第37話 サレ賢者無双
夜明け前の藍色が残る空の下、城塞都市メルキドの北方に位置するその場所は、深い霧に包まれていた。
森の中から忽然と姿を現した巨大な石の山――今回の魔王のサブダンジョンは、古代の寺院遺跡に発生していた。
地平線から差し始めた柔らかな陽光が、安山岩の輪郭をうっすらと照らす。
石に刻まれたレリーフが繊細な陰影を浮かび上がらせ、四角い回廊が重なる基壇部は、不気味な静寂を湛えていた。
霧の中に聳え立つ巨大な立体曼荼羅。千年の眠りから目覚めた巨大な石造寺院は、侵入者をじっと見据えているようだった。
「ここが第三サブダンジョン。魔法生物系モンスターの巣窟だ」
俺の言葉に、吐き出した白い息が混じる。
霧の向こうから漂うのは、生物の気配ではなく、古びた石と魔力の淀んだ臭いだ。
「今回は、ゴーレムやスタチューといった斬撃耐性の高い連中がメインになる。リーネはフィオナとミリアのガードを頼む」
「……わかったわ。任せて」
リーネが短く、けれど複雑な色を帯びた瞳で俺を見て頷く。
彼女の剣筋は鋭く速いが、石の巨体を削るには相性が悪すぎる。リーネもそれを理解しているはずだ。
「アタッカーはバロックとグラム、それに俺で行くぞ」
「よっしゃあ! 石ころだろうが何だろうが、俺の聖剣で粉砕してやるぜ!」
「了解だ、アルト」
聖剣のオマケの威勢のいい声と、バロックの重みのある言葉が返ってくる。
俺は軽く手を上げて応えると、暗い回廊の奥へと足を踏み入れた。
「ダンジョンアタック、開始する」
※
重厚な安山岩の隙間から染み出す湿った冷気が、肌にまとわりつく。第三サブダンジョン内部、それは回廊という名の巨大な「石の迷宮」だった。
頭上高くそびえる壁面には、数千ものレリーフがびっしりと刻まれ、回廊の両壁面に石像が並んでいる。
煤けた黒ずんだ石の肌は、まるで乾いた皮膚のように生々しく、その鼻先や指先を欠落させている像も多い。
解けぬ呪縛を背負い、永遠にここに囚われた亡者のような石像達、その欠けた顔面の奥、暗がりに沈む眼窩からは、すべてを見透かすような冷徹な視線が注がれているようだ。
霧に包まれた静寂の中、それらが一斉に、音もなくこちらへ首を巡らせる。
…あまり、想像したくない絵面だ。
一見すればただの芸術品だが、その内部には擬似的な神経系となる魔法回路が張り巡らされているはずだ。
「うわぁ……これ、全部モンスターなんですか?」
ミリアが不安げに周囲を見回す。
「全部ではないだろうが、大半はそうだろうな。……全員、そこで止まれ。スキャンするから一分くれ。バロック、リーネ、周囲の警戒を頼む」
俺は壁に手を触れ、アビスへコマンドを渡す。
(アビス、スキャン開始。アクティブな魔法回路をスクリーニングしろ。結果は視覚に投影してくれ)
《了解、アルト。スキャン完了。アクティブ個体をマーキングします》
アクティブなゴーレムと判定された無数の石像が、赤く染まり視界に浮かび上がる。
最終的に、俺の網膜上に展開された世界は、ほぼ赤く染まった。
「うわ……結構な数だな」
《アクティブな個体、78体を確認。クラッキングを開始します……2体を除き、セキュリティ・レイヤーを突破。コアへの直接干渉が可能です》
(速いな。よし、アビス。一気にいくぞ。コア破壊コード生成)
俺の網膜に、焼き付くような速度でコードが展開されていく。
視界の奥で、演算が完了する。
実行条件、充足。俺は一歩、踏み出した。
「――詠唱、開始」
抑揚のない声が、戦場に落ちる。
祈りでも、呪いでもない。ただコードを魔力と共に発声するだけ。
「外部干渉プロトコル、接続。魔力回路、強制展開」
空気が軋む。
目に見えない何かが、空間そのものを書き換えていく。
「位相固定。対象領域、確保」
足元から広がった紫色に輝く網が、敵を絡め取る。
短く吐き出したその一言で、すべてが終わる。
「解呪・崩滅」
薄いガラスを割ったような、硬質な何かが砕ける音が回廊に響いた。
次の瞬間、俺の視界を埋め尽くしていた76体の赤い石像が、一斉に崩壊していく。
雪崩の様な不気味な音を響かせながら、襲撃の機会を窺っていた石像たちが、ただの「砂の山」へと変じ、地面へと崩れ落ちていく。
静寂が戻った。
……なんか、思ったより、派手な感じになったな……やり過ぎたか?
パーティの面々は、言葉を失ってその光景を眺めている。
「……ふわぁぁ! アルトさん、すごすぎます! あんなにたくさん倒しちゃうなんて!」
ミリアが目を輝かせ、飛び跳ねながら喝采を送る。興奮のせいか、口調が幼くなっている。
《アルト。個体名ミリアのアルトへの好意が、『崇拝』レベルまで上昇しました》
(お前、前から疑問だったんだが、そんなことまで判るのかよ……)
《計測可能なバイタルデータからの推測になりますので、間違っている可能性はあります》
(…ハイハイ、使用するにはリテラシーが必要なのね)
ミリア以外の反応は、見事なくらいバラバラだった。
まぁ、そりゃそうだ、こんなものを見せられて同じ顔をされても困る。
まずバロックだ。
あの巨体が微動だにせず固まっているのは珍しいが、目だけはやけに輝いているな。
「……これは、人の技なのか? アルト、お前は外部からゴーレムの核だけを破壊したのか……」
《アルト。個体名バロックは、軽度の高揚状態と推測されます》
――ああ、なるほど。
ドン引きじゃなくて、純度の高い“興奮”の方か。
魔法の装備を、見つけた時みたいな顔をしているな。
次にフィオナ。
胸元を押さえる手が震えている。まぁ、分かりやすく怖がっているな。
「……人智を超えた……いえ、人という領域を、離れてしまっているような……」
だが、そのくせ視線が俺から逸れないな。
《アルト。個体名フィオナからは、強い畏怖が検出されています。また、精神内で葛藤が生じている可能性があります》
――なんだ?
拒絶したいくせに、目が離せないってやつ?
悪魔の力だからな…聖女様的にはアウト判定なんだろうけど、それ以外の要素があるのかな。
まぁ、敵対じゃなければいいか。後でフォローしとこう。
最後に、リーネ。
……顔色が悪いとか、そんな生易しい話じゃない。こいつは知ってるからなぁ。
俺の詠唱の奥にあるもの――アビスの存在。
元夫が、どこまで壊れてるのか。
原因に心当たりがある分、余計に辛いんだろう。
……その顔、やめろ。
こっちが、ちょっとだけ堪えるだろうが。
――さて。
「あれ、崩れた? ……まぁいいや、残りのデカい奴やるぜ!」
グラムは分かってないな。
《アルト。個体名グラムは、無反応です。現象を理解できていません》
(まぁ、魔法の事なんかわからないだろ、コイツ)
肯定、恐怖、後悔。
見事に三者三様だ。
対応は後で、考えよう。
とりあえず、仕事を続けるとするか。
「……残り二体。グラム、バロック、攻撃を開始してくれ」
俺の指示に、バロックが我に返って前に出る。
迎撃範囲に入った瞬間、二体の巨大なゴーレムが地響きと共に動き出した。
「行くぜえー! 勇者の一撃、食らいな!」
グラムが聖剣を振りかざし、先陣を切る。
だが。
鈍い金属音が響き、グラムの剣はゴーレムの岩の皮膚に虚しく弾き返された。
「なっ!? 硬すぎるだろ、これ!」
魔王のサブダンジョンは、攻略されるごとに残りのダンジョンのモンスターが強化される。
前二つのダンジョンをクリアした結果が、この「硬度」の強化に現れている。
一方、バロックの戦鎚はゴーレムの膝を叩き割り、確かなダメージを刻む。
「物理防御も上昇しているな。ミリア、バロックに加速バフを。フィオナ、グラムに剛力のバフを頼む」
「わかりましたぁっ!」
「はっ、はい! わかりましたっ!」
フィオナが少し慌てた様子で詠唱を開始する。
彼女もまた、先ほどの俺の無双に意識を持っていかれていたようだ。
その時だ。
リーネが、何の前触れもなく俺の間合いに踏み込んできた。
距離が近い。
物理的にもそうだが、それ以上に“踏み込み方”が雑だ。
視線は俺じゃない。
さっきから落ち着きのないフィオナに、ぴたりと張り付いている。
……いや待て。
なんでリーネの立ち位置が、俺とフィオナの間に割り込む形になってるんだ。
昨日の件か。
修練場での、あの“誤解を招く配置”。
あれは事故だと説明したし、事実そうなんだが。
――誤解は解けていなかったのか?
《アルト。個体名リーネから強い焦燥を検出しています》
焦燥?
後悔とか自己嫌悪じゃなくて、そっちか。
(根拠は?)
《脈拍上昇、呼吸の浅化などの傾向判定により、焦燥と推定します》
何故?
《個体名リーネの心情を推測しますか?予測精度は68パーセントです》
(中途半端だな。まぁいい、戦闘中だから短かめに頼む)
《はい、アルト。昨日の事象により、個体名リーネは“アルトが他個体と恋愛関係を構築する可能性”を、現実的脅威として認識したと推測されます》
……あー。
なるほど、そっちに転ぶのか。
離婚そのものと、その後に“次がある”って話は別物だ。
理屈じゃ分かってても、実感するタイミングはズレる。
で、昨日がその“実感した日”ってわけだ。
納得。
――一瞬、線の細い、八重歯が見える笑顔が浮かぶ。
……何で、エリスの顔が出てくるんだ。
《警告、アルト。上空よりガーゴイル7体接近。速度、通常の180パーセント》
現実に戻された。
いいタイミングだ、逃げ場ができたとも言う。
――さて、修羅場は一旦保留だ。
優先順位的に、空から降ってくる石像の方がまだやりやすい。
「ちくしょ、早すぎるな。アビス、クラッキングコード生成。生成速度最優先。目的は、コア破壊か、動作停止、または動作阻害、ランダムでいい、急げ!」
《了解、アルト。生成速度を最優先にします――》
「リーネ! 上だ、ガーゴイルが来る。俺が数を減らすが、こぼれた奴はお前に任せる」
言いながら俺はリーネの剣に、貫通と剛体の付与を飛ばす。
「わかった。……絶対、行かせない!」
リーネが剣を構え、天を仰ぐ。
霧を切り裂き、鋭い爪を光らせた石の翼が、風切り音を立てて急降下してきた。
俺の詠唱が始まる。
《アルト。ガーゴイル第二波来ます。数は12体。五波まで連続確認。……続けてクラッキングコード生成します》
(…増援かよ?笑えない冗談だ、次、いくぞ!)
魔王のサブダンジョン。三つ目ともなると、中々歯応えがあるな。




