第42話 崩落、そして挟撃
洞窟の入口に近づくと、森のざわめきが不自然に途切れた。
まるで周囲の生き物たちが、この先にある“何か”を避けて息を潜めているようだ。
鬱蒼とした森の奥、岩壁が裂けたようにぽっかりと開いた暗い穴が現れた。
その形は、巨大な鬼が口を開けて待ち構えているかのようで、近づくほどに生暖かい風が喉奥から吹き出してくる。
魔王の第四サブダンジョン、鬼系モンスターの生息地。
俺達勇者パーティと、金級冒険者パーティ『不滅の焔』は、ダンジョンアタックを開始した。
外は冷え込んでいたが、洞窟に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
湿り気を帯びた据えた臭いが肌を撫で、まるで洞窟そのものがゆっくりと呼吸しているかのようだ。
天井は闇に溶け、どこまで続くのか判然としない。巨大な空洞の輪郭だけがぼんやりと浮かび上がる。
足元には、太古の水が削り出した奇妙な段差が連なり、まるで巨大な生物の背骨の上を歩いているような錯覚を覚える。
遠くで水滴が落ちる音が響くたび、洞窟全体が低く唸るように反響し、背筋に冷たいものが走る。
奥へ進むと、巨大な鍾乳石が林立し、まるで無数の石の巨人が侵入者を睨みつけているようだ。表面には黒ずんだ筋が走り、まるで血管のように脈打って見える。
そんな洞窟内を、俺たちは静かに進んでいた。
前衛はアタッカー2、タンク1、斥候1:
グラム、ラスウェル、バロック、ルチア。
中衛は回復1、アタッカー1、魔法使い2:
フィオナ、リーネ、ミリア、俺。
後衛はタンク1、回復1:
カレン、ヨシュアだ。
前衛はグラムとラスウェルで固めた。正直、あの二人が並ぶと嫌な予感しかしないが――まあ、聞く耳なんて持っちゃいない。
視界を確保しているのは、中衛にいるミリアが放った光の精霊魔法だ。
大きな蛍のような光球が数個、俺たちの周囲を緩やかに浮遊し、岩壁の凹凸を不気味に浮かび上がらせている。
俺と、先頭を行くルチアの傍らにも、それぞれが灯した魔法の光が寄り添っていた。
今回のレイド編成において、『不滅の焔』のメンバーは驚くほど協力的だった。
特に指揮系統を俺に一任するという提案に、リーダーのラスウェルがあっさりと頷いたのは意外だった。
それだけ彼らが「魔王」の存在を、深刻に捉えている証拠だろう。
まぁ、ラスウェルは地元だしな。
「ねぇ、アルト。あそこの分岐、どっちにする?」
焦茶色の髪を揺らしながら、ひらひらと手を振って俺を呼んだのは、斥候のルルゥだ。
斥候らしい抜け目の無さそうな青い瞳が、下から見上げてくる。
(アビス。スキャン結果はどうだ)
《アルト。向かって左側の洞窟は二百メートル先で落盤による行き止まりのようです。右側は、三百メートルまでスキャンしましたが、先へ繋がっています》
「右だ。右に行こう」
俺がそう言うと、ルチアは猫みたいに目を細めて俺の隣に滑り込んできた。
小柄な身体にぴったりと張り付いた革装備は、彼女が動くたびに腰のくびれや、瑞々しい脚のラインを露骨に強調している。
やけに自然な動作で肩を擦り寄せてくるあたり、こういう距離感の詰め方に慣れてるのがわかる。
「ふーん、私と同じ意見なんだね。……理由、聞いてもいい?」
見上げてくる瞳は妙に扇情的で、どう見ても意図的な光を帯びている。
正直、元嫁と向き合うのに手一杯なので、その手の圧に付き合う余裕は、今の俺にはないんだが。
「ただの魔法的なスキャンだ。左は行き止まりだよ」
「便利な魔法だね、今度教えてよ。私も魔法使えるんだぁ。……もちろん、タダでとは言わないからさ」
わざわざ耳元で囁いてくるな。
色々と露骨すぎて逆に感心する。
「はは、今度な――」
とりあえず当たり障りのない返事を返しておこう。
《警告。個体名ルチアからの意図的な性的身体接触を検出。……並行して、後方の個体名リーネから強烈な『焦燥』、個体名ミリアから『嫉妬』、個体名フィオナから『不快』の感情が検出されました》
(……え?ちょっと待て。これ、俺が悪いのか?)
《アルト。パーティ崩壊のリスクが上昇しています。円滑なレイド活動維持のため、自身の行動を慎重にしてください》
心外だ。俺はただ、斥候と意見交換しただけだというのに。
「こら、ルルゥ! またお前は、誰彼構わず……」
最後尾から、ヨシュアのたしなめる声が飛んだ。
ルチアを愛称”ルルゥ”で呼ぶ実直そうな神官の顔には、隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。
確か、ヨシュアはルチアの親代わりだったな。大変だったんだろう。
「孤児院じゃないんだから、いつまでも保護者面しないでヨシュア。せっかくいい男と組むんだから、チャンスは最大限に活かさなきゃ。ね?」
ルチアは俺にウィンクを投げてくる。
ねっ?……て、俺にどうしろと。
背中から三種類の視線が、突き刺さってくる。何故か物理的にチクチクする気がする。
内容を考えると振り返る勇気も出ないまま、汗をダラダラ流して固まる俺を、見かねたラスウェルが、俺に声を掛ける。
「すまんアルト、ソイツのいつもの病気なんだ。適当にスルーしてくれ」
「わかった、お前も大変だな。……念のため、左側の洞窟に結界を張っておく。不測の事態は避けたい」
左の通路に薄紫色の魔力の膜を展開すると、ルチアがまた猫みたいに目を細めてこちらを見た。
「へぇ、伏兵対策? アンタとは気が合うね。……終わったら飲みに行こうよ、アルト」
そう言って軽く手を振りながら離れていくあたり、正直関わると面倒なタイプだと理解した。
《警告。後方女性個体群の感情反応が悪化。個体名リーネ『焦燥』上昇、個体名ミリア『嫉妬』増幅、個体名フィオナ『不快』が持続しています。原因はアルトによる対人距離の不適切な管理です》
(待て。今のは完全に向こうからだろうが)
反論してみるが、何故か理不尽だけが着実に積み上がっていく。
《アルト。現状を放置した場合、パーティ内関係の段階的悪化が予測されます。難易度『高』の人間関係クエストが発生しました。”巻き込まれ体質”スキルが作動しています》
(……何、そのスキル?聞いたことないんだけど⁉︎)
レイドを組んで戦力が増えたのはいいが、そんなクエストが強制発生している時点でだいぶ理不尽だ。
辛い。
※
それからしばらく進んだ時だった。
先行していたルチアが、猫みたいな動きで戻ってくる。
「来るよ! オーク8、ゴブリン12。……結構来たね」
「やれやれ、やっとかよ。退屈で死ぬかと思ったぜ」
グラムが聖剣を抜いた。魔法の刃が白銀の光を増し、洞窟の闇を切り裂く。
「……グラム、お前にだけやらせるつもりはないぜ」
ラスウェルが対抗するように、自身の剣に雷魔法を付与する。
パチパチと青白い火花が散り、彼の周囲の空気が励起される。
「うおっ、かっけぇなラス! 負けるかよ!」
グラムは、俺が制止するよりも早く地を蹴った。
「あ、おい! 突出するな!」
俺の叫びも虚しく、ラスウェルまでもが競い合うように駆け出していく。
隊列が前後に伸びる。
「……たくっ、バロック、後を追ってくれ。他の皆も行くぞ!隊列を崩すなよ」
皆で、グラムとラスウェルを追いかけ始めた瞬間だった。
洞窟の奥から突然、魔法が放たれた。
「――っ、マジックミサイル!?」
無数の光弾が天井の脆弱な岩盤に着弾する。
轟音と共に小規模な崩落が発生し、俺たちの間に大量の土砂と岩塊が降り注いだ。
「ゴホッ、ゲホッ……! 皆、無事か!?」
巻き上がる砂煙の中、俺は叫んだ。
俺の周囲にはリーネ、ヨシュア、カレンの三人が居た。
「アルト、大丈夫!? …私は平気!」
「こちらも無事です。カレンも怪我はありません」
リーネ、ヨシュアの声に続き、聖騎士の鎧を着た女性――カレンが、無言で頷く。
そばかすのある整った顔立ちに、鋭く目つきの悪い瞳。彼女は既に大盾を構え、周囲を警戒していた。
だが通路は、完全に岩塊の山で塞がれていた。
向こう側にはグラム、ラスウェル、バロック、ルチア、それにミリアとフィオナがいるはずだ。
「みんな、無事か!」
思わず声を張り上げ、岩の向こうへ呼びかける。
「……大丈夫! 全員無事!」
隙間越しに返ってきたルチアの声に、胸に張りついていた緊張が一瞬だけほどけた。
「待ってろ、今すぐ瓦礫をどかす!」
そう返した――直後。
《警告。アルト。後方に設置していた結界が破壊されました。……高速で接近する複数の生体反応。モンスターによる挟撃です》
舌打ちが漏れた。
「やってくれる。……モンスターの分際で、分断と挟撃とは生意気な」
俺は立ち上がり、後方の闇を睨み据える。
向こう側の心配は後回しだ。今は、この分断された状況を凌ぐ方が先だ。
小さく詠唱し、「灯り」を展開しながら指示を飛ばす。
「全員聞け、敵が後方から来る! 合流は後だ――カレン、前に出て敵を引きつけてくれ。リーネはアタッカーだ。ヨシュアは前衛に加護を頼む!……迎え撃つぞ!」
俺の声に、リーネの瞳へ鋭い光が宿る。
「了解、アルト。……一匹も通さないわ」
光の外側――闇の奥から、オークどもの不快な咆哮が迫ってくる。
「最初に、でかいのを一発かますぞ!」
強化されたモンスター。分断された戦力。
第四のサブダンジョンは、開幕からなかなか性格が悪い。
まったく、歓迎の仕方が雑すぎる。
失礼な歓迎には、荒い挨拶で返さないとな。
俺は詠唱を開始した。




