第52話 壊滅、魔王討伐パーティ
バロックの首から大量の血が噴き上がった。
「――ッ!」
叫ぼうとしたが、喉が凍った。
右の頸から噴水みたいに血が吹いている。
そのまま、首が飛んだかと思える斬撃だった。
紙一重で致命の軌道を外したのか?
とはいえ無事ではない。
バロックは四つん這いでどうにか踏みとどまったものの、そのまま脳貧血で崩れかける。
ダンジョンボス、首無し甲冑は血煙の向こうで再び掻き消え、次の瞬間にはラスウェルの眼前にいた。
大剣が振り下ろされる。
ラスウェルは反応できていなかった。
目だけが見開かれている。
ああ、あれは駄目な顔だ。「死ぬ」と理解した時の顔。
「――!」
刹那、鎧を着た影がその間に飛び込んだ。
カレンだった。
袈裟懸けの斬撃が、彼女の胸を深々と裂く。……ッ、致命傷だ。
血飛沫が舞い、カレンの身体が糸の切れた人形みたいに傾いた。
倒れ込む寸前、彼女の唇だけが小さく動く。
(……ラス)
多分、こう言った。
「カレン……?」
ラスウェルの声は、ほぼ空気が肺から出ただけだった。
だが地獄は待ってくれない。
ボスがまた消えて、考える時間すらなく、背筋に氷柱を突っ込まれたみたいな悪寒が走った。
――俺だ。
振り下ろされる大剣が見えた。
速いとか、鋭いとか、そういう次元じゃない。理不尽な速度だ。
死ぬ、と頭のどこかが妙に冷静に告げた瞬間、
「アルトッ!」
身体が横から突き飛ばされた。
床を転がる。肺から空気が押し出された。
生きてる。
視界の端で、銀閃が嵐みたいに弾ける。
リーネだ。
ボスの大剣と、リーネの四刀流が旋風を巻き起こして切り結ぶ。
速い。
凄い速度だ、追い切れない。
……押されている。たった数合のうちに、彼女の腕、脇腹、太腿へ浅い裂傷が二つ三つと刻まれていく。
それでもリーネは怯まない。歯を食いしばって俺の前に立ち、戦い続けていた。
――何度、助けられるんだよ。俺は。
そこでようやく、頭の中の何かが再起動した。
戦況が、網膜に凄い勢いで映し出されていく。思考が冷たく加速していくのが判る。
アビスだ。
あの悪魔、事前通告無しに『強制鎮静』掛けやがった。
だが、助かる。
バロックは存命。出血は持続回復で止まっている。ただし大量出血で、プレショック状態。
「ミリア! バロックに癒やしの雫を! 血が足りない!」
「は、はいっ!」
反射的に飛んだ指示に、ミリアが蒼白な顔のまま両手を掲げる。水精霊の光が、崩れたバロックへ降り注いだ。急速水分補給だ。
カレンは心停止。ただ、まだ30秒以内。
「フィオナ! カレンの蘇生を! まだ間に合う!」
「わかりました!」
フィオナが即座に駆ける。迷いがない。
流石、聖女だ。本当に頼もしい。
「アビス! ラスウェルに『覚醒』! ヨシュア、ルチア! ラスウェルに『聖戦士の加護』を!」
《了解、アルト》
「っ、任せてください!」
「ラス、立ちな!」
ラスウェルはカレンの血を浴びたまま、固まっていた。
そこへ、アビスの術式と神官の加護が重なる。ハイライトの消えた瞳に、ようやく火が入った。
「アビス! あの速度はヤバい! 速度遅延魔法コード、生成急げ!」
《了解。生成を開始します》
数秒。たった数秒が、恐ろしく長い。
その間にも、リーネは血を散らしながらボスの猛撃を受け続けていた。
このままじゃ、リーネもやられる。
やらせねぇ。
即時発動でマジックミサイルを乱射する。威力は小さいが、今はそれでいい。
剣戟の軌道を一瞬でも乱せれば、リーネの援護になる。
光弾がボスの首元や胸甲へ弾け、わずかに剣筋がぶれる。その隙にリーネが一瞬呼吸を繋ぐ。
《アルト。個体名ラスウェルが正気に戻りました》
「ラスウェル、カレンは絶対に助ける! だからお前は戦え! ぶちかましてくれ!」
ラスウェルが、カレンの血で真っ赤に染まった顔を上げ、獣じみた雄叫びを上げた。
ヨシュアとルチアの魔力が注入され、ラスウェルの全身が金色に輝く。
聖戦士の加護だ。
絶叫と共に、蒼白い灼熱を纏った魔灼剣が奔る。打ち合えば、どんなモノでも焼き砕く光の剣だ。
だがボスはその剣と打ち合わない。
体捌きだけで紙一重にかわしていく。
こいつ、見切ってやがる。
アタッカー二枚と魔法支援攻撃でようやく互角。……待て、二枚?
そこでようやく、おれはもう一人のアタッカーを思い出した。
勇者は?
「グラム! 何やってる⁉︎ お前が加われば押せる! 頼む!」
だが、俺の視線の先で、グラムは蒼白になって震えていた。
剣すら構えられていない。
何だ?何が起きてる?
「む、無理だ……こんなの、こんなの……」
子供のように、イヤイヤしながら後ずさる。
はぁ⁉︎
《個体名グラム、状態異常『恐怖』です》
(マジかよ。勇気の加護は?)
《発動中です》
(くそっ……)
タンクがいなけりゃ、ウォークライで引き戻すこともできない。
くそっ!自然回復待ちとか、ありえないだろ、バカ勇者。
(アビス、グラムが回復したら知らせろ)
《了解》
(ラスウェルの聖戦士、残り発動時間は?)
《二分五十三秒。カウントダウンを網膜投影します……アルト、速度遅延魔法コード生成終了。網膜投影します》
網膜に大量の情報が流れ込む。視界が文字で埋め尽くされる。
(アビス、マジックミサイルの連続発動を頼む。MPは気にしなくていい、撃ちまくれ」
俺は速度遅延魔法の詠唱に入る。
術式を急いで編み上げる間にも、リーネとラスウェルは綱渡りみたいなバランスでボスと渡り合っていた。
魔法発動『泥濘•遅延』
空気が軋み、見えない泥がボスの全身にまとわりついたみたいに、その動きが少しだけ鈍る。
くそっ、効果が薄い。
だが、金級冒険者二人には充分だった。
凄い音を立てて、ラスウェルの一太刀がダンジョンボスの胸甲を裂いた。
金属が悲鳴を上げ、割れ目の奥に赤黒いダンジョンコアが覗く。
だがその瞬間、ラスウェルの輝きが消えた。
タイムリミットだ。
ラスウェルが崩れ込み咳き込む。
限界だ。
ヨシュアとルチアも揃って倒れ込み、ヨシュアは震える手でマジックポーションを呷る。
その背後で、フィオナの蘇生術に応えるように、カレンの喉がひくりと震え、浅い呼吸が戻ったのが見える。
リーネ一人が前に出た。
全身血塗れだ。
もう十箇所以上斬られている。肩で息をしながら、それでも一歩も引かない。
――このままでは、負ける。
……わかっている。俺も覚悟を決めた。
「アビス、ミリアとバロックの状態は?」
《健在です。バロックは戦闘困難ですが、バイタルサインは安定しました》
「よし。ミリア! 俺の後ろから光で照してくれ。早く!」
「は、はいっ! 光よ!」
背後から放たれた強い光で、俺の影が床を長く這って伸びていく。
そのまま、影は首無し甲冑の足元へと伸びた。
「『影縛』!」
影が絡みついた瞬間、ボスの身体がぴたりと止まる。
俺と同じ姿勢のまま、時間ごと固まったみたいに動かない。
急停止のツケは、こっちに来た。
全身がみしみしと嫌な音を立てる。
タチの悪い呪いだが――こういう時は役に立つ。
「リーネ、今だ!」
リーネが駆ける。剣閃が胸甲の亀裂をさらに広げる。
同時に、俺の同じ場所、胸と肩に熱い線が走り、血が吹き出る。
「っ……!」
《危険です。『影縛』により、対象の状態がアルトの身体へ反映されています》
(分かってる!そういう術式なんだ。俺は依代があるから大丈夫だ。多分な……!)
こういう時のために、身代わり人形を作ってたんだ。
……頼む、持ってくれよ。
リーネが振り返った。泣きそうな顔だった。
「アルト……!」
「構うな、リーネ! 斬れ! 頼む、お前しかいない!」
リーネは唇を噛み、涙を浮かべたまま剣を振るう。
ついに胸甲が砕け、ダンジョンコアが剥き出しになった。
ついでに、俺の胸も血だらけだ。
痛い。気が遠くなってきた。
「グラム! 止めを!」
リーネの絶叫が飛ぶ。
だがグラムは、涙目で首を振った。
「い、嫌だ!勝てる訳ない、こんなの、もう……!」
手が震えている。視線はコアから逸れたまま戻らない。
聖剣を落とし、後ずさる。
「無理だ……俺には、無理だ……!」
そのまま踵を返し、逃げ出した。
嘘だろ……
俺は急にむせ込んだ。血が咳に混じる。息ができない。
膝が砕けるみたいに折れた。視界が暗くなってくる。
霞んだ視界の中、フィオナが泣きながら走ってくるのが見えた。
……畜生、もう手が無い。
リーネの泣き顔が浮かぶ。
……ごめ…ん、おれ…
薄れていく俺の意識を、絶叫が引き戻した。
ラスウェルだった。
落ちた聖剣を掴み、ボスへ突っ込む。
ヨシュアが連続で回復の加護を叩き込んでいた。
『聖戦士』の反動でぼろぼろの筈の身体を、無理矢理引きずり起こしたんだ。
だが聖剣は勇者以外を拒んだ。
柄を握った手から炎が噴き、ラスウェルの腕、肩、全身へと燃え広がった。
それでも止まらない。
ラスウェルの瞳に焔が映り込んで、ユラユラ燃えている。
火達磨になりながら、ラスウェルは聖剣をダンジョンコアへ打ち込んだ。
ダンジョンボスが苦悶に悶える。
いや、部屋全体が軋んでいる。ダンジョンそのものが悲鳴を上げていた。
数十秒後。
首無し甲冑は崩れ落ち、活動を停止した。
燃えながら膝をつくラスウェル。
血塗れのリーネがその場で力尽き、しかし倒れたまま、俺の方へ這ってくる。
「アルト……アルト……!」
泣きながら、何度も俺の名前を呼んでいる。
フィオナの治癒の光が俺の胸に降る。
温かい。たぶん助かる。たぶん、だ。
最後に見えたのは、涙でぐしゃぐしゃのリーネの顔だった。
そこで、俺の意識は落ちた。




