第36話 無自覚系恋愛番長の困惑
晩秋の早朝。
城塞都市メルキドの空気は、鋭い刃物のように肌を刺す。
朝の体力トレーニングの為、まだ薄暗い騎士団の野外修練場に足を踏み入れると、肺の奥まで凍てつくような感覚があった。
「ふぅ……」
吐き出した息が白く濁り、霧散していく。
かつての俺なら、隣で同じように白い息を吐きながら「寒いね、アルト」と微笑む銀髪の妻がいたはずだ。
だが今の俺の隣には、実体の見えない冷徹な相棒しかいない。
《アルト。気温、湿度共に例年通りです。予測統計によれば、あと二週間ほどで『冬』という季節区分に移行します》
「冬、か。雪が降って足止めを食らう前には、魔王のダンジョンを全て片付けておきたいんだがな」
《明日から第三サブダンジョンのアタックが開始されます。その攻略速度次第ですね》
アビスの無機質な声に、俺は昨日の会議を思い出す。
バルツァー辺境伯領騎士団参謀の、パーシバル殿の報告は芳しくなかった。
金級冒険者のラスウェルは別の依頼で出払っており、帰還は来週以降になるという事だったのだ。その為、俺達の戦力増強の目処は、まだ立っていなかった。
ゆえに俺は、三番目のターゲットに「魔法生物系」モンスターのダンジョンを選んだ。
ゴーレムやガーゴイル――魔法陣による仮初めの命で駆動する、無機物で出来たモンスター達。
前回の悪魔系ダンジョンで、俺とアビスの「外部干渉による魔法作動妨害」の効果は、検証できた。
おそらく、魔法回路で動く人形にとって、俺とアビスは天敵になれる。
限られた戦力で、確実に魔王を攻略するには「魔法生物系」モンスターのダンジョンは、最適な選択だ。
俺がそんな算盤を脳内で弾いていた、その時だった。
「……朝っぱらから、随分と賑やかだな」
修練場の隅から、感情的な複数の男の声と、困惑したような女の声が聞こえてきた。
目を向ければ、数人の騎士たちが一人の女性を囲んでいる。
「おはようございます、聖女様! 今日も素晴らしい……いえ、神聖なお姿ですね」
「あ、あの、ありがとうございます。でも、トレーニングの邪魔になってしまいますから……」
困り果てた声を上げているのは、フィオナだった。
今日の彼女は、いつもの法衣ではなく、身体のラインがこれでもかと浮き出るピッタリしたトレーニングウェアを着用している。
重力に逆らう、自己主張が激しすぎる凶悪な双丘。
負けじと存在感をアピールする、凶暴な腰から臀部へのライン。
……正直、目に毒すぎる。
フィオナが騎士達から離れようとすると、その度に曲線が色々と揺れてしまい、騎士達を引き寄せている。
今のフィオナは、男性特効範囲精神攻撃を連続でばら撒く、恋愛ボスモンスターだった。
「うわぁ……フィオナ、また無自覚恋愛番長モードになってるじゃないか」
俺は思わずげんなりした。
「聖女」としての能力こそ完璧だが、フィオナは自らの「女としての破壊力」に対しては絶望的に無自覚だった。
彼女が極端に男慣れしていないのは、それが理由だ。
まともに会話をしようものなら、相手の男は十中八九、その色香に当てられて理性を蒸発させる。その為、まともなコミュニケーションが成立しないのだ。
《アルト、警告。対象フィオナの周囲にいる個体群は状態異常『魅了』に陥っています。暴走の危険が上昇しています。現在74パーセント》
「74パーセント? 随分とまぁ、モテる聖女様だな……ったく、見境なく”癒し”を撒き散らすのはサービス過多だろ」
俺はため息をつき、その輪に向かって声をかけた。
「フィオナ、お待たせしました。約束通り、一緒に朝練しましょう」
嘘だが、まぁこれが一番無難な割り込みだろう。
「あ、アルトさん!」
俺に気づいたフィオナが、パッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
重力に従順な、あるいは反抗的な質量が、彼女の歩調に合わせて激しく波打つ。
(うわぁ……揺れすぎだろ。アビス、視覚阻害頼む)
《了解。対象名フィオナの胸部と臀部に、リアルタイム・モザイク処理を実施します》
俺の視界の一部がデジタルなノイズで覆われる。
ふぅ、やれやれ、これで少しは正気が保てそうだ。
だが、恐怖を感じていたのか、フィオナは俺の元へ辿り着くなり、迷わず俺の腕に縋り付いてきた。
「た、助けてくださいアルトさん! 最初はご一緒にトレーニングをしていたのですが、急に皆さんの様子がおかしくなってしまって……!」
イヤ、ちょっと待って?
埋まってしまいそうな柔らかい感触と、フィオナの清廉な香りがダイレクトに脳を揺さぶる。
《アルト。個体名フィオナの接触による性的刺激の為、心拍数の上昇と、局所への血流の増加を検知。このままだと、ぼっ(煩い、黙れ。さっさと鎮静をかけろ)
《了解。鎮静プロトコルを実行します》
スゥ、と頭の芯が冷えていく。感情と性欲が遠のき、世界がモノクロに見えるほどの静寂が訪れた。…これが、賢者モードだ。
俺は冷静に、持っていた大きめのタオルを彼女の肩にかけ、その凶器のような胸元を隠した。
「えっ……? アルトさん……?」
フィオナが一瞬だけ息を呑み、頬を赤く染めてフリーズした。
だが、それを構っている暇はない。
俺たちの周りには、瞳をハートマークにした騎士たちが「俺たちの聖女に何をする!」と言わんばかりの形相で迫っていた。
「アビス、こいつらにも『鎮静』を」
《了解。遠隔で鎮静プロトコル実行します》
次の瞬間、騎士たちの動きがピタリと止まった。
数秒後、彼らは瞬きを繰り返し、狼狽え始める。
「あ、あれ? 俺たち、何を……?」
「……目が覚めたか?聖女様に、謝罪しろ。勇者パーティのメンバーに何をしてたか、思い出せ」
俺が冷たく言い放つと、彼らは真っ青になって石像のように固まった。
「「も、申し訳ございませんでしたぁぁぁ!」」
メルキドの守護者たちが、全員ジャンピング土下座で、地面に額を擦り付ける。
普段は、真面目な連中なんだろう。
……まぁ、「性女」…いや失礼、この「聖女」様の無自覚攻撃が、尋常じゃないからなー。気持ちはわかる。
俺は大きくため息をついて、腕に縋り付いたままのフィオナに問いかけた。
「どうしますか、フィオナ。憲兵に突き出しますか?」
「あ、いえ! あの、今後気をつけていただければ……」
彼女はハッと我に返り、無意識に俺の腕を強く握りしめながら騎士たちを許した。
「「あ、ありがとうございます!」」
彼らは蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
「はぁ……ありがとうございました、アルトさん。……腰が、抜けちゃいそうです」
フィオナは安堵のあまり、俺に寄りかかるようにして体重を預けてきた。
ぬおっ?追撃かよ。
《アルト、今の一撃で精神防壁の42パーセントが消失しました。賢者モードの維持に影響が出ます》
(ヤバすぎる……)
賢者モードを維持する為、俺は、フィオナから身体を離そうと肩に手を添える。
一瞬、フィオナと至近距離で視線が絡む。
「……あっ」
フィオナの顔が真っ赤に染まり、彼女の吐息が俺の頬を撫でる。
そこに、朝日が差し込み彼女の亜麻色の髪を、金色に輝かせた。
……うわっ、反則……
《警告:アルト、精神防壁が7パーセントまで減衰、突破されます》
「……アルト? それに、フィオナ様……?」
聞き覚えのある震えた声が、俺の精神防壁を一瞬で引き上げた。
修練場の入り口にリーネが立っていた。
「……あ」
脳内で、今の状況がやけに冷静な第三者視点で再生される。
早朝、薄暗がり。密着して見つめ合う男女。俺のタオルを羽織った聖女。
——うん、どう切り取っても“健全です”とは言い張れない絵面だ。
「り、リーネ!? いや、これは違くてだな……」
「ええ、リーネさん! これは違うんです、アルトさんは私を助けてくれて……!」
フィオナが慌てて弁明する。だが頬は赤いし、トレーニングウェアは見事にバルンバルン揺れてる。
証言よりもビジュアルの方が雄弁ってやつだ、最悪の方向で。
リーネの瞳に、静かに、深く、痛みが沈んでいくのが見えた。
彼女は一瞬、何か言いかけて——
でも、すぐに視線を落とした。
「……いえ。お二人とも、気を使わないでください。前から、とってもお似合いだって思ってたんです」
声が、震えている。
自虐気味に笑って、顔を伏せる。
「……邪魔、してごめんなさい。わ、私……」
最後は、言葉にならなかった。
唇をきゅっと噛んで、リーネは顔を背ける。
――ここに、いられない。
そう言う代わりに、彼女は小さく頭を下げて、逃げるように駆け出した。
「……ちょっ、リーネ? フィオナ、すいません。ちょっと行ってきます」
「あっ、はい……アルトさん」
一瞬――俺の腕を掴むフィオナの指に、わずかに力がこもった気がした。
だが俺は、それに気づかないふりをして、慌ててリーネの後を追った。
ああ、この感じ——見覚えがある。
『違う、そうじゃない』
……あの時のリーネも似たようなこと言ってたな、
いや、笑えない。
《アルト。修羅場テンプレ発言ですね》
(煩い、黙れ)
《アルト。精神防壁は、ほぼ突破されていました。事実化するのも時間の問題だったと推測されます》
(未遂だ、未遂!これは誤解だ)
《テンプレ発言のおかわりですね》
(……あー、もう、今それどころじゃない)
頭の中で饒舌な相棒に言い訳しながら、こんな些細なきっかけから浮気は始まるのかもしれない、なんてどうでもいい考えがよぎる。
……現実逃避にしても、もう少しマシなネタを選べばいいのに。俺。
そして——
フィオナは、去り行く俺とリーネを交互に見ながら、胸に手を当てて固まっていた。
俺は、まだ気づいていなかった。
その表情は、ただの混乱じゃなかった。
何か——もっと深い、複雑な感情が、そこにあった。
「何かしら……胸の奥が、少しだけ痛い。……治せないなんて。変だわ」
フィオナの胸に、小さな炎が灯っていた事に。




