第57話 魔王2
ボスルームを埋め尽くすように、異形の蟲たちの残骸が散乱していた。
ひび割れ、砕け散った巨大な甲殻があちこちの地面に深く突き刺さっている。
羽がちぎれ、太い節足を不自然に曲げたまま事切れた無数の蟲たちから、体液が流れて冷たい大地に不気味な青や緑の血溜まりをいくつも形作っている。
「よし、雑魚は殲滅したな」
周囲を見渡し、俺は短く息を吐いた。
(アビス、戦況報告を頼む)
《はい、アルト。全員健在です。
前衛個体群――各種バフは正常稼働中。個体名バロック、HP損耗率20パーセント。現在、持続回復で対応中です。
個体名グラム、HP損耗率15パーセント。状態異常『恐怖』は継続。
個体名リーネ、HP損耗率5パーセント。『鋭刃』発動中。残り効果時間、7分。
後衛個体群――平均MP残存量50パーセント。その他、大きな消耗は確認されません》
……よし。
今のところは、想定範囲内だ。
そう判断した瞬間だった。
《――警告。魔王の魔力反応が増大しています》
……はい、知ってました。
この世界、安心した直後に殴ってくるの好きすぎるだろ。
アビスの無機質な声とほぼ同時に、空洞の中央に鎮座する巨大な花――魔王本体が蠢いた。
巨大に肥大化した花弁が、ぞわりと異様な蠢きを見せている。
赤黒い肉塊のような根本から、無数の長い触手が乱れた髪の毛のように伸び、ゆらゆらと不気味に揺れ動く。
その一本一本が、まるで独立した意志を持つ細長い蟲のように、獲物を求めて貪欲に虚空をまさぐっているようだ。
一瞬、魔王自体が破裂したように見えた。
嫌らしい触手の中から砲弾のような種子が凄まじい勢いで乱射され始める。
魔王を中心にして、無数の砲弾が俺達に降り注ぐ。
空気を引き裂く甲高い飛来音と共に、砲弾と化した種子が次々と地表を穿ち、激しい衝撃と爆発を撒き散らす。
逃げ場のない焦熱の雨。
降り注ぐ土砂と爆ぜる岩の音だけが、世界を支配する。
面制圧を狙った、見事な弾幕だ。
「全員下がれ!」
俺は叫びながら脳内で処理を回す。
(アビス、魔力障壁即時連続展開!
詠唱は俺がやる、弾道予測と展開場所は任せた!)
《了解、アルト。前衛・後衛それぞれに対して障壁を展開。砲撃をブロックします》
人の頭程ある無数の種子が、展開した障壁を叩き割りそうな勢いで、絶え間なく飛来する。
連続する激しい衝突音が周囲に発生する。
空中に展開された光の盾が、飛来する種子を次々と弾き返していく。
だが、着弾と同時に種が弾け、辺りに不気味な色の煙を撒き散らしているのに気づいた。
「どう見ても毒系攻撃だよな……。
全員、煙を吸い込むなよ!フィオナ、ヨシュア、解毒の加護を広範囲に頼む!ミリア、風を吹かせて煙を散らしてくれ!」
矢継ぎ早に指示を出した直後、俺の目の前の障壁に着弾した種が爆ぜた。
「ヤベッ」
完全に不意を突かれ、俺はまともに煙を吸い込んだ。
――瞬間、視界が歪む。
雨音。薄暗い寝室。
シーツの上で絡み合う、グラムとリーネ。
……フラッシュバック。いや、ただの悪質な幻覚だ。
胃がひっくり返るような吐き気と、激しい目眩が一気に襲ってくる。
「……また、かよ……ッ!」
俺は自分の唇の端を、思い切り噛んだ。
鋭い痛みと口の中に広がる鉄の味が、俺を無理矢理現実へ引き戻した。
……いい加減、ワンパターンなんだよ!
そんな事、とっくに分かってるわっ。
そういう面倒臭いとこを理解した上で、俺はあの女と向き合おうとしてるんだ!
荒い呼吸を整え、無理やり頭を回す。
(アビス。幻覚を食らった。戦況報告、急ぎの順で頼む)
《警告:個体名グラムが混乱状態です》
「何!?」
顔を上げた瞬間だった。
半狂乱になったグラムが、絶叫しながら俺へ聖剣を振り下ろしてくるのが見えた。
……切られるっ⁉︎
刃が届く寸前、銀色の残像が割って入る。
リーネだ。
「くっ……!」
味方である勇者に斬りかかるわけにもいかず、リーネは防戦一方に追い込まれている。
「グラム!」
俺は咄嗟に影縛りの魔法を掛け、グラムの動きを強制ストップさせた。
「フィオナ!グラムに正気の加護を!」
加護の光を浴びたグラムは、「あ、俺?」と間の抜けた声を出し、ようやく正気に戻った。
それを見てほっと息を吐いた瞬間。
《警告!アルト。ロックオンされています》
「えっ――」
直後、リーネが俺に抱き着き、横っ飛びに身を投げ出した。
ほぼ同時に、俺が立っていた場所に巨大な種子が着弾し爆発した。
衝撃で耳が何も聞こえなくなる。
目の前で、俺を庇ったリーネが必死な顔で何かを叫んでいる。
徐々に聴覚と思考がクリアになり、戦場の惨状が頭に飛び込んできた。
混乱の中、バロックが一人で戦線を支えていた。
噴煙で何度もその巨体が見えなくなるほどの砲撃を、タンクスキルと重装備で耐え凌ぎ、状態異常も自力でレジストしている。
後方では、フィオナが懸命にグラムを治療していた。
グラムは先ほどの砲撃で吹き飛ばされ、腹部から大量に出血していた。……心肺停止している。
ミリアは局所的な突風を吹かせ、連続する砲撃の軌道を変えつつ毒煙を散らしている。とんでもない、技量だ。
ヨシュアも懸命にバロックへ治癒、解毒、防御の加護を掛け続け、ルチアも触手を狙って魔法攻撃を放ち、少しでも砲撃を減らそうと足掻いている。
だが圧倒的な攻撃量に、ついにバロックが膝を折った。地響きがこちらまで届く。
《警告、アルト。個体名バロック、HP損耗率70パーセントを超えました。回復が追い付きません。
個体名グラム戦闘不能、現在蘇生中。
後衛平均残存魔力40パーセントを割りました。
このままの戦況が3分持続した場合、全滅の可能性が32パーセントです》
アビスの予測を聞いて、俺は一瞬だけ思考を回し、傍らの剣士を見た。
「リーネ。高速機動・零距離戦闘……まだいけるか?」
「もちろんよ、アルト」
リーネは迷いのない、覚悟を決めた目をしていた。
この顔をした時のリーネの強さは、俺が一番よく知っている。……大丈夫、イケる。
「すまないリーネ、頼んだ。砲弾は全部俺が防ぐ。
超至近距離なら奴の砲撃は無力だと思う。突撃してやつの射出口を潰してくれ。2分稼いでくれれば、あとは何とかする」
「判った。じゃあ行くね」
残像を残し、リーネが走り出す。半瞬も迷わない。
俺も立ち上がり、彼女を魔力障壁で覆いながら詠唱を開始した。
リーネは砲弾の雨の中を真っ直ぐに直進していく。
避ける素振りすらない。
俺の障壁が全て防ぐと、完全に信じ切ってやがる。……ったく、信頼が重いぜ。
魔王まで残り20メートル、10、5……取り付いた!
同時に、俺は魔王の周囲へ、光る魔力の足場を連続展開した。
リーネは一瞬の躊躇もなくそこへ踏み込み、空中を鋭角に跳ね回りながら魔王へ斬撃を浴びせていく。
銀閃が走るたび、触手が次々と切り落とされる。
裂帛の気合と共に、リーネがさらに舞う。
……『神速の舞剣』、流石だな。
リーネの奮闘のおかげで、さっきまで地獄みたいだった弾幕が、目に見えて薄くなる。
今しかない。
俺は詠唱を続けながら、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「ルチア、魔法攻撃はもういい! ヨシュアに魔力供与、MPが限界だ!」
「っ、了解! ほんっと人使い荒いんだから!」
悪態を吐きながらも、ルチアは即座にヨシュアへ駆け寄る。
こういう時の判断は異様に早い。性格以外は優秀なんだよな。
「ヨシュア、悪い! ルチアの魔力を受けたら、バロックの回復を最優先!」
「承知しました!」
ヨシュアは額に汗を浮かべながらも、即座に治癒術式を組み替える。
真面目すぎて、こういう修羅場だと逆に安心感がある。
「ミリア、バロックに『癒しの雫』を!」
「は、はいっ!」
淡い水色の光が溢れ、ボロボロのバロックへ降り注ぎ、みるみる傷が塞がっていく。
本人は半泣きだが、威力は相変わらず化け物だ。
「バロック、悪いがあと一分持たせてくれ!」
「……了解」
全身血塗れのまま、バロックが低く笑う。
頼もしすぎて、泣けてくる。
そして――
詠唱が、完成した。
「リーネ引け!ブチかますぞ!」
リーネが魔王から飛び退って距離を取った瞬間、俺は魔法を解き放った。
威力増加
範囲拡大
効果時間延長
「『禁呪・業炎・極大』!」
最大出力の特定対象限定、持続攻撃魔法だ。
魔王の肉のような花弁の深部から沸騰が始まる。
花弁は濁った脂汁となって溢れ、高出力エネルギーの負荷に喘ぐように不気味な破裂音を奏でる。
沸騰した湯気は瞬時に黒煙へと変じ、異臭がボスルームを支配する。
中心部はどろりと炭化し、ついに臨界を超えた。
青白い火花が走り、一気に紅蓮の炎が魔王を舐める。
巨大な火柱が猛烈な勢いで育ち、周辺の酸素を奪いながら更に燃え上がる。
その凄まじい熱量は、空間をぐにゃりと歪ませながら魔王全体を包み込んだ。
距離を取っていた俺達の露出した顔や腕にも、直接炙られるような痛みが走る。
息を吸い込もうとした瞬間、熱湯のような大気が気管を熱する。
圧倒的な死の熱波だった。
魔王が苦悶に身をよじる。
炎は体の大半を焼き尽くし、奥に隠れていたダンジョンコアを剥き出しにした。
だが、魔王もタダでは死なない。
凄まじい勢いで肉体を再生させ始める。
しかし、持続攻撃が魔王の肉体を焼き続ける。
破壊と再生が拮抗し、膠着状態に陥るが、厄介な砲撃は止んでいた。
……長くは保たない
俺はグラムとフィオナのもとへ駆け寄ったが、少しだけ蹌踉めく。
一気に、魔力を使い過ぎたか?
「フィオナ、グラムは?」
「何とか助かりますが、まだ意識が……」
そうか。
俺は意を決して、床に転がる『聖剣』に手を伸ばした。
触れた瞬間、俺の手が一瞬で炎に包まれる。聖剣の拒絶反応だ。
「アルト、何を!?ダメです!」
「ありがとう、フィオナ。多分、大丈夫だと思います」
俺が言うと、手元の炎はすぐに沈静化した。俺から聖剣に魔力が流れ、聖剣の拒絶反応を停止させたのだ。
だが、火傷を負った右手の激痛に、思わず顔を歪める。
フィオナが慌てて火傷を治療しながら、目を見開いた。
「これは……?」
「アビスに解析させました。これなら、俺にも聖剣が振るえます」
「すごい……」
俺は聖剣を担ぎ、魔王本体へと向かって小走りに歩き出した。リーネも無言で横に並ぶ。
「時間も無い。急ぐぞ」
魔王の再生力が、次第に俺の業炎を押し返し始めていた。
その時だった。
俺の身体が、突然がくりと傾いた。
「……あ、あれ? 右足が、動かない……」
《警告!アルト、脳内に異物発生。魔力パターンから、魔王の分体と推測されます》
心当たりが閃いた。
あの煙を吸って幻覚を見た時……畜生、あの時寄生されたのか。
《緊急事態です。契約者保護条項により、魔王分体排除に全リソースを回します》
「待てアビス、魔王の本体が先だ!1分でいい、待ってくれ!」
《却下します。自己免疫増強開始。異物駆除を開始します。聖剣同期演算を中止します》
アビスの演算が途切れた瞬間、俺の手から聖剣が弾き飛ばされ、地面に転がった。
それと呼応するように、魔王が最後の力で超再生を果たし、何本もの触手を俺に向かって突き出してきた。
「アルト!」
リーネが俺の体を抱え、横に飛んで触手を躱す。だがそのせいで、聖剣だけがその場に置き去りにされてしまった。
「くそっ……!」
歩けない俺は、這い蹲って聖剣へと手を伸ばす。
だが、それより早く。
リーネが横から聖剣の柄を掴み取った。
勇者でも、同期した俺でもない彼女が触れた瞬間、聖剣の激しい拒絶反応が起こり、リーネの全身が凄まじい炎に包まれた。
「なっ……やめろ、リーネ!」
火達磨になった彼女は、苦痛に顔を歪めることもなく、ただ俺に向けて、悲しいほど綺麗な微笑みを向けた。
そして、そのまま燃え盛る炎を纏い、魔王のコアへ向かって一直線に突撃していく。
《脳内異物駆除作業の為、契約者の意識をカットします》
「リーネッ!!」
喉が裂けるほど叫びながら、俺の意識はゆっくりと闇に沈んでいく。
手を伸ばす。
届かない。
最後に見えたのは――火に焼かれながら、魔王のコアへ聖剣を突き立てるリーネの姿だった。
銀髪が炎に呑まれ、崩れ落ちながら、彼女は最後まで前を向いていた。
……まるで。
俺に、何かを告げるみたいに。




