第33話 悪魔の館
城塞都市メルキドは、久しぶりに浮かれていた。
最初のサブダンジョン攻略成功――まあ、安心する気持ちは分かる。
だが、こっちは別だ。
辺境伯領騎士団本部の一室は、相変わらず冷え切っている。
まだ、一つ目だ。浮かれてる余裕なんてない。
現場は、いつだって次の地獄の準備中だ。
俺の正面には、痩身を椅子に預けた参謀パーシバル殿が座っていた。
「……以上が第一サブダンジョン攻略詳細です。王家へも報告済みです」
俺が置いたレポートを、彼は流れるような動作で検分した。
「完璧だ。貴公が勇者パーティでなければ、今すぐにでも筆頭書記官として引き抜きたいくらいですよ」
来た。
褒め言葉の皮を被った、仕事の追加。
迂闊に喜ぶと、気付いたらたら社畜まっしぐらだな。
「……胃を痛める様な仕事は、これ以上御免被ります」
軽く返す。
本音だ。これ以上ストレス源はいらない。
彼は薄く笑い、地図に×印を入れた。
「最初にここを潰して正解でした。思ったより、モンスターの数が多かった。後回しにして強化されていたら、あの物量で文字通り圧殺されていた所です。フィオナとミリアの魔法が特効を持っていたのも幸いしました」
俺は淡々と続けた。
「勇者殿が居眠りしている裏で、これほど、冷徹な算盤が弾かれていたとは」
パーシバルの言葉には、同情が混じっている。
フォローのつもりだろうが、むしろ虚しくなる。
「あいつは起きてても、俺がやることは変わりませんよ」
少しだけ皮肉を混ぜる。
どうせ、俺がやる。
「次は魔獣系ダンジョンですか、それとも魔法生物系?」
「いいえ、悪魔系を考えています。後に残して手が付けられない怪物になる前に、今の戦力で叩き潰すべきかと」
「妥当ですね。貴公の『計算』を信じましょう」
承認印が押され、事務的な会話は終わった。
だが、俺には確認したいことがあった。
「パーシバル殿。バルツァー閣下の三男――ラスウェル殿は、現在は冒険者として活動されていると伺っていますが」
「よくご存知ですね。それが何か?」
パーシバルが、俺の方を見た。
探るような視線が来る。
「連絡はつきますか? 後半、難易度が上がった時、今のパーティでは戦力が足りなくなる懸念があるんです」
脳裏に元嫁や仲間たちの姿が浮かぶ。
「辺境伯の血を引く実力者なら、助力としてこれ以上の相手はいません。私の独断ですが」
保険は多い方がいい。
パーシバルは沈黙のあと、深く息を吐いた。
「……貴公らしい徹底したリスク管理だ。わかりました、伝手はあります。現在領内に戻っているはずですので、調べておきましょう」
「助かります。予備の剣は、多いに越したことはありませんから」
一礼して部屋を出る。
廊下を渡る秋の終わりの風は冷たい。
浮かれてる街が、少し遠く感じる。
あっちは祝勝会、こっちは次の戦場。
……まあいい。どうせ、やるしかない。
思考を切り替える。
さあ、次の攻略へ行こう。俺は準備に取り掛かった。
※
城塞都市メルキド中心部を少し離れた、郊外に広がる田園地帯グリーンベルトに足を踏み入れると、都市の計画的な美しさと、素朴な自然が溶け合う穏やかな光景が広がっていた。
少しずつ高くなる太陽が、うっすらと残る朝霧を透き通らせていく。
収穫を終えた緩やかな起伏の畑には、霜が降りた土の匂いと、枯れ草の香りが混じり合っていた。
生け垣は深い赤色の実をつけ、その間を縫うように続く小道を、俺達は歩いていた。
視線を街の方へ戻せば、木々の隙間からメルキドの住宅街が見える。
澄み渡る秋の光。
遠くで鳴く羊の声や、乾いた風が梢を鳴らす音。
「いやあ、絶好の冒険日和だな! なあ、フィオナ?」
前を歩くグラムが、真夏日の様なテンションで声を飛ばす。
相変わらず、元気だけはいいな。
パーソナルスペース?もちろん軽々と侵犯してる。しかも無自覚で。
距離が近いくせに、悪意も下心もゼロ。
だから余計にタチが悪い。
……まあ、ああいうのに引っかかる女もいるよな。
リーネがあいつに縋ったのも、たぶんその辺なんだろう。
グラムは、彼女の隣りにいて欲しくない男、ナンバーワンだな。
《アルト。自虐でストレス値を上げるのは、趣味ですか?》
(そんな訳あるか)
《失礼しました。NTR嗜好かと》
(ある訳ないだろ。あったら、もっと楽に壊れてる)
……我ながら、救いのない会話だな。
「……グラム、申し訳ありませんが、もう少し離れて歩いていただけませんか。歩きにくいんです」
フィオナが営業スマイルを貼り付けたまま、一歩引く。
完璧な距離調整だ。さすが。
ざまあみろ、グラム。
ほら見ろ、ちゃんと嫌がられてるじゃないか。
普通はこうなるんだよ。普通は。
……やめよう。自分に刺さる。
少し後ろでは、銀髪を揺らしながら、リーネが重戦士バロックと話しをしている。
欲目無しに、剣士としての彼女は、相変わらず無駄のない動きで美しい。
かつてその背中を守ることに命を懸けていた自分を思い出し、胸の奥に氷を呑んだような感覚になる。
あー…軽くフラバってるな、いかんいかん。
「アルトさん、見てください! あそこの畑、精霊さんたちがとっても楽しそうに踊ってますよ」
不意に袖を引かれる。
俺は鬱屈した思考の底から、強制的に引き上げられた。
隣のミリアが、無駄に眩しい笑顔でこっちを見ている。
白に近い銀髪と赤い瞳が、太陽光を反射してやたらキラキラしている。
この距離でその輝度は、ちょっとした暴力だ。
正直、目に優しくない。
「精霊か。俺には見えないが……どんな風に見えるんだ?」
まぶしさに目を細めながら聞く。
「えへへ、私には小さな光の塊に見えてるんです。風の精霊さんは薄い緑色で、光の精霊さんは真っ白。あっちの川の方にいる水の精霊さんは、綺麗な水色なんですよ」
嬉しそうに語るミリア。本人が一番、妖精みたいに見えるのは内緒だ。
俺みたいに悪魔に頼らないと壊れるような人間が、この子の隣を歩いてていいのか、わりと真面目に疑問になってきた。
「へぇ、楽しそうだな。精霊魔法の才能がない俺には、羨ましい話だよ」
軽く流したつもりだった。
が、甘かった。
「そんなことないです! 精霊さんとお話しできないのに、あんなに複雑な合成魔法が使えるなんて、私、信じられないですもん。アルトさんは、本当に凄いんですから!」
ぐいっと距離を詰められる。
近い。物理的にも、精神的にも。
幼さゆえの全力投球。
こっちはバツイチでオッさんなんだが。
その熱量、解せぬ。
《警告。個体名ミリアは未成年です。過剰接触は法的および倫理的リスクを上昇させます》
頭の中で、アビスが冷水をぶちまけてくる。
(そんな気はないよ……そもそも、そんな余裕あると思うか?)
《はい、アルト。アルトの精神摩耗率は高水準なままです。しかし過去ログより、アルトは異性からの積極攻勢に対し、脆弱である事を確認しています》
……うん、言い返せないな。
一瞬、八重歯を見せた笑窪付き笑顔が浮かぶ。
《個体名ミリアから、同様のアプローチが継続された場合、社会的致命傷を負う確率は21パーセントです》
(マジかよ……)
ありそう過ぎて笑えない。
(分かったよ、気をつける)
冷徹な悪魔の思考を遮断し、俺は一つ息を吐いた。
穏やかな田園風景の向こう、街道の先。
かつては貴族の持ち物だったであろう、古びた屋敷が見えてくる。
そこに近づくにつれて、その建物が発する「異様」が周囲を侵食し始めた。
鳥の囀りが消えた。
晩秋の風も、建物の敷地内には入り込むのを躊躇っているかのようだ。
窓ガラスの割れた廃屋は、大きな口を開けた怪物の死骸のように見えた。
「……精霊さんが、いなくなっちゃいました」
ミリアの声から余裕が消える。
彼女は震える手で俺の裾をぎゅっと掴み、その小さな身体を俺に擦り寄せてきた。
本能的な恐怖なのだろう。
「大丈夫だ。皆ついてる。それに悪魔系は、俺と相性がいい。心配はいらない」
できるだけ平坦に言う。
優しさは添えるが、あくまで業務用だ。
それだけで、ミリアの頬に少し赤みが差す。効果が出るのが早すぎて、正直ちょっと怖い。
……で、その様子を見ていたリーネと目が合う。
次の瞬間、露骨に逸らされた。
分かりやすいな、おい。
その一瞬で、十分すぎるほど伝わる。
あの目、また痛んでるな……
裏切ったのは自分。
壊したのも自分。
理解はしていても、苦しんでる。
俺が他の誰かに向けた、ほんの少しの気遣い。
それだけで、心が抉れるらしい。
こっちも、あっちも。
……面倒くさいにも程がある。
あぁもう、そんな顔すんなよ…
割り切れたら楽なんだが、そうもいかない。
情、残ってるもんなぁ…
『今度こそ二人でやろう、一緒に笑えるように』
あの時の気持ちは、間違いない。
でも、前途は順調に多難だ。
まあ、茨の道だ。
俺の人生、だいたいそんな感じだしな。
錆びついた鉄門をくぐる。
かつて庭園だった場所に、足を踏み入れる。
「さて。ここが、第二のサブダンジョンだ」
俺の声に、グラムが剣を抜く。
バロックも、大盾を構える。
さっきまでの緩い空気が消える。
戦闘者の顔に、きっちり切り替わった。
「アルト、ここはどんな連中が出るんだ? 前回みたいにゾンビだらけってのは勘弁だぜ」
……こいつ、また説明聞いてなかったな。ブリーフィング中に寝るな、聖剣のおまけ。
「……言っただろ。ここは悪魔系だ。精神汚染と幻覚がメイン。面倒なやつらばっかりだ」
(アビス、中にお前の友達いるんじゃないか?)
《この中にはいません、アルト。悪魔にも位階と位相があります。ここの個体群と、私の位相は一致しません》
(へえ。同族とか、ちゃんといるんだな)
《はい。現在、この世界で稼働中の端末は私を含めて三体です。》
(マジか。ちょっと会ってみたいな)
《推奨しません。いずれも遠方に存在します。遭遇確率は低いと推測されます》
(そりゃ残念。じゃあ、ダンジョンスキャン頼む)
《了解。スキャンを開始します》
一つ息を吐いて、前に出る。
二つ目の魔王のサブダンジョン攻略、開始だ。
心はまだリハビリ中。
なのに世界救済だけは、きっちり締め切り付きで迫ってくる。
まったく、ブラックすぎるだろ。




