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第53話 戦い済んで夜が明けて

《おはようございます、アルト。本日のコンディションを確認しますか?》


 脳内に響いた無機質な声で、意識が水底から引き上げられた。


 見知らぬ天井だった。


 いや正確には、世界の解像度がだいぶ低いので判らなかった。

 今の俺は、舌が上顎に張りつき、喉が焼けるみたいに渇いていて、視界の焦点が定まらなかった。

 

(アビス……ああ、頼む。それと、ここはどこだ? あれからどれだけ寝てた? 皆の状況は?)

《はい、アルト。外傷は、個体名フィオナの癒やしの加護により全て治癒しています。

 現在のコンディションは、失血による軽度貧血と、昏睡による脱水です。早急な水分摂取を推奨します》


 なるほど。

 軽度、と言われるが、身体のだるさはまるで軽くない。

 全身に鉛を詰められたみたいで、微妙に世界が揺れている。


《現在位置は、バルツァー辺境伯城内、救護所第三ベッド上です。現時刻は午前四時七分。アルトは十三時間四十二分昏睡状態でした》


 ……城内に戻ってたのか。

 

《魔王討伐パーティの状況は、全員生存しています。詳細確認は、アルトのコンディション改善後に実施することを推奨します》


 全員生存。


 その一言だけで、胸の奥に詰まっていた何かが少しだけほどけた。


(……わかった。全員無事なんだな。よかった)


 ベッドの上で上体を起こす。

 途端、視界がふらりと揺れた。慌てて、左手で身体を支える。

 ……生きてる実感というやつは、たいてい不快感を伴うな。

 

 脇の小卓に置かれていた水差しとコップを掴み、流しこむように水を注いで飲んだ。


 ぬるい。だが神の恵みの様に旨い。


 一杯で足りるわけもなく、そのまま二杯、三杯と流し込む。

 水が喉を通って胃に落ち、そこから全身へ染みていくのが分かる。

 干からびた畑にようやく水路が通った感じだ。

 少しして、じわりと汗が滲んできた。


 全部飲み干したところで、ようやく少し視界が定まってきた。


(アビス。もう少し休む。六時に起こしてくれ)

《了解、アルト》


 そこで意識を手放した。今度は落ちるというより、ちゃんと眠る感じだった。





《アルト。起床設定時刻です。現在、午前六時。看護師の定期巡回時刻まで約三十分です》

(……ああ、わかった。起きるよ)


 目を開けると、さっきより世界がまともだった。

 相変わらずだるいが、さっきの“干物に水をかける前”みたいな感覚は薄れている。


 水分摂取は偉大だ。

 飲み干したはずの水差しには、いつの間にか新しい水が補充されていた。

 ありがたい。救護所の人材は、勇者よりよほど信頼できる。


 再びコップに水を注いで飲みながら、アビスに問いかけた。


(アビス。パーティメンバーの状況は分かるか?)

《はい、アルト。全員、戦術統括情報にログインしていますので、その範囲でしたら情報収集可能です》

(充分だ。一覧にして網膜投影してくれ)

《了解、アルト》


 視界の端に半透明の情報が立ち上がる。

 名前、状態、現在位置、負傷状況。

 戦場では便利極まりないが、平時にやるのは、エチケット違反だ。確認したら全員ログアウトしておこう。


 ざっと確認して、ため息が漏れた。


 前衛は、一名を除いて戦闘不能。

 後衛は、全員魔力枯渇で睡眠中。

 

 よくこれで、全員生き残れたものだ。

 改めて見ると、かなり危なかったな。

 いや、改めなくても危なかったけど。


《はい、アルト。個体名ラスウェルの特攻が無ければ、全滅していたと推測されます》

(本当だな……そのラスウェルが、一番重症か)

《はい、アルト。聖剣の拒絶反応による火傷のため、通常の治癒魔法が効きにくいのが原因です》


 あの時、ラスウェルが火達磨になりながらも、ダンジョンボスへ突っ込んでいった光景が脳裏に浮かぶ。

 賢者としては、パーティメンバーをあそこまで追い込んでしまったことに、申し訳なさが残る。


 ただ――少なくとも今回に限っては、あいつの気持ちが少しわかる気がした。

 

 たとえ自分を薪にしてでも、護りたいものくらい――俺にもある。


(……後で見舞いに行けるかな)

《個体名ラスウェルの治療担当者に、確認が必要です》

(そうだな。で、定期巡回まで後何分だ?)

《アルト。貴方にも治療が必要です。先ずは、自分の治療担当者の指示を仰いでください》

(ハイハイ、わかりました。常識的な悪魔とか、設定と違くないか?)

《私は契約者保護条項に従っています》

(ですよねー)


 口の中だけで乾いた笑いが転がる。

 そこで、別の顔が浮かんだ。


(……アビス。リーネの現在位置は?)

《はい、アルト。同フロア、第七ベッドです。現在、外傷治癒率三十パーセント、軽度貧血状態、睡眠中です》


 第三から第七。思ったより近い。


 俺は黙って毛布をどけ、ベッドから足を下ろした。

 床の冷たさが、裸足越しにじわりと伝わってくる。

 立ち上がると少しふらついたが、歩けないほどじゃない。


《どちらへ? アルト》

(……いや、ちょっと。リーネの顔だけ見に行こうかと)


 言ってから、自分で少しだけ呆れた。

 怪我人が怪我人を見舞いに行く。

 しかも隠密行動で。

 冷静に考えるとだいぶ馬鹿だ。

 だが冷静に考えたからといって、行かない理由にはならない。


 ほんの一拍置いて、悪魔が後押しした。

 

《……廊下右手回りだと、看護師に発見される可能性があります。個体名リーネのベッドへの最適ルートを示します》


 網膜に救護所フロアの簡易地図が投影され、薄い青線が廊下の先へ伸びた。


(なんだよ、アビス。協力的だな)

《私は契約者保護条項に従っています。アルトのメンタルケアも条項内です》

(ハイハイ、ありがとう)


 そう返しながら、俺は足音を忍ばせて病室を出た。

 薄暗い救護所の廊下は、夜明け前の静けさに沈んでいた。

 

 妙に心臓の音だけが、うるさかった。

 ……脱水で貧血だからな。そういう事にする。





《申し訳ありません。看護師の巡回時間に、想定外の変更がありました》


 脳内に響くアビスの声へ、俺は心の中で深々とため息をついた。


(いや、まぁ仕方ないだろ。重症患者が多かったんだから)


 結論から言うと、俺はリーネの病室で看護師と遭遇した。

 その結果、元嫁に夜這いを仕掛けた不良患者と認定され、強制退院処分になっていた。


 ひどい話である。

 事実だけ並べると、まあまあ言い逃れ不能なのがさらにひどい。


 いや、違うんだ。

 あそこで、リーネがちゃんと否定してくれればよかったんだよ。

 

 なのにあいつ、寝起きでぼんやりした顔のまま俺を見て、看護師の「夜這いですか?」の一言で、「ほ、ほんとに? 嬉しい……」ってなって、そのまま過呼吸になったのだ。

 しかも顔を真っ赤にして、目にうっすら涙まで浮かべて。

 

 状況が理解できていなかったとしか、思えない。

 

 全く、何なんだ。

 元夫としては大変コメントしづらい。

 おかげで、看護師の誤解だけが爆速で育って、現在に至る。


《そもそも、ふらふらとベッドサイドで覆い被さったアルトに、問題があったのでは?》

(いやだから、ふらついただけだって)

 

 リーネの顔を見たら、気が抜けただけなんだ。

 ほんの少し、顔色を見て帰るつもりだった。

 しかし、寝ているリーネの顔を見た途端、緊張の糸が切れた。

 

 13時間昏睡していた頭と身体には、元嫁の寝顔は刺激が強すぎたらしい。

 心臓に悪かった。主に俺の。


 そんなわけで、未明の病室で軽めの修羅場を起こした俺は、朝食早々に病室を追い出された。

 

 スタンピードの影響で救護所はまだ満床に近く、入院の必要な患者はいくらでもいるらしい。

 夜這いするほど元気な、軽症患者を置いておく余裕はない、とのことだった。

 正論だとは思う。


 そして今、そんな理由で退院扱いになった俺は、別棟にある集中治療室の前に立っていた。

 ラスウェルの見舞いである。


 扉を開けると、薬品の匂いが鼻をついた。

 

 ベッドの上のラスウェルは、包帯でぐるぐる巻きだった。

 ほとんどミイラだが、意識はあるらしい。

 病室に入った俺を見て、ゆっくりと片手を上げてきた。


「よう。意識はあるみたいでよかった」


 俺の喉もまだ少し掠れている。

 自分の声が、妙に他人行儀に聞こえた。


「カレンも助かったよ。心配するな」


 その一言で、ラスウェルの目元がわずかに緩んだ。


「……カレンの事は聞いてる。ありがとう、アルト。お前のおかげだ」


 包帯の隙間から覗く顔は痛々しい。

 声も弱い。

 普段の生意気な勢いは焼け落ちたらしい。

 だが、生きて喋っているだけで十分だ。


「俺は何もしてない。カレンを助けたのはフィオナだし、ダンジョンボスを倒したのはお前だ」


 そう返すと、ラスウェルは小さく笑った。いや、笑おうとして失敗していた。傷が痛むのだろう。


「……いや、段取ったのはお前だよ、アルト。お前がいなけりゃ、俺たちは全滅してた」


 苦笑いが漏れる。


「その言葉、そのまま返すよ、ラスウェル。お前がいなけりゃ、俺たちは全滅してた。ありがとう。お前のおかげだよ」


 しばらく、病室に沈黙が落ちた。

 次に聞こえたのは、押し殺し損ねた嗚咽だった。


「……すまない」


 ラスウェルが顔を歪める。焼けただれた身体より、別の場所の方が痛そうだった。


「途中で、抜けることになっちまって……」


 その言葉に、俺は首を振る。


「今はゆっくり休んで、さっさと身体を治せよ。お前はグラムが逃げ出した相手を倒したんだ」


 一拍置いて、素直に言った。


「お前は、勇者より勇者だったよ。後は任しとけ」


 ラスウェルは目を閉じ、噛み締めるように息を吐いた。

 それから、子供みたいにかすれた声で言う。


「……すまん。辺境伯領を、故郷を守ってくれ。頼む」

「大丈夫だ」


 俺は肩を竦める。少しだけ、いつもの乾いた調子を作った。


「魔王を倒したら、今度は勇者をぶん殴りに行こうぜ。付き合うだろ?」


 ラスウェルの口元が、今度こそちゃんと笑った。


「ああ」


 そのタイミングで、背後から控えめだが有無を言わせない声が飛んできた。


「面会はそれくらいでお願いします」


 看護師だ。

 強制退院の件もあり、自然に背筋が伸びてしまう。


「……はい、すみません」


 大人しく病室を出る。反省している患者の動きとしては満点だと思う。

 内申点があれば多少は回復しただろうか。

 多分、無いだろうけど。


 廊下に出て、ひとつ息を吐く。


(さて……行きたくないけど、グラムに会いにいくか。あいつ今、捕まってるんだったよな)

《はい、アルト。今回の敵前逃亡により、辺境伯騎士団憲兵隊に勾留されています》

(はぁ……今、アイツの顔見たら、殴りかかる自信があるな)


 思わず本音のため息が出た。

 

 魔王討伐のど真ん中で、身内の後始末まで賢者の業務範囲に入っているの、普通におかしいだろ。

 就業規則の見直しを求めたい。


(先ずは、パーシバル殿にアポ取るか)

《アルト。貴方も本来なら療養が必要です。忘れないでください》

(わかってるよ、アビス。なんとかやるさ)


 そう答えてから、少しだけ視線を落とした。


 借りができた。

 しかも、かなりでかい。


 ラスウェルは、自分を焼いてまで俺たちを助けた。

 あいつが倒したのはダンジョンボスだけじゃない。

 全滅っていう、最悪の結末そのものだ。


(……ラスウェルに借りは返さないとな)


 俺は城の中枢へ向かう回廊へ足を向けた。

 朝の冷えた空気が、まだ完全には治りきっていない身体に沁みる。


 だが、立ち止まる訳にはいかなかった。

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