第35話 二人で前へ
「全員、来るぞ! ダンジョンボスだ!」
アルトの鋭い叫びが、広間に響いた。
その直後、広間奥の重厚な扉が爆鳴と共に吹き飛ぶ。
煤煙の中から現れたのは、悍ましい異形の悪魔だった。
巨大な蝙蝠の羽を広げ、獅子の顔にはねじくれた角を戴き、蹄の足で床を削る――上級悪魔。
「……っ」
あまりの圧力に、私は剣を握る手に力を込めた。
その時、背後から温かな光が私を包み込んだ。
「聖なる息吹を」
フィオナ様の慈愛に満ちた祈りが、私の疲労を洗い流していく。
激しい動悸が落ち着き、肺の奥まで澄んだ空気が入るのを感じた。
視界の端で、乱戦の残滓を確認する。
取り巻きの悪魔たちは、グラムとバロックさん、そして私の剣で全て斬り伏せてある。
残るは、目の前のダンジョンボスだけだ。
ボスの咆哮が空気を震わせる。
ミリアちゃんの放った聖光が跳ね返された。
私の背筋に冷たいものが走る。今までの敵とは、次元が違う。
「ミリア、風の精霊による速度上昇バフをリーネとグラムへ!
フィオナ、前衛三人に聖なる加護を!」
アルトの指示が飛ぶ。
数瞬後、私の身体が羽毛のように軽くなった。
世界がスローモーションになるほどの、ミリアちゃんの精霊魔法の加速バフだ。
続けて、フィオナ様の加護の白い光の膜が私の全身を覆う。
「ボスの魔法は、俺が全部潰す。前衛は攻撃開始してくれ!」
その言葉を合図に、私は地を蹴った。
弾かれるように間合いを詰める。
まずは様子見。
グラムが聖剣を叩きつける横を抜け、私はフェイントを織り交ぜながら一撃、二撃と剣を刻む。
斬撃の手ごたえで分かる。
ダンジョンボスは、捻じられた太いロープのような筋肉の束で、覆われている。
この肉の鎧は手こずりそうだ。
獣のような唸り声を上げ、ボスがその巨大な拳を突き出してくる。空気を切り裂くような音が、私の耳元をかすめる。
速度も中々、だけど。
瞬間、私はボスの拳を交わしざまに側面に回り込み、斬撃をその顎に叩き込んだ。
ボスの巨体がわずかに揺らぐ。その隙を逃さず、私はさらに連撃を浴びせる。
顔面、脇腹、左腕
私は、一息にできる限り攻撃する。
ボスは反撃を試みるが、その拳は空を切る。
私はボスの攻撃をかわし、その直後にカウンターを打ち込む。
手応えはあるが、浅い。
ヒットアンドアウェイに徹し、怪物の注意を分散させる。
「こっちだ!化け物」
バロックさんが大盾を打ち鳴らし、タンクスキルによる挑発、大声で威嚇する。
怒り狂ったボスが雄叫びを上げ、バロックさんへ突進した。
鋭い爪が重鎧を削り、火花が散る。耐え凌ぐバロックさんに対し、ボスは苛立ちを募らせたのか、魔法の構築を始めた。
広間に禍々しい魔力が渦巻く。
発動の瞬間、私は身構えた。
だが、異変が起きたのはボスの側だった。
放たれるはずだった雷が、ボス自身の至近距離で炸裂した。
顔面を焼かれ、困惑に身をよじる怪物。
「——っ!」
私はその隙を見逃さず、深く踏み込んだ。
渾身の一撃を喉元に叩き込む。
仰け反るボス。
ボスが魔法を放とうとするたび、それは主を裂く刃に変わる。
毒も雷も炎も、逃げ場を失ったみたいに、その巨体へと噛みついた。
魔法を封じられた上級悪魔は、羽を捥がれた鳥の様だった。
魔法構築、暴発、自爆、その隙に斬撃を叩き込む。
その一連の動作は、まるで単調なダンスのようだ。
上級悪魔にとっては、逃れられない死の舞踏。
しかし、その前提になっているのはアルトの絶技だ。
敵の魔法を先読みして、書き換えて、術者自身を攻撃させる。
(……どうやったら、そんなことができるの)
凄いなんてものじゃない。
時折、視界に入る、ミリアちゃんやフィオナ様も絶句している。
アルトの詠唱が、戦場に静かに満ちる。
深い水の底から滲むような、澄んでいて、ひどく冷たい声。
綺麗で、正確で、迷いがない。
感情が削ぎ落とされて、ただ“機能”だけが残っているみたいな声。
だからこそ、胸が痛い。
あの人は、こんな声で詠唱する人じゃなかった。
もっと暖かくて、柔らかく紡いでいたはずなのに。
今の声には、別の気配が混じっている。
あの悪魔、”アビス”の底の見えない平坦な静けさが、滲み出てくる。
私のせいだ。
私が彼を壊した。
彼は感情を削ってまで、あの悪魔と契約した。
あの人は、一人でここまで来てしまった。
そんなになるまで、追い詰められていたんだ。
……ごめんなさい、アルト。
胸の奥で、言葉にならないものが滲む。
今さら謝ったところで、何も戻らないのに。
一瞬、慚愧に呑まれかける。
息が詰まり、足が止まりそうになる。
――その時。
ボスの咆哮が、空気ごと私を叩く。
意識が、無理やり引き戻される。
……今は、考えるな。
沈むな。立ち止まるな。
後悔も、謝罪も、全部あとでいい。
今の私にできることは――
剣を、振るうことだけだ。
それしか、私にはアルトに捧げられるモノが、何もないんだから。
戦いは、一方的な展開となっていった。
アルトはダンジョンボスの魔法を完璧に封じ、私とグラムは斬撃を浴びせる。
ボスは血に染まり、その巨体はふらついていた。
勝てる――そう思った瞬間、胸の奥が嫌な音を立てる。
その時だった。
世界を裂くような絶叫が、空気ごと震わせた。
肉が軋み、骨が歪む。
あり得ない角度で肢体が捻じ曲がり、音を立てて“増えた”。
腕が、四本、背中を裂いて生まれてきた。
腹部が、縦に割れた。
そこから覗いたのは、歯の並んだ“口”だった。
粘つく血の混じった唾液を垂らしながら、それは開閉する。
……来る。
直感が、警鐘を鳴らす。
狙いは、前線の要――バロックさんだ。
異形の王が、地面を踏み砕いた。
爆ぜるような踏み込みと同時に、巨体が弾丸のように加速する。
「――ッ!」
速い。
あの質量で、あり得ない速度でバロックさんに肉迫する。
四本の腕が、空間ごと薙ぎ払う。
当たれば終わり、そう断言できる一撃。
だが――
バロックさんは、退かなかった。
大盾を正面に構え、真正面から踏み止まる。
床が軋む。バロックさんの足から、魔力が伸びて床をがっちり掴んだ。タンクスキル、アンカーだ。
踏み締めた足元の床が砕け、足が木にめり込む。
ダンジョンボスが、バロックさんに激突した。
轟音と衝撃が、空気を殴りつけた。
衝突の圧力が、こちらにまで届く。
四本の腕が、鎧を叩き、抉り、押し潰そうとする。
腹の口が、盾ごと喰い破ろうと牙を立てた。
バロックさんの声が、低く唸る。
押されている、それでも――止めている。
――行けっ!
私は、地を蹴った。
視界が一瞬で流れる。
加速と同時に、世界の音が遠のいた。
盾に群がる四腕の軌道を読む。
一閃。
最も外側の腕に、斬撃を叩き込む。
…固い⁉︎
続けて踏み込み、懐へ潜る。
腹の口が開く、その内側に刃を滑り込ませた。
瞬間、牙が私の剣を噛み砕こうと噛み合さった。
硬質な手ごたえに、一瞬手が痺れる。
「グラム、右!」
私はグラムに叫ぶ。
「任せろ!」
横殴りの斬撃が、視界を薙ぐ。
私が作った一瞬の隙に、容赦なく叩き込まれる。
残ったボスの腕が、迎撃に振り上がる。
グラムの聖剣を、振り上げたボスの手が火花と共に弾く。
「何っ?」
渾身の一撃を弾かれたグラムが、驚きの声を上げる。
……不味い。物理攻撃特化の変身だ。
アルトに追い詰められて、ボスは魔法を捨てたんだ。
剛腕の乱打に、遂に、バロックさんが右膝をついた。
その時だった。
「「聖浄光臨!!」」
フィオナ様とミリアちゃんの声が響き、天から眩い純白の光柱が降り注いだ。
見たこともないほど巨大で清浄な魔力だ。
光は空中で鋭い円錐を描き、密度を増しながら一点を射抜く「光の針」となる。
収束点は白銀に輝き、ボスの皮膚は膨大な熱量に耐えかねて白く爆ぜた。
細胞は焼き切れ炭化し、傷口では体液が沸騰して空気が陽炎に揺らぐ。
焦げた臭いが満ちる中、光の収束点に赤い脈動が生まれた。
火種は悪魔のガスを喰らって一気に猛火へ変わり、朱色の炎が渦を巻いて天へ駆け上がった。
……以前、アルトから聞いたことがある。
神聖魔法と精霊魔法が調和した、伝説の合体魔法だ。
伝説の魔法は、放った二人が己の手の平を見つめ驚愕するほどの威力だった。
聖なる光に焼かれ、上級悪魔の巨体があっという間に砂のように崩れ落ちていく。
なす術なく消滅した怪物の残骸から、紫色のダンジョンコアが転がり落ちた。
「グラム、コアを破壊しろ!」
「おうっ、任せとけ!」
アルトの声に、グラムが聖剣を振り下ろし、コアを粉砕する。
広間を満たしていた瘴気が霧散し、数十秒ほど地面や大気が鳴動した後、屋敷に静寂が戻った。
ダンジョンが、完全に停止したのだ。
「よっしゃあぁぁっ! サブダンジョン二つめ攻略だぜ!」
グラムが大げさに拳を突き上げる。けれど、視線は誰一人として、そちらに向かなかった。
「——っ!アルトさん! アルトさぁんっ!」
弾かれたみたいに、ミリアちゃんがアルトに勢いよく抱きつく。
子どもみたいに無防備で、嬉しさを隠そうともしない。
頬は真っ赤で、目はきらきらしている。
まるで、褒めてほしくて仕方ない子犬みたいだ。
「すごいです、すごいですっ……! 本当に、出来たんです……!」
言葉が追いつかないのか、同じことを何度も繰り返している。
アルトの服を掴む手に、遠慮はない。
一方で、フィオナ様は一歩だけ距離を保っていたけれど、その足取りはわずかに前のめりだった。
胸元で静かに手を重ね、呼吸を整える。
それから、丁寧に、けれど少しだけ早口で口を開いた。
「アルト……神の御技の一端に触れる機会をいただき、心より感謝いたします」
声がわずかに弾んでいる。
深く頭を下げる、その距離がほんの少しだけ近い。
視線を上げるタイミングが、ほんの一拍遅れる。
その間だけ、アルトの姿を確かめるように見つめていた。
感情が隠しきれていない。
あれは敬意で、たぶん、少しだけそれ以上だ。
胸の奥が、ちり、と焼ける。
二人の様子で分かる。
今の魔法――アルトが、編んだんだ。
私は、歓喜に沸く三人を、少し離れた場所から眺めることしかできなかった。
アルトが、どんどん遠くなっていく。
かつては私の隣にいた彼。私が彼を守り、彼が私を支えてくれていた。
けれど今の彼は、私が触れることすらできないほどの「深淵」にいる。
そしてその隣には、彼を真っ直ぐに称賛する、汚れのない人たちがいる。
(私が……自分で壊して、捨てたんだ)
込み上げる後悔と、自己嫌悪で視界が歪みそうになる。
自分の愚かさを、自分が許せない。
「リーネ、無事二つ目のサブダンジョンクリアだな」
不意に隣へ並んだバロックさんの声が、足元の揺れを止めてくれる。
その声は低くて、重くて、でも不思議と温かかった。
「……しかし、生きているうちに、合体魔法を見る事ができるとは……アルトの技量は想像を絶するな」
感嘆は率直で、飾り気がない。
「はい、バロックさん。……私も、本当に、スゴイと思います」
言葉にすると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
バロックさんが、こちらを見る。
何も言わずに、ほんの一瞬だけ。
それだけで、十分だった。
誤魔化していることも、迷っていることも、全部見透かされた気がした。
「……リーネ。アルトから聞いたんだが、二人で一緒にやろうと言われたそうだな」
「……はい」
喉が少しだけ詰まる。
無理にでも笑おうとするけど、上手く出来ている自信は、ない。
「詳細は分からんが、アルトはお前と前に進もうと言ったのだろう?」
ゆっくりと、言葉を選ぶようにバロックさんは続ける。
「なら、お前が一人で立ち止まっていて、良いのか?」
思わず、顔を上げる。
視界に入ったのは、いつもの厳つい顔――じゃない。
目尻に皺を寄せた、穏やかな笑み。
大きな手で背中を押すみたいな、そんな表情だった。
胸の奥で、何かがほどける。
後悔も、自己嫌悪も、消えないまま。
それでも――
「ほら、アルトが待っているぞ」
視線の先。
アルトが、軽く手を上げている。
バロックさんの、その一言が背中を押してくれた。
あの距離。
もうずっと遠くなってしまった場所。
……行こう。
今度こそ、私はアルトについて行く。
「リーネ、お疲れー」
グラムの軽い声が、横から割り込む。
差し出された手。
ハイタッチのつもりらしい。
私は、その横をすり抜けた。
「あ、あれ、リーネ?」
グラムの気の抜けた声が、後ろに流れていく。
足が、自然と速くなる。
迷いが、少しずつ形を変えていく。
「……ありがとうございます、バロックさん」
振り返らずに、そう呟く。
後ろからぱしん、と、バロックさんがグラムの手を叩いた小気味いい音が、聞こえてきた。
「……決めるのはお前たちだ。最後まで向き合えよ」
そんな声が、聞こえた気がした。




