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第48話 足場は、いつも安定してるから

 巨大な影が、首をもたげた。

 空気が一瞬だけ沈黙し、次の刹那ソイツの絶叫が爆発した。


 それはもう「音」じゃなかった。


 圧縮された空気の塊が、ハンマーのように真正面から叩きつけられた。


 透明な衝撃波が皮膚を叩き、骨を震わせ、内臓を雑にかき混ぜる。


 ——痛い。


 声だけでダメージ判定が入るとか、どんだけだよ。


 俺は衝撃に押されて一歩よろけるが、どうにか踏みとどまる。

 前衛はそのまま突っ込んでいるが、後衛――ミリアたちは完全に足が止まっていた。


 ……隊形が崩れる。


 舌打ちして、前衛援護の魔法詠唱に入る。

 ——その瞬間、二発目が来た。


 竜が、空へ飛び立った。

 

 山みたいな巨体が、あっさり空に浮く。

 羽ばたき一つで空気が圧縮され、大気そのものが獣みたいに脈打った。


 離陸の風圧で、身体が後ろへ持っていかれる。今度はしゃがみ込み、地面に手をついて耐えた。


 指の間を砂が吹き抜け、腕が細かく震える。

 横殴りの砂利が叩きつけてきて、目なんて開けていられない。


 まぶたの上からでも風が痛い。

 頬は痺れ、服は肌に貼りついて、妙に現実感のある不快さだけが残る。


 こじ開けた狭い視界の中で、竜の巨体は、重力を無視したみたいに軽々と浮かび上がっていた。


 前衛ですらしゃがみ込むしかない。吹き飛ばされないようにするだけで手一杯だ。


 空からのドラゴンブレス照射。


 剣や槍の届かない、高空からの一方的な蹂躙。竜の常套手段だ。

 広く知られている戦法だが、普通の魔法や飛び道具では竜の鱗に歯が立たない。

 竜に空に上がられた時点で、普通は詰みだ。


 ……相手が俺とアビスでなければ。


(アビス。竜語魔法解析。奴の「飛翔呪文」を解呪するコードを生成しろ)

《了解、アルト。魔法キャンセルコードを網膜に投影します》


 俺の網膜に投影されているHUDに、すごい勢いでコードが流れていく。


(アビス。ダンジョンボスの空中機動予測。想定落下地点を計算、地面に投影してくれ)

《了解。想定落下地点を投影します》


 目の前の地面に、落下地点を表すバツ印が浮かぶ


 いくぞ。叩き落としてやる。


 こっちが迎撃準備を整えていると、まず頭上に”影”が落ちた。

 次に、空気そのものが震え始める。

 遠くの空で、金属を絞り上げるような音が細く鳴り——それが一気に太く、鋭く、空を裂く悲鳴へと変わる。


 歪な鱗が作り出した金属質の風切り音と共に、怪物が空を滑り落ちてくる。


 竜の金色の瞳と目が合った。

 狙いは、遠距離攻撃ができる魔法使い——俺だ。

 トカゲの癖に、わかってるじゃないか。


 悲鳴の様な風切り音が最高潮に達した瞬間、無機質だった瞳が嗤うように歪んだ。

 竜の胸郭が赫く輝き、大剣の様な牙が並ぶ顎の奥に、蒼白い光が揺らめいた刹那。


「『解呪•否翔』」

 

 俺の魔法が、竜の飛翔呪文を剥がした。

 次の瞬間、奴は重力に捕まって軌道を外れ、頭から地面に突き刺さる。


 鈍い破砕音が響き、足元まで揺れた。

 ……ビンゴ。ざまあ、空飛ぶトカゲ。


 想定地点より少し手前にめり込んだ巨体を見て、口元が勝手に上がる。

 誤差は許容範囲、上出来だ。


「今だ!皆、攻撃開始!」


 のたうつ巨体に、グラム、ラスウェル、リーネが一斉に飛びかかり、正面からは、バロックとカレンが突っ込む。

 猟犬が熊に群がるような光景だが、同情はしない。相手は竜だ。削れる時に削らせてもらう。


「っらぁ!」


 グラムが、聖剣を大上段から振り下ろす。大剣が竜の鱗をかち割って、右前足に深い傷を付ける。そのまま、流れる様な連撃に繋げる。

 大剣の重量と慣性を最大限利用して、輝く鉄塊を小枝の様に振るう様は、まぁ勇者らしい。

 ……今日だけは許す。ガンガン行け、馬鹿勇者。


 負けじと、ラスウェルが左後足に切り付ける。

 こちらの刃は、聖剣のようには輝いていないが、微細な魔力波がここまで届いてくる。

 そして、やけに切れ味が良い。…高周波ブレードか。毎秒数十万回の高周波振動により、刃の表面の空気分子が摩擦熱で淡く発光している。

 剣を振り下ろした瞬間、金属装甲みたいな鱗の結晶格子を振動で崩している。

 おかげで、あの硬い鱗がスパスパ斬れてる。

 いやはや、ラスウェルは随分と器用だ。

 魔法の取り回しだけなら、あの脳筋勇者より間違いなく上手い。


 火力要員は、あの二人に丸投げでいいだろう。

 

「リーネ! 足場を作る。竜の羽を壊せるか?」

「任せて」


 俺が魔法の足場を展開する。

 リーネはそれを蹴り、躊躇いなく竜の背中へ飛び乗った。

 悶え狂う巨体に、凸凹とした背鰭。控えめに言って、最悪の足場である。


 それにも関わらず、彼女は舞うように竜の羽へ連撃を叩き込み始めた。

 両手に握った剣と、『鋭刃』で斬撃と化した両脚。

 四刀流が、容赦なく羽を切り刻んでいく。

 アンクレットはきちんと仕事をしてくれているようだな…

 

 あのボロ雑巾のようになった羽は、もう使い物にならないだろう。

 これで、厄介な飛翔魔法は完全に潰せたな。


 怒ったボスが魔法構築に入る。

 さすが竜、魔獣のくせにちゃんと魔法を使う。


 ――だが、甘い。

 竜語魔法はもう解析済みだ、組み上がる端から術式を裏返す。


 放たれた雷も鎌鼬も、そのまま反転して本体へ直行。

 自分の魔法に殴られて、竜はさすがに困惑している。


 次の手だ。


「ミリア!高粘性水球で、ヤツの顔を覆え」

「わかりましたぁ!」


 やたら元気な返事が返ってくる。余裕がある証拠だ。

 数十秒後、竜の顔はべったりと水球に包まれた。

 口も目も塞がれて、ブレスも完全に封じられる。


 竜はもはや、まともに反撃も出来ずに、前衛に切り刻まれていた。


 ……これで、終われば楽なんだが。――ふと、竜の巨体がピタリと動きを止めた。


《警告。アルト。ダンジョンボスの魔力出力が急激に上昇しています》


 初冬の空気が、一瞬にして暴力的な熱波へ塗り替えられる。


《アルト。ダンジョンボスの体内に高エネルギー反応を検出》

「……やっぱ、大人しく死んじゃくれないか。第二形態のお出ましだな」

《ダンジョンボスの表面温度、急速に上昇しています。現在300度、350、400――更に上昇中》


 視線の先で、巨竜の鱗が内側から照らされたように赤熱化していく。

 周囲の空気が陽炎のように歪み、息を吸うだけで気道が焼けそうだった。

 

「全員退避! 距離を取れ!」

 

 俺は叫びながら、ミリアに指示を飛ばす。

 

「ミリア! 水だ。できるだけ勢いよく、あいつに水を浴びせてくれ!」

「は、はいっ!」


 俺は、同時にダンジョンボスに『拘束』の魔法をかける。

 黒い鎖が竜を地面に縫い止める。

 しかし、巻き付く端から鎖が溶けていく。

 くそっ、連続詠唱だ。消耗戦かよ。


 巨躯から放たれる熱波から逃れようと前衛陣が散開する中、ラスウェルが倒れた。

 喉を押さえている。

 高温の空気をモロに吸い込み、肺が焼け、呼吸ができないらしい。マズイ。


 いち早く離脱していたカレンが、その姿を見るや否や血相を変えてとって返した。

 

「ラスウェル!」


 自身の装備の重さも顧みず、カレンは巨竜の足元から彼を担ぎ上げ、後方へ逃げる。

 そのまま後衛のフィオナの元へと転がり込んだ。

 

「お願い、フィオナ! 助けて……!」


 必死の形相だ、三白眼が更に吊り上がっている。

 フィオナは真剣な表情で、ラスウェルを診ている。

 

「肺が焼けています……!」


 意を決したように、フィオナは自身の唇をラスウェルに重ねた。

 治癒の加護を自らの息に乗せ、直接肺へと吹き込んでいく。

 何度も、何度も。口付けを繰り返し、命の息吹を分け与える。


 カレンはそれを、じっと見つめていた。

 祈るように、そして、ひどく痛むような瞳だった。彼女の手だけが、静かに震えていた。

 

「カレン、貴女も酷い火傷を負っていますよ」


 駆けつけたヨシュアが癒やしの加護を施すが、カレンはそれに気づく素振りすら見せない。

 彼女の視線は、唇を重ねる二人から動かなかった。


 ようやく、ラスウェルが息を吹き返す。

 

 俺は『拘束』を重ねがけしながら、その様子を横目で見て安堵の息を吐いた。

 

「行きます!」

 

 ミリアの凛とした声と共に、数条の強烈な水の奔流が竜の真正面から直撃した。

 爆発的な水蒸気が立ち上り、辺り一面が白い霧に包まれる。

 水の勢いと俺の魔法の鎖で、辛うじて竜の動きを抑え込んでいるが、長くは持たない。

 

「ミリア! どのくらい保つ?」

「この勢いで水を作るのは……あと五分くらいが限界です!」

「十分だ」


(アビス。熱抽出、圧縮、放出――全部まとめて魔法陣を組む。残存MPで出せる最大だ)

《了解。コードを網膜へ投影します》


 視界を凄い勢いで魔法式が流れる。


「ミリア、三分だけ踏ん張ってくれ!」

「水さん、お願い……全力で行くよっ!」


 水圧がさらに上がり、竜をジリジリと後ろに押し返す。

 さすが、ミリア。とんでもない出力だ。


 一方その後方。

 

 ラスウェルが目を開けた瞬間、フィオナと至近距離で目が合った。

 そっと唇が離れ、フィオナが安堵の笑みを浮かべる。

 

「よかった……気が付かれましたね」


 ラスウェルは数秒フリーズした。理解が追いついていない顔だ、だいたい予想通り。


「ちょっと、何ボーっとしてんのよ!カレンがあんたを助け出したんだよ⁉︎」

 

 ルチアがラスウェルの頭を叩く。適切なツッコミだ。


「あ、ああ……すまない、カレン。助かったよ」

 

 当人はまだ半分夢の中らしい。


「ううん……無事でよかった」

 

 カレンは小さく首を振る。その表情は、まあ……見なかったことにする。


 ――現実に戻れ。


「フィオナ、ルチア、ラスウェルを連れて下がれ。カレン、ヨシュアはいけるか?反撃に入るぞ!」


 ノールックで指示を飛ばして、俺は魔法を発動する。

 

「待たせた、ミリア! 『陣構築三連』!」


 俺は構築した魔法陣を一気に展開した。

 竜の背後に接するほど近い空間に一つ。

 上空二十メートル、地面と水平に一つ。

 そしてその中間に、球体の立体魔法陣が浮かび上がる。

 

「起動!」


 背後の魔法陣が光を放ち、竜の莫大な熱を強制的に抽出する。

 抽出された熱は瞬時に中間の球体魔法陣へと送られて圧縮され、最後は上空の魔法陣から虚空へと凄まじい勢いで排熱された。

 

 深淵の叡智、ヒートポンプって仕組みだ。


 白く熱く輝いていた竜の鱗がみるみるうちに黒ずみ、音を立ててひび割れていく。

 

「今だ! 攻撃!」

「よっしゃあ! 大きいのいくぜぇっ!」


 俺の合図と共にグラムが大剣を振るう。

 

 聖剣が強烈な光を放ち、その奔流が竜の胸元へ叩きつけられる。

 脆くなっていた鱗が粉々に砕け散り、竜が大きくのけぞった。

 

「はあっ!」


 俺が空中に形成した魔法の足場を蹴り、リーネが突撃する。

 

 空気が悲鳴を上げて裂けた。

 分身が見えるレベルの立体的な高速機動で、竜の巨体を次々と削っていく。

 

 剣が当たれば剣で切り裂き。

 足で蹴れば触れた鱗が刻まれる。


 蹴った反動でリーネは軌道を変え、重力を置き去りにして次の標的へ跳ぶ。

 触れた場所全てを切り刻む様は、刃の暴風の様だ。


 狂乱した竜が、断末魔の足掻きとばかりに極太の尾を一振りする。

 

 狙いは、グラムだ。

 吹き飛ばされるっ、その一撃の前にグラムを庇って、バロックとカレンが立ち塞がった。

 

 アンカーを打ち込み、大盾で尾を受け止める。

 金属が軋む音が、派手に鳴り響く。

 バロックとカレンの両足がズンッと地面に深く陥没したが、一歩も退かない。


 竜の動きが一瞬止まる。

 

 その隙を突き、リーネの剣が竜の胸元を深く掻き切った。


 紫色の禍々しい光を放つダンジョンコアが、完全に剥き出しになる。

 

「そこだぁっ!」


 跳躍したグラムの唐竹割りが、コアを真上から一刀両断に叩き割った。

 

 鼓膜を破るような大きな雄叫びを上げ、巨竜が地に伏した。


 主が倒れることでダンジョンの魔力供給が絶たれ、周囲のモンスター達も次々と崩れ落ちて塵になっていく。

 

「やったぞォーっ!」


 グラムが聖剣を天高く掲げて叫ぶ。

 

 少し遅れて、辺境伯騎士団の陣からも勝鬨が上がってくる。

 その歓声は次第に、「勇者グラム」を讃える熱狂的な声へと変わっていく。


 俺は、その光景をぼんやりと眺めた。

 絵になる男だ、とは思う。

 あの立ち姿、あの輝き、あの笑顔。

 

 英雄というのは、ああいう顔をしていなければならないらしい。

 

 俺には、到底無理な顔だ。

 ……別に、構わないが。

 

 MPはほぼ空で、指先の感覚が薄い。

 膝も笑っている。

 

 俺は小さく息を吐いて、視線をグラムから外した。

 

「……やれやれ。やっと本丸だよ」


 これでサブダンジョンは全て潰した。

 残るは魔王の本体のみだ。


「お疲れ様、アルト」

 

 戦闘を終えたリーネが、俺の元へ歩み寄ってくる。

 

「お疲れ様、リーネ。……あのアンクレット、役に立ってるみたいだな」

 

 俺が足元に視線を向けると、リーネは嬉しそうに目を細めた。

 

「おかげさまで。……竜の背中、思ったより動きやすかったわ」

 

 さらりと言ってのけるあたり、こいつの感覚はどうかしている。

 最悪の足場で舞うように戦っておいて、「動きやすかった」とは。

 

「……お前、普通そこで怖かったとか言うもんだぞ」

「怖かったわよ。でも、アルトが一緒だったから」

 

 リーネは少し笑った。

 

「いざって時は、アルトが作った足場があるし」

 

 それは、単純に魔法の精度の話だ。

 技術的な評価だ。

 そういうことにしておく。

 

「……もう少しだね」

 

 リーネが、遠くを見ながら呟いた。

 その視線の先には、魔王のダンジョンがある。

 

「ああ。もう少しだな」

 

 俺も、同じ方向を見た。

 隣に、リーネがいる。

 それが当たり前みたいに、そこにある。

 喉が、妙に詰まった。

 

《アルト。個体名リーネの接触により、高揚状態となっています》

(ああ、そうだな。まぁいいだろう、別に)

 

 今くらいは。

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