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第47話 熱の無い瞳

 朝霧がまだ辺りに漂う中、まず音が来た。

 霧の向こうから、地鳴りのような低い振動が大地を這い、岩盤そのものが震えを帯びる。


 丘の影に身を潜めるように、俺達、勇者パーティと『不滅の焔』10名は、息を殺して進んでいた。


 霧が晴れてくる。

 視界に地獄絵図が飛び込んで来た。


 地平線を覆い尽くすように、無数の怪物の群れが、津波のごとく押し寄せている。


 昨晩の地震で、大地を流れる魔力にわずかな乱れが生じた。

 変化そのものは、取るに足らない程度だった。

 普通なら、誰も気にしないレベルだ。


 だが、よりにもよって魔王の第五サブダンジョンは、魔力もモンスターも、限界まで詰め込まれて満タンだった。


 その結果、今朝未明ダンジョンは溢れ、スタンピードが発生した。


 俺たちは寝ているところを叩き起こされ、そのまま、ほぼ荷物扱いで現地に直行させられた。

 

 グラムと『不滅の焔』は、酒場で見事に潰れていたところをそのまま回収された。

 ほぼ着の身着のまま、ついでに中身もアルコールで満たされている状態で連れてこられた。


 仕方がないので、ミリアの全自動洗濯入浴とフィオナの解毒の加護で強制的に立て直した。人道的かは知らないが、あのまま戦場に放り出されるよりはいいだろう。

 

 そして現着早々、勇者パーティと『不滅の焔』は、別働隊として任務を与えられ——ある目的のため、絶賛ストーキング中だ。

 

 俺達は主戦場から少し離れたところを進行していたが、魔獣系モンスター達が四肢で大地を蹴るたびに、ずしりと重い衝撃が伝わってくる。

 

 獣毛に覆われた巨大な体躯、牛ほどの頭部に並ぶ無数の鋭い牙——それは人智を超えた悪夢の具現だった。

 

 地の果てまで続く異形達の波濤が、草原を飲み込み砂塵を巻き上げながら、騎士団の陣地へと疾走していく。

 騎士団の指揮太鼓の音、魔獣の咆哮、無数の足音が混じり合い、大気そのものが重く歪む。

 砂塵が空を覆い、太陽が霞んで見えた。


 騎士団は将軍の指揮の下、一つの生き物みたいに機能していた。

 集団魔法で統制を底上げされ、盾は噛み合い、槍は寸分の狂いもなく前へ出る。

 隙のないファランクスだ。


 ダンジョンの外――地形が開けていて、陣形を維持できる場所なら、こういう連中の方が強い。

 俺たち冒険者みたいな個人戦力は、ああいう“集団”で押してくる戦いには、どうしても分が悪い。


 逆に言えば、ダンジョンの中じゃ話は別だ。

 狭い通路、視界の悪さ、不意打ち上等の環境じゃ、集団魔法による統制は枷になるだけだ。

 ダンジョンの中で頼れるのは、個の技量だった。

 

 幾度目かの波が、騎士団に激突した。

 衝撃は凄まじく、大地すら揺れたように感じられた。

 

 しかし盾の壁は崩れない。

 

 魔獣たちが波のように押し寄せ、砕かれ、弾き飛ばされる。

 騎士達の槍が容赦なく敵の喉を、胸を、腹を貫く。返り血が赤いマントをさらに濃く染め、足元には魔獣の屍が積み重なっていく。


 モンスター達も引かなかった。

 一匹倒れれば十匹が来る。

 十匹倒れれば百匹が来る。 

 まるで追い立てられるように、魔獣たちは際限なく押し寄せてくる。

 

 騎士たちも引かない。

 槍が折れれば剣を抜く。

 剣が欠ければ素手で戦う。

 後ろに守るものがある――そういう事だ。

 そりゃ、引けない。


 嵐が岩壁にぶつかり続けているような光景だった。

 血は流れ続け、叫びは途切れない。

 

 将軍の号令とともに、鼓の音が響き渡る。

 弩兵が一斉に矢をつがえ、魔法が飛び交い、槍兵がモンスターを貫く。

 騎士達の命がけの連携が、怪物達の波を食い止めていた。


 鉄と肉がぶつかる鈍い衝撃、断末魔、魔法の炸裂音——風に乗って戦場音楽が届くたび、ラスウェルの顎がわずかに強張った。カレンの表情も、いつもより硬い。


 まあ無理もない。あの中には、二人にとっての“身内”が混ざっている。

 出奔したとはいえ、片や辺境伯の三男、片やその家臣の娘だ。

 割り切れと言う方が酷だろう。


 ……だからこそ、寄り道している暇はない。


(アビス。マジックパッシブソナー、標的の位置を割り出せ)

《了解、アルト…感あり。丘の下、三時方向に巨大魔力反応。ダンジョンボスと推定されます》


「ルチア。この丘の向こう、三時方向にデカい反応だ。確認頼めるか?」

「わかった。ちょっと行ってくる」


 次の瞬間、ルチアの姿がふっと消える。斥候スキル、光学迷彩だ。

 便利だが完璧じゃない。気をつけろよ。


 ――俺たち別働隊の任務はシンプルだ。

 スタンピードを指揮しているボスを叩く。

 ただそれだけ。


 ダンジョンモンスターには王がいる。

 命令は電流みたいに全個体へ走り、群れは一つの意思で動いていた。

 スタンピードのモンスター達はただ暴走しているわけじゃなく、明確な目的、俺達を倒すという意思の下で、攻撃してきていた。

 

 ただそれは、首を落とせばスタンピードは止まる、という事でもあった。

 要するに「斬首作戦」の実行部隊が、俺達だった。

 

(アビス。こっちの隠蔽、もう一段上げるぞ)

《了解。結界への魔力注入量を30パーセント増加します》


 展開中の結界が、かすかに震えた。

 ……目立たないように動いてるつもりだが、敵も馬鹿じゃない。この状況で完全ステルスを要求するのは、わりと無茶な話だ。


「よし皆、バフをかけ始めるぞ。ミリア、全員に加速バフを頼む。フィオナは前衛とタンクに持続回復、準備だけでいい」


「は、はいっ!」とミリアが慌てて詠唱に入る。光がぱっと広がり、ついでに本人も少し輝度が上がった。


「了解です」とフィオナが短く応じ、静かに祈りを組み始める。

 隣でバロックが首を鳴らし肩を回している。カレンは無言で盾の握りを確認している。


「メインタンクはバロック、カレンがサブで頼む。接敵したら二人でヘイトをとってくれ」


「任せろ」とバロックが低く笑い、カレンは小さく頷いた。カレンは言葉数は少ないが、仕事は確実にこなす、安定したタンクだ。


 一拍置いて、俺は視線をリーネへ移した。


「リーネ、『鋭刃』を付与しとく。アンクレットはいきなり実戦だ、過信はしないでくれよ」


「……はい」とリーネが息を整える。

 過信するなとは言ったが、たぶん聞いてないな、こいつ。


「あと、グラムとラスウェルは前に出すぎるなよ。今日は競争じゃない」

 

「ちっ、バレてるか」「誰がだよ」と二人が同時にぼやく。

 声のトーンは違うが、やることは同じなのが厄介だ。

 アタッカーっていう人種は、どうして、こう似ているのか。割と本気で不思議だよ。


「私は、どうしましょう?」


 ヨシュアが手を上げて、聞いて来た。


「ヨシュアは、MP温存しておいてくれ。今回もラスウェルの『聖戦士』が、重要だと思っている」

「わかりました。責任重大ですね」


 ヨシュアは、少し後退気味の額を撫で上げて、微笑む。誠実そうな瞳が頼もしい。


 その横で、ラスウェルがグラムにドヤ顔で何か言っている。

 グラムはいつも通りキラキラした目で受け流していた。煽り耐性だけは無駄に高いな、勇者。


 付き合いは浅いが、『不滅の焔』は悪くない。

 戦力としても、チームとしても、流石金級パーティだ。


 ――これなら、勝てる。


 そう思った瞬間だった。

 ルチアが姿を現した。

 光学迷彩が解ける。息が荒い。顔色も良くない。


「……いたよ。竜種だ。かなり強化されてる」





 丘の麓に、巨大な影が蹲っていた。


 推定全長はゆうに10メートルを超え、神話から這い出たかと錯覚するほどの、途方もない巨大さだ。

 

 背を覆う装甲のような鱗板は分厚く、爛れたように凸凹し、全身から生命の危うさと野蛮な原始性が滲み出ていた。

 異様に発達した四肢、そして背中に並ぶ、二つの歪な翼。それは自然の摂理から逸脱した存在の、粗暴な異形だった。


 この巨大な異形には、「熱」が無かった。

 

 あるのはただ無機質で機械的な「破壊への演算」のみだった。

 熱を帯びた威圧感ではなく、絶対零度の静寂に包まれた、底知れぬ凄み。

 それがかえって、背筋が凍るような純粋な死の予感を周辺に漂わせている。

 

 黄色く濁ったガラス玉のような瞳は瞬き一つせず、ただ冷徹に獲物として、辺境伯領騎士団を見つめていた。

 

 その一歩が人を踏み潰し、その尾の一振りが馬を吹き飛ばす。

 ただ存在するだけで、周囲のすべてを破壊していく。そんなイメージが純粋な恐怖として俺の心臓を掴んだ。

 

 気づけば、息が浅くなっていた


 眼下の巨大な存在を前に、指が動かない。脚が竦む。

 勇者パーティとして覚悟してきたはずだったが、初めて本物の恐怖と向き合っていた。


 バロックが、続けてカレンが、雄叫びを上げた。

 タンクスキル、ウォークライだ。野太い、だが、心強い響きが、恐怖を薄める。


 身体が動く。


 フィオナとヨシュアが、『勇気の加護』を紡ぐ。凍えかけた闘志に熱が戻ってきた。


 精神が立ち上がる。


「行くぞ!」


 俺達は、ダンジョンボス目掛けて、駆け出した。


 竜が、黄色い瞳をゆっくりとこちらへ向けた。

 戦いの始まりだった。

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