと一緒に居たかった。


 雪の日も。

 雨の日も。

 くだらないことで笑いながら、隣を歩きたかった。


 もう一度だけ、名前を呼んでほしかった。

「リーネ」って、昔みたいに。


 燃え落ちていく意識の中で、私はアルトを想う。


 どうか、生きて。

 どうか、幸せになって。


 もし許されるなら。

 あなたの未来の片隅に、少しだけ――私を残して。


 アルト。


 もし全部燃えて。

 私が綺麗になったら。


 もう一度だけ、あなたと。

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