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第55話 決戦前夜

 鼓膜を直接殴るような雄叫びと共に、グラムが聖剣を横薙ぎに振り抜いた。

 

 金色に輝く魔力の刃が物理的な破壊力を伴って、魔王のダンジョンを埋め尽くすモンスターを薙ぎ払っていく。

 

 押し寄せていたモンスターの群れの皮が裂け、身体が砕け、上下に断たれてまとめて吹き飛ばされた。

 瘴気が霧みたいに散る。


 実に勇者らしい、見栄えのする一撃だった。

 だが魔王ダンジョンは、流石にそんなに甘くない。

 薙ぎ払われた魔物の残骸の向こうから、一際大きい影がぬっと現れた。

 また、中ボスかよ……

 

 捻じくれた巨木のような幹。

 無数の根を足代わりにし、樹皮の裂け目に埋め込まれた老人めいた顔。

 人面樹だ。しかも、嫌になるくらい育ちがいい。


 そいつは咆哮とも軋みともつかない音を立て、その巨体のまま突進してきた。


 俺達が迎え撃つより早く、グラムが聖剣を振りかぶりながら前に出る。

 目は血走り、呼吸は浅く早い。

 頬はげっそりとこけ、口角には泡を吹いている。

 絵面的には、勇者というより鬼だった。


「聖戦士の加護を!」


 掠れた叫びに応じて、グラムの身体が金色に輝いた。

 背後ではヨシュアとルチアが同時に術式を展開している。

 二人から供給された魔力が、加護と共にグラムの全身へ流れ込み、聖剣の輝きをさらに膨れ上がらせた。


 極大化した光の刃が、人面樹へ振り下ろされる。


 閃光と、一瞬遅れてきた轟音と共に、巨大な人面樹は抵抗らしい抵抗もできないまま真っ二つに断たれ、その断面から光に灼かれて、塵になって崩れた。


 ただ残ったのは、勝利の余韻なんて綺麗なものじゃなかった。


 グラムが膝から崩れ落ちる。

 肩で荒く呼吸し、聖剣を床に突き立ててかろうじて倒れずにいる。


 誰も近づかなかった。

 いや、近づけなかった――の方が正確か。


 グラムから溢れている“何か”が、明らかにヤバい。

 鬼気、なんて言葉で片付けるには、ちょっと生々しすぎる、勇者が纏っちゃいけないモノを今のグラムは垂れ流していた。


 放っておくのも後味が悪いので、俺はひとつ息を吐き、グラムへ歩み寄って肩を軽く叩く。


「グラム、お疲れ。もう敵はいないよ」


 その瞬間、グラムが反射で立ち上がった。

 振り向きざま、聖剣が跳ね上がる。

 後ろでリーネが反応して踏み込んでくる。

 グラムが俺に斬りかかる寸前、ヤツと目が合った。


 ぴたり、と動きが止まる。


「あ……」


 グラムの血走った目が揺れ、獣じみた殺気が一瞬で引いていく。


「す、すまない、アルト」


 掠れた声を絞り出し狼狽えるグラムを見て、俺は苦虫を何匹も噛み潰したような気分で、肩を竦めた。


「もういいから、少し休め。次はボス戦、いよいよ魔王だぞ」

「わ、わかった……」


 グラムは子どもみたいにこくこく頷いたかと思うと、そのまま糸の切れた人形みたいに座り込み、数秒後には気絶するように眠り込んだ。


 俺は深く、長く、重いため息を吐いた。

 肺の中の空気と一緒に、現実も少し出ていってくれれば楽だったんだが、そう都合よくはいかない。


(アビス、周辺索敵。簡易でいい)

《了解、アルト。7秒お待ちください……簡易索敵終了、半径500メートルに敵影なし》

(わかった。アビス、そのまま簡易警戒を続けてくれ、半径は200メートル)

《了解、アルト》

 

 俺は仲間を振り返り、声を掛けた。


「皆、もう一息だ。今日はここで野営にしよう」



 


 大森林の夜。

 月も出ていない、見事なまでの漆黒だ。

 その闇の中で、俺たちの焚き火はやけに小さい。頼りなく揺れている。


 ……魔王のダンジョンが森林丸ごと、って時点で、スケールがおかしい。


 皆、自然と火の周りに集まっている。

 俺の肩に、白いものが落ちた。空からだ。


「雪だ」


 ミリアが見上げて、少しだけ嬉しそうに呟く。

 ……雪で喜べるのは、まあ若さの特権だな。

 

 初雪が、音もなく降り始めた。

 気づけば勢いを増して、森をじわじわ白に塗り替えていく。


 薪の爆ぜる音さえ、雪の静寂に吸われて小さくなったようだ。

 魔王が、獲物を冷凍保存しに来たみたいだな。

 ……我ながらろくでもない発想だ。笑えない。

 頭を軽く振って、俺は前を見た。


 焚き火の向こうでは、『不滅の焔』のメンバーであるヨシュアとルチアが、橙色の光に照らされていた。

 

 俺は二人に視線を向ける。


「ヨシュア、ルチア、さっきは聖戦士の加護をありがとう。グラムとの連携はどうだい?」


 ルチアが肩をすくめて笑う。

 

「大したもんよね、毎回ちゃんと上手くなってるわ」


 ヨシュアも穏やかに頷いた。

 

「ルルゥの言う通りです。なんだかんだ言って、グラムの剣才は凄いですね」


 ……そうなんだよな。剣だけは凄いと思う。中身が追いついてるかは、別問題だが。


「二人が居なかったら、ここまで順調には来れなかった。ありがとう」


 俺は素直に頭を下げた。

 こういうのは、言えるうちに言っておくに限る。


 第六サブダンジョンクリアの五日後。

 俺たちは、ついに魔王ダンジョンアタックを開始した。


 運が良かったのか、魔王の魔力は削れていた。

 スタンピードと第六サブダンジョン生成で、だいぶ無理をしたんだろう。

 その分、内部の魔物は数も質も控えめだった。

 

 結果、二日でボスルームまで到達できた。

 ……とはいえ、一番の理由は別だ。

 グラムと「聖戦士の加護」のコンボが、チートレベルで強かった。


 ここまでのグラムの戦果は、これぞ勇者――と全員が認めるレベルだった。

 悔しいが、文句のつけようがない。


「よしてよ、アルト。私達はラスウェルに頼まれたから、来ているだけよ」

「……意外と、ルチアは義理堅いんだな」


 いや、割と本気で意外だ。


「何よそれ。失礼ね。私だって恩を忘れたりはしないわ」

「恩?」


 ヨシュアが、俺の疑問に静かに答えた。

 

「昔、私の孤児院が魔物に襲われた事がありまして。その時にラスウェルとカレンが助けてくれたんです」

「そうよ。私達はラスウェル達に借りがあるの」


 なるほどな、と腑に落ちる。

 

 ベッドの上で、「故郷を頼む」と言ってきたラスウェルの顔が、ふと脳裏に浮かんだ。

 ……あいつ、人望凄いな。

 

「俺達は全員、ラスウェルに借りがあるんだな。頑張って返さないとな」

「そうよ!」


 ルチアが、吊り目をきらっと光らせて力強く頷いた。

 こういう時だけ、やけにいい顔をする。


「……にしても、そこの勇者はどうしたのよ?」


 視線につられて、全員が焚き火の脇へ向く。

 グラムはそこで、死体みたいに横になっていた。


「……俺にも分からない」


 グラムは、ダンジョン突入前に牢から出た時点で、もう別人だった。

 あの無邪気な笑みは消え失せて、代わりに幽霊みたいな顔がべったりと貼り付いていた。

 

 何がコイツの中で起こったのか。

 

 推測はできたが、それを確かめる気は無かった。

 ……正直、コイツのメンタルケアは業務外だと思う。


 そして、グラムは今も『恐怖』状態が抜けていない。

 無理やり『高揚』の精神魔法で上書きして、どうにか戦わせているだけだ。


 戦い方も変わった。

 闇の中で怯えた子どもが、見えたものを全部斬る――そんな雑な暴れ方だ。


 強いのは強い。

 ……ただ、全く安心できないタイプの強さだが。


「アルト、グラムは大丈夫でしょうか?」


 フィオナが小声で尋ねてくる。

 焚き火の光が、亜麻色の髪を柔らかく照らしていた。


「あまり、大丈夫ではないでしょう」


 俺は、正直に答えた。


「『恐怖』状態のまま、精神干渉で無理やり戦わせてますから。本人の希望とはいえ、気分のいい話じゃないですね」


 ……まあ、今さら俺が言っても説得力はないが。


「それに、魔王討伐後の罰を軽くするには、コイツ自身が戦うしかありませんしね」


 フィオナは眉を寄せたが、何も言わなかった。

 

 現実的に、手がない。


 魔王を倒すには聖剣が必要で、適合者はグラムだけだ。

 ――結局、こいつを戦わせるしかない。

 

 俺はミリアへ視線を向けた。

 ……まぁ、倒れられても困るしな。


「ミリア、コイツに『癒しの雫』をかけてやってくれ。せめて水分補給だけでもさせてやろう」

「わかりました」


 ミリアは素直に頷き、眠るグラムへ水の精霊術をそっと落とした。

 淡い雫が唇を濡らし、乾いた喉を潤していく。

 

(アビス、全員のコンディションチェックをしよう)

《了解、アルト。全員のステータスを網膜投影します》


 視界の奥に、淡い文字列が並んだ。

 全員の状況に目を通す。


 ……胃が痛いな。


《スタンピードなどによる魔王ダンジョンの魔力消耗を考えると、魔王に回復される前の速攻、短期決戦が理想的でした。現状は、想定範囲内です》

(それはそうなんだけどな)


 視界の端に並ぶ状態表示を、俺はもう一度なぞる。

 グラムは『恐怖』『過労』『脱水』。

 バロックは『貧血』。

 リーネは『疲労』。

 

 魔法職は全体的にMPが六割前後。

 ボス戦を控えた部隊の数字としては、正直、褒められたものじゃない。


 想定範囲内。

 アビスの言うことは正しい。

 正しいが、正しいだけで気が楽になるほど、戦術指揮担当という役目は簡単じゃなかった。


 焚き火の向こうでは、グラムが死人みたいな顔で眠っている。


 バロックはまだ青白い顔で、目を閉じて黙々と食事をしている。自分の状態を理解して淡々と対応する。さすがだと思う。

 

 リーネも毅然としているが、傷が癒えたばかりだ。

 普段に比べると口数が少ない。それなりに無理をしているのが判る。

 

 フィオナとミリア、ヨシュア、ルチアも消耗は軽くない。

 魔法職の魔力六割は、余裕がある数字じゃない。


 ……パーシバル参謀に、救護班の準備を依頼しておくか。


 やれることは全部やろう。

 

 俺は、明日のボス戦をアビスとシミュレーションする。

 

 何度も。

 何度も。


 ふと、一番最初にアビスが出した数字が脳裏をよぎる。


『全員生存確率1.2パーセント』


 今なら、もう少し正確な数字が出せるだろう。


 一瞬、アビスに再計算を指示しかけて、止めた。


 計算はできる。予測も立てられる。

 だが、最後に死人が出るかどうかは、いつだって数字の外側で決まる。

 そこが、本当に性質が悪い。

 

 ここまで来たら、全員生存を目指す。

 もう、理屈じゃなかった。

 

 勇者。戦士。聖女。精霊使い。神官。斥候。

 

 共に来た面々の顔を、もう一度順に見回した。


 最後に、ひとり。

 剣士。戦力としてなら最も信頼できる、あいつ。

 一度、手放したはずの女の顔が、視界に入る。


 焚き火が小さく爆ぜる。

 その音に混じって、誰かの寝息がかすかに聞こえた。


 もし明日を無事に乗り越えたら。

 その先は……

 

 そんな、祈りみたいなことまで考え始めた自分に、俺は内心で苦く笑う。


「……踏ん張りどころだな」


 呟いた声は低く、自分が思った以上に重かった。

 

(アビス、もう一度シミュレーションしよう。条件はグラムが戦闘不能になったパターンで)

《了解、アルト。戦闘不能タイミングを変えて、5パターン提示します》

 

 小雪は静かに降り続いている。


 明日には、いよいよ魔王戦だ。

 俺はアビスと共に、演算の深淵に沈んでいった。

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