第46話 元嫁への贈り物(業務用)
突然の乱入に、俺とミリアは弾かれたように慌てて距離を取る。
「あれぇ? 私、お邪魔しちゃいましたかぁ?」
足元も覚束ない程酔っ払ったルチアは、へらへらと笑いながら俺にすり寄り、そのまま体重を預けてしなだれかかってきた。
うわっ、酒くさっ
「いや、お邪魔とか、そんなんじゃないけど……やっぱ、お邪魔ではあるな。出てけよ、酔っ払いめ」
「ひどぉい。こんな美少女が会いに来てあげたのにぃ」
ルチアは、雑な扱いにもめげずに、ケタケタと楽しそうに笑う。
……こいつも無敵かよ。
「ウチの連中と、あんたのとこのバカ勇者と飲んでたんだけどぉ……なんだか人肌が恋しくなってぇ」
ルチアは甘ったるい声を出して、俺の首にぬるりと腕を回してきた。
「あっためて?」
酒精に揺れた青い瞳が、俺を見ていた。
酔っ払っい特有の、少しベタついた汗がまとわりつく。
「なんで俺なんだよ。グラムか、ラスウェルに言えよ。一緒に飲んでたんだろ?」
「いやぁ、ラスにはカレンが居るしぃ? バカ勇者は、話しにならないわよー」
「グラムでいいじゃん? 勇者だし」
俺が適当に押し付けようとすると、ルチアは露骨に顔をしかめた。
「あんた、それ本気で言ってる? あいつ、人形みたいで気持ち悪いのよねー」
「……なるほど?」
グラムの底抜けの陽キャぶりは、時に違和感レベルで、人間性を欠いているように見えることがある。
ルチアの意外に鋭い評価に、俺は妙に納得してしまった。
「もぉ! いい加減に、アルトさんから離れてくださいっ!」
空気をぶち壊されたミリアが、限界とばかりに頬をプクッと膨らませ、俺の腕を掴んでルチアから引き剥がそうと引っ張る。
「あはっ、ヤキモチ? 可愛いー! 嫌よー、アルトは私を暖めてくれるのよねー?」
「誰も、そんな事言ってないだろ……」
右腕には酔っ払いのルチアがぶら下がり、左腕は怒ったミリアが引っ張っている。
げんなりとした疲労感がどっと押し寄せてきた、その時だった。
開けっぱなしだった扉の向こうに、人影が立った。
嫌なタイミングというのは、どうしてこうも正確に重なるんだろうな。
「アルト、ごめんね。ドア、開いてたから入らせてもらっ――」
リーネの声が、途中で止まった。
紫の瞳が、まっすぐ俺を捉える。
正確には、俺の右腕にぶら下がるルチアと、左腕を掴んだままのミリアごと。
……終わったな、と一瞬で理解した。
しかも、問題なのはそこだけじゃない。
リーネは、少しだけ化粧をしていた。
ほんのりと頬と唇に色が乗っていて、普段よりまつ毛も整って見える。
意識しなければ見逃す程度の薄化粧。
けれど、だからこそ分かる。
わざわざ、考えて、迷って、それでも整えてきたのだ。
俺が「今夜、渡したいものがある」と呼んだから。
今のこの構図は、そういう面倒で、繊細で、大事な感情をひっくり返すには十分だった。
(最悪すぎる。タイミングも状況も、全部クリティカルしてる)
「……すまない、リーネ。一分だけ待ってくれ。説明はちゃんとする」
できるだけ平静を装って言い、俺は両腕にしがみついている二人へ向き直った。
「ミリア、ルチア。悪いが、俺はリーネと約束がある。今日はここまでにしてくれ。……真剣に頼む」
自分でもわかるくらい、声が冷えていた。
冗談を挟む余地のない、完全な“賢者業務モード”だ。
その空気に押されたのか、ミリアははっとしたように目を見開き、すぐに手を離した。
唇をきゅっと結んで、何か言いかけて飲み込む。視線が一瞬だけ俺とリーネの間を揺れて、それから小さく息を吐いた。
「……わかりました。ご迷惑をおかけして、すみません。リーネさんも、ごめんなさい」
俯いたまま、足早に部屋を出ていく。
その背中が、やけに小さく見えた。
「あーあ、シラけた。ごめんねぇ、アルト、リーネ」
ルチアは肩をすくめてみせたが、口元の笑みはいつもより薄かった。
空気の読み方はさすがだが、引き際の雑さも相変わらずだ。
ひらひらと手を振りながら廊下へ出ていき、そのままミリアの後を追う。
去り際、小さく舌打ちが聞こえた気がしたが――たぶん、気のせいじゃない。
廊下に残されたリーネへ、俺はひとつ深く息を吐いてから声をかけた。
「リーネ、すまない。中で話そう。入ってくれ」
「……うん」
小さく頷いた声は、かすかに強張っていた。
おずおずと部屋へ入ってくる。背後で扉が閉まり、カチャリとラッチが落ちる音が妙に大きく響いた。
《アルト。気の利いた言い訳を提示しますか?》
(……いらない)
※
リーネは部屋の中央で立ち止まったまま、俯いていた。
両手の指先が、落ち着かないように細く組まれている。
……そりゃそうだ。
状況が悪すぎる。
「……まず、あの場面を見せたのは悪かった。誤解されても仕方ない状況だったと思う」
言いながら、俺は変に取り繕うのをやめた。
ここで綺麗にまとめようとしたところで、たぶん逆効果だ。
「ミリアは、さっき俺に告白しに来た。……でも、断った」
リーネの肩が、ぴくりと小さく揺れる。
「ルチアは、あいつのいつもの悪ふざけだな。今日は酒が入ってた分、余計に質が悪かった」
「……いつもの、なの?」
俯いたまま飛んできた言葉に、思わず目を瞬いた。
……そこ、気にするのか。
「あー……ここ二、三日、グラムが『不滅の焔』の連中と飲みに行ってるだろ。その流れで来るようになった。今日で三回目くらいだ」
「……そう」
短い返事。
けれど、その声には微かに棘があった。
嫉妬なのか、不機嫌なのか、あるいはその両方か。
沈黙が落ちる。
やがてリーネが、ゆっくりと顔を上げた。
薄化粧のせいか、いつもより表情の揺れがわかりやすい。傷ついた顔を隠しきれていない。
「……断った、の?」
「ああ」
俺は視線を逸らさず、はっきり頷いた。
「俺は、ミリアの気持ちには応えられない」
言い切ると、胸の奥に少しだけ重たいものが落ちた。
それでも、ここは曖昧にするところじゃない。
「……そっか」
息を吐くような、小さな声だった。
安堵と、痛みと、まだ消えきらない不安が、全部少しずつ混じっているように聞こえた。
「続けていいか?」
「……うん」
俺は机の上に置いてあった細い金の鎖を手に取る。
正確には、一対。左右の足首に着けるための二本のアンクレットだ。
ランプの光を受けて、金の細鎖が控えめに揺れた。
「今日は、これをお前に渡したくて来てもらった」
リーネの目が、わずかに見開かれる。
「……これを、私に?」
「ああ。戦闘用の魔道具だ。お前の“あの戦い方”に合わせて組んだ」
俺は片方を軽く持ち上げて見せた。
「『鋭刃』の効果を底上げして、魔力効率も少し改善してある。脚に流した時の損耗を減らせるはずだ」
「……っ」
リーネが、一歩だけ近づいた。
視線は完全にアンクレットへ吸い寄せられている。
「この前の戦い、見てたからな。……正直、あの四刀流は凄いと思った」
そう言うと、リーネの喉が小さく動いた。
けれど、すぐには言葉にならないらしい。
「あのままでも強い。けど、まだ伸びると思った。だから、余計なお節介かもしれないが、作ってみた」
俺は一対のアンクレットを差し出す。
「使うかどうかは任せる。でも、お前なら使いこなせると思ってる」
リーネは、すぐには受け取らなかった。
まるで本当に自分に向けられたものなのか、確かめるみたいにじっと見つめている。
やがて、恐る恐る手が伸びた。
細い指先がわずかに震えている。
「……私に、こんなの……」
かすれた声だった。
信じられない、という響きと、嬉しさを押さえきれない響きが半分ずつ混ざっている。
「ありがとう、アルト……」
受け取った瞬間、彼女はほんの少しだけ俯いた。
隠そうとしているのに、口元がどうしても緩んでしまっている。
嬉しいのが、わかりやすすぎる。
――よかった。
そう思いかけて、俺は内心でブレーキを踏んだ。
……いや、待て。
これは魔王討伐に必要な戦力補強だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
《アルト。言い訳がましいですね》
(……そういうことにしといてくれ)
「……で、使うならサイズを合わせるけど?」
「えっ、い、今ここで……?」
露骨に動揺した。
ついでに頬も赤い。寒さのせいではなさそうだ。
「当たり前だろ。実戦でズレたら意味がない」
「じゃ、じゃあ……お願いします」
「わかった。そこに座って、靴を脱いでくれ」
「……う、うん」
リーネは椅子に腰掛けると、少しぎこちない手つきで靴を脱いだ。
薄い靴下越しでも分かるくらい、足先に力が入っている。
俺は片膝をつき、彼女の前にしゃがみ込む。
「……脱がすぞ」
「……っ」
小さく息を呑む音がした。
靴下を脱がせて、リーネの細い足首をそっと自分の膝に乗せる。
触れた瞬間、ぴくりと震えた。
……そこまで驚く距離でもないだろ。
逃げるようにわずかに引こうとする足を、軽く押さえる。
「動くなよ。測りにくいだろ」
「ご、ごめん……」
謝りながらも、声が少し上ずっている。
耳まで赤い。ここまで分かりやすいと、逆に反応に困るな。
俺は片方のアンクレットを足首へ回し、長さを微調整していく。
刻印の位置がずれないよう、指先に意識を集中させる。
《アルト。個体名リーネの下肢を視認してから、脈拍が12パーセント増加しています。鎮静を実行しますか?》
(うるさい、黙れ)
金の鎖が白い肌に沿う。
戦闘用の魔道具だが、見た目だけなら普通の装飾品にも見えた。
もう片方も同じように合わせながら、ふと顔を上げる。
リーネは、膝の上に置いた自分の手をきゅっと握りしめていた。
緊張しているのか、照れているのか、その両方か。
でも、さっきみたいな傷ついた顔は、もうしていなかった。
――その時だった。
かすかに、床が揺れた。
ほんの一瞬だけ、石床が軋む。
気のせいと言い切れる程度の小さな振動。だが、昼間までスタンピードの話をしていたせいか、妙に胸の奥へ引っかかった。
地震、か……?
揺れはすぐに収まった。
リーネは気づいていない。俺も何も言わず、作業を続ける。
だが、さっきまでとは少し違う種類の沈黙が、薄く胸の奥に残った。
※
その夜。
俺が床について、どれくらい経った頃だったか。
遠くから、腹の底に響くような低い轟音が聞こえてきた。
魔王は、ついに俺たちの世界へ牙を剥いた。
魔王第五サブダンジョン。
そこから、制御を失ったモンスターの大群が溢れ出す。
スタンピードが始まった。




