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第44話 阿修羅の流れ

 地面を埋め尽くしていた鬼系モンスターの骸達が、黒い塵となって崩れていく。

 洞窟特有の湿った風が、魔石が転がる音と共にその残滓をさらっていった。

 

 ボスの間の巨大な石扉を背に、俺は一度深く息を吐く。

 

「……全員、無事か?」

 

 中衛から声をかけると、前衛の面々がゆるゆると振り返った。

 

 宙に浮遊するミリアの光精霊魔法――大きく輝く蛍のような光球たちが、疲弊した彼らの姿を照らし出す。

 

「こっちは大丈夫だぜ、アルト! まだまだイケる、絶好調だっ!」

 

 勇者グラムが、返り血でべっとり汚れた顔で歯をキラーンと光らせた。

 髪はボサボサで、聖剣を杖代わりにしなければ今にも膝をつきそうな有様だが、その瞳だけはビームが出せるんじゃないかって勢いで輝いている。

 ある種、感心するほどのタフさだ。

 

「……ざっと見渡した感じ、重傷者はいませんね」

 

 最後尾から、メイスを肩に担いだヨシュアが冷静に告げる。

 流石に、目の下に隈ができてるな。

 

 俺は頷き、指示を飛ばした。

 

「フィオナ、ヨシュア、ミリア。前衛の回復を頼む。特にバロックとラスウェル、リーネから先に診てやってくれ」


 そして、俺は横でへたり込んでいる、ルチアに声をかける。

 

「ルチア、悪いが周辺警戒を」

「わ、わかったわよ……」

 

 焦茶色の髪に青い瞳の斥候少女は、岩場に座り込んで激しく肩を上下させていたが、俺の言葉に重い腰を上げた。

 膝に両手を当て、必死に立ち上がる彼女の姿には、いつもの挑発的な余裕はない。

 彼女もまた、この三日間で限界まで使い倒した「戦力」の一人だ。

 

(アビス。全員のコンディションをスキャン。一覧表示してくれ)

《了解、アルト。……投影を開始します》

 

 網膜に、パーティメンバーのステータスがリアルタイムで投影される。

 

 HP損耗率、MP残量、疲労蓄積度。

 

 前衛のHPがヒーラーたちの魔法でじわじわと回復していく一方で、後衛のMPが反比例して低下していく。

 

 ――振り返れば、この三日間は文字通りの地獄だった。

 

 初日は、分断と挟撃。その夜には二度の夜襲。

 二日目は、洞窟内に築かれた砦の強行攻略。文字通り血で血を洗う攻城戦だった。

 そして三日目の今日、このボスの間へと続く大空洞での大群撃破。

 

 さすがに四つ目のサブダンジョンともなると、難易度が跳ね上がっている。

 

(『不滅の焔』がいなかったら、俺たちは初日の落盤でかなりやばかっただろうな……)

 

 俺は彼等の様子を、再確認する。

 

 視線を向けると、回復魔法を受けているラスウェルの様子がおかしかった。

 フィオナの手が彼に触れるたび、耳まで真っ赤にして挙動不審になっている。

 

《警告。個体名ラスウェル、個体名フィオナに対し軽度の『魅了』状態。レジストさせますか?》

(……介入が必要なレベルか?)

《いいえ。自然回復が期待されます》

(なら、放置でいい。俺のMP残量も厳しい。戦いに支障が出ないなら、スルーで)

 

 視線を流していくと、自然と一人の女性で固定された。

 

 返り血を浴びてもなお、清楚な美しさを残している元嫁——リーネだ。

 

 彼女がこの三日間で見せた立ち回りは、俺の中の「剣士リーネ」の評価を、二段階は引き上げた。

 

 彼女は、俺が剣に付与した魔法『鋭刃』を、自らの意思で「脚」へと転化させていた。

 二刀流の剣戟に加え、鋭利な斬撃と化した蹴りが、オークの首を跳ね飛ばした時は、さすがに驚いた。

 

《補足。個体名リーネの攻撃回数は、独自の魔力運用により以前の1.4倍に増加しています》

(そうか。腕二本に脚二本……単純計算で四刀流ってわけか)

 

 皮肉な話だ。

 離婚してからの方が、リーネは剣士として急速に伸びている。

 あれだけ隣にいたのに、その伸びしろに気づけなかったのは俺だ。


 ……結局、俺はリーネを見ていたつもりで、何も見えていなかったらしい。

 情けない話だ。

 今さらになって、その事実がじわじわと胸に刺さってくる。


「アルトさん、前衛の処置が終わりました」

 

 フィオナの声で、思考を切り替える。

 網膜のステータスを確認。HPはほぼ全快。残るはMPリソースの補充だけだ。

 

「よし。フィオナ、ヨシュア、ミリア。マジックポーションでMPを回復してくれ。……扉の向こうに、このダンジョンの主が待っている」

 

 俺は黒いローブの裾を払い、冷徹な「賢者」として石扉を見据えた。

 

「行くぞ。ボス戦だ」




 

 ボスルームの、巨大な空洞へ足を踏み入れた瞬間、世界の尺度が狂う。

 頭上の天井は闇に溶け、どこまで続くのか判別できない。

 足元から吹き上がる冷気は、深い井戸の底から吐息が漏れるように湿り、重く、肌にまとわりつく。


 空洞には、太古の地殻変動が生んだ巨大な石柱が林立している。風が通り抜けるたび、石柱同士が低く唸り合い、洞窟全体が生き物の胸腔のように震える。


 そんな、広大な空間に鎮座していたのは、異様な威圧感を放つ『神』だった。

 

「……アイツが、ボスか」

 

 アビスのデータベースと照合するまでもなく、その姿は異国の宗教画で見た『阿修羅』そのものだった。

 

 六道の一つである修羅道の主にして、果てなき戦いの神。

 三つの顔と、六本の腕。

 六つの手にはそれぞれ形状の異なる剣が握られている。

 細身ながらも鋼のように引き締まった上半身は裸で、異国風の条帛や絢爛な装飾が巻き付いている。

 そして何より目を引くのは、その顔面だ。人間の業の深さ、怒り、悲しみ、憎悪を煮詰めたような鬼の形相が、侵入者である俺たちをねめつけていた。

 

「ミリア、加速バフを前衛に頼む! フィオナはバロックとカレンに持続回復の加護だ。カレンはタンクの交代枠として待機。

 しばらくはヒーラーとして前衛の回復を手伝ってくれ。ヨシュアは『剛力』の加護を前衛に頼む。……行くぞ!」

 

 俺の指示を皮切りに、色とりどりの魔力光が洞窟を飛び交う。

 ミリアの翠色の風が前衛の背を押し、フィオナの白い光、ヨシュアのオレンジの光が彼らの身を包む。

 

 それを合図に、グラム、ラスウェル、バロック、そしてリーネの四人が一斉に阿修羅へと突撃した。

 

 迎え撃つ阿修羅は、六本の腕を自在に操り、四人の戦士を相手に迎撃を開始した。

 

 まずは、持続回復を受けた巨漢のバロックが前に出る。

 

 自前のタンクスキルである『挑発』と『多重防御』を展開。

 彼の分厚い鎧と大盾が淡く鈍い光を帯び、金属の表面をなぞるように緻密な魔力の紋様が走る。

 次いで、バロックの全身を覆うように、薄く透明な魔力のシェルが展開された。

 

 阿修羅の三つの顔がバロックを向き、ヘイトが完全に固定される。

 直後、六本の剣が暴風のような連続攻撃となってバロックを襲った。


 大きな岩塊が衝突したような、鼓膜を破るような轟音が響き渡る。

 

 一撃。


 たったの一撃で、バロックのマジックシェルが硝子細工のように粉砕された。

 そのまま二撃目、三撃目が盾を弾き、四撃目がバロックの肩口を深く抉る。

 

 血飛沫が舞い、巨体が揺らぐ。

 

 だが、すかさずカレンから癒しの加護が飛び、裂けた肉が瞬時に塞がっていく。

 

 グラム、ラスウェル、そしてリーネがその隙に左右から連携して斬りかかる。


 三人三様の攻撃を叩き込んでいるはずなのに、阿修羅は余った腕でそれを軽く弾いてくる。

 純粋な力も技量も、神様はこっちより一段上らしい。ありがたい話だ、本当に。


「くそっ、ざっけんなよ!」


 グラムが珍しく声を荒げ、大剣を雑に叩きつける。だが結果は同じで、全部まとめていなされている。

 ……あいつがこんな分かりやすく苛立つのは、正直ちょっとレアだ。


《アルト。個体名グラムから『恐怖』を検出》

(へえ、初見だな。それ)


 本音を言えば、あいつの内面なんて一生どうでもいい。

 だが今回は、その“らしくなさ”が妙に引っかかった。


《アルト。初見ではありません。個体名グラムの『恐怖』は、魔王の第一サブダンジョンボス戦で、一度だけ検出されています》

(……そうだったか?気が付かなかったな)


 俺とアビスの脳内会話は、ラスウェルの怒声で中断された。


「ヨシュア!俺に『聖戦士の加護』を! ルルゥ、魔力を俺に!」

「分かりました!」

「わかったわ、行くわよ!」

 

 後衛からヨシュアの神聖な祈りがラスウェルを包み込み、同時にルチアの青い魔力が彼に注ぎ込まれる。

 

 『聖戦士の加護』。

 複数人の魔力を一人の術者に注入し、一時的かつ爆発的に自己魔力を増大させる荒業だ。

 加護が切れた後の反動は凄まじく、酷い倦怠感に苛まれるという、まさに諸刃の剣、最後の切り札だ。

 

 莫大な魔力を受けたラスウェルの身体が、神々しい金色のオーラに包まれる。

 

「おおおおぉぉぉっ!! 『魔灼剣』ッ!!」


 彼が掲げた剣が青白い超高熱の光を放ち、刀身が数メートルにも及ぶ光の刃となって伸びた。

 空気を焦がす熱波の中、ラスウェルが渾身の力で阿修羅へと斬りかかる。

 

 阿修羅は二本の剣を交差させて防御を試みたが、青白い光刃に触れた瞬間、阿修羅の剣がドロリと溶け落ちた。

 そのまま光の刃は、阿修羅の右腕の一本を根本から斬り飛ばす。


 阿修羅は苦悶の声を上げたが、怯まなかった。

 残った五本の腕が、複雑な印を結ぶ。

 斬り飛ばされた腕の断面から、禍々しい紫の光が滲み出し――次の瞬間、腕が再生し始めた。

 

「……再生するのか」

 

 俺は舌打ちをこらえた。

《警告。アルト。阿修羅の魔力出力が急上昇しています。推定、第二段階です》

 

 その言葉通り、阿修羅の三つの顔が同時に天を仰いだ。

 

 直後、ボスルーム全体が紫の魔力光に包まれ、足元の床が爆発的な速度で凍りついていく。

 

「逃げろ!床が――」

 

 俺の叫びが間に合わなかった。

 

 瞬く間に、前衛の四人の足元が氷に閉じ込められる。

 グラム、ラスウェル、バロック、リーネ。全員が膝まで凍りつき、動きを封じられた。

 ラスウェルの魔灼剣が冷気に晒されて、物凄い音で蒸気を上げている。

 

「っ、動けない……!」

「くそ、足が……!」

 

 そして阿修羅は、動けない獲物へ向けて、五本の剣を一斉に振り上げた。

 

《致死判定。回避不能》

(――わかってる!)

 

 俺はすでに詠唱を開始していた。

 残存MPを全て突っ込む。

 

 俺は戦闘不能になるかもしれない。

 それでも。

 あいつはやらせない。

 

「『絶界•障壁•最大展開』」

 

 俺の全身から、青白い魔力が爆発的に吹き出した。

 前衛四人を丸ごと覆う、巨大な障壁が展開される。

 阿修羅の五本の剣が、障壁へ同時に叩きつけられた。

 

 轟音。

 

 障壁にひびが走る。

 一撃。二撃。三撃。

 ひびが、蜘蛛の巣状に広がっていく。

 ヤバい、気が遠くなってきた。

 俺は、よろめいて片膝をついた。

 

「アルト!」

 

 リーネの声が聞こえた。

 

「俺はいいから……お前たちは、氷を砕いて脱出しろ!」

 

 四撃目で、障壁の表面が粉砕される。

 五撃目が来た瞬間――

 

「『聖盾』!」

 

 フィオナ、ヨシュア、カレン、三人の加護が、俺の障壁へ重なった。

 

 四枚重ねの障壁が、五撃目をかろうじて受け止める。

 

 その数秒で、リーネたちは氷を斬り砕き、脱出した。

 

 障壁が、砕け散って消滅した。

 俺は両手をついた。視界が、白く滲む。


《警告。アルトのMP残量、臨界値以下。魔法行使、不能》

(……わかってる)


「アルトさん!」


 ミリアが駆け寄ってくる気配。

 その一瞬、リーネの動きがわずかに止まった。

 ――迷い。


 だが、それもほんの刹那だった。次の瞬間には、彼女は阿修羅へ一直線に踏み込んでいる。


(……それでいい。頼んだ、リーネ)

「そこっ!」


 銀髪をなびかせ、迷いを振り切るように、彼女は阿修羅の懐へと滑り込んだ。

 

 自身に『鋭刃』を付与した、彼女独自の四刀流が炸裂した。

 

 右の剣で阿修羅の脇腹を薙ぎ払い、反転の勢いで放たれた左足の踵落としが、刃となって二本目の腕を断つ。

 さらに流れるような左剣の袈裟懸けで三本目を落とし、最後は踏み込みからの右足の回し蹴りが、四本目の腕を肘から切断した。

 

 舞い踊るような四連撃。


 一瞬にして四本の腕を斬り飛ばされた阿修羅は、大きく体勢を崩した。

 

 最後は、聖戦士の一撃だった。

 跳躍したラスウェルが、蒼白く燃える魔法剣を上段から振り下ろす。

 唐竹割りに叩き込まれた一撃は、阿修羅の鬼の顔の一つを真っ二つに両断した。


 趨勢は決した。


 金級冒険者三人の波状攻撃を受け、戦いの神はついに膝を折った。

 さすがに無限リソースじゃないらしい。少し安心した。


 この隙を逃す連中でもない。三人は示し合わせたように、一斉に阿修羅へ殺到する。


 巨体が崩れ落ちると同時に胸部が砕け、禍々しい紫光を放つダンジョンコアが剥き出しになる。

 いかにも「ここを壊せ」と言わんばかりで、親切設計もいいところだ。


「これでトドメだッ!」


 グラムが聖剣を突き立てる。

 甲高い破砕音が洞窟に響き、コアはあっさり粉々に砕け散った。


 その瞬間、洞窟全体が地鳴りのように震えた。

 足元が揺れ、魔力の奔流が突風みたいに鼓膜を叩く。


 やがて阿修羅の残骸は光の粒子になって消え、後には耳鳴りがするほどの重たい静寂だけが残った。


「……よっしゃぁ! ダンジョンクリアだぜ!」


 グラムが膝をついているラスウェルに、勢いよく抱きつく。

 加護が切れてヘロヘロの相手にやることじゃない。


「ラスウェル、お前の最後の技、スゲーな!」

「ば、馬鹿、暑苦しい! 離れろ……今、動けねえんだよ……っ」


 そんな騒がしい光景を少し離れた場所から眺めながら、俺は小さく息を吐いた。

 ミリアの魔力回復のおかげで、何とか一息つけた。ありがとう、ミリア。


(……さすがに四つ目ともなると、楽はさせてくれないな)


 『不滅の焔』がいなければ、詰んでいた。

 そう考えると、礼を言うべき場面なんだろうが――まあ、それは後でいい。


(残り、あと二つか)


 俺は暗い洞窟の奥へ視線を向ける。

 魔王討伐も、ようやく折り返し地点だ。


 ふと横を見ると、リーネがミリアの肩に手を置き、何か言って笑っている。

 返り血と泥で銀髪はひどい有様なのに、本人は気にした様子もない。


 ……ああいう顔、久しぶりに見たな。


 さっきの四連撃は、障壁越しにちゃんと見ていた。


 リーネは、自分で前に出た。

 剣士の責任を果たす為、踏み込んだんだ。


 ……なら、俺の役目は一つだ。


 次も、『鋭刃』をあいつに渡す。

 あいつなら使い切る。そう確信できた。


 ――よかった。


 何だろう。

 俺の胸に空いた穴に、何かが注がれていく。

 ……余計な意味は考えないようにして、俺は視線を洞窟の奥へ戻した。

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