第43話 剣士の新しい力
洞窟の奥から地を這うような咆哮が、地鳴りの様に響いてくる。
暗闇の向こう側、幾十もの赤く光る眼が段々と増えてくる。
分断された状況で、私の心臓は早鐘を打っていたけれど、それは恐怖のせいだけではなかった。
「最初に、でかいのを一発かますぞ!」
アルトが灯した青白い魔法光に、感情を削ぎ落とした横顔が、闇の中に白々と浮かんでいる。
アルトの喉から放たれる詠唱は、まるで金属片を擦り合わせたように無機質で、温度を持たなかった。
声はすぐに洞窟の天井へ吸い上げられ、遅れて幾つもの影のような残響となって降りてくる。
彼の足元には浅い水たまりが広がり、詠唱の振動に合わせて微かに波紋が揺れる。
反響は途切れず、空間全体がひとつの巨大な共鳴器となって震えているようだ。
息の混じり方は不自然で、時に乾き、時に湿り、まるで別の存在が彼の喉を借りて呪文を紡いでいるかのように質感が変わる。
彼の中に棲む“何か”が詠唱している――そんな錯覚に襲われ、一瞬、眩暈がした。
「こんな複雑な合成魔法を、短縮詠唱で……っ」
背後で、ヨシュアさんが息を呑む気配がする。
隣のカレンさんも、鋭い三白眼を見開き、信じられないものを見るようにわずかに口を開けたまま、動きを止めていた。
伸ばした声が、洞窟の壁に触れた瞬間、音は微かに歪み、ツンとした乾いた刺激臭が辺りに流れる。
その直後、音は突然輪郭を持ち、鋭い電光を帯びてアルトの胸元に集まる。
声が“実体”を得る。
闇を切り裂き、二十体を超えるオークとゴブリンの群れが、涎を垂らしながら肉薄してくる。
その醜悪な殺意が届くよりも早く――アルトは静かに右腕を突き出して、呪文名を唱えた。
『絶唱•雷流•多連』
刹那。
視界が、暴力的なまでの紫の光に染まった。
彼の掌から放たれた紫電の奔流が、洞窟の壁を、天井を、そして迫り来る魔物たちの身体を容赦なく貫いていく。
閃光に照らされたアルトの横顔は、すべてを蹂躙する魔王のように見えた。
動悸が早くなる。
胸の奥に、鋭い後悔が食い込む。
悪魔との契約のことを、私は知っている。彼が何故悪魔を受け入れ、何を差し出したのかも。
魔王のダンジョンで、彼が異能を見せる程、私は自分の罪を思い知る。
……心の中から声が聞こえてくる。
許されるはずがない。
——息が、詰まる。自分の罪に押し潰されて、うまく呼吸ができない。
「……残り五体だ! カレン、前に出て抑えられるか?」
アルトの声で、現実に引き戻される。
閃光が収まった後、辛うじて生き残った五体のオークが、仲間の骸を踏み越えて怒り狂って突進してくる。
「……わかった」
カレンさんがハスキーな声で短く応じ、大盾をガン、と鳴らして前に出る。
彼女の放つ挑発のスキルが、オークたちの殺意を一身に引きつけていく。
「リーネ。カレンが引きつけている間に、横から切り込んでくれ。今回はミリアの加速バフがない、気をつけろよ」
「はいっ!」
昔と変わらない声かけに、一瞬、視界が滲みかける。
……だめだ。甘えるな。
考えるんだ。私がアルトの為に何が出来るかを。
今は、剣としての責任を果たせ。
地面を蹴る。
カレンさんに殺到する五体のオーク。その中で、アルトの魔法で手負いになった一体へ斬り込んだ。
――硬い。
刃が弾かれるような手応え。
皮膚が、まるで岩だ。浅い傷しか刻めない。
魔王ダンジョンの強化作用だろう。
防御力が上がっている。
そのとき、アルトの魔力が私の剣へと流れ込んできた。
付与魔法『鋭刃』。
彼の力が、剣の切れ味を上げる。
次の一撃は、抵抗を感じることもなく、その肉を深く裂いた。
銀光が閃く。
一撃。
二撃。
三撃目で、オークが崩れ落ちる。
隣では、カレンさんが四体のオークに、攻撃されている。
私は、手近な二体に斬りかかった。
カレンさんは棍棒の連打を受けながらも、冷静に盾と剣でいなしている。
だが数が多い、このままでは押し切られる。
急がないと。
アルトの魔力が、両手の二振りの剣に熱を灯す。けれど、それだけじゃ足りない。
私は付与された『鋭刃』の魔力を、意識で無理やり引きずり出し、足先へと滑らせる。
本来は武器に宿るはずの断ち切る力を、自分の身体へと強引に変換する。
踏み込むと同時に、独楽のように鋭く旋回する。
二本の剣でオークの棍棒をいなし、無防備になった脇腹へ蹴りを叩き込んだ。
魔力を纏った刃が、肉を裂く。
剣ではなく脚が、厚い皮膚を深く切り裂き、鮮血が舞った。
……通る!
続けざまに、地を這うような足払いで足を薙ぐ。
オークが体勢を崩した隙に側転で宙へ逃れ、着地の勢いを乗せた回し蹴りを叩き込む。
二刀と足技を織り交ぜ、視線を逸らし、リズムを崩す。
砂を蹴り上げて目潰しをした瞬間、独楽のように旋回し、刃と化した蹴りでオークの頸部を切り裂いた。
旋回蹴りの終わり際、その勢いのまま、もう一体の懐へ潜り込む。
間合いの内側から、剣の一撃を叩き込んだ。
一瞬の静寂。
遅れて、地響きを立てて二体のオークが倒れた。
次だ!
カレンさんは、何回か被弾していた。
けれど、彼女は傷を負っても次の瞬間には淡い光に包まれ、塞がっていった。
(自分で、回復を……。聖騎士としての技量も、本物なんだわ)
カレンさんは隙を見ては剣を振るい、オークを確実に削っていく。
動きの鈍った一体に対し、彼女は魔力を込めた大盾を叩きつけた。
シールドバッシュだ。
盾の接触面で爆発が起き、オークが巨体を仰け反らせて崩れ落ちる。
その時、背後からヨシュアさんの『剛力の加護』が飛んでくる。
身体が、羽が生えたように軽くなる。
カレンさんに気を取られていた最後の一体。
その死角へ、私は滑り込んだ。
アルトの付与魔法、ヨシュアさんの加護。
二つに後押しされ、私はオークに連撃を叩き込む。
右剣、右回し蹴り、左剣、左踵落とし。
瞬く間に、オークが血飛沫を上げて、その場に沈む。
静寂が、洞窟に戻ってくる。
同時に、ヨシュアさんから『疲労回復の加護』が染み渡るように届いた。
…流石は金級冒険者ね。
指示を待つまでもなく、完璧なタイミングでサポートしてくれる。
「ふぅ……。お疲れ。リーネ、カレン、大丈夫か?」
アルトが、こちらに声をかけてくれる。
私は額の汗を拭いながら、答えた。
「ありがとう……。私は、大丈夫よ」
「……ああ」
カレンさんは短く答え、血の付いた盾を拭っている。
「アルトさん、凄い魔法ですね。流石は賢者だ、驚きました」
「ありがとう、ヨシュア。貴方の加護も的確でした。……やはり、歴戦の方は違いますね」
アルトがヨシュアさんと視線を交わし、信頼の混じった言葉を交わす。
その後、アルトがこちらを見た。
その視線に、さっきまでとは違う色が混じっている気がした。
「……リーネ、さっきの足技だが、前から練習してたのか?」
「えっ?……ううん、なんとなく、やれそうだなって思ったら、できたの」
アルトが目を丸くする。
その表情が、子供の頃みたいに見えて、胸が揺れた。
「いや、すごいな……いきなりで強化個体にダメージを通すなんて」
「……そんなことないよ。アルトの魔法があったから……アルトの魔法ってなんか、すごく身体に馴染むの」
言いながら、自分でも分かる。
アルトの魔法は、フィオナ様やミリアちゃんのものとは少し違う、なんか波長が合っているみたいだ。
……嬉しい。
こんなふうにアルトに言われるのは、久しぶりだった。
欲しかった言葉を、欲しかった人にもらうだけで、こんなにも違う。
こみ上げるものを誤魔化すように、私は視線を逸らす。
「……それよりアルト、早く瓦礫をどかそう? 向こう側も心配だし」
私は言葉を切り上げるように、崩れた岩へと駆け寄る。両手の剣を収め、代わりに両腕へ力を込めた。
ヨシュアさんとカレンさんも、瓦礫に取り掛かる。
私は、足場の悪い瓦礫に足を取られそうになりながら、大きな岩に手をかける。重い――けれど、まだ『剛力』の加護が残っていた。
「リーネ、無理するな。小さいのから崩していくぞ」
アルトの声に、私は小さく頷く。
彼は手をかざし、岩の隙間に光を差し込ませた。
淡い光が、積み重なった瓦礫の弱い部分を浮かび上がらせる。
「そこだ、右側。支えになってる岩を外せば崩れる」
「うん!」
私は指示された箇所へ手を伸ばし、体重を乗せて押し込む。鈍い音を立てて岩が動き、積み上がりがわずかに軋んだ。
続けてアルトが魔法で細かい破片を弾き飛ばし、私は崩れた隙間へ腕を差し込んで石を引き抜く。
息を合わせるたびに、瓦礫は少しずつ、確実に崩れていく。
昔と同じだ。アルトと力を合わせる。
変わってしまった事。変えてしまった事。
取り返しのつかない事は、沢山ある。
…でも、変わってない事も残ってる。
手応えがある。ちゃんと、前に進んでいる。
――向こう側へ、届く。
今度は、きっと。




