第30話 背中越しにセンチメンタル
薄明のなか、晩秋の山の空気は刃物みたいに鋭く、冷たかった。
吐き出す息は真っ白に染まり、冬の足音がすぐ後でスタンバイしている気配がする。
足元を見れば、役目を終えた紅葉が乾いた音を立て、色とりどりの絨毯となって山道を埋め尽くしている。
中腹へ進むにつれ、巨木の間から低い太陽の光が差し込んできた。
黄金色の光の束が、漂う朝靄を透かし、幻想的なカーテンを作り出す。
……寝不足の目に、直撃だ。
自然は美しい。だからといって、それを楽しめるかは別だと思う。
俺の体調は、控えめに言って壊滅的だった。
ここ数日の魔王ダンジョン討伐会議、バルツァー辺境伯領騎士団幹部との気詰まりな会食、そしてなぜかランダム発生する元嫁・廊下待機イベントに忙殺されていた。
結果、平均睡眠時間は三時間未満という、賢者というより、社畜の称号のほうが似合いそうな状況になっている。
アビスに無理やり頭を叩き起こしてもらってはいるが、膝の裏が微かに笑っている。
《警告。アルト。「覚醒」は連用すると依存状態になる危険があります。数日の使用を控える事を推奨します》
(わかってるよ、アビス。賢者が能力依存とか、笑えない。
とりあえず今日最初の魔王のサブダンジョンを攻略したら、一晩、人間らしく寝させてもらう)
俺は冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、ため息と一緒に吐き出した。
「……はぁ。しかしなんで、こんな山の中にダンジョンの入り口があるんだ」
自嘲気味な独白は、冷たい風に流されて消えた。
俺達は、沈黙を鎧にしたバロックを先頭に、殿をリーネ、中央に俺・フィオナ・ミリアという隊列で、魔王のサブダンジョンへと進軍している。
視線の先では、陽光をキラキラ反射して無駄に眩しいグラムが、バロックの隣でご機嫌に鼻歌を奏でている。
……このヤロ。
俺の平均睡眠時間を三時間未満に叩き落とした主犯。
魔王討伐会議も。
騎士団幹部との打ち合わせも。
この“聖剣のオマケ”が大した仕事をしないせいで、裏方から調整役から火消し役まで、ぜんぶ俺がやる羽目になっているんだが?
《アルト。個体名グラムへの敵意が上昇しています。「沈静」を実行しますか?》
(いらん。それより早くダンジョンアタックしよう。物理的に発散した方が健全だ)
歩きながら、俺はここ数日の“軍議”という名の精神摩耗イベントを思い返していた。
※
会議の司会は、バルツァー辺境伯領騎士団参謀、パーシバル殿。針金をそのまま人型にしたような、細くて硬い人だった。
巨大な地図を指し示しながら、彼は抑揚のない声で告げた。
「現在確認されている魔王ダンジョンは六ヶ所。中心の本体ダンジョンと、その周辺に存在する五つのサブダンジョンです」
石壁に反響する声は、平坦でよく響く。
「サブダンジョンを全て攻略しなければ、本体には干渉できません。そして――一つ攻略すると、残り全部が強化されます」
……嫌がらせ設計にもほどがある。
「つまり、順番を間違えたら、後半は地獄ってことですね?」
俺がそう言うと、パーシバルは碧の瞳をわずかに細めた。
「その通りです、アルト殿。理解が早くて助かります。
調査の結果、サブダンジョンの魔物の系統は、それぞれ悪魔系、魔法生物系、鬼系、魔獣系、霊体系という事がわかっています。
どれを先に潰し、どれを後に回すか。そこが貴公の腕の見せ所でしょう」
……さらっと言うな、さらっと。
それ、「選択を誤れば全滅するかも」って意味だろ。
魔王ダンジョンの攻略にかかってるのは、俺達パーティの命だけじゃない。辺境伯領の民草、その向こうのゼビウス王国国民の安寧、まとめてワンセットだ。
責任、重すぎない?
我、色々リハビリ中ぞ?
頭の中で、五つのダンジョンとの相性表がぐるぐる回り始める。
悪魔系を先に潰す? でも強化された霊体系とか想像したくない。
魔獣を後回し? 竜種の強化個体とか悪夢だろ。
……胃が痛い。
気づけば、俺は無意識に腹をさすっていた。
その時だ。
「はいっわかりました!」
やたら元気な声が、俺の思考をぶった切った。
グラムだ。
何がだ。
お前は今、どの段階まで理解した。
“ダンジョンが六つある”あたりか?
《アルト。個体名グラムは眼球を開放していますが、脳波は深い睡眠状態にあります》
(……またかよ)
目はぱっちり。姿勢も完璧。
しかし頭の中身は夢の国。
(これ才能だろ。“会議中でも目を開けて眠れる”ってスキル、勇者のスキル欄に追加しとけ)
俺が自分達の命と国の未来を天秤にかけて、睡眠時間を削り、胃を犠牲にしている横で、こいつは熟睡しながら「わかりました!」だ。
……よし。
殴っていいか?
《アルト。個体名グラムの物理戦闘力を考慮した場合、肉弾戦での勝率は0.3パーセントです》
(知ってるよ! 思っただけだ! )
会議中、こいつは時折うんうんと深く頷きながら、完璧な“聞いてますよ感”を寝ながら演出していた。
そして、パーシバルが真顔で「勇者殿、ダンジョンの攻略順についてどうお考えか」問いかけた瞬間、グラムは満面の笑みで、こう言い放った。
「わかりました! 私は聖剣の導きに従うだけです。何より、私は仲間を信じていますから!」
……会話のキャッチボール、成立しているようでしていない。
だが不思議なことに、起きている時と発言の質が大差ない。
(……アビス。こいつ本当に寝てるんだよな?)
《はい、アルト。個体名グラムは睡眠状態です。“それっぽい肯定的フレーズ”をランダム出力しているだけで、論理的思考は行われていません》
……ランダム出力。
いや待て。あれか?
殺気にだけは反応して即座に迎撃する、達人的なヤツか? ……なんか、一周回ってスゴイような気がしてきた。
グラムのくせに、生意気な性能してやがる。
パーシバル殿は、肺の奥に溜め込んでいたものをすべて吐き出すような、深い――本当に深い溜め息をついた。
そして、どこか憐れみを帯びた視線を、すっと俺に向ける。
「アルト殿。貴公も……色々と大変なようですね。同情します」
その“わかってますよ”みたいな目は、地味に効くな。
「……慣れていますから」
我ながら乾ききった声だった。苦笑いも、もはや反射だ。
俺の返答に、パーシバルはわずかに肩の力を抜いた。
同情を引っ込め、今度は純粋な参謀の顔になる。
「では、アルト殿の提案ですが――」
そう前置きしてから、彼は俺の示した攻略順について、冷静に意見を重ね始めた。
ようやく、まともな会議になってきた。
……心の底からありがたい。
※
――そんな不毛なやり取りを経て、俺たちが辿り着いたのがここだ。
メルキドから北へ半日。
深い渓谷の奥に、抉られた傷口のように口を開ける洞窟。
第一のサブダンジョン。霊体系モンスターの巣窟――『亡者の嘆き穴』。
「……っ」
俺達一行が立ち止まった時、微かな震えが伝わってきた。
殿に立つリーネだ。
普段の彼女は、剣士の名に恥じない凛とした佇まいを見せる。
背中を預けるに値する存在だ。
剣を握った彼女には、俺は全幅の信頼を置いている。
だが、今の彼女は違う。
銀髪が小刻みに揺れ、紫の瞳は怯えたように彷徨っている。
白磁のような肌は、寒さのせいではなく、恐怖で完全に血の気を失っていた。
「ど、どうしたの、リーネさん? 震えてるけど……」
ミリアが不思議そうに覗き込む。
「なんでも、ない……大丈夫……」
大丈夫な人間は、その声量にならない。
彼女の手は鞘ではなく、自分の肩を抱いている。完全防御姿勢。
《アルト。個体名リーネは精神状態異常「恐怖」と判断されます》
アビスが淡々と報告を上げる。
……知ってる。
リーネは、子供のころから、幽霊が壊滅的にダメなのだ。
その彼女を把握した上で、初手に霊体系ダンジョンを選択する俺。
割と鬼畜だと思う。
(違う。合理的判断だ。攻略効率、戦力相性。ここを最初に潰すのが最適解なんだ。本当に)
《アルト。見事な伏線回収ですね》
(黙れ)
俺は一歩前に出る。
目の前の洞窟からは、ひたひたと冷たい、死の気配が溢れ出している。
「フィオナ、ミリア。前へ。ここは二人が主役だ」
「はい、アルトさん! 教えてもらった合成魔法、ちゃんと成功させます!」
ミリアが弾むように前へ出る。
光の粒子を纏い、森の妖精みたいなビジュアルだな。
怖がってる人間の隣で、この輝度差よ。
眩し過ぎる。
「……行きますよ、皆さん」
フィオナがメイスを一振りして進み出る。
聖女モード全開。霊体特効。やる気十分。
メイスの一振りに合わせて、色々な所が揺れており気が散ってしまう。ついでになんかいい匂いがする。
寝不足の頭には、刺激が強いな。
けしからん。
《アルト。性的興奮反応と、局所的な血流増加を検出しました。このままでは、ぼ(アビス!「沈静」を頼む!)
《了解しました。「沈静」を実行します》
一瞬で賢者モードにトランスフォーム。
煩悩が圧縮ファイル化された。
横目でリーネを見る。
……よし。バレてない。
彼女は、まるでこの世の終わりでも見るかのような目で洞窟を見つめている。
……その震える手が、無意識に、かつてのように俺の袖を掴もうとして――
途中で止まる。
まるで、「もうその資格はない」と自分で思い出したみたいに。
指先は空を掴み、力なく落ちた。
――あー、もう、仕方ないヤツだなぁ。
俺は何も言わず、くるりとリーネに背を向ける。
そして右手の親指で、自分の背中をとん、と指した。
言葉は不要。
昔と同じ合図。
リーネは一瞬だけ目を丸くして――それから、ぱっと花が咲いたみたいに笑った。
次の瞬間、どん、と背中が当たる。
背中合わせ。
鎧越しに、体温が伝わる。
どちらからともなく、深く息を吸い込む。
背中越しに、リーネの肺が大きく膨らむのがわかる。
限界まで吸って、一瞬止める。
そして――同時に、ゆっくり長く吐き出す。
呼吸が揃う。
心拍が落ちる。
余計な雑音が消える。
吐き切った瞬間、俺たちは自然に前後へ分かれた。
前に出てリーネは剣を構える。
リーネの震えは、もう止まっていた。
「アルト。背中は預けるね」
声音は、昔の凛としたそれ。
「任しとけ、リーネ。さあ、片付けよう」
俺は淡々と答える。
《アルト。個体名リーネの状態異常が、回復しました。治癒魔法は検知しませんでしたが、先程の一連の行動の影響ですか?》
昔から二人でやってきた、ダンジョンアタック前のルーティンだ。
(……ただのおまじないだよ、アビス)
賢者モードのまま、冷静に全体へ指示を出す。
「行くぞ。……ここからが本番だ」




